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生命の代償
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気がつけばもう何度目か、そろそろお馴染みになってきた診察室の天井が見えた。そして、右手だけが妙にあたたかい。
「先生呼んでくる」
無駄な会話なんて一切ない。大丈夫かとか、今までどうしてたとか、今日はいい天気ですねとか、何か口の滑りを良くするような話題のひとつでも投げてくれれば良かったのに。
するりと指の間からこぼれ落ちた愛しさが胸を掻き乱す。本当にアレは現実なんだろうか。アイツが目の前に現れて、笑って、俺は…
混乱する頭を冷やすカツカツと規則正しい足音で、誰が来たのかが分かった。
「お知り合いだったとは」
詰るような匂いが混じっている声だった。
「…イニシャルだけでこの東京中から知り合い判定しろって言うんですか」
流石に呆れた声を隠さずに答えれば、
「彼は確信してたみたいですけどね」
と面白くなさそうに返す。知ったことかよ、アイツに超能力じみた力があろうがなかろうが俺には関係ない。ただ事実として、温もりを失った指先が徐々に凍りついていくだけだ。氷が肌を覆ってパキパキと右半身から吹雪が襲ってくる。凍てついた心臓が鼓動を止めるまで、あと何秒かかるんだ?
「どうですか?彼は確かにあなたのownerでしたか?」
意地の悪い質問だった。あれがもし人違いだとしたら俺の感覚器は金輪際機能不全のレッテルを貼られて然りだし、そもそもflowerだって前提条件から疑った方がいい。溜め息と共に腕で目元を覆った。
目蓋の裏で再生される、
余りにも鮮やかに色を取り戻した世界。
目の毒だ。いや、花は何もかも毒でしかない。
…俺にwaterをする気なのか、あの男は。
また生き死にがかかった場面なのをいいことに、何もかも手に入れようとしているのだろうか。振り回される方の気持ちなど分かりきっているくせに笑顔で知らない振りをする、無情な横顔の完璧なまでの美しさ。
他人に縛られない、影響されない、流されない、フラットな温度の低さが持ち味であり長所であると思っていた。でも今やそれが欠点に見えてくるのは心が離れてしまったからだろうか。あんなに、愛していたのに。
あの手で、指先で、口唇で、
今更俺に触れるのか。
…耐えられない。
だって、せっかくここまで俺は俺自身を取り戻したのに、アイツがいないでも生きられる俺を構築してきたのに。ひとつひとつの想い出を綺麗にタオルで拭き上げて、薄い布でくるんで、宝箱に収めて、時々泡沫のように浮かび上がってくる記憶の断片も捕まえては放り込んで、ようやく一人で立てる自分になったというのに、今更どうしてこんな事態に巻き込まれているんだろうか。
逢いたくなかった、と云えば嘘になる。
どんなに強がってみせても身体は正直で、目で追ってしまうあの姿を。ましてやflowerの俺にとってownerであるアイツの存在は絶対で、本当にどこまでも残酷だ、運命ってやつは。遠くからほら、また花の薫りがする。
「目が覚めたなら診察させてください」
医師が白衣をひらめかせてやってきた。病室には医師と俺と、遅れてやってきた看護師だけが冷たい静かさの中で熱い息を吐いている。起き上がろうとする身体を押し止められて次々に触れられて解析されていく不可思議な生態。ぼんやりされるがまま横たわっていると医師が傍についていた看護師を呼び寄せて矢継ぎ早に指示を出した。
「ちょっと数値が以前と比べて異常と言ってもいいほど跳ね上がっています。まあサンプルになるデータの数自体が足りていないんですが、それにしたって明らかにおかしいですね。身に憶えは…と訊くまでもありませんか」
「特におかしな行動はしていないはずなので」
「ではもう、ownerによる相乗効果というか共鳴としか思えませんね」
看護師にアイツを呼んでくるように言いつけた医師は、何やらまた腕やら胸やらに装置を取りつけていく。こんな測定器なんてなくたって、鼓動の異常な跳ね方や汗ばむ肌や全身から失われていく水分が如実に変化を告げている。目視可能な程にみるみると変化を重ねていく人体の妙がアイツの前に晒されると思うだけで全身がぐわりと浮き上がる衝撃を感じた。肉体の内側から剥がれて魂だけが押し出されるようにぶわっと表出される俺の分身、馥郁たる花の薫りを漂わせる花芯が凝縮された液体となって透明な人型をした浮き輪の中をちゃぷりちゃぷりと揺れている。きっと俺にしか見えない幻影、花そのものが形を得て浮遊している。
「先生呼んでくる」
無駄な会話なんて一切ない。大丈夫かとか、今までどうしてたとか、今日はいい天気ですねとか、何か口の滑りを良くするような話題のひとつでも投げてくれれば良かったのに。
するりと指の間からこぼれ落ちた愛しさが胸を掻き乱す。本当にアレは現実なんだろうか。アイツが目の前に現れて、笑って、俺は…
混乱する頭を冷やすカツカツと規則正しい足音で、誰が来たのかが分かった。
「お知り合いだったとは」
詰るような匂いが混じっている声だった。
「…イニシャルだけでこの東京中から知り合い判定しろって言うんですか」
流石に呆れた声を隠さずに答えれば、
「彼は確信してたみたいですけどね」
と面白くなさそうに返す。知ったことかよ、アイツに超能力じみた力があろうがなかろうが俺には関係ない。ただ事実として、温もりを失った指先が徐々に凍りついていくだけだ。氷が肌を覆ってパキパキと右半身から吹雪が襲ってくる。凍てついた心臓が鼓動を止めるまで、あと何秒かかるんだ?
「どうですか?彼は確かにあなたのownerでしたか?」
意地の悪い質問だった。あれがもし人違いだとしたら俺の感覚器は金輪際機能不全のレッテルを貼られて然りだし、そもそもflowerだって前提条件から疑った方がいい。溜め息と共に腕で目元を覆った。
目蓋の裏で再生される、
余りにも鮮やかに色を取り戻した世界。
目の毒だ。いや、花は何もかも毒でしかない。
…俺にwaterをする気なのか、あの男は。
また生き死にがかかった場面なのをいいことに、何もかも手に入れようとしているのだろうか。振り回される方の気持ちなど分かりきっているくせに笑顔で知らない振りをする、無情な横顔の完璧なまでの美しさ。
他人に縛られない、影響されない、流されない、フラットな温度の低さが持ち味であり長所であると思っていた。でも今やそれが欠点に見えてくるのは心が離れてしまったからだろうか。あんなに、愛していたのに。
あの手で、指先で、口唇で、
今更俺に触れるのか。
…耐えられない。
だって、せっかくここまで俺は俺自身を取り戻したのに、アイツがいないでも生きられる俺を構築してきたのに。ひとつひとつの想い出を綺麗にタオルで拭き上げて、薄い布でくるんで、宝箱に収めて、時々泡沫のように浮かび上がってくる記憶の断片も捕まえては放り込んで、ようやく一人で立てる自分になったというのに、今更どうしてこんな事態に巻き込まれているんだろうか。
逢いたくなかった、と云えば嘘になる。
どんなに強がってみせても身体は正直で、目で追ってしまうあの姿を。ましてやflowerの俺にとってownerであるアイツの存在は絶対で、本当にどこまでも残酷だ、運命ってやつは。遠くからほら、また花の薫りがする。
「目が覚めたなら診察させてください」
医師が白衣をひらめかせてやってきた。病室には医師と俺と、遅れてやってきた看護師だけが冷たい静かさの中で熱い息を吐いている。起き上がろうとする身体を押し止められて次々に触れられて解析されていく不可思議な生態。ぼんやりされるがまま横たわっていると医師が傍についていた看護師を呼び寄せて矢継ぎ早に指示を出した。
「ちょっと数値が以前と比べて異常と言ってもいいほど跳ね上がっています。まあサンプルになるデータの数自体が足りていないんですが、それにしたって明らかにおかしいですね。身に憶えは…と訊くまでもありませんか」
「特におかしな行動はしていないはずなので」
「ではもう、ownerによる相乗効果というか共鳴としか思えませんね」
看護師にアイツを呼んでくるように言いつけた医師は、何やらまた腕やら胸やらに装置を取りつけていく。こんな測定器なんてなくたって、鼓動の異常な跳ね方や汗ばむ肌や全身から失われていく水分が如実に変化を告げている。目視可能な程にみるみると変化を重ねていく人体の妙がアイツの前に晒されると思うだけで全身がぐわりと浮き上がる衝撃を感じた。肉体の内側から剥がれて魂だけが押し出されるようにぶわっと表出される俺の分身、馥郁たる花の薫りを漂わせる花芯が凝縮された液体となって透明な人型をした浮き輪の中をちゃぷりちゃぷりと揺れている。きっと俺にしか見えない幻影、花そのものが形を得て浮遊している。
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