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立場の気配
第9話 生き抜いて
しおりを挟む食料確保の、魚釣りの最中。
不意に思い出したのは、少し前にエリックさんが話してくれたことだった。
「《化生の世廻り》。死霊の蓋から這い出た彼らは、まず周辺大地の生気を喰らう。より新鮮な生気を求め、草花や木々から枯らしていく」。
その話を聞いた時は、まだ他人事。自分の身に降りかかるなんて思いもしないし、わたしはただ、悲観的に物語を眺めているだけの感覚だったと思う。
そのあと、毛の生えた生き物……(キツネというらしい)から出た化生に遭遇した時も、「怖い」とは感じたが逃げようとは思わず、血相を変えたエリックさんが退治してくれたことで事なきを得た。
あの時は流れてしまったけれど。
いつ聞こうかと迷っていた質問は、わたしの口から滑り出していた。
「あれに当たったらどうなるんだろうって……生気を奪うって言ってたよね? どうなっちゃうの?」
ファルダ付近の小川のほとり。
引き続き餌を付け、川面に糸を垂らすわたしの目くばせに、エリックさんはこちらに気づいたように目を向けると、すぐに自分の竿を持ち直した。その表情は読みにくいが──言葉を探しているように取れて、わたしは更に続けてみた。
「「生気奪われてどうなるか」、想像つかなくて困ってる。痩せる? 痩せるの?」
「…………それは、その個体の体力や気力にもよるだろう」
矢継ぎ早ぎみの質問に、彼はひとつ咳払い。
適当な虫を針に刺し、辺りを伺うように瞳を滑らせ──ふわっと竿を動かし糸を投げると、
「奴らの詳しい生態については明らかになっていないが、瘴気を纏いし奴らに触れたものは、徐々に気力を失い生きる屍になると聞く。……ただし、それも不明瞭なんだ」
エリックさんの声は重い。
わたしは軽めのトーンで聞き返した。
「スレイン王国が頑張って押さえてるから?」
「ん? まあ、そう捉えてもいいのかもな。冥府対策・死神の番人として、奴らが暴れるのを防いでいるから、逆に、人体への被害が挙げられない状況にある」
「……なるほどー? 被害サンプルが見つからない、と……? でもさ、「スレインが国を挙げて押さえなきゃいけないぐらいの災害」なら、被害報告とか残ってるはずだよね?」
「100年以上前のものなら」
「ひゃ?」
「あるらしいぞ、聞いた話だけど。加えて、当時の文字と今の文字は大きく変わっていて、読み解ける人間がいないらしい」
「……うわ……」
「しかしそれらは「世廻りの被害」だ。小さなものについては、全然」
「なのにあのとき守ってくれたんだ?」
「……体に良いわけがないだろ漆黒の魂なんて。どうなるか分かったモノじゃないから、屠った」
「ほふった」
「”やっつけた”って意味だよ。……まあ、小さな化生に対する明瞭な被害記録は残されていない……が」
そこまで言うと、エリックさんは一呼吸。
「聞いた話、だけど」と前置きをして、
「急に老け込むらしいな。最悪その場で死に至る場合もあるらしい」
「………………それなら死ぬ方選びたい」
「安易に死を選ぶな」
「……──!」
怒らせた……!
一瞬で分かった。空気が変わった。やってしまった。
今まで聞いてきたどんな声より鋭かった。
背中が冷たい。
彼は今、怒っている。
どうしようが渦を巻く。
安易に言ったことを後悔した。
彼のそれがなければ、「老け込んでまで生きたくない」と続けるところだった。
さっきまで命についてぼんやり考えていたのに、自分に呆れる。
冷感が指の先まで走りぬけて、すぐに謝ることすらできない。それこそ軽薄に思われそうで、なにを、言えばいいのか、分からない。
黙って、口を塞いで、肩に力を込めて。
ただただ、ごめんなさいを放つわたしの隣から、「すぅ」とひとつ。
こらえ・諦め・緩めるような息遣いが響いた。
「……命は大切にしてくれ。……たとえそれが、衰えた体でも生き抜くんだ。生を選べるのなら」
「………軽率だった、ごめんなさい」
気遣うような、自省するようなエリックさんの言葉に、謝罪の言葉を出した。
目があげられない。
彼は気を使って穏やかな声を意識してくれたのだろうが、こちらの自己嫌悪は止まらない。彼の顔を見れない。後悔しかない。時間を戻したい。でも時は戻らない。
言わなかったことにはできない。
何度も命を守ってくれた彼の前で、わたしは、もう……!
目の前を流れていく水面に映る、歪んだ自分の顔を叩き割りたい。
竿を握る手に力が籠る。
ああ、どうしたらいいんだろう。
ごめんなさいって言葉を尽くしても、彼が感じた不快は無くならないのに。
「……ミリア。冗談のつもりだったんだろ? わかってるよ、本気で返して悪かった」
頭の上から声がした。
やや穏やかで、先ほどより柔らかい溜息は、理解と許しを帯びており、自然と、顔が上がる。
………………声が、優しい………………
見つめた先、彼は少々困った顔で笑いかけていて、わたしは、──首を振った。
だめだ。
甘えちゃだめだ。
良くないことを言ったんだから。
「……ううん、軽率だったのは本当だし……」
「……これは、前にも伝えたと思うけれど」
視線を反らして述べた言い訳に、様子を見るような間を取って、視界の端で彼が動く。
土に竿を刺す音。
服の擦れる音。
こっちを向いた気配。
頬に感じる穏やかな視線に引かれるように、そろりと顔を上げてみれば、そこには。「なあ、顔、上げて」と言わんばかりの彼が居た。
「ミリア。俺は……落ち込んでいる君より、元気な君がいいんだ。少々危なっかしいけれどね」
真剣なトーンは滑らかに色を変え、最後は苦笑い。
続けて、「情けないんだけど」と言わんばかりにほおを緩ませた彼は、カリカリと自分のうなじを掻くと、
「……ほら。俺は、『この性格』だろ? 騒いだりお道化てみたり、茶化すような振る舞いが苦手でさ。周りにも散々、「笑顔が怖い」だの「冗談に聞こえない」だの言われてきた。明るく見せようと冗談のつもりで言った言葉が、冗談と捉えて貰えず、トラブルになったこともある」
「…………なんかわかる…………」
「……わかるんだ? ううん、それも複雑だけど」
くすくす笑う彼。
そんな彼の様子に親近感を覚えて、小さく笑って実感する。
この人も生きてるんだ。
生きた彫刻みたいな顔立ちで、城の兵士にも物怖じしない度胸を持ち合わせた凄い人に感じるけれど「ただの人間」。むしろ、「子どものころに出会った彼女」を今も探している純粋な人。
そんな心持ちで見つめた彼は、少年のようなあどけなさと照れくささを放っているような気がして──、わたしはくすりと頬を緩めた。
笑うわたしに彼も笑う。
さっきより、優しく、説得するような雰囲気で、彼は言う。
「……だから。君のような人はありがたい。俺が思い悩んでいる事柄なんて、砂粒のように吹き飛ばしてしまう、その勢いと明るさが。眩しいと感じるぐらい。だから……安易に死を口にして欲しくない」
「…………」
それは、心の奥まで、ずんと落ちて行った。
痛いわけじゃない。苦しいわけじゃない。
言葉の裏にあるなにかに、無意識の何かが打たれたんだと、咄嗟に理解した。
「彼の言葉が響く理由」が解らず、呆けるわたしのその前で。
彼は、ぐっと、わたしの瞳を覗き込むように距離を詰めると、
「…………『最後まで、生き抜いてくれ』」
「あ、はい。『最後まで生き抜きます』」
「……うん、そうして」
まるで、訴えかけるような感じで言われて、間髪入れずに頷いた。
なんか、わたし…………変だ。
緊張する。
そわそわする。
ちょっと息がしづらい気もする。
エリックさんが気になって、思わず目だけで見ちゃってるぐらい。
わたし、こんなにぎこちない感じなのに、彼は……なんだか満足げで、竿を持ち直し釣りをし始めている。
なんか変。
わ、わたしだけ?
これってわたしだけ?
落ち着かない。
なんか、視線がおにーさんの方に行く。
なんで?
……あれ? この人、こんなに優しい顔する人だっけ?
あれ?
えっと、ちょっと居心地悪いな、そわそわする。
竿、強く握りすぎ、わたし。
なんでこんなに強張ってるんだろう? あれ? あれ?
──と、混乱する自分の竿に、ちょん、と何かが触れた気配が伝わって、(えさ、まだ付いてるかな?)と竿をあげようとした、その時。
「──かかった!」
興奮したおにーさんの声。
瞬時、視界の隅で糸が張る。
水面に走る糸をもろともせず、しなり震える竿を、躊躇いもなく引き上げて──
「────へーか!!」
「……へーか?」
「……!?」
魚が上がったのが、まるで合図だったかのように。突如響いたその声に、繰り返すわたし、びくんと震えるおにーさん、ぼちゃんと水面を打つ派手な音。
聞こえてきた「へーか」に目を見開くわたしの視界の隅で、力なく揺れる竿を立てるエリックさんが、みるみる怪訝に染まっていき──
「エリックへーい……ヘーイ、カレシ!!」
「……ヘンリー……」
ヘンリーと呼ばれた彼は、引きつった声で手を振ったのであった。
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