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邂逅
与えられたのは
しおりを挟む力を合わせて狩った熊の肉を食べつつも紅月と男は向かい合っていた。洞窟には未だ結界が張られていてその向こうでは白が橙色に染まっていた。
「なぁ」
「…」
男は乾いた鹿の皮で身を包みながら紅月をみる。見れば見るほど美しい毛並みをしたその姿。自分の目と同じ色とは思えない美しい目。確かに紅月は聖獣なのだろう。
だが、男には分からなかったのだ。
「なんで、何も聞かない?」
「…」
紅月は男に何も聞かなかった。あの場所で倒れていた理由も、この山に来た訳も。ただ、勝手に助けて、強制的に狩りに出した。
最初は興味が無いだけかと思っていた。だが、それは違う。紅月は…この小さな狼は笑うのだ。弱い男をそして牙も爪もない男を。
そして笑うだけではなく守るようにいる。まだ二日だ。意識を取り戻してからは一日やっと経った程しか関わっていない。
だが、それでもこの場所は心地いいと感じる。その上に高難易度の結界を貼り続ける紅月は、男の目から見ても不思議だった。
母を殺した者と同じなりをしているだろうに、それでも殺そうともせず、ただいるのだ。当たり前のように狩りに連れていき、当たり前のようにこの洞窟へ帰り、当たり前のように食べ物を分け合い、そして、眠る。
それは異常だ。
この山では、異常だ。
会ったばかりのものを懐に自ら抱え込み、武器を与えたまま力を取り戻させようとすらさせるこの狼は、男を追い出す素振りすらしなかった。
「なんで、アンタは俺を追い出さない…?」
《追い出してほしいのか》
それは今までとは異なった問いかけだった。吠えることなく、直接脳へと話しかけてくるように。視線だけが合い、口は開かれることもなく言葉が紡がれる。
「違う…でも、アンタは」
《なんだ》
「アンタは…憎くないのか…その…人が」
戸惑ったような男の目に紅月は呆れたように男の方へと歩み寄る。男はビクリと肩を揺らすも動かない。ただ静かに歩いてくる紅月をまじまじと見つめた。
そして、視界がブレる。
気がつけば仰向けに倒された男の胸の上には紅月が牙を向いて立っていた。男の首に噛み付いて、そしてまた、問いかける。
《殺してほしいのか、憎いと。憎いものだと、無残に、残酷に。》
「…──俺はそれでも仕方ないと思ってい…っ」
そこまで言った男の首に鋭い牙がくい込む。紅月の白い牙に男の血が少し付く。このまま顎に力を入れればその首は簡単に食いちぎれるだろう。熊の首に比べれば随分と細い首なのだから。
《死にたがりの癖に痛いのか》
「…っ当たり前だろう!」
《だが、お前が一度死にかけた時、私が噛み付いてもお前は痛みを感じていなかったではないか》
その言葉に少し男は固まる。目が忙しなく動き、思い出そうと必死になっているのだろう。黒い手袋のされた手がさ迷う。
「わ、から…ない。覚えていない」
《その時痛覚は死んでいた。お前は笑ってすらいた。私に噛まれたその手を振り払わずに。》
覚えていない。全く。そんな記憶ない。男はそう叫びたかった。だけど、紅月のその赤い目が、それを止めた。向けられた冷たい視線に思わず黙ってしまったのだ。
《だが、お前の痛覚は戻っている。たった一晩で元に戻り、そのことすら忘れている。お前の体は生きようとしているのだよ、痛みがなければ戦えないのだから。》
「何が言いたいんだ…?」
《お前は私に聞いたな。なぜ追い出さないのかと。ならば問おう。お前はなぜ逃げ出さない、この様に簡単に自分を殺せてしまう存在からなぜ逃げず先ほど殺されかける様な狩りのさせられ方をしても逃げずにいる。その羽織る毛皮さえあれば下山など楽だろう》
男は目を見開き、今度こそ本当に固まった。まるで蝋でできた人形のように、ぴしりと固まり、唖然とする。
紅月の言ったように逃げればよかったのだ、この洞窟から。腹も膨れて体温も高い、そしてこの毛皮だ。熊の毛皮はまだ乾ききってはいないが羽織れないことも無い。鹿の皮もある。何故と紅月に問う前に出ていけばよかったのだ。真意など聞かずにも。
だと言うのに男は問いかけた。
狼であり、自分よりも強い存在に。
覚えていなくとも確かなのだろう。男は噛まれた覚えはなくとも紅月がそう言っているのだから。
《お前は嫌なんだろう?》
「──っ」
《ここ以外に行く場所などなく、どうせ死ぬなら私に殺してもらおうと思っていたのだろう、同じ色を持つ私に》
男には他に行く場所はなかった。この洞窟を出て逃げようとも、先はない。いつかは死んでしまう。誰も知られずに。
《だが、私は殺さん。気まぐれでも助けたのだから。》
「でもアンタは狩りに出る時ここで死ぬか狩りに出るかを選べと言ったじゃないか!」
《ああ、言った。そしてお前は選んだ。狩に出ることを、生きることを。》
「…え?」
《お前は死にたいようだがお前の目は死んでいない。諦めていない。それで殺されてもいいだのと、馬鹿なことを》
紅月はそっと男から退く。スタスタといつもの位置へ戻り座って男を見る。ゆらりゆらりと柔らかそうな尻尾が左右に揺れて紅月の目が細められた。
《お前は聞く必要などなかった。ここにお前を連れてきたのは私だ。死なぬように手を施したのも私だ。お前が聞いたのはこの場所を出ていくのが怖かったからだろう、自分では出て行けぬから私に問うた。だが私にはお前を追い出そうという気は無い》
「じゃあ…っ」
《私の指示で共に狩りをし、共に分け合った。その時点でボスは私だ》
泣きそうに顔を歪める男を放置し紅月は体を丸める。その目はゆっくりと閉じられて、男を写すことはなくなった。
共に狩りをし共に分け合う。それは群れならば当然行われることだ。群れでは強さがものを言い長になるのは強い者──つまり、紅月は男が一番望んだものを与えたのだ。
「俺は、ここにいて…良いのか」
《好きにしろ》
「俺は、死なないのか」
《お前の行動しだいだ。弱ければ死ぬ。》
「…───なあ、アンタは俺のボスなんだろう?」
《…》
「アンタのすべて言う通りだ。逃げれても俺は逃げず、出ていくのが嫌だからアンタに聞いた。でも俺はここにいていいと言う。…なら、名をくれ。人ではなくアンタの家族と…群れとなるための」
紅月はそこで目を開く。男の顔を見て、ゆったりと身体を起こす。ぱちぱちと焚き火が音を立てる中。紅月は告げた。
《コウゲツ》
「…」
《それが、お前の名だ。》
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