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19. 弟の憂慮

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「ねぇエヴァン、貴方ももうすぐ十三歳になるんだし、夜に一人で留守番くらい出来るわよね?」

 エヴァンは姉に頼まれていたお使いから帰宅すると、開口一番に家に来ていたエミリアからそう問いかけられて、面食らっていた。

「もう小さい子供じゃないんだから、そりゃ夜に一人で留守番くらいはできるよ?でも、なんで??」

 急な質問にエヴァンは怪訝そうに返答する。先程のアンナとエミリアのやり取りを知らない彼からしたら、当然の疑問だった。

「エミリアからお芝居のチケットを貰ったから、明日の夜の公演を観に行きたいのよ。……ダメかな……?」

 どこか申し訳なさそうに、躊躇いながらアンナが口を開いた。

 エヴァンは、この様な態度の姉の姿を見るのは珍しかった。むしろ、初めて見たかもしれない。

 それから、やけに楽しそうなエミリアと、どこかソワソワしているアンナの様子から、彼はなんとなく状況を察したのだった。

「……その芝居は、一人で観に行くの?」
「野暮なこと聞くんじゃないの!」
「ふーん、野暮なことなんだ……」

 恐らく、相手は最近姉と行動を共にしていると言う青年だろうと察した。

「……あと一ヶ月もしたら、姉さんは貴族としての身分を取り戻すのに、それなのに今、その人と必要以上に親しくなるのは良くないんじゃないないのかな。」

 アンナが、自分のことを優先させたいとエヴァンに言うのは初めてだった。

 普段全く自分の意見を主張しない姉が、何かを望むようなことがあったのならば、エヴァンはどんなことでも手放しで協力したいと常日頃から思っていたのだが、しかし、こればかりは素直に応援できなかった。

 貴族と平民が親密になったところで、その先に幸福な結末が望めるとは思えないのだ。

 姉に協力し、彼女が今一時の幸福を得られたとしても、後でより深く悲しむことになるのではないだろうか。
 それならば、深く傷つかぬ前に身の程を弁えさせることの方が姉の為になるのではないだろうか。

 その様な想いから、エヴァンはアンナに厳しい言葉を投げかけたのだが、エミリアがそんなエヴァンに対して、背後から彼の頭をくしゃくしゃにして諌めたのだった。

「はいはい。良い子だからアンナを困らせる様なこと言わないの。」
「なっ……エミリア何するんだよ、やめてよ!」
「優しいお姉ちゃんが滅多にしないお願いを聞いてあげれないなんて、エヴァンは器が小さいわね。それとも、やっぱりお姉ちゃんが他の人に取られるから嫌なのかしら?」

 意地悪くエミリアが揶揄ってみせると、いささか不満そうではあるが、エヴァンは仕方なく折れたのだった。

「分かったよ……」

 複雑そうな顔でそう呟くと、彼は目の前の姉を見遣った。

 両親を亡くして男爵家から逃げ出して以来、エヴァンはずっと姉に守られてきた。それはエヴァン自身が痛い程身に沁みてわかっている。
 だからこそ、姉には幸せになって欲しい。爵位を取り戻した後は、有望な貴族に見染められて貴族令嬢としての幸せを手にして欲しい。ずっとそう願ってきたのだ。

 けれども、姉の想いはどうやらそこには無いらしい。

 彼女の気持ちを一番大切に思うと、本当に姉が想いを寄せる人物との交流を応援してやりたいのは山々なのだが、しかし、恐らく姉の想い人であるその青年とは、アンナが男爵位を受け継いだら縁が切れてしまうだろう。

 そう考えると、エヴァンは素直に応援できなかった。

「姉さんは……」
 本当はこのままこの暮らしを続けたい?

 そう言いかけて言葉を飲み込んだ。

 それを言ってしまうのは、アンナのこの市井で暮らした五年間の意味を無くしてしまう気がしたからだ。

「ううん……。……いいよ。俺のことは気にせずに楽しんできなよ。」
「本当にいいの?ごめんねエヴァン」
 申し訳なさそうな顔で様子を伺うアンナに、エヴァンの胸はチクリと痛んだ。

(やめてよ。俺だって姉さんにそんな顔をさせたい訳じゃないんだ。)

 アンナにはいつも笑顔で居て欲しいのに、これではまるで、自分がアンナの事を苦しめているみたいで、エヴァンは胸が苦しくなったのだった。

「……謝らないでよ。俺だってたまには姉さんに息抜きして欲しいって思ってたんだよ。」

 エヴァンは自身の中に燻るわだかまりを押し殺すと、「だから明日は楽しんで来て」と、とびきりの笑顔を彼女に向けた。それから「大丈夫だよ。」と付け加えると、彼女の心が少しでも軽くなる様にと、精一杯物分かりの良い素直な弟を演じたのだった。
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