剣士に扮した男爵令嬢は、幽居の公子の自由を願う

石月 和花

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74. エミリアの戦い

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 そろそろ話し合いが終わった頃だろうか。エヴァンは時計の針を見るも、その分針は先ほど見た時から殆ど動いていなかった。本を読んでいるが、その内容は全く頭に入ってこない。彼はソワソワしながら、姉の帰りを今か今かと待ちわびていたのだった。

 コンコン

 不意に、玄関のドアがノックされた。

 アンナであればノックなどせずに自分で鍵を開けて入ってくるし、エミリアにしても同じだった。エヴァンは訪ねてくる人物に心当たりがなく首を傾げると、扉へと近づき用心しながらドアの外へと問いかけた。

「……どちら様ですか?」
「裁判所の方から来ました。エヴァンさんですね、貴方にお話があります。ここを開けてください。」

 ドアの外からは、落ち着いた大人の男性の声が返ってきたのだった。

 来訪者の口から裁判所という単語が出たので、エヴァンは姉の身に何かあったのかと一瞬ドキッとしたが、けれどもそれより強く彼の中のアンテナが、ドアを開けるなと警報を発していたので、エヴァンは自分の直感に従ってドア越しに警戒しながら話を続けた。

「話だけならドア越しだって問題ないだろう?」
「いいえ、貴方に渡すものもあるんです。だからドアを開けてください。」
「悪いけど、知らない人にはドアを開けるなって教育されてるんでね。」

 そんな押し問答を何往復か続けると、来訪者の男は遂に痺れを切らしたのか、外からドアを思いっきり蹴ったのだった。

「小僧!!いいか、こっちはこんなドア蹴破ろうと思えばいつでも簡単に蹴破れるんだぞ!!下手に出てれば図に乗りやがってっ!!!」

 ドンッ!という音と共に、男たちの靴の底がドアを激しく打ち付けた。その衝撃でドアは軋み、蝶番からはミシミシと嫌な音が聞こえてきた。

 これで、自分に身の危険が迫っている事がはっきりと分かったのだが、エヴァンはドアの前でなす術なく立ち尽くすしか出来なかった。彼にはアンナの剣術のような武芸を身につけておらず、窓の外にも既に人影が見えるのだ。

(打つ手なしかよっ……!)

 エヴァンは、テーブルや椅子で扉の前にバリケードを作ってみるも、あまり役には立たなかった。何回か蹴られた後、男達の狼藉に耐えていたドアは悲鳴のような音を立てて倒れ落ちてしまったのだ。

「やぁ、エヴァン君。ちょっと一緒に来てくれないかな。」

 そう言って男は、外れたドアの隙間から室内に入るとエヴァンの腕をがっしりと掴んだのだった。

 エヴァンは必死で手向かうも、少年の力では大人の力を振り払う事は出来なかった。それでも、何とか逃げようと暴れてみるも、抵抗むなしく彼はそのままずるずると引き摺られるようにして、外へと連れ出されてしまったのである。

 万事休すかと思ったその時だった。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 甲高い叫び声が、辺り一体に響き渡った。

「誘拐!誘拐よーーーーっ!!!」

 それは、エミリアの声だった。

 彼女は、今日もいつものようにアンナ達の家に行こうとして、見知らぬ男たちに連れ去られそうになっているエヴァンに遭遇したのだ。

 ただならぬ光景に、エミリアは咄嗟に叫び声を上げて、周囲に助けを求めた。彼女は職業柄大きくてよく通る声を出せるので、通りを往来する人々も直ぐに異変に気がついて、何事が有ったのかと、あっという間に人集りが出来たのだった。

「た……助けてっ!!!」

 エヴァンは、これ幸いと、ありったけの声を絞り出して大声で周囲に助けを求めた。

「この、人攫いーーーーーっ!!!」
「ちっ!まずいっ!」

 エミリアの叫ぶような声に人がどんどん集まってくるので、流石にこの状況では分が悪いと踏んだ男たちは、舌打ちするとエヴァンを離してその場から慌てて逃げ出したのであった。



「エヴァン!大丈夫だった?!」

 エミリアは、男たちが居なくなるとすぐさまエヴァンに駆け寄って、彼を抱き締めてその身が無事であるかを確認した。

「有難う、エミリア。迫真の演技だったよ。お陰で助かった。」

 エヴァンはエミリアに抱きしめられながらお礼を言うと、彼女の腕の中で、やっと安堵の息をついたのだった。

「一体、何があったって言うのよ?」
「それが、俺にもよく分からなくって。突然あの男たちが家にやって来て、俺のこと連れ出そうとしてた。大方、叔父の差金だとは思うけど……」

 頭の中の整理が間に合っておらず戸惑いながらも、エヴァンは身に起こったことを全て話した。それをエミリアは険しい顔のまま聞いていたが、ふと何かに気づいたらしく、彼女は顔を曇らせた。

「そう言えばアンナは?アンナはまだ帰って来てないの?」
「姉さんはまだ帰って来てないよ。」
「そんな……アンナの方は大丈夫なのかしら……」

 そう言って口元を手で覆うと、不安そうな表情を浮かべたエミリアに、エヴァンはとても落ち着いた声で彼女を安心させるかのように言って聞かせた。

「それは多分大丈夫だと思うよ。姉さんにはあの人が一緒にいるから。」
「あの人って?」
「ルーフェス。」
「あぁ。なら、そっちはきっと大丈夫ね。」

 その一言で心配は消えた。
 エミリアもエヴァンも、ルーフェスの力量はアンナから伝え聞いてでしか知らないが、彼が相当腕が立つ人物である事は把握していた。そして何より、何があってもアンナを絶対に守ってくれるという信頼感があったのだ。

「となると、やっぱり問題はこっちよね。またいつあの男たちがやって来るか分からないから、なるだけ人目の多いところにいた方がいいわね。」
「それがいいと思うけど、でもどうやって?」

 エヴァンが困ったような顔で聞くと、エミリアは得意満面の笑みを浮かべて、自信たっぷりに胸を叩いた。

「任せなさい!この私を誰だと思ってるの?大女優であり、歌姫でもあるエミリアよ?」

 それからエミリアは、大きく息を吸い込むと、壊れたドアの前でこの間まで中央広場でやっていた劇の見せ場の場面で歌う”歌姫のアリア”をアカペラで歌い始めたのだった。

 すると彼女の歌声に惹かれて、道ゆく人々は歩を止め始めた。情感を込めて歌う彼女の姿は劇の歌姫そのもので、観る人を魅了して離さず足を止める人の数はどんどん増えていった。
 そして、最も盛り上がる聞かせどころに差し掛かる頃には、立ち止まって聴き入る人の数は道を覆い尽くすほどになっていたのだ。

 エミリアがアカペラで見事なアリアを歌い上げると、群衆からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。彼女はニッコリと笑って集まってくれた人々に一礼をすると、それから、大きな声で呼びかけたのだった。

「ご静聴ありがとうございました。明日王都を出発して地方巡業に出るエミリアから、王都の皆様への最後のご挨拶として、今だけ特別に他にも何か歌を歌うわ。私が皆様が望む唄をこの場で独唱するから、どんどん要望を聞かせてくれないかしら?」

 そう彼女が聴衆に向かって問いかけると、たちまち、大勢の人から歓声が上がった。エミリアは盛り上がる人々を満足そうに眺めると、早速、所望の声が上がった古い流行歌を歌い出したのだった。

 その隣にはエヴァンを立たせて、エミリアは彼の肩に手を置いてしっかりと掴んだまま、聴衆の期待に応え、次々と歌を披露していった。

 エミリアは、彼女なりのやり方でエヴァンが連れ去られないように、必死に彼を守ったのだった。
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