Fleurs existentielles

帯刀通

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悪役か ヒーローか

03

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リビングのドアを開けると、玄関のすぐ脇にある部屋のドアが内側に開いていた。もう少しだけ押し込むと、家具もない殺風景な部屋で壁に背中をあずけて床に座っている姿が目に入った。

ちいさな段ボール箱がひとつ。多分コイツが持てるものの全て。元から収集癖はある癖に物には執着しなかった。気に入ったものは手に入れたがるのに手放すことに躊躇がない。どこか現世から半分くらい心を移してしまってる奴だと思っていた。

泣くなんて。
数年間逢わない間も深く想っていたのかと、この飄々とした佇まいを見ていると疑いたくもなる。俺にすら滅多に本音を見せない、他人を煙に巻いてニコリと微笑むような男だったのに。

腕をギリギリいっぱいに伸ばせば頬に触れられる位の距離をあけて膝をつく。

「なぁ」

窓の外、遠くを見る眼差し。心を俺に預けたという男は、俺のことなど見向きもせずにぼんやりと空を見つめている。

「お前はこれでいいの」

口ではどんな綺麗事を言っても。死にかけた妻を置いていくコイツも、それを是とする俺も、罪に塗れている。たとえ社会的な制裁はなくても俺たち自身が知っている、誰かの苦しみの上に成り立つ関係だってことを。

窓の外を小さな鳥が横切っていく。昨日よりも少し穏やかな日差しの中を飛ぶあの鳥は、春を告げて回っているのだろうか。

ゆっくりと首を回して俺を見て、いつも薄ぼんやりとした笑みを浮かべていたコイツと再会から初めてしっかりと目と目が合った。ガラス玉みたいな真っ黒な瞳は頑なで表情はどこか余所余所しい。迷子の子供じみた頼りなく開く口唇の僅かな震えが、確かにこの男の心が傷ついているという証にも見えた。

「じゃあ、俺はいつまで"誰か"のために生きればいいの」

ゆっくりと吐き出される吐息と、こぼれてしまった本音。
深く染み渡る切なさに喉が詰まった。
気がつけば抱き締めていた。

「お前は彼女の為に身を引いたのかもしれないけど、俺の気持ちはどうなるの。政府の奴らは俺の血が必要だって言って有無を言わさず監視して縛りつけて俺の身体を好き勝手にするけど、俺の気持ちはどうなるの。ねえ、今度はお前の方が相応しいからって、俺からあの日お前を取り上げておいて、何年もこんな籠の鳥みたいな暮らしをさせといて、今更お前と一緒になれっていう。ねえ、俺は何なの」

胸に押しつけた表情は見えない。でも、こんなにか細く頼りない声を聴いたことはなかった。この男からあらゆる自由を、希望を、取り上げて握り潰した犯人のリストにはきっと俺の名前も書いてある。

「俺は誰にも顧みて貰えない、俺自身に価値はない、そう思わないとやってられなかった。お前が勝手にいなくなってからずっと、俺はただの体液提供者なんだって思わなきゃ、生きていられなかった」

いつだってふわふわと笑いながら口先だけで人を煙に巻くのが好きなヤツだった。議論を吹っかければ何時間でも真剣に、しつこいくらいに滔々と語る。運動は苦手で、一緒に何かをしようと誘ったところで渋い顔をして布団に潜り込むようなだらしない一面もあった。意外と綺麗好きで、どうでもいいようなことをこだわって、俺の作った料理をにこにこしながら食べる奴だった。ソファでゆったりと本を読むのが好きで、いただきますやただいまの挨拶がきちんと云える育ちの良さがあって、ガサツで乱暴なところのある俺とは真逆の品の良さみたいなものが漂っていた。美しい華やかな容貌に似合わず、照れ屋で控えめで負けず嫌いで甘えたで、誰よりも愛しい俺の男だった。それが今俺の腕の中で震えて泣いている。

「ねえ、俺は…俺は人間だよ」

胸が引き絞られる痛みに思わず声が出た。

「傷つきもするし、悲しみもする。好きな人を取りあげられたらヤケにだってなるし、好きでもない人と24時間365日一緒にいろって言われたら心だって壊れる。俺は、普通の人間なんだよ。ownerとかflowerとか知らない。俺はただ、好きな人と一緒にいたかっただけなのに」

膝を抱えていた手が僅かに動いて、涙を拭うのが分かる。それでも縋りつこうとしない強情さに離れた心の距離を知る。

「お前が俺から幸せを取り上げたのに。どうして今になって戻ってくるの。ねえ、お前は生きるために俺が必要なの?俺がいないと死ぬから、だから俺の手を取ったの?ねえ、お前は一体」

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