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63. 目配せの真意

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「ところで、君は中央広場の演劇はもう観に行ったかい?」
「あぁ、以前に一度だけあるよ。」

 エヴァンを後ろに下がらせるとライトは世間話のように、ルーフェスに話しかけてきたので、意図がよく分からないままルーフェスも話を合わせた。確か、リチャードもリリアンナとあの舞台を観たと言っていたから一応嘘は言っていない。

「なんだ、一度しかないのか。勿体ない。あの女神の演技は、何度でも観るべきだ!!」
「女神……とは……?」

 ライトは、これが只の世間話であるかのようにごく自然に会話を続けたが、彼の熱の籠った語りに、ルーフェスは圧倒されていた。
 そして、何となく予測はついているが、一応女神についても聞き返すと、予想通りの答えが返ってきたのだった。

「決まっているだろう、主演女優のエミリアだよっ!!」

 そう言うとライトは、嬉しそうにルーフェスに詰め寄ると熱弁を振るい始めたのだった。

「彼女こそは、地上に舞い降りた女神!絶世の美女とは正に彼女の事だ!儚げな佇まいの中にも凛とした強さを感じさせる瞳に、鈴の音の如く美しい歌声。そして何より、慈愛に満ちた優しい微笑みは見る者全てを魅了する!彼女を目にした瞬間、僕は雷に打たれたような衝撃を受けたんだ!」

 興奮気味に捲し立てるライトに、ルーフェスは戸惑った。

「……女神……」

 ライトに聞こえないくらいの小さな声で呟き、エヴァンの方をチラリと見るも、彼は目線を下に落として目を合わせてくれない。

 この陶酔の仕方は演技では出せない。紛れもなく彼の本心であろう。けれども、ルーフェスが思い描くエミリアは、鞄で殴りかかろうとしてきた勇ましい姿が一番に思い出されるので、どうしても、ライトの話す女神像とは結び付かないのだった。

(成程。つまり、エミリアを利用してライトの協力を取り付けたんだな……)

 ルーフェスは、これでようやく合点がいった。

 恐らくエミリアの熱狂的なファンであるライトに、大方彼女と会わせるとか、一緒に過ごす時間を設けるとかを約束して、自分との接触の手伝いをさせているのだろうと想像が付いたのだ。

 しかし、こうまでして自分に接触を図ってきたとなると、何かどうしても自分に伝えたい事が有るのだと察しているのだが、ルーフェスは未だにこの訪問の真意を掴めないでいた。

(この本を渡す事が目的だったのか?もしかして、この本の中に何かメッセージが仕込んであるのかも知れないな……)

 そう考えると、直ぐにでも本の中を確かめたかったが、直立不動の姿勢を崩さずにずっとこちらを監視している家令の前でその様な行動を出来るはずもなく、とにかく家令の目を誤魔化すために、ライトの話に相槌を打って当たり障りのない面会を演出し続けて転機を待った。

 するとそれは、直ぐにやってきたのだった。

「ところでどうだろう?あの舞台明日が千秋楽なんだ。一緒に見に行かないか?いや、嫌とは言わせないよ、絶対に彼女の晴れ姿を観るべきだからね!」

 ひとしきり、エミリアがいかに素晴らしい女性であるかの熱心に語った後、ライトは言葉で説明するよりも、実際にその目で見てもらった方が彼女の魅力が伝わると、強引に舞台への誘いを持ち掛けてきたのだ。

「えっ?!!」

 この予想外の申し出は、ルーフェスにとって願ってもみない機会だった。どういう状況にせよ、外に出られるのならば、短時間でもアンナに会えるかも知れないからだ。

「是非……」

 行きたいと、ルーフェスは迷う事なく返事をしようとしたが、彼の返事に被せて大きな声をだして、家令がそれを遮ったのだった。

「申し訳ございません、リヴァレッジ公子のせっかくのお申し出ではありますが、リチャード様はまだ万全の体調では御座いませんので家で大人しくしているようにと公爵様から仰せつかっておりますので。」

 にこやかな口調で説明するも、家令の目は笑っていなかった。彼にとって公爵の命令は絶対で有り、その言いつけを破ることなど看破出来るわけがなかったのだ。

「そうなのか。それは残念だ。実は明日の千秋楽はこの子の姉が演出に関わっていてね、劇本編の後のカーテンコールで、何やら面白いショーが観られると噂なんだよ。それを是非、君にも観て貰いたかったんだがなぁ。」

 ライトはそう言いながら大袈裟に残念がってみせると、一歩後ろに下がり、後ろに控えていたエヴァンの背中をポンと押した。

「ほら、君からも姉君が考えた演出がどんなに素敵なものか説明してあげなさい。」

 エヴァンは、そうライトに促されると緊張した面持ちでルーフェスの前に歩み出て、一礼をしてから口を開いたのだった。

「姉はこの一週間、本当に尽力していました。全ては明日の舞台を成功させる為に、最高の大団円を用意したんです。ですから、貴方様にも是非観ていただきたいんです。長い時間が無理なら、せめてカーテンコール、カーテンコールだけでも、絶対に観に来て欲しいんです。」

 使用人が貴族の顔をまじまじと見つめることなど失礼に当たりあり得ないのだが、エヴァンはとても真剣な目で、力強くルーフェスを見つめた。

 ルーフェスはエヴァンのその眼差しから、並々ならぬ強い意志を受け取って、明日、カーテンコールだけは絶対に観に行かなくてはいけないのだと感じ取った。

 しかしやはり、家令がそれを許さなかった。

「駄目ですよ。外出はまだ許可できませんからね。」

 ルーフェスが何か言う前に、またしても割って入り、低い声で牽制したのだ。
 それから家令は、ライトの前に進み出ると恭しく礼をしてから丁寧だけれども有無を言わせない口調で彼に進言したのだった。

「さぁ、リチャード様はまだ体調が万全では有りませんので、そろそろお引き取りいただけないでしょうか?」

 執拗にルーフェスを観劇に誘うこの二人に、家令は明らかに警戒を強めていて、遂にライトに直接的に帰宅を促したのだ。

「あぁ、そうか。長々と悪かったね。それじゃあこれで失礼するよ。お大事にね。」

 家令に睨まれると、ライトはそう言ってエヴァンを引き連れてあっさりと退室していった。目的は全て果たせたのだから、彼らにはもうこの部屋にいる意味は無かったのだ。

 部屋に残されたルーフェスは、嵐の様な一連の出来事を思い返して暫く唖然としていたが、同じく部屋に残った家令からの一言で、直ぐに現実に引き戻されたのだった。

「念のため、その本はこちらで調べさせて頂きますね。」

 家令は、先程エヴァンから渡された本を検閲すると言ってきたのだ。
 何かメッセージが隠されているとしたらこの本の中にある筈なのだが、人質が居る以上当然家令に逆らえる訳もなく、ルーフェスは仕方なく素直にその本を手渡したのだった。

 本を受け取ると、「では、また。」とだけ言って、家令も部屋から出て行き、部屋にはまたルーフェス一人だけとなった。

 ふとルーフェスは、先程エヴァンが寄越した謎の目配せを思い出し、彼が万年筆を落とした付近にしゃがみ込んで、カーペットの床をそっとなぞってみた。

 すると、毛足の長いカーペットに埋め込まれていた、指輪を見つけたのだ。

「これはリチャードが作った魔道具、幻影投写トレースヴィジョントレースヴィジョン……」

 それは、リチャードが自身の魔法を込めて作った魔道具で、これを使えば一定時間、見せたい姿の幻を作り出せる代物だった。

 つまり、この指輪が有れば、二、三時間はバレずに外出する事が可能で、そうすれば、エヴァンが執拗に勧めてきた千秋楽のカーテンコールを観に行くことも可能なのだ。


「なるほど、これを僕に渡すことが本命で、あの分かりやすい本は囮だったと言うわけか。」

 ルーフェスはこの見事な計略に心の中で称賛を送ると、指輪を握りしめて一人ほくそ笑んだのだった。
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