13 / 24
木々のまにまに。
01
しおりを挟む
「んーーー、っはぁ」
疲れた。職員用と指定された駐車場の隅に車を停めて、ハンドルにもたれかかり目を閉じる。家を出て三時間。大した距離ではなかったが都会の喧騒から離れた、と謳うだけあって入り組んだ山道をヌルヌルと進まされ無駄に消耗した。
夕方には着くはずだったのに、すっかり日が暮れている。まぁ、どうせ観光でもないのだから真夜中過ぎたって問題はないのだが出来るならば温泉くらいは入ってから寝たい。後部座席の狭いシートに横たわる相棒は明日取り出すとして、今日は身一つでさっさと寝てしまおう。小さなボストンバッグ片手に車を降りると、ムワッと緑の匂いがした。
案内板の通りに進んで管理棟に顔を出すと、待ってましたと熱烈な歓迎をしてくれた初老の男性は今夜の当直らしく僕と同じくらい小柄だったが、半袖から突き出た上腕部の筋肉と全身の無駄のなさと日に焼けた浅黒い肌が、いかにもアウトドアの仕事をしている人らしく近寄るとお日様みたいな匂いがした。健やかさの権化だ。
「お兄さん、ハカセなんだってなぁ!そんな若いのに頭良くて凄いんだなあ」
親ほども年の違う大人に開けっぴろげに誉められて、どうしたらいいのか分からない。悪い人じゃないのだろうけど、苦手だ。あからさまに困っているのが顔に出てしまったのか、男性はうんうんと頷くとあっさり解放してくれた。詳しい案内は明日にして、とりあえず風呂に入って寝ろと送り出されるまま、敷地内にある温泉へと足を向けた。
空が、広い。そして、高い。
ラグジュアリーなグランピングと豪語するだけあって周囲には何もない。街の光さえ届かず、角度や見栄えを計算され尽くした小洒落た照明は空には遠く届かない。星が、丸見えだ。
発生源の分からない不気味な叫びが遠くで間欠泉のように上がる。鳥か猿か何らかの獣の目が暗闇で点灯する。緑の息吹が濃い。都会育ちの僕には、ここの闇は深すぎた。
温泉から宛がわれた宿舎までの夜道を星明りの下、そぞろ歩く。ほかほかと湯気を立てる身体から奪われていく熱が夜風にさらわれていく気持ちよさにため息をつけば、寝巻き代わりのスウェットのポケットが振動を始めた。まだ湿った髪をタオルで拭きながら携帯を取り出すと、教授からのメッセージが届いていた。
『仕事と遊び、両方励め』
簡潔な励ましの言葉の後にもう一度振動が来る。電子マネーのアプリに入金された福沢諭吉1人分。酒も煙草も火遊びもしない僕にとっては使い道のない金だった。が、くれるものは有難く貰っておく。
部屋に辿り着いて冷えたペットボトルを呷る。2階建てのごくごく普通のアパートじみた宿舎は宿泊客からは見えないように、明かりすら漏れない奥まった木々の間に建っていた。どうやらぎっしり満室状態らしく生活音がそこかしこから聞こえてくる。他人の生きている空気を感じるのは悪いことじゃない。
持ち込んだ相棒を組み立てて、窓に背中を預けて覗き込む。
空。広くて高くて、遠くまで眼差しが届く時、星もまた僕を覗き込んでくる。ちっぽけな人間でしかない僕が星と一個体として向き合う。宇宙に浮かんで僕と星が等価になって漂う、浮遊感に凝り固まった思考が解放される。ここでは僕は僕であって僕ではない、どこまでも孤独でどこまでも自由だ。ひとりで落ち着いて呼吸が出来るこの瞬間を求めて空を仰ぐのかもしれない。
これから一週間以上、晴れていればこの空が見えるのだと思うと少しは気持ちが慰められる。プラネタリウムのスタッフなんて大した仕事じゃない。バカみたいに高い機材だけは神経を使うが、トラブルがあればテクニカル担当を呼ぶしかないからスタッフレベルではどうしようもない。僕のする仕事といえば案内と解説くらいなものだ。演出も解説もスクリプト通り、決まった時間に決まった仕事、気楽だからこそ退屈なルーティンワーク。
人があまり来ないのだけが救いか。
相棒を部屋に避難させて、猫の額のような1Kを確認する。玄関から続く短い廊下沿いの洗面所とユニットバス、ドアを開ければ八畳ほどのワンルーム。キッチンには電化タイプのコンロと小型の冷蔵庫。電動ポットやら食器やらも一通り揃っていて、安価なビジネスホテル程度の設備は整っているようだった。
そしてちょっと変わっているのがメゾネットタイプの部屋だということ。片側の壁際にある扉を開くと中身はクローゼット、反対側の壁にかかっている梯子を昇れば屋根裏部屋みたいに低い空間と、そこに置かれた布団一式。隠れ家みたいな構造に忘れかけていた子供心がくすぐられる。この部屋は二階で、下の階もこの構造なのかは分からない。寝具がないせいで、テレビとローテーブルが置かれたメインの部屋はがらんとしている。広すぎる位だ。
とりあえず手持ちのカバンから服を取り出してクローゼットにかける。一分も経たないうちに終わった。ケトルに水を入れてお湯を沸かし、フィルタードリップ式のコーヒーを淹れる。五分もしないうちに終わった。やることがない。
こんなこともあろうかと取り出したパソコンとタブレットと本の山。時計の針は未だ頂点を回らない。マグカップ片手にタブレットで文献を開きながら、眠気が訪れるのを待つ。翌日から仕事の予定だし、久し振りの運転のせいで疲れているはずなのだが気持ちが昂っているのか緊張しているのか、梯子を上って布団に潜り込んだのは丑三つ時もとうに過ぎた頃だった。夢は見なかった。
疲れた。職員用と指定された駐車場の隅に車を停めて、ハンドルにもたれかかり目を閉じる。家を出て三時間。大した距離ではなかったが都会の喧騒から離れた、と謳うだけあって入り組んだ山道をヌルヌルと進まされ無駄に消耗した。
夕方には着くはずだったのに、すっかり日が暮れている。まぁ、どうせ観光でもないのだから真夜中過ぎたって問題はないのだが出来るならば温泉くらいは入ってから寝たい。後部座席の狭いシートに横たわる相棒は明日取り出すとして、今日は身一つでさっさと寝てしまおう。小さなボストンバッグ片手に車を降りると、ムワッと緑の匂いがした。
案内板の通りに進んで管理棟に顔を出すと、待ってましたと熱烈な歓迎をしてくれた初老の男性は今夜の当直らしく僕と同じくらい小柄だったが、半袖から突き出た上腕部の筋肉と全身の無駄のなさと日に焼けた浅黒い肌が、いかにもアウトドアの仕事をしている人らしく近寄るとお日様みたいな匂いがした。健やかさの権化だ。
「お兄さん、ハカセなんだってなぁ!そんな若いのに頭良くて凄いんだなあ」
親ほども年の違う大人に開けっぴろげに誉められて、どうしたらいいのか分からない。悪い人じゃないのだろうけど、苦手だ。あからさまに困っているのが顔に出てしまったのか、男性はうんうんと頷くとあっさり解放してくれた。詳しい案内は明日にして、とりあえず風呂に入って寝ろと送り出されるまま、敷地内にある温泉へと足を向けた。
空が、広い。そして、高い。
ラグジュアリーなグランピングと豪語するだけあって周囲には何もない。街の光さえ届かず、角度や見栄えを計算され尽くした小洒落た照明は空には遠く届かない。星が、丸見えだ。
発生源の分からない不気味な叫びが遠くで間欠泉のように上がる。鳥か猿か何らかの獣の目が暗闇で点灯する。緑の息吹が濃い。都会育ちの僕には、ここの闇は深すぎた。
温泉から宛がわれた宿舎までの夜道を星明りの下、そぞろ歩く。ほかほかと湯気を立てる身体から奪われていく熱が夜風にさらわれていく気持ちよさにため息をつけば、寝巻き代わりのスウェットのポケットが振動を始めた。まだ湿った髪をタオルで拭きながら携帯を取り出すと、教授からのメッセージが届いていた。
『仕事と遊び、両方励め』
簡潔な励ましの言葉の後にもう一度振動が来る。電子マネーのアプリに入金された福沢諭吉1人分。酒も煙草も火遊びもしない僕にとっては使い道のない金だった。が、くれるものは有難く貰っておく。
部屋に辿り着いて冷えたペットボトルを呷る。2階建てのごくごく普通のアパートじみた宿舎は宿泊客からは見えないように、明かりすら漏れない奥まった木々の間に建っていた。どうやらぎっしり満室状態らしく生活音がそこかしこから聞こえてくる。他人の生きている空気を感じるのは悪いことじゃない。
持ち込んだ相棒を組み立てて、窓に背中を預けて覗き込む。
空。広くて高くて、遠くまで眼差しが届く時、星もまた僕を覗き込んでくる。ちっぽけな人間でしかない僕が星と一個体として向き合う。宇宙に浮かんで僕と星が等価になって漂う、浮遊感に凝り固まった思考が解放される。ここでは僕は僕であって僕ではない、どこまでも孤独でどこまでも自由だ。ひとりで落ち着いて呼吸が出来るこの瞬間を求めて空を仰ぐのかもしれない。
これから一週間以上、晴れていればこの空が見えるのだと思うと少しは気持ちが慰められる。プラネタリウムのスタッフなんて大した仕事じゃない。バカみたいに高い機材だけは神経を使うが、トラブルがあればテクニカル担当を呼ぶしかないからスタッフレベルではどうしようもない。僕のする仕事といえば案内と解説くらいなものだ。演出も解説もスクリプト通り、決まった時間に決まった仕事、気楽だからこそ退屈なルーティンワーク。
人があまり来ないのだけが救いか。
相棒を部屋に避難させて、猫の額のような1Kを確認する。玄関から続く短い廊下沿いの洗面所とユニットバス、ドアを開ければ八畳ほどのワンルーム。キッチンには電化タイプのコンロと小型の冷蔵庫。電動ポットやら食器やらも一通り揃っていて、安価なビジネスホテル程度の設備は整っているようだった。
そしてちょっと変わっているのがメゾネットタイプの部屋だということ。片側の壁際にある扉を開くと中身はクローゼット、反対側の壁にかかっている梯子を昇れば屋根裏部屋みたいに低い空間と、そこに置かれた布団一式。隠れ家みたいな構造に忘れかけていた子供心がくすぐられる。この部屋は二階で、下の階もこの構造なのかは分からない。寝具がないせいで、テレビとローテーブルが置かれたメインの部屋はがらんとしている。広すぎる位だ。
とりあえず手持ちのカバンから服を取り出してクローゼットにかける。一分も経たないうちに終わった。ケトルに水を入れてお湯を沸かし、フィルタードリップ式のコーヒーを淹れる。五分もしないうちに終わった。やることがない。
こんなこともあろうかと取り出したパソコンとタブレットと本の山。時計の針は未だ頂点を回らない。マグカップ片手にタブレットで文献を開きながら、眠気が訪れるのを待つ。翌日から仕事の予定だし、久し振りの運転のせいで疲れているはずなのだが気持ちが昂っているのか緊張しているのか、梯子を上って布団に潜り込んだのは丑三つ時もとうに過ぎた頃だった。夢は見なかった。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる