淡雪の子守唄

雪桜 モノ

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邂逅

狩り

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 真っ白な世界を赤い服を纏った男は走っていた。慣れていないのかその足取りは重く、顔色も悪い。走る度に白に足を取られ少しずつ速さは落ちていく。
 
 それでも男は足を止めることは無かった。慣れない白の中を必死に走り抜ける。当然理由があった。それは彼の後ろに存在したのだ。
 
 男よりもふたまわり以上大きい熊が、その白い巨体で重たい音を立てながら走る。太い足が下ろされるその度に少しの白が巻き上げられる。
 
 男は逃げていた。その熊から。食われまいと、冷や汗をかき続けながらも必死に。
 
 だが悲しいことに男と熊の距離は差ほど開いていない。少しでも男が速度を落とせば追いつかれるだろうし、熊が少しでも速度あげられれば熊の大きな前足は男へと届くのだ。
 
 時間はない。男と熊の体力の差は歴然だ。このまま走り続けても何れ男の体力は底をつき、足をとめてしまうだろう。そうなればその結果は分かりきっている。
 
 男は走りながらも腰に引っさげた剣の柄を握る。寒さでよく冷えているそれは手の熱を奪っていく。意を決したように足を止め、熊に向き直る。
 
 決意のこもった視線を浴びながらも熊は足を止めない。巨体を動かし、白を散らし、目の前の生き物を狩ろうと躍り掛る。
 
 男は迷わなかった。鞘から剣を素早く抜き、その太い首へと切りかかる。良く手入れされた剣は鈍色ながらも朝日を反射し、光の線となり、首元へ走る。
 
 その瞬間に赤色が跳ねるように散る。熊の首からはだらだらと血が流れ、熊は痛みで足を止める。唸り声を上げながらも熊は持ち直し、獰猛さを表した鋭い目で男を睨みつけると、大きな口から牙を覗かせ男の頭目掛けて前足を振り上げる。
 
 男は唖然としていた。熊と言えども生き物だ。たくさんの血を流せばその動きは止まる。だからこそ、毛皮を突き抜くよりも首を切ったのだ。だが熊はそれでも倒れず、男を狩ろうとその大きな前足が頭へと振り下ろされる…その瞬間。
 
 
 
 男の切った首の傷に一つの色が走る。
 
 
 それは灰色の生き物だった。犬よりは大きい体躯。狼にしては小さいその存在は赤い眼光を滾らせて、首に噛み付いたまま動かない。先ほどとは比べ物にならない様な唸り声を上げながら熊が暴れだし、子狼を振り払おうと体を畝らせる。
 
 
 だが、それも叶うことなく終わる。
 
 針のような大きな氷が子狼の背後に数個浮かびそれらは大きく開けられたその口へと刺さった。そのなかの一本が脳髄を貫いたのか、熊はピタリと動きを止め、そのまま白の地へ伏した。
 
 真っ白な中に熊の血の色がじんわりと広がり、動くのは子狼と唖然と固まっている男だけだった。
 
 
   ■□■□■□■□■□■
 
 「へゥン《情けない》」
 「…」
 「ガルル…《あんな鈍臭い餌一つ満足に狩りが出来ないとは、その剣とやらがあってもダメではないか》」
 「いや!おかしいだろ!俺が弱いんじゃねぇって!明らかあんたが強すぎんだよ!」
 
 洞窟内で黙々と熊を解体している男に紅月は冷たい目をやる。あそこで紅月が現れなければこの男は狩る側ではなく狩られる側になっていた。今こうして食われるハメになっていたのは男だったのかもしれないのだ。
 
 男は文句を言われ続けながらも解体し、頭の解体に入ったところで頬を引き攣らせた。
 
 深々と脳へと刺さった氷の後の穴を見つけてしまったのだ。それを見て男は確信する。やはり紅月は聖獣の子なのだと。
 
 朝洞窟を出た男に紅月は言った。その赤い色を纏っている限りは色々な生き物に目をつけられる。丁度良いからそこら辺を走ってみろ。なに死ぬ事は無い。その言葉は男を底冷えさせたが、男に選択肢は無かった。紅月の目が告げていたのだ。ここで死ぬのか、死にものぐるいで走るのか…っと。
 
 
 男は走った。泣きそうになるのを堪えつつ、肌を刺すような寒さに耐えつつも、走り抜けた。
 
 確かに男は死ななかった。 
 
 死にそうな目にはあったが。
 
 「ガゥ《ほれ、はやく腸を寄越せ。》」
 「…はぁ」
 
 男は大人しく腸を全て紅月へと差し出した。とにかく空きっ腹なこの子狼の口を閉じさせるには餌を渡す他の方法が、頭に浮かばなかった。
 
 
 
 
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