Fleurs existentielles

帯刀通

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未分化の願い

01

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一日中検査だなんだと引っ張り回され、とりあえず今日のところは自宅に帰れと送り出されたのは随分夜も更けてからだった。何だかゴツいエラそうな黒塗りの車に押し込まれ、軽い旅行に行くくらいの準備はしておけと念を押され、やっぱり隔離されるのかと半ば諦めながら頷いた。

「お前、服とか勉強道具とかどうすんの?」

ほぼ着の身着のまま出てきたコイツの身の回りを補完するほど俺だって物持ちじゃない。

「言ったら何でも用意してくれるんでしょ。必要ないじゃん」

全く興味がありません、とその横顔に書いてある。窓の外をぼんやり見ながら脱力している見慣れた様子は古い記憶と重なって、この男のスタンスはいつだってそうだったと思い起こさせた。

推しは多い程楽しい、がモットーのフットワークが軽い俺と違って、この猥雑で騒々しい世界をちょっと離れた所からぼんやりと俯瞰している。歳の割には達観しているというか老成しているというか、とにかく理性と感覚を容易に切り離せるのは、文系と理系なんて括りの相違じゃなくもっと根本的な人生への向き合い方が違うせいだと思う。そんなヤツが俺のことに関してだけ激昂し、周囲を巻き込むほど感情を動かす、という事実に心が震える。たとえ傍からはそうは見えなくても、俺には分かってしまう。運命がそう告げている。

愛していると声に出して言われるよりも余程如実で鮮烈な心情の吐露に、独占欲と優越感が疼く。この気持ちもきっとアイツには筒抜けで、いいように手玉に取られているのは悔しい気もするけれど嫌いじゃない。お前にとっての俺の価値がどれほど重く深いのか、もっと誰にでも分かる形で目の前に取り出して見せてくれたらいいのに、と暗い欲望が顔を覗かせる。シートにあずけた背中越しに、揺らぐ黒い炎が焼き付きやしないかと要らぬ心配を抱く程に、恋ってヤツは俺みたいな人間ですらいとも簡単に狂わせる。

触れた傍から肌が灼けてしまいそうで、その手は掴めなかった。


疲れ果てた身体を泥のようにベッドに沈めて夢も見ずに眠った翌朝、約束の時間きっかりにアパートの前に停まった見覚えのある黒塗りの車。連行された先はお決まりの診察室で、お決まりの制服に身を包んだ管理官の代わり映えしない無表情と、お決まりの白衣に身を包んだ好奇心が全く隠せていない主治医の満面の笑みに迎えられた。

ほんの数日間で起きた出来事が余りに濃密に過ぎて生命力が削られまくってしまった俺と、少し眠たげに目蓋をおろしていても相変わらずのイケ面を晒しているコイツと、肌が触れ合うギリギリの距離を保って隣りに座る。

「これを見てください」

モニタに映る分析結果を主治医の太くて硬そうな指先が辿る。

「あの後、室内に付着したり空気中に浮かんでいる成分等を分析した結果、大変興味深い結果が得られました。こちらをどうぞ」

手渡されたタブレットを指で弾いていく、そして最後の写真に辿り着いて息を吐いた。

「あなた方の感情の起伏が、分泌される成分に多分に影響することが分かりました。こちらは平常時」

指差された折れ線は四本ある中の下から二番目。

「こちらは最初のwaterの時。昼食時の店から採取したのはこちら」

平常時の線より随分高い位置にある二本の折れ線は似通った形をしていたが、最初の方がより数値が跳ねていた。

「そして、こちらが昨日の分です」

紅い花を咲かせた赤暗色の雫は、地を這う獣のような低空飛行。枠線ギリギリを辿っていた。

「これだけ数値が異なるのは感情がキーになっているためと推測出来ます。あなた方の感情に左右され、採取された成分もその性質を大きく異にしました」

そして眼前に晒された、管理官の胸元を飾る花の跡。はだけたシャツに隠されていた紫色の痣は、写真の中では深紅に染まっていて周囲の肌には皺が寄り、茶褐色に変化しているのが見えた。

「あなたの紅い花を確認後、昨晩自分で撮影したものです」

管理官は僅かに瞳を震わせたようだった。

「帰宅後、ownerによるwaterを施した結果がこちらです」

そう言って見せてくれたのは元通りになった紫色の可憐な花と、潤った瑞々しい若者らしい肌。

「この状態に戻るまでに要した時間と労力が分かりますか?ご存知の通り、ownerによるwaterには即時性があり、効果はすぐに表れます。多少萎れても、直接的な体液交換により概ね回復することが多い。広範囲、例えば腕一本枯渇したとしても回復には概算で一時間もかかりません。ですが、この僅か十センチ四方にも満たない部分を癒すのにかかったのは…六時間、約四分の一日です」

化け物、と言われた気がした。

「まるで細胞の奥底まで浸透してしまったように注いでも注いでも癒せない状態に、正直恐怖を感じました。もし正式なownerを持たないflowerであれば枯渇して散っていたかもしれません」

同じflowerを枯らすかもしれない凶器と狂気がこの身に宿っていることに言い知れない恐怖が忍び寄ってきた。音もなく滑り、流れ込んでくる冷たい水。ジワジワと吸い上げる負の感情。足元が凍りついていく感覚に恐る恐る目をやれば、膝から下が闇に染まっていた。

「flowerであるあなたは、ownerの彼に非常に影響を受けやすい。彼の心次第で生死が決まる恐れもあります。そして幸か不幸か、fortuneとしてのあなたは彼の感情を増幅して具現化する能力があるようです。あなたが見えていると仰っていた世界の情景は恐らく幻覚でしょうが、実世界でも目に見えない影響は出ているんです確実に」

真っ直ぐ射抜いてくる視線は誇張も脅迫も含まない、事実を事実として伝達しているだけなのが理解出来てしまうからこそ、怖かった。状況の異常性が身体から浮き上がって分離していく。カタカタと歯が鳴った。

ふいに、ふわりと生温い風が吹いた。

ぱちりと瞬きをした後に、きらきらと金色の粒子が目の前を通り過ぎていく。

右手があたたかい。
言葉はなく、ただ寄り添う温もりがあった。
震えはいつの間にか止まっていた。

管理官は一度、深く呼吸をしてから腹を決めた顔で口を開いた。その目はもう俺を見ていなかった。

「あなたを、…あなたのような人をfortuneとして生かしておくリスクと、我々にもたらされるメリットを慎重に天秤にかけました」

強く迷いのない眼差しを、あのぼんやりとした透明度の高いガラス玉の瞳が揺るぎなく受け止めている。この事態を予測していたのだろうか、その口角は僅かに上がっていた。

「あなたがいなければ彼が枯れる、彼がいなければfortuneの成分は失われる、我々としてはそれは避けたい。だが、あな」
「僕の」

軽く目を細めてにこやかに微笑んで遮る声は、明らかな怒りを孕んでいた。

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