恋の罠 愛の檻

桜 朱理

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第2章 新婚初夜は蜜色の企み

8)

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『高坂さん!』
 仕事終わりの彼がビルから出てきたのが見えて、外で彼を待ち伏せていた美園は駆け寄った。
 自分が日本の高校の制服を着ていることで、これが夢なのだと美園は気づいた。
 ――ああ、あの時の夢……
 この状況はよく知っている。高坂に振られた時の夢だ。
 ――見たくない。
 そう思うのに、夢は美園の思いとは裏腹に、勝手に進んでいく。
 あの日、美園は仕事帰りの高坂が当時、付き合っていた女性と食事に行く約束があることを知っていた。
 知った理由は偶然だった。兄と高坂がどこの店がいいかと話し合っていたのだ。
 あの日、あの場所に行ったのには、理由があった。
 美園が恋するもう一人の兄ともいえる人の恋人が、一体どんな女性なのか知りたかったのだ。
 叶わぬ恋だとわかっていた。彼がその恋人と結婚を考え始めていることも、知っていた。
 だからもう諦めようと思っていた。不毛な恋を諦めるため、最後に彼の恋人の顔を見てみたくて、美園はあの日、高坂に会いに行った。
 美園の呼びかけに、高坂が驚いたように振り返った。 
『美園ちゃん……』
 その横には、高坂と腕を組んだ女性が立っているのが見えた。
 小柄で、女性らしい雰囲気のその人は、美人と言うよりも可愛らしい雰囲気の人だった。
 美園とは正反対に見える優し気なその女性に、美園の胸が鋭い痛みを訴えた。
 あれから十年も経っているのに、その痛みだけはやけに鮮やかに蘇って来た。
 この頃、高坂がデートのある日に、わざと電話して話を長引かせたり、待ち合わせ前の高坂に纏わりついて、彼女に会いに行くのを邪魔したりしていたせいもあって、美園を認めた高坂の顔が歪んだ。
 その表情に、美園は密かに傷ついたが、完全な自業自得だった。
『こんな時間に、何をしているんだい?』
『お兄ちゃんとご飯の約束してるの。高坂さんはこれからデート?』
 高校生が出歩くには遅い時間に、高坂の注意が飛んでくる。それを無邪気な振りでかわし、美園は彼女の顔を覗き込んだ。不意に現れた恋人と親し気な女子高生に、その女性はきょとんと瞳を瞬かせた。
『初めまして! 兄がいつもお世話になっております』
『……え? 妹さん?』
 美園の自己紹介に彼女が、驚いたように高坂を振り仰いだ。その仕草に、高坂が額に手を当てて、ため息をついた。
『妹のように可愛がっている子です。四宮の妹さんですよ』
『あ、四宮さんの……』
 納得したように頷く彼女に、高坂が『ちょっとそこの喫茶店に入って待っててもらえますか? この子を送り届けてきますから』と断り、美園の手を掴んだ。
 いつになく強引な高坂の態度に、美園は驚いた。手を引かれるまま、美園は高坂の後をついて歩きだす。
 足早な高坂についていけなくて、美園は小走りになる。高坂が置いてきた彼女のことが気になって、振り返ってみれば、彼女は高坂の言う通りに喫茶店に、歩いて行く姿が見えた。
『高坂さん! 私なら大丈夫だよ! 彼女のことを放っておいていいの?』
『今更それをあなたが聞きますか?』
 美園の問いに、高坂の反問が返る。聞いたこともない冷たい声に、美園はびくりと肩を跳ねさせた。
『高坂さん……?』
 足を止めた高坂が、美園を振り返る。嘆息する男の顔は、何の感情も浮かんでいなくて、美園は不安になる。
『今まで散々、邪魔をしてきたあなたが、それを心配しますか?』
 もう一度の確認に、美園はたじろいで顔を俯けた。
『この際だから、はっきりと言います。あなたの初恋ごっこに付き合うつもりはありません』
『え?』 
 頭上に落とされた言葉に、美園はハッと顔を上げた。見上げた男の顔は、感情の読めない表情を浮かべていた。
 いつもの穏やかな顔とも違う、冷たさを孕んだ表情に、美園は言葉を失った。
『正直、鬱陶しいんです。子どもに想われても迷惑なだけです。あなたは智也の妹だから、相手をしてきましたが、そうでなければ子どもの相手をするのは苦手なんです』
「…………っ!」
 告げられた言葉の衝撃に、美園は目が覚めた。瞼を開けた美園の視界に飛び込んできたのは、眠る男の端整な顔だった。先ほどの夢の続きかと思えば、一瞬、訳がわからなくなって、美園は息を止めた。
 蒼い闇の中に浮かび上がる男の寝顔を眺めているうちに、これが夢ではなく現実だと実感して、美園はゆるゆると息を吐き出した。
 吐息の触れる距離の近さに、少し離れようと身じろぐが、肩に乗せられた高坂の腕に阻まれる。
 意識がはっきりしてみれば、自分の枕がいつの間にか、高坂の腕に変わっている。
 それで、どうやら自分が高坂に抱きかかえられて、眠っていたらしいと気づく。
 ――何で?
 わざわざくっついて寝る必要があるのかと思ったが、目の前の男は気持ちよさそうに眠っている。
 起こすのも忍びなく、美園は離れるのを諦めた。ただ同じ姿勢でいるのがつらくて、高坂を起こさないように気を付けながら、仰向けになる。
 ――随分、懐かしい夢を見たものだ。
 あの後、美園は自分はどうやって高坂と別れたのか、はっきりと覚えていない。
 気づけば、兄と一緒にいたから、きっと高坂が兄に美園を預けたのだろう。
 夜の闇に染まる天井を見上げて、美園は過去を思い出そうとするが、やはりぼんやりとした記憶しか残っていない。
「何で高坂さんは……」
 ――あの人と結婚しなかったのだろう?
 そんな疑問が脳裏を過った。あの当時の高坂は、すでに二十代も半ばで、結婚を真面目に考えていたはずなのに――
「何がですか?」
 意識せずに漏れた呟きに答えが返って来て美園は驚く。横を向けば、高坂が目覚めていた。
 眠そうに目を瞬かせる男に、美園は「ごめん。起こすつもりはなかった」と謝る。
「別に大丈夫ですよ。それで何が疑問だったんですか?」
「え?」
「さっき、何でって呟いていたでしょう」
「別に大したことないわよ。ちょっと夢を見ただけだから……」
「私の夢ですか?」 
 何故か嬉しそうに目元を緩める男に、美園は呆れる。
「何で嬉しそうなのよ?」
「夢に見るほど、あなたが私を意識してくれているのだと思えば、嬉しいですよ」
「馬鹿じゃないの?」
「なんとでも」
 夜の闇の底で交わす軽口は、どこかふわりと夢心地で、柔らかなものだった。
 互いに強気な仮面が剥がれて、素の二人がそこにいた。
 この男に対する苛立ちも、憎しみもあるはずなのに、今は何故かそれを忘れられる気がした。
「それで、夢に見るほど何が気になったんですか?」
「……高坂さんは、どうしてあの人と結婚しなかったの?」
 今更、聞いてもなにがどうなるわけでもない。そう思っていたのに、気づけば問いは美園の唇から零れ落ちていた。
 一瞬、高坂の腕が強張った。そのまま、高坂が美園を引き寄せる。額に高坂の唇が触れた。
「それは……」
 
 
 
  


 

 
 



 
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