恋愛エントロピー

帯刀通

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06

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半年ぶりに聴く声は、少し掠れていた。

「…聞きました。博士号、おめでとうございます。凄いですね、ドクターなんて」

柔らかく微笑んだまま、世間話みたいな気軽さで話す姿を見て、半年間なんて何の意味もなかったと思い知らされる。本人を目の前にしてしまえば、忘れようと胸の奥底に閉じ込めて鍵をかけていた気持ちは、簡単に白日の下に晒されてしまう。

好きで、好きで、逃げ出した恋は、ブーメランのように返ってきて俺の胸を刺した。

ーーーやっぱり好き。
頭の中で"好き"の一言だけが、ぐるぐると回る。

「…あの夜、あなたに置き去りにされてから、いっぱい考えました。オレの前からあなたが消えて、会えなくなって、どうしたらいいか分からなくなって。正直しんどかった」

一瞬ぎゅっと眉を寄せて目を瞑った。その顔は、あどけない子供なんかじゃなくて、いつの間にか俺の知らない大人の男になっている。消せない傷を負わせる気などないからこそ、触れずに終わらせたのに、どうして。

どうして忘れてくれなかったんだ。

「でも、やっぱり好きで、好きで、離れても会えなくても、あなたのことばかり考えてました」

真っ直ぐに見つめる瞳いっぱいに俺を映している、この世の誰よりも愛しい男は、少し苦笑いを浮かべて一歩、俺に近づいた。

「あの時、確かにオレの"好き"は違ってたんです。それがオレには分からなかった。あなたを傷つけて追い込んだのはオレの方だったのに、拒絶されて被害者ヅラして逃げて…ホント、ガキだったんです」

でも、と見上げる目に迷いはなかった。俺だけを見て、俺だけを求めて欲しい、と何度願ったか知れない、どこまでも純粋で輝いていた瞳は今、痛みを知って優しく柔らかく潤んでいる。目が離せない。

「…オレは、」

ひとつひとつの言葉を、深い胸の底から掬い上げるように、丁寧にあたたかく取り出す。

「もっとあなたが知りたい。もっとあなたに触れていたい。あなたを幸せにするのは他の誰でもない、オレでありたいんです。あなたが、世界中の誰より好きだから」

ふわりと、羽根を拡げるように膝をついて、差し出される花束。数えきれないほど束ねられた赤い薔薇。俺には不釣り合いな美しいそれを掲げながら、

「オレにあなたを愛させてもらえませんか」

眩しそうに目を細めて微笑む、この愛しさの塊を
どうしたら拒むことが出来るんだろう。

心が全力で叫んでる。何も見えない。きっと今俺の顔はぐしゃぐしゃで、こんなオッサンが人前で恥も外聞もなく泣きじゃくる姿なんて、見るに堪えないに決まってるのに。

止められなかった。嬉しくて、愛しくて、幸せで、好きが溢れすぎて、どうにもならなかった。

「っ、俺、っは…」

声にならない。呼吸が苦しくて、嗚咽の間にぽろぽろと溢れていく、愛しさが止められない。

「おま、えにはっ、俺なんか、じゃ」

「…そういうの、全部却下です」

困ったように笑いながら立ち上がって、花束をトンと俺の胸に預ける。むせかえるような薔薇の匂い。そして、あたたかな腕に包まれる。

「オレ、知ってますよ?あなたがオレのこと、大好きだってこと」

ね?と悪戯っぽく口角を上げて、柔らかな髪が頬に触れる。否定しなきゃいけないのに、こんな人目につくところで止めろって言わなきゃいけないのに、身体がいうことを聞いてくれないから、

「何と引き換えにしてもいい、あなたが好きなんです。だから、お願い。オレのものになって?」

耳に届く囁きがとろりと心を溶かして、甘い甘い誘惑に満たされてしまう。きゅっと力を込めて抱き締めてくる腕が心地よすぎて、ふわふわとした夢のなかで何もかも委ねたくなってしまう。

ああ、神様。ごめんなさい。
俺は本当に弱い人間です。あの日誓ったはずの約束を、こんなにも簡単に今、破ろうとしています。だけど、頬に添えられた手を振り払うことが、どうしても出来ないんです。俺の存在全てが、目の前のこの男が欲しいって、泣き叫んでるんです。

「…ねぇ、返事は?お願い…いいって言ってよ」

ホンの少し、自信なさげに睫毛を揺らしながら伏せられた顔からは、負けるのが嫌いだと言い張ったちょっと生意気な子供っぽさはすっかり抜けていて、ああ俺がコイツを変えたのかと思うと胸が震えるほどの喜びが全身を駆け抜けた。

いいの、か?俺がコイツを変えて、俺自身もコイツに変えられて、何もかも初めからやり直して、好き、と言っても
本当にいいのか?

何度心に確かめてみても答えは同じで、

何を引き換えにしたって、
たとえ地獄に堕ちたって、
お前がいい、お前が欲しいって言ってる。

「…す、き」

ずっと押さえつけていた本当の気持ちは、呆気ないほど簡単に口をついて出た。

「ずっと、ずっ、と…俺の方がずっと、お前のこと、好き、やった」

途切れ途切れの拙い告白を、宝物でも受け取ったように大切に大切に、何度も頷きながら抱き締めるこの男が、愛おしい。

誰にも誇れなくても、誰にも認めらなくても、もう構わない。俺は、コイツのことが誰よりも好きなんだ。それだけできっと充分なんだ、愛ってやつは。
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