電子世界のフォルトゥーナ

有永 ナギサ

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2章 第4部 尋ね人との再会

117話 柊那由他という少女

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 時刻は九時ごろ。少し曇りがかった空の下、レイジと那由他はアイギスの事務所に向かうため、街の広場内にある木々が立ち並んだのどかな路上を歩いていた。
 カノンを自由にするため巫女ので激闘をくり広げたのが昨日であり、今やアポルオンはアビスエリアの件や、破壊された巫女の制御権のことで大混乱におちいっているとか。そんな中レイジたちはこれからアイギスの事務所で、今後の方針を決める話し合いをするとのこと。
 あれからカノンとはゆっくり話もできていない。昨日の戦いのあとは制御権が破壊されたことや、革新派の動向なのでそれどころではなくなり、那由他と結月以外はログアウトしてその場を離れることになったからだ。とはいっても今からやる事務所での話し合いにはカノンも通話で参加するらしいので、再び話す機会はいくらでもあるだろう。

「いやー、それにしてもレイジとカノンが知り合いだったなんて、ビックリ仰天ぎょうてんですよ! しかも小さいころに再会の約束を交わしていたって、なんですその感動恋愛物語は?」

 レイジの隣を歩いていた那由他が、なにやらジト目で主張してくる。

「――あはは……、このままいくと再会を果たし、二人はめでたく結ばれるとかいう展開になっちゃうんですかねー。――はぁ……、那由他ちゃんの恋路がますますけわしくなってきました……。あの最強クラスのヒロインオーラを持つカノンに、どう立ち向かえば……。ねー、レイジ、なにかいい案はありませんかー?」

 那由他はひたいを押さえながらフラフラな足取りで、がっくりうなだれる。
 どうやらカノンとレイジの隠された関係を知り、なにやらよくわからない危機感を抱いているらしい。

「いや、知らんがな」
「そんなこと言わず教えてくださいよー。那由他ちゃんは強敵のライバル打倒のため、なんだってする覚悟があるんですから! ほらほらー、レイジが女の子にしてほしいことを言えば、那由他ちゃんが実現してあげますよー! ささ! 思春期の男子が持つ欲望をぶちまけちゃってください!」

 レイジの腕に抱き着き、揺さぶりながら必死にうったえてくる那由他。そして上目づかいで、誘惑的言葉を。さっそく色仕掛けを入れて、猛アピールしてきた。
 その意味ありげな言葉と、腕に押し付けられるマシュマロのような柔らかい感触。これにより煩悩ぼんのうがわき上がってくるが、なんとかこらえお決まりのスルーで対抗する。

「そうだな。那由他の言う通り、ほんと驚いたよ。カノンがまさかあのお方だったなんてな」
「あのー、レイジ、前半のよりも、後半部分のコメントをいただけないでしょうかー? カワイイ、カワイイ美少女である那由他ちゃんを、レイジの欲望で汚す絶好のチャンスなんですよー!」

 那由他は両ほおに指を当て、首をかしげてくる。

「というかオレもカノンも、よくここまで互いのことを気付かなかったな。同じ陣営にいるんだから、気付く機会があってもおかしくないだろ?」
「――あはは……、意地でもスルーする気ですねー。――まあ、その件に関しては前にも言った通り、わたしの仕業しわざです。実はぶっちゃけますと、久遠レイジをアイギスに入れるのは非常ーにマズイことだったんですよねー。カノンにばれたら、怒られるどころの話ではないぐらいに!」

 なんとかスルーに徹していると、那由他があきらめてくれたらしい。ほおにぽんぽん指を当てながら、少しばつのわるそうに白状してくる。

「なんだそれ。初耳だぞ」
「複雑な事情が多々あるんですよー。あなたのお父様関係で、レイジをアポルオンに近づけるのはできるだけ避けるという、暗黙の了解が……」

 どうやらこの件はレイジの父親が関わっていたらしい。このことでわかるのは暗黙の了解になるほど、レイジの父親がアポルオンと深い関係を持っていたことに。いったい彼は何者だったのだろうか。

「父さんが? ああ、そうか。カノンに会えたのも父さんのおかげだったから、あの人がアポルオンと関係を持っていてもおかしくないのか」

 アポルオンのことを知った今思い返してみると、納得がいってしまう。
 カノンというアポルオンの巫女に会えたのも、すべてはレイジの父親のおかげ。秘密裏に隔離されていた彼女に普通の人間が会えるはずないので、彼はアポルオン内でもかなり特別な立ち位置にいたはずである。

「というわけでしてレーシスに協力をあおぎ、レイジのことは内密にしようと奮闘してた次第でして。――あはは……、この件はあとでカノンに、みっちり説教されてきます……」

 那由他は気が重そうに、肩をすくめる。

「そういうことだったのか。だけど暗黙の了解を破ってまで、どうしてオレをアイギスに?」
「わたしとしては、一年前のレイジにあのままついて行ってもよかったんです! ですが行く当てがないみたいだったので、まずは答えを見つけられる環境を整えてあげるべきだと思いまして! ほら、アイギスならカノンやかえでさんといった強力なバックがいますので、思いのほか自由に行動できるでしょ? 選択肢の幅が増える分、レイジのためになるかなー、と! もちろんレイジには極力アポルオン案件に関わらせず、普通のエデン協会として活動し続けてもらおうと思っていました!」

 確かにエデン協会アイギスはレイジにとって理想的な環境といってよかった。軍関係のレーシスやほのか、さらにはゆきや楓みたいなすごい人たちとの人脈が次々と。これによりレイジは様々な経験を積めたといっていい。守るための剣をあそこまで求められたのも、すべてはこの彼女の気遣いのおかげ。それに今後答えを求めて動こうとした時、みんなの力も借りられるので願ったり叶ったりであった。もし彼女の誘いを受けず一人さまよっていたら、ここまで整った環境にたどり着くことは確実に不可能だっただろう。

「あとこうすればレイジを見守りつつ、ついでにカノンの力になることを延長できましたし、那由他ちゃん的には大バンザイだったんです!」

 腕を組みながら何度もうなずき、得意げに笑う那由他。

「オレの方じゃなく、カノンがついでなのか?」
「もちろんカノンの力になってあげたい気持ちは本当ですよ! 彼女の理想を求めるあり方はとても輝いていて、とてもこのましい。ええ、わたしがつかえるのにこれほどふさわしい相手はいないほど! カノンのためならたとえどれだけ困難な道であろうと、最後までお供する覚悟があります!」

 那由他はカノンへの想いを、目を輝かせながらかたる。
 結月と同じカノンを信じ力になってあげたいと、心から願っている想いが強く伝わってきたといっていい。

「ですがわたしには、彼女以上に力になってあげたい人がいるんです! これまで築いてきたものすべてを投げ捨て、裏切ることになろうともかまわない! 世界のすべてを敵に回したとしても、成し遂げたいこの想い! そう、すべては久遠レイジに幸福を! あなたのためなら那由他ちゃんは、なんだってしてみせるんですから! たとえどんな犠牲ぎせいを払おうともね!」

 そんなカノンを想う那由他だったが、レイジの方に手を差し出し、いとおしそうに見詰めながら告白を。ただそのひとみは、あわい狂気の色に染まっていた。
 その宣言にもはや嘘偽うそいつわりなどなく、那由他は本気。彼女はたとえどれほどの代償を払うことになっても、自身の想いを成し遂げるだろうとわかってしまう。

「……その犠牲が那由他自身でもか?」
「あはは、そんなの当然に決まってるじゃないですか! それでレイジが幸せになれるという結果を残せるなら、これ以上幸福なことはありません! たかが、わたしの命一つでこの想いが成就じょうじゅするなら、喜んで差し出しましょう! だからもしレイジが世界を曲げてでも、叶えたい願いがあるのなら言ってくださいね! 鍵を解放しこの命燃え尽きることになっても、実現してみせますので!」

 那由他は祈るように腕を組みながら、屈託くったくのない満面の笑顔を向けてくる。
 そのあまりのいき過ぎた想いに、ぞっとしてしまう。彼女は自分に酔ったり、冗談や比喩を言っているのでは決してない。それがさぞ当たり前だと、信じて疑ってないのだ。久遠レイジの幸せのためなら、自身の命など安いもの。なんの躊躇ちゅうちょもなく己が命を使いきろうと。最後の方の言葉の意味はわからないが、おそらく那由他は自身の命を犠牲ぎせいに、なにか途方もないことをする気なのは理解できた。
 こうなるのもすべては彼女のかかえる問題のせい。そう、柊那由他はなんとあろうことか、自身の命に対する価値観が極めて低いのだ。そしてその分、他者の命に価値を見出してしまっているのである。なので那由他の行動原理は自身を対象にしていない。対象となるのは他者の願いだったり、生き様だったり。もはやその力になることを、第一として生きているのだ。それは彼女に近しい人物であればあるほど、その勢いは増していくのであった。
 こうなっているのも自身の幸せなど、他者の幸せに比べればほんの些細ささいなもの。ゆえに幸せになってほしい者のために、この命を使い続けよう。それこそ正しくも素晴らしい生き方だ。こんな通常ではありえない狂気的思考が、彼女のすべて。それはまるで遺伝子にきざみ込まれた本能のように。
 これは予想だが。おそらく柊森羅も那由他と同じ問題を抱えている気がする。すべては柊の血筋に生まれたさだめとして。ゆえに久遠レイジは彼女たちを必要以上に意識してしまうのかもしれない。アリス・レイゼンベルトという少女が狂気にちていくのを放っておけないのと同じ。那由他や森羅を狂気から救ってやりたいと、本能じみたなにかが叫ぶのだ。

「これが幸運の女神である那由他ちゃんが、久遠レイジにささげる愛! 言うならば柊那由他という一人の少女がかなでる恋物語です!」

 那由他は両腕をバッと広げ、陽だまりのような笑顔を向けて声高らかに告げる。恋こがれ歌うかのごとく。

「――那由他、前にも言ったが、あんたのその考えは間違ってるぞ。いや、もう、間違いなんてとっくに通り越して、狂ってるほどにな……」

 再び彼女の抱える問題の異常さを目のあたりにして、レイジは悲痛さにさいなまれながらも伝えた。

「ぶー、ぶー、なんですかー? 人の愛にケチつけないでくださいよー。あ! もしかしてレイジ、テレ隠しですか? あはは、もう、カワイイんですからー!」

 忠告を聞き入れず、那由他はレイジのほおをつんつん突つきながら茶化してくる。

「――やっぱり聞く耳を持ってくれないか……。――はぁ……」

 この彼女の反応は話を逸らすとかではなく、レイジの言っていることが本当にわかっていないのだ。一年前のあの出来事のときと同じで、自身が間違っていることなど夢にも。

(――どうしてこんなにも嫌な予感がするんだろうな……。このまま那由他がオレのそばにいれば、もう二度と会えなくなる気がするなんて……)

 嫌な予感がレイジに不安をつのらせていく。
 このままの那由他を放っておけば、彼女は近い未来レイジのそばからいなくなる気がして止まないのだ。

(しかもこの予感は彼女の恋を受け入れた瞬間、確信に変わってしまうような……)

 そう、久遠レイジと今の柊那由他が結ばれると、彼女の破滅は確実に起こる。
 恋がみのればその分、愛する者への献身けんしんの想いは際限なく加速するもの。結果、レイジが望まなくても、那由他は命をけ自身の想いを成し遂げようとするだろう。すべては異常なまでに膨れ上がった愛の名のもとに。ゆえにレイジは彼女の恋を絶対に受け入れるわけにはいかないのだ。那由他のことを思えばなおさら。

(――柊は恋に狂う宿命しゅくめい……、か……)

 空を見上げながら、森羅がふとつぶやいていた言葉を思い出す。
 アリス・レイゼンベルトとはまた別のベクトルによる狂気。力になってあげたい者のためにどこまでも。そんな柊の血筋が恋をすれば、もはや恋は盲目もうもくどころの話でないのは明白。恋こがれる気持ちが暴走し、いづれは取り返しのつかないところまで堕ちていくだろう。

「――なあ、那由他。オレはあきらめないからな。一年前も言ったが、いつか必ずその考えを改めさせてやる。だから覚悟しておけ」
「あはは、那由他ちゃんは本当に幸せ者ですねー。レイジにここまで想ってもらえるなんて! やはり那由他ちゃんルートは、そうそう揺らぎはしません!」

 レイジの心からの宣言に、ふふんと得意げに胸を張る那由他。

「おい、すごくまじめな話なんだが」
「あはは、もー、わかってますってばー! まあ、実際あまりわかっていませんが、レイジはわたしのためになにかをしてくれようとしてるんでしょう? それなら那由他ちゃんはいつまでも心待ちにしておきますよ! レイジがどんな景色を見せてくれるのかを楽しみにしてね!」

 那由他はレイジ顔をのぞき込みながら、さぞうれしそうにほほえウィンクしてくる。

「それならいいが」
「――おっと、立ち話をしてたら、もうこんな時間ですかー。そろそろアイギスの事務所に急がないといけませんねー! ほら、行きますよ! レイジ!」

 そして那由他は時間が押していることに気付き、アイギスの事務所の方へ一足先に走って行ってしまった。

「――はぁ……、と、かっこよく宣言したものの、実際は前途多難ぜんとたなんなんだけどな……。ただでさえカノンの件で精一杯だというのに……。――まあ、でもやるしかないか。オレは那由他と別れたくないんだから」

 レイジは思わず本音を口にしながら、彼女を追いかけようと一歩踏み出す。
 すると突然ターミナルデバイスの着信が鳴った。取り出して確認すると、知らない番号からである。
 少し嫌な予感がしながらも、その通話にでることにした。

「はい、こちら久遠レイジだけど、どちらさん?」
「カノンだよ。突然の連絡でごめんね。実は急きょ伝えたいことがあるの」
「カノンか、どうしたんだ?」

 思いもよらなかった相手に、少し動揺しつつたずねる。
 本当はいろいろ込み入った話しをしたいが、急用ならしかたない。まずは用件を聞くことにした。

「じゃあ、さっそく用件を言うね。ゴホン」

 カノンは|咳払|《せきばら》いをして、一息つく。
 そして驚愕きょうがくの言葉を投げ掛けてきた。

久遠くおんレイジさん、本日づけであなたをアイギスから除名じょめいします。今まで本当にありがとうね。――バイバイ、……レージくん……」

 レイジが問う前に、通話が切れてしまう。まるでこの会話を最後に、彼女とのつながりが途切れてしまったかのように。

「え?」

 カノンの別れの言葉に、レイジはただ茫然ぼうぜんとその場に立ち尽くすしかなかった。
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