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7.雨ハ必ズ止ム

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 水の垂れる音は室内でも大きく響く、その激しさは増すばかりだ。

 濡れた体を、乾いた布で軽く拭いた。

 外観ほど内装は酷くはないのだが、その散らかり様は、まるで強盗にでも荒らされた跡だと思うほど。

 村長を名乗る老人は、その体に苦労を滲ませるシワが、数え切れないほど刻まれていた。

「旅の御方とお聞きしましたが、何用でこんな村に?」

「マーヤの国へと向かう道中、不運なことに急な雨に降られまして。雨を凌げる場所を探していたところ、この村に辿り着いたということです」

「なるほど、それは不運でしたね。ですが、マーヤの国へ訪れるのは止めた方がいい」

「それはまたどうして?」

「今現在マーヤの国は、悪魔崇拝が盛んで治安があまりよろしくないのです」

「悪魔崇拝って何?」

「人が魔法を覚えるには、魔の者と契約を結ぶ必要がある。その魔の者が、悪魔だよフェネ」

「んー、よくわかんない」

「うーん、そうだな。魔物と悪魔の違いはわかるかい?」

「わかんない」

「悪魔と魔物の共通認識は、悪意があること。それと人に害を与える存在ということ」

「悪魔と魔物は、悪い奴なんだね」

「だけど中には、亜種族などの人に友好的な魔物もいる」

「へぇー」

「魔物と悪魔の大きな違いは、実体を持つか、持たないかだよ」

「体を持たないってこと?」

「うん、そうだよ。住んでいる領域も、人や魔物とは大きく離れているんだ」

「それなら安心だね。少し可哀想な気もするけど」

 まあ、この世界へ悪魔の侵攻も、過去にあったらしいけど。

 しかし悪魔崇拝とは、穏やかな話ではない。

「あの国には、友人がいるもので。詳しく話していただけないだろうか?」

 師匠は真面目な顔をして、村長に問いかける。

「ええ、構いませんよ。ここ数年の間の話ですが。国王第一主義国家に対してヘレシーな考えを持つ、アルプト勢力が各地に現れまして」

「アルプト?聞き慣れない言葉だな」

「最近そう呼ばれるようになりました。彼らは、悪夢の象徴。どの時代も、異端な存在は現れるものですよ」

「世知辛いな。確かにあの国は、国王第一主義ではあるが、民の声を聞く賢王だった筈だ」

「私もそう思います。しかしアルプト勢力には、象徴となると神の子。アガサといった少女を祭り上げ、宗教として確立してしまっています」

「悪魔崇拝に神の子か……キナ臭いな」

「そう思われて当然です。誰だって怪しみました。なので、アルプト勢力を討伐するのに、騎士団が派遣されたのです」

「その口ぶりだと、失敗したのだな」

「そうです。騎士団の被害が甚大で。ですが、神の子アガサは、死んだ人間を敵味方関係なく、生き返えらせたのですよ」

「馬鹿な、死んだ人間が生き返っただと?」

 そんなことがあり得るのか?

「信じられないのは無理もありません。ですが、信者が増えたのはそこからです。生き返った騎士も寝返り、残った騎士の集団は、国の防衛に充てられて」

「この村に騎士団を派遣する余裕がなくなったと」

「ご想像の通りです。アルプト勢力ではなく、盗賊の襲撃に遭いました」

「要するに火事場泥棒といったところか」

「お恥ずかしい、村長として不甲斐ないばかり」

「そこで相談なのだが、しばらくの間。宿を提供していただくことは出来ぬだろうか?それ相応の見返りを約束する」

「村長として、旅人さんを危険に晒すわけにはいけません。今すぐにでも村を出て行ってください」

「この姿を見てもか?」

 師匠の姿は、絹糸よりも滑らかな白毛の美しさ。その姿は、凛々しき白き虎。

「貴女様は、まるで伝説上で語られる白虎のごとき姿」

「しばらくの間、村に泊めてもらえぬか?」

「こちらからお願いしたいくらいです」

「老人や子供、飢えの酷い者、足りんだろうが食材を提供する。残りの者は、明日の日が昇る刻、狩りに出る。それまで我慢してくれ」

「ど…どうしてそこまでしてくださるのですか?」

「ワシの名に恥じぬ為だよ」

「なんと…ぁありがとう…ございます。どれだけ頭を下げても足りません。こ…このご恩は決して忘れませぬ」

 顔中を涙や鼻水でくしゃくしゃに濡らし、村長は頭を垂れた。
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