ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版

人の海

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グラント将軍、守田座で芝居を見るのこと

ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第86回  グラント将軍、守田座で芝居を見るのこと

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 今回分は、グラント将軍を招いた守田座での芝居の模様がメインとなります。
 明治初期の非常に貴重な歌舞伎界の模様です。

明治12年7月16日 水曜
「紹介状を貰えましたら、一緒に劇場に行きましょう」
 先日、そう森夫人と話をしていたところ、その招待状が今朝届いたとの連絡。
 というわけで「ご一緒」すべく七時に永田町の森邸に行くと、森有礼氏がワイシャツ姿で煙草を吹かしておられた。
「あまり暑いので」と申し訳なさった。
「午前中はずっとお浜御殿でして。午後はグラント将軍につきっきりで、また今晩出かけなくてはなりません」
 森氏はつらい定め<!>をよく我慢しておられるようだった。
 暑いと文句を云われる森氏を、ようやく説き伏せて燕尾服を着せ、やっと出発した。
 三条実美氏のエレガントな四人乗りの四輪馬車の後を走って、新富座に到着。
 劇場は煌々と明かりがつき、外には大勢の人が集まって、偉い人たちを一目見ようと一生懸命のぞき込んでいて、森氏を残念がらせた。
「文明国の国民」に相応しくない行動に映ったのだろう。
 森氏は私たちを抱えようにして裏口から西側バルコニーに入り、劇場で一番良い席に連れて行って下さった。
 半時間ほど待つと、将軍一行と、東京のエリートの大舞台が到着した。
 宮様方が正装で来られ、奇妙な衣装にもかかわらず本当に素敵で、美しくすらあった。
 吉田清成駐米全権公使夫妻、田中不二麿文部大輔、井上馨文部卿、大山巌、西郷継道陸軍卿、鍋島直大外務省御用掛、三条実美太政大臣などなど大臣、参議であふれかえっていた。
 東京で有名な人はまったく全部そこにいて、貴族階級と権力のオンパレード。
「島原に日本の貴族がこんなに集まったことは、かつてないことだ」
 そう云っておられたのはジョードン氏だ。
 グラント夫人は宮様方の隣に坐り、次が吉田清成夫人。
 そして次がね、日記さん、身分の低いあなたの友達(!)。
 それから森夫人、榎本武揚駐露国特命全権公使夫人だった。
 西側バルコニーは将軍一行が占めたので、これが「貴賓席」という訳で、貴族でも一番身分の高い人たちのみがここに入れられた。
 私はその仲間に入った訳だが、その結果、誰がグラント将軍のバルコニーにいるのか見ようとこちらに向けられる沢山のオペラグラスに曝された。
 アメリカ人やその他の外国人は北側バルコニーに一緒くたにされていたが、女の人は少ししか見受けなかった。
 メンデンホール夫人、シェパード夫人、デニング夫人、横浜から夫人三人がそこにいらした。
 ビンガム嬢はお父様とグラント将軍のバルコニーにおられた。
 一階の座席には沢山の日本人がいたが、大部分風采のよい人ばかり。
 金糸や派手な絹糸で刺繍した紫縮緬の緞帳が舞台にかかり、上方には金糸で何かの字を刺繍した緑色のビロードの垂れ布が下がっていた。緞帳は東京在住の外国人が劇場に寄贈したもので、垂れ布の方はドイツ人の寄贈だ。
 ゲストの到着とともに、笙のむせび泣くような音と拍子木のカチカチという音がして、幕が横に引かれ、竹の簾が三つ見えた。
 それがゆっくりと上がると、詩の神の住吉、奈良朝の宮廷歌人の人麿、インキョー天皇の才芸優れた妃の玉津島が現れた。
 日本の詩の栄誉をすべて帰せられているこの三人の人物が踊りを踊ったが、あまりに複雑で簡単には説明できない。
 この踊りの一番の見せどころは役者の芸と衣装にあった。
 終わりのほうになると突然、想像と伝説の世界から一般生活の現実に変化。
 面を付けて麻布を持ったグロテスクな踊りと、お正月の餅つき踊りになった。
 これが終わると劇が始まった。
「義家」という二幕の史劇で、筋は次のようだった。
 十一世紀の半ば頃、日本の北部に動乱があり、天皇側の大将は源頼義だった。
 頼義の息子の義家はそのころ青年で、勇敢に戦い、乱を鎮めて、父とともに京の都へ凱旋した。
 平穏無事に年月が過ぎていったが、一〇九一年の終わり頃。
 恩賞が少ないと不満を持っていた清原の二人の大将の息子の武衡と家衡が謀反を起こし、大勢力になった。
 謀反平定の命が何人もの大将に下されたがいこうに治まらず、遂に義家が全権を任された。
 当時義家は低い身分に甘んじていて、このような大役にふさわしくないと考えられていたのだが、軍を編成し直し、新しい戦術を用いて連戦連勝し、敵を降伏させた。
 だが彼は謀反人たちの処遇に寛大で、この点がグラント将軍に似ているということなのだった。

 大拍手の中に幕が下がり、太政大臣夫人と腕を組んだグラント将軍を先頭に、豪華に並べられた茶菓をとりに隣のギャラリーへ歩いていった。
 金モールに勲章をいやというほどつけた駐露公使の榎本武揚氏は森夫人に腕を差し伸べた。
 榎本夫人は駐米公使の吉田氏にエスコートされ、森氏は私の腕を取り、とても魅力的なアメリカの戦艦の将校をどかせると、森夫人の隣に坐らせた。
 女の人が少ないので、介添えの数はあり余っていた。
 森夫人は黒い口ひげをたくわえた強そうな海軍将校が、劇の間ずっと喋っているので、役者の台詞が聞こえず、食事の時は世話を焼き過ぎるのでひどく退屈しておられた。
 海軍将校三人、公使三人、牧師一人、一般人二人が私たちの面倒を見てくれた。
 一人がケーキを持ってくると、食べ終わりもしないうちに他の人が「もっとずっといい物を持ってきますから」とお皿を片付けて下さる。
 誰かがアイスクリームを持ってきて下さると、別の人が「そんなものよりこちらの方がずっといいですよ」と仰る。
 榎本氏は他に何も持ってくるものがないと分かると、日本とアメリカの旗を持ってきて下さり仰った。
「シャンペンを飲みましょう」
 私がお断りすると、森夫人とご自分の奥様にすすめ、それも断られると、わざとがっかりしたような顔をして仰った。
「仕方がない、一人で飲みましょう」
 芸者踊りが始まる時間なので、私たちはそれから間もなくバルコニーに戻った。
 ざわめきが静まると、一座の元締めの守田勘弥氏が幕の前に出、お辞儀をして次のような口上を述べられた。
「グラント将軍のような偉い方を今晩ここにお迎えして、役者一同名誉なことでございます。
 ついてはほんのお印を差しあげたいと存じますので、どうぞお納め下さい」
 数人の男が紙で包み、赤い水引と熨斗をかけた巨大な贈り物をのせて大きな台をもって現れ、将軍の前にそれを置くと、お辞儀をして退いた。
 それから背広を着た人たちが靴をカタカタさせながら通路を通って出てきて、幕の前に一列になった。
 この人たちは役者で、異なった高さの声ですぐ台詞のようなものを言いはじめた。
「このような偉い将軍をお迎えしたことは役者冥利でございます。
 つたない芸ではございますが、お楽しみいただけましたでしょうか?」
 丁度その時、芸者のなりをした四人の女が横の入口から現れた。
「グラント将軍に東京においで頂き大変ありがたいことです。
 つきましては、すこしお待ち頂ければ、仲間と偉いお客様の前で、ぜひ新しい踊りをご披露したいのですが」
 一人が座長の守田に澄んだ声で呼びかけると、守田は手を打つと、今思いついたように云った。
「なに、踊り? よしそれではそうしよう。連れといで」
 それを合図に幕が開き、旗のついた提灯ですっかり明るくなった東京の街が見えた。
 床には紅白の縞の衣装の十三人の囃子方が一生懸命、三味線を弾いていた。
 段に座っている二、三人は星条旗の星が美しく光るカミシモをつけていた。
「星」の独演の後、「縞」が一緒に入り、同時に両側の廊下の入口から美しい手を振りながら、草履履きの足で拍子をとって踊りながら一列に女の子が入ってきた。
 ああ! ここにいるアメリカ人の心は祖国愛と幾千という美しい思い出に奮い立った。
 懐かしい祖国の旗、星条旗の他にこのような気持ちをアメリカ人に起こさせるものがあろうか!
 踊り子たちは星条旗を柄にした揃いの着物を着、頭には銀の星の飾り環をして、それは綺麗な衣装だった。
 着物は片袖を脱いで、その下に星の模様の袖がまたあった。
 帯は濃紺、草履は紅白で、やがて扇を広げると、片面はアメリカ国旗もう片面は日本の国旗で、驚きも極みに達した。
 私たちは故国の国旗がこのような優雅な取扱いを受けたことに強く胸を打たれ、グラント将軍のみならず、愛する祖国に対してまでこのような親切を示してくれた日本の友達に深く感謝した。
 この後、集まった人たちは家路につき、私は森夫妻の間に詰め込まれて、横殴りの雨の中を我が家に帰ると一時だった。
 母が起きて待ってくれていたので、今日の冒険の話をした。

明治12年7月18日 金曜 
 今朝ウィリイから電報が来て、すぐに出発して二十二日には上田に着く予定とのこと。
 兄が戻ってきてくれるのは、私たちにはとても嬉しいことだ。
 しかし、兄はきっと苦労をすることだろう。
 一家全員にとって先は真っ暗の状態だが、これまで決して私たちを見捨てることなく助け、慰めて下さった神を信じるのみだ。
 御名に栄えあれ!
 お逸は昨晩、同じ劇を見に新富座へ行ったらしい。
 下級役人や外国人雇用者が招待され、お逸は津田仙氏と行った。
 今日の午後、アラート号所属のアメリカ海軍のヘイワード氏とディヤリング氏が母、小鹿さん、お逸、私を訪ねてきた。
 牧師のヘイワード氏はどうも良い人とは思えない。
 行動の端々に性格がうかがえる。
 小鹿さんは「海軍付の牧師には時々最悪の人がいる」と云っていた。
 ディヤリング氏はアナポリス海軍兵学校で小鹿さんと一緒だったが、親しくはしていなかった。
 お逸にひどく惹かれたようだ。

明治12年7月19日 土曜
 英国公使のハリー・パークス卿から図書委員に伝言があり、今朝は卿の書斎が必要なので、ウッドに本の世話をして貰いたいとのことだった。
 ド・ボワンヴィル夫人はほっとしておられた。
 今日は暑くて何をする気にもなれない。
 午後、ひどい風ぼこりの中を私たちは上野まで出かけた。
 はじめは精養軒へ行き、日本人がパーティをしていたが、池に面したベランダに涼しい良い席を見つけた。
 アイスクリームとケーキで世の中が明るくなった気分になった。
 ゆっくりここで休み、ボーイの「またどうぞおいでになって、ポーチでお休み下さい」という声に送られて出た。
 それから上野を歩き回り、将軍の墓や、勇敢な先祖が戦って血を流した日本版バンカー・ヒルのような永遠の安らぎの地を通った。
 偉大な死者の墓はひっそりとして、金緑の屋根が日にキラキラ光り、どっしりとした門の上の徳川家の紋も太陽の光を反射していた。
 だがこの自然と芸術の美しさの中で、かつては毎日磨かれ、明かりのいっぱい灯っていた門も石灯籠も今は暗く苔むして、墓と同じく静まりかえっていた。
 その静けさを破るものは、この荘厳な悲しみの地にふさわしく声を低めたように思える蝉の鳴声だけ。
 私たちは荘厳な森の中を歩いた。
 この木は物思いにふけってあたりの小径を歩きまわる紀州公方を見下ろしていたことだろう。
 そして戦い! 
 御殿の破壊、対立する両軍の雄叫び、殺戮、負傷者の断末魔の悲鳴、そしてついに夜の死の静けさ。
 蒼い月がこれらの大木の茂みの間をのぞいて、半ば恐怖の中に流血の惨劇を見下ろした時、薄もやのベールをおののく顔の上にひいて思ったことだろう。
「神は人を完全にした。だが人は満ち足りず、更に発明を重ねた」
 黄昏時、家の方に帰ってくると、西の空に大変美しい現象が見えた。
 大勢の人がそこここに集まって「キレイ」とか「珍シイ」と云いながらこの奇観に見とれていた。
 それで私たちも立ちどまって見た。
 空はいつものように美しい青で、綿雲が薄くたなびいていた。
 だが西の方では巨大な黒雲が、まるで復讐の手のように夕陽を覆い隠していた。
 その黒雲の縁は純金の輪になり、その後ろからは真っ青な光が長い指のように空の果てから果てまで伸びていた。
 そしてこの恐ろしい雲の中央からは稲妻がピカピカッと出て、積み重なった雲を、全部照らすのだった。
 シナイ山で十戒が下った時もこうであったのではと思われるほどの壮大な光景。
 私たちは先に進んだが、西の方に曲がったので、前方の黒雲が刻々と変わるのを興味深く眺めることができた。
 やがて「黄金の裏打ちをした雲」は色が薄くなりだし、溶けた金が横からさっと流れだし、空を染めた。
 それは次第に血のように赤い真紅に変わり、暗雲に映えて実に美しかった。
 その変わりようは素晴らしかったが、家の角を曲がり最後の一目をと振り返ると、もうすっかり色褪せて、光線も消え、雲の王子様は古代のノルマンの砦の堀や落とし門のように堅固な色に閉じ籠もっていた。
 屋敷の門が私たちを入れるために開くのを見ながら「嵐の王様は戦の用意をしているわ」と私たちは云った。

明治12年7月20日 日曜
 今朝は芝の英語の礼拝に行ったが説教は無く、ただいつもの朝の祈祷と連祷があっただけで、おまけにひどく短い式だった。
 今晩の祈祷会では、津田氏の生徒の一人が、三年前仲間と熊本で受けた迫害について説明してくれ、大変興味深かった。
 クリスチャンだと分かると、あらん限りの迫害を受け、一人は投石さえされたという。
 非常に面白い話で、半分眠っていた隣人である藤島氏は椅子から身をのり出して、熱心に話し手を見つめていた。
 一人の母の試練が描写されると疋田夫人は息を呑んでいた。みなとても興味深げな顔をしていた。
 その後津田氏が「アメリカ政府の偉大さは巡礼始祖たちが聖書に基づいて国の基礎を築いたからだ」とごく短く言われた。
 それから段々熱してきてこう述べた。
「大アメリカの例に倣い、我々も神の聖なる言葉を日本の礎石といたしましょう。
聖書を持たなかった我々は、二千年の間、何の進歩もなければ慰めもありませんでした。
それをアメリカは二百年のうちに世界の文化、経済を先導する最も偉大な国になったのです」
 ここでこの善良な農夫は「もし日本が二千年前に聖書を知っていたらどうなっていただろう」という思いに言葉を途切らせた。
 これまでずっとただ黙って聞いていたばかりの生徒が「ちょっと発言したい」と云い、この前の日曜日にここに来る時、草の生い茂った近道を見つけたと云った。
 これまではいつも勝家の正門のそばの人通りの多い表通りを通って来ていたので気づかなかったのだ。
 これは人によくあることで、永遠の命に続く短いが狭く草の生い茂った道より、破滅に至る広い道を選ぶ。
 ここでこの青年は少し混乱してきて坐らざるをえなかった。

【クララの明治日記  超訳版解説第86回】
「さて、今回も非常に興味深くて、貴重な記録が出て来ましたわね」
「グラント将軍の来日時の様子を知る記録であると同時に、明治初期の劇場の様子が分かる貴重な記録だものね。
 では、早速今回分の解説を。
 この晩、クララたちが出かけた先の“守田座”というのは、江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許されたいわゆる“江戸三座”の一つで、要するに日本の歌舞伎界の総元締めの一つね。
 この当時の所在地は新富町、しかも劇場はこの前年である明治11年6月に開演したばかりの、西洋式大劇場。
 それまで蝋燭などの“面灯り”でしか照明がとれなかったのを、ガス灯による照明器具を備えたお陰で夜間上演まで可能にした日本最初の大劇場だったらしいわ。
 後にこの新富座では、九代目團十郎・五代目菊五郎・初代左團次の三名優が芸を競いあって“團菊左時代”と呼ばれる歌舞伎黄金時代が花開くのだけど、それはまだ後のお話。
 クララたちが観劇した際の守田座の座長である十二代目守田勘彌は傑出した才人だったと云われるけど、この日のグラント将軍の歓迎会での演出を読むと納得だよね」
「やたらクララの愛国心を煽る演出でしたわね」
「愛国的アメリカ人としては当然なんだろうけど、星条旗に対する思い入れが半端じゃないよね、クララ。
 そしてそれに応える――といっても当然クララのためだけじゃないわけだけど―――守田座側の対応も見事。
“紅白の縞の衣装の十三人の囃子方”“星条旗の星が美しく光るカミシモ”という時点で、クララのテンションもいきなりクライマックス。
『踊り子たちは星条旗を柄にした揃いの着物を着、頭には銀の星の飾り環をして、それは綺麗な衣装だった。
 着物は片袖を脱いで、その下に星の模様の袖がまたあった。
 帯は濃紺、草履は紅白で、やがて扇を広げると、片面はアメリカ国旗もう片面は日本の国旗で、驚きも極みに達した。』
 星条旗に思い入れのあるアメリカ人にとってはたまらない“もてなし”だったろうね」
「その現場の光景が目に浮かぶようですわ」
「本当に日本人の最高の気配り&もてなしの粋だよね。
 この一瞬のためだけに、守田座側はどれだけの手間暇をかけて準備してきたことか。
 こんな衣装や小道具、普段の芝居で使えるわけもなく、このグラント将軍をもてなすためだけのフルオーダーメイドでしょうに」
「この公演に対して並々ならぬ決意があったのだと思いますわよ。
 多分クララはあまり深く考えずに書き留めているのだとは思いますけれど、この一言が端的に守田座の置かれてきた立場を如実に現していますわ。
『島原に日本の貴族がこんなに集まったことは、かつてないことだ』
 つまり、この公演が守田座、いえ、日本の歌舞伎界全体にとっての、未来を懸けたものだったということでしょう」
「なるほどね。今までずっと“日陰者”だった芝居が表舞台に立つ絶好の好機だった、というわけか。
 そもそも江戸期を通じて、芝居は芸術なんかじゃなくて、あくまで庶民の娯楽。
 しかもその公演内容が“お上”に都合の悪いものではないか、常時監視されてる状態。
 華美禁止令が出ると、真っ先に槍玉に挙げられて、公演中止にされたりしていたしね。
 勿論芝居が大好きだった大名たちも一杯いて、中には芝居の“座”の庇護者になっていた例もあるわけだけど、あくまで“お忍び”が基本だったし」
「そんな“日陰者”が海外から迎える国賓を、自らの芝居座に迎えて公演することになった。
 これがどれほどのチャンスか、守田座側も分からない筈がなかったでしょう。
 この公演を成功させれば、事実上“国のお墨付き”を貰えたようなものですもの。
 事実、明治以降今日に至るまで“伝統芸能”として、保護されることになったのですから」
「そう考えると、クララは本当にエポックメイキングな現場に立ち会っているんだねぇ、当の本人が理解していたかは怪しいけど」
「日本人でも、その時点でそこまで理解していたのは本当に極々一部だとは思いますわよ。
ただ少なくとも守田座の座長は理解していたことが、この素晴らしい公演となったのでしょう」
「さて、今週のところはこの辺で……と思ったけれど、この芝居の日の記述で特に注目すべき点はまだあって……というか、クララにとって関係ないというか、極めて関係があるというか……」
「? いったい何を云っていますの?」
「なかなか愉快な一面も見せたくれた、クララの日記では今回初登場となる榎本武揚氏。
うちの父様との関係や、函館戦争で共に戦った大鳥圭介氏との関係で、ずっと前にクララと知り合っていても全然不思議ではないのに今頃になって登場したのは、多分この前年まで駐露大使としてロシアに赴任していたからだと思うんだけど……」
「? で、それがどうしまして? 貴女が何を云いたいのか、よく分からないのだけど?」
「う~ん、激しくネタバレになるから書くか悩んだんだけど、書いちゃうか。
 ずっとずっとずっと先のことになるけれど、この榎本氏の姪っ子が、うちの梅太郎の後妻になるんだよね。
 クララが子供たちをみんな連れてアメリカに帰ってしまった後」
「………………」
「で、その二人の間に生まれた子供の子供、つまり孫が女医となって、第二次大戦終戦後、ソ連軍が殺到してきた満州で数多くの女性達を救うことになるのだけど、それはまた別のお話」
「………………貴女の血族、実はある種の呪いでも受けているんじゃありません事?」
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