森の魔女と彷徨う甲冑~笑って、わたしのムーン~

犬塚ハジメ

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CASE 10 そばにいるから…

【外傷・切創】

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    1

「ん?」
 調合室で作業していると、ムーンがあらぬ方向へ視線を向けた。患者が訪れていない長閑のどかな午前中、薬草棚を整理していた。
「どうしましたか?」
 リリーは薬草壺を抱えて不思議そうな顔をしている。
「客じゃないな。これは……」
 呟いてから部屋を出ていくムーン。リリーもその後ろをついていく。
 ムーンは玄関扉の前に仁王立ちになり、もうすぐ辿り着くという来訪者に備える。程なくして、扉が勢いよく開いた。
「大変だ、姉ちゃん!」
 すぐ目の前に黒い甲冑が立ちはだかっているのを目の当たりにし、来訪者は飛び上がる。
「ヒッ!」
 近隣の村に住む少年だった。ムーンの存在は薬草相談所を知っている者たちの間では常識となりつつある。少年もその中の一人。すぐに我に返る。
「あっ! ムーンさんか……」
「ケイくん、どうしたの?」
 リリーにケイと呼ばれた少年は用件を思い出したらしく、慌てた様子で尻切れトンボになった話を続けた。
「ハンス兄ちゃんが野盗に襲われて怪我したんだ! うちの村で介抱してるけど、姉ちゃんに来て欲しくて」
「兄さんが?!」
 リリーは悲鳴のような声を上げ、身体を硬直させるも、それは一瞬だけ。すぐに薬草の準備をしようと動き出す。しかし、顔は真っ青だった。
「急いだ方がいいだろう。リリー、私が運ぶから準備は慌てなくていい。慎重にな」
 ムーンは落ち着いた声色で言葉を紡ぐ。ケイ少年にも声をかける。
「ハンスの怪我はどの程度だ?」
「えっと……配達中に腕を剣か何かで切られてて……。自力でオレらのところまで逃げてきたんだけど、血が止まんねえんだ。大人たちが見てる」
 ケイは慌てながらも伝えるべき言葉を文章にする。
「よし、君はここから一人で帰れるか?」
「途中まで馬で来たから大丈夫」
 ムーンはリリーを調合室に促す。抱いた細い肩が震えている。
「リリー、恐らく傷は深くない。落ち着くんだ。村の人間が介抱している。君はやるべきことをやるんだ」
 リリーはハッとしてから、深く深呼吸をした。まだ顔が青いままではあるが、瞳に冷静さを宿す。
「ムーンさん、布をあるだけ用意してもらえますか? わたしは切り傷用の薬草を準備します」
「分かった」
 相談所内はにわかに慌ただしくなった。ありったけの治療道具を鞄に詰め込む。時間にして十分もかからなかった。
 準備が終わると、ムーンはリリーを抱えて村まで一目散に駆けた。彼にとってもハンスは今や友人だ。

    2

 ハンスは比較的広い家屋のベッドに寝かされていた。村民に案内されたリリーはその光景を見て絶句をした。今まで怪我をした人間を見たことは何度もある。死に立ち会ったことすらある。それでも、昔からの友人が怪我を負った状態でいる姿には動揺する。
 リリーはすぐに呼吸を整え、ベッドに近づく。今やらなければならないことを全力でやる。それだけだ。それだけがハンスが助かる方法だ。
 既に住民たちの手当ての跡がある。血で染まった布が辺りに散乱している。ハンスはベッドの上で青白い顔。手足を放り出して人形のように動かない。
 なるべく動かさないように傷口の具合を目視する。左腕の上腕部。もしかしたら、咄嗟に自分を庇ってできた傷なのかもしれない。顔や胴体を切られていたら逃げられなかったかもしれない。傷口はただれてはいないようだ。鋭利なもので皮膚を切り裂かれている。刃物で切られたのは間違いない。問題は刃に毒が塗られていた場合だ。怪我の手当てだけでは済まなくなる。遅効性の毒でないことをリリーは祈った。まずは止血をしなくてはならない。
「すみません。どなたか手伝いをお願いします。傷口を布の上から押さえて下さい」
「あっ、あたしが……!」
「強くお願いします」
 若い女が名乗り出て、リリーたちの元へ駆け寄る。
 止血の応急処置は時間との勝負だ。失った血は元に戻らない。輸血という方法が医学ではある。怪我人に健常者の血を分け与える方法だ。しかし、まだ研究途中の段階で実用的ではない。輸血によって回復した者もいれば、原因不明の副作用によって死に至った者もいる。不確実な方法にはできるなら頼りたくはない。養父の顔がよぎる。しかし、すぐに頭を横に振って払拭する。今は自分しかいないのだ。
 リリーは傷口より胴体に近い前腕部を強く包帯で縛る。そして、腕の下に枕と毛布を敷いて位置を高くする。他の住人に湯を沸かすように指示してから、今度はリリーが傷口を押さえる。
「兄さん! リリーよ。わたしがついてるわ。頑張って……!」
 額から吹き出る汗が頬を伝い、顎から流れ落ちる。手に感覚がなくなってきた頃、布から滲む血が見えなくなった。そっと傷口を確認すると出血が止まっていた。リリーの足が震え出し、その場に立っていられなくなった。遅れて恐怖が身体に現れたのだ。
「リリーちゃん……!」
 その場にいた女がリリーの身体を支える。
「ご、ごめんなさい……。大丈夫です。さっき沸かしたお湯で、すぐ傷口を綺麗にします」
 それから、村の女たちとリリーで傷口を洗浄した。切り口にはやはり毒の症状は出ておらず、リリーは胸を撫で下ろした。上から傷口を覆うように軟膏を塗り、布を当てる。最後に包帯で縛れば、手当てが完了だ。
 リリーは額の汗を拭い、ハンスの顔を見る。まだ肌が青白い。あとは本人の体力勝負だ。少し様子を見てから、食塩水を使用する輸液について考慮する。道具は動物の膀胱と鳥の羽を使う。材料があっても、状況によっては状態を悪くする恐れもある。慎重に判断しなくては――。
「リリーちゃん、あとはあたしたちで様子を見てるから、少し休憩してきて。何か異変があったら、すぐに呼ぶから」
 腕に力が上手く入らなくなっていたリリーは村の女たちの申し出を受けることにした。外の空気を吸おうと、家を出て汗だくの身体を涼ませる。そこで気がついた。ムーンの姿がないことに。
「ムーンさん??」

    3

 ハンスの治療が始まってからムーンは家の外にいた。力の加減ができない身では手当てには向いていないと分かっていたからだ。力が必要とあればすぐに貸すというのにやるせないばかりだ。
 ハンスを襲った野盗たちは野放しになっている。次また誰が襲われるか分からない状態では村人たちも気が休まらないだろう。力がある者のするべきことは一つ。
 村への配達を頻繁に行っているハンスには村の誰もが大なり小なり世話になっている。怪我を聞きつけて村人が不安げに集まってきていた。それでも、真昼は仕事で人が出払っているから少ない。主に年寄りか女、子どもたちだ。
 ムーンはその場にいる者に聞いて回った。ハンスの怪我について目撃者はいるか、と。子どもたち数名が顔を見合わせて言った。傷を負ったハンスは馬に乗って西の方角から来たらしい。そして、意識を失う前に村人に「ガルネキア、逃げろ」と伝えた。
 村人たちによると、この周辺の村は野盗たちに襲われることが度々あるらしい。そして、野盗を装ってはいるものの、どうやらガルネキア兵のようだというのが、周知の事実だ。武器の質を見れば明らからしい。ガルネキアは金属製造に長けている。訛りもタンザナとは異なるものらしい。
 村人たちから話を聞き、ムーンは存在しないはずの血液が沸騰するようだった。目の前が赤くなり、思考回路が直情的なものになっていく。
――ガルネキア。またか。また大切なものを奪おうとする。
 後先のことを考えずに、西の方角へ足が動いていた。後ろから村民たちが何事か叫んでいたが、もうムーンの耳には届かなかった。

 *****

 リリーは村民たちからムーンの話を聞き、頭が真っ白になった。彼から離れることなど今までなかったからだ。「野盗たちを追いかけていったのかも」という言葉に、血相を変えてあとを追おうとした。柵に繋いであったハンスの馬の首を撫でて話しかける。
「今日は怖い思いをしたのにごめんね。わたしに力を貸して欲しいの」
 よく知っているリリーに対して馬は大人しかった。応えるように鼻から息をブルルと吐く。
 リリーは柵に繋いでいたロープを馬と自分の手に巻きつけて手綱を握る。まだ満足に力が入らない。振り落とされないようにした。形振なりふり構っていられない。リリーの中で警鐘が鳴り響いている。嫌な予感がしていた。
 合図と共に馬は西方向へ走り出した。

    4

 若い男はつまらなさそうに一人で街道に立っていた。木の幹に身体を預け、片足を遊ばせている。たちに命じられて見張り役をしていた。いつだってそうだ。一番の後輩であれば、雑用を押しつけられる。今頃、先輩たちは戦利品を仕分けしている。平等に山分けと言いながら、見てない間にくすねるのだ。堪ったものではない。
 それでも強盗に加わるのは実入りがいいからだ。タンザナより北側に位置するガルネキアの冬は厳しい。自分たちが生き残るのにタンザナから奪い取ることに罪悪感はない。取り出し自由の貯蔵庫から拝借する程度の感覚だ。タンザナは古い王制にこだわっており、村民が被害を被ってもあまり積極的には動かない。これは彼らにとって都合がよかった。国境のある不毛の地を迂回し、北のペルーダから山岳地帯に侵入すると警備が少ない。手間がかかるが、森に紛れてしまえばタンザナ軍には見つからなかった。山岳地はともかく、なぜ森の警備を怠るのか理解不能だ。ガルネキアであれば、間違いなく新人辺りを警護に当たらせているはず。
 男は欠伸を噛み殺し、来るはずかも分からない不審者を待った。まさか本当に現れるなどとは思ってみなかった。
 道の向こうから金属音が聞こえてくる。ガシャンガシャンと金属がぶつかり合う音がゆっくりと聞こえ――それから人の形が見えた。全身黒の甲冑。男は何かの冗談かと思った。今どき全身鎧フルプレートとは、おとぎ話の中のことだ。いくら何もかもが遅れているタンザナでもあるはずはない。
 実際に男の装備は胸甲くらいなものだった。火気を前にすれば金属の板など紙屑も同然であるし、剣で急所を突かれては終わりだ。だから、重々しい全身鎧など時代遅れも甚だしい。ありえない状況が男の判断を鈍らせた。
 甲冑は体勢を低くして弾丸のように男へと肉薄した。抜いた剣を振り被る――。
 若い男は身につけた警笛を手にすることもできなかった。

 男たちは奪った荷台を漁りながら木立で品のない笑い声を上げていた。売上金を持っているに違いなかった御者は逃げてしまったが、こうして荷物は丸々手に入った。食料不足に陥り易い時期に食品店から荷物を奪えたのは僥倖ぎょうこうだった。しかも、高価な香辛料も揃っている。
 自国で汗水垂らして働いても得にはならない。元貴族などの限られた家柄のものに利益が集中するだけで、下っ端の兵士の賃金など皆同じようなものだ。出世は期待できない。
 だから、隣国の村人を襲うのに躊躇いはなかった。彼らは幼い頃からタンザナは食料自給率が高く農作物で溢れている品のない国と教わってきた。驕り高ぶっているから奪い取っても構わないのだという思考が根底にある。同じ人間を苦しめているとはつゆほども思っていないのだ。自分たちの手柄だと酔い痴れていた。周囲に重い空気が漂っていることに気がつけなかったのだ――。
「あん?」
 一番先に気がついたのは、荷台からぶどう酒の樽を見つけて勝手に酒盛りを始めた男だ。粗末なビールしか口にできない身分にあったから、喜んで樽にしがみついた。荷台に転がっていた計量に使う木製の匙に注いで飲む。身分が高い者が手に入れられる酒で喉を潤すだけで優越感があった。
 高揚感で溢れて滲む視界の中に黒い塊が映った。酔うにはまだ早いと首を捻ったとき、腹に衝撃を受けた。
 金属の膝が男の身体にめり込んでいた。鈍い音と共に喉から溢れる言葉にならない声が漏れた。
 遅れて他の男たちが気がついた。音のした方に視線を移して固まる。膝蹴りを受けた男が、力を失くしてずるりと地面に伏す。
 もし、タンザナの民だったなら、目の前にいるのが何者なのか察することができただろう。ガルネキアの兵士は正体不明の人物に混乱した。骨董品のような時代遅れの装備。倒された仲間。理解するより早く恐怖が勝った。悲鳴を上げて森の中へ蜘蛛の子を散らした。所詮は愛国心の欠片もない寄せ集めの身分の低い兵士だ。勇気や根性といったものとは無縁だった。
 甲冑は慌てずにその中の一方向へ向かう。

    5

 ムーンの中にあるのは、目の前にいる兵士たちを殲滅せんめつすることだけだった。それは怒りや正義心といった感情からではなかった。出会った頃にリリーに語ったとおり、「恐怖」からだった。相手に敵意を向けられる前に潰す。それだけを考えていた。
 一人ずつ捕まえ、殴る、蹴る、絞める、投げる――。人間との力差により、赤子の手を捻るようだった。ムーンは機械的にそれを繰り返した。

「ひい……」
 兵士の一人が情けない声を出して茂みから街道に躍り出た。正体不明の化物が襲ってくると恐怖に混乱していた。もつれそうになる足を懸命に前に出したところで、後ろから強い力で引っ張られる。首根っこを捕まれた兵士は意図も簡単に引きずり倒された。地面に後頭部を打ち、意識が飛ぶ。その顔面にこぶしが向けられる。
「ダメェエエエエ!」
 全速力で駆ける馬に乗ったリリーが叫ぶ。馬にしがみつくのもやっとの状態でムーンの元にやって来る。
 ムーンはその声が届いていなかった。目に映るのは醜悪な気配を持ったガルネキア兵だけ。
 リリーは手綱を引いて馬を止めようとする。馬は空で前足を掻き、高く鳴いた。その勢いで背中から投げ出されそうになる。
「キャッ!」
 馬に結びつけていたロープのお陰で転落は免れたものの、力が尽きて滑り落ちる。地べたについた手で身体をつんのめるようにして前へ飛び出す。気絶した兵士を覆い被さり、ムーンの前で両腕を広げた。
「……ムーンさんっ!」
 ムーンの突き出されたこぶしは動きを止めた。目標の前にが現れたことにより狙いが定められなくなったからだ。
 リリーは正気を失ったムーンに呼びかける。
「ムーンさんダメです……。もう怖いものはないんです。あなたの優しい手は傷つけるためのものじゃない」
 服が汚れて汗まみれのみっともない格好。腕はロープで擦れて赤い痕がつき、手には擦り傷。
「大丈夫です。わたしがいますから。怯える必要なんかない」
 ムーンの兜の奥を真っ直ぐに見つめる。言葉が届くように心からぶつけた。
 ムーンは障害物ごと標的を撃つか、障害物を排除するか判断がつかず、ジレンマにさいなまれる。そして、その負荷を解消するために空に向かって咆哮ほうこうした。周辺の大気が揺れる。ビリビリと強い振動が伝わった。鳥が木々から羽ばたいて逃げていく。
 声が止み、森に静けさが戻る。沈黙。すべてを外に出しきったムーンから力が抜けている。真っ赤に染まっていた感情は治まり、代わりにこれまでリリーと過ごした日々が脳裏に浮かんだ。彷徨っていた二百年には遠く及ばないが、安穏あんのんとした日々。
「リ……リリー……」
 失った声を取り戻すかのような辿々しい言葉に、リリーは喜びに満ちた笑顔を見せた。
「はい、ムーンさん!」
「す……まない……」
 錆びついた声にリリーの首が横に振られる。雫が宙に煌めいた。
「いいんです。わたしの声に応えてくれて、ありがとうございます」
 緊張の糸が切れたのか、体力が限界に達したのか、笑顔を最後にリリーは意識を手放した。その後のことは記憶にない。目覚めたときには村に戻っていた。ただ、ゆりかごに揺られている夢を見たような気がした。

    6

 数日間、リリーとムーンは村に滞在してハンスの世話をした。軟膏を塗り直し、包帯を替える。しばらくすると、ハンスの意識が戻り、栄養のある薬草入りの雑穀粥ポリッジを食べさせた。
「懐に売上金持ってて命拾いしたぜ」などという軽口が出たのを確認してから、家族に世話を任せた。
 リリーたちは小屋に戻り、消費した薬草を補充するべく勤しんだ。新たに作った軟膏はブルネット家に届けた。
 そうして半月が経つと、仕事の復帰には遠いながらも、出歩くハンスの話が聞こえてきた。
「ハンス兄さんったら、ホルモンを食べなさいって勧めたら、山猫亭に毎日通い詰めてるそうですよ」
 ハーブティを啜りながら安心半分呆れ半分でぼやくリリーに、ムーンは硬質な抑揚で相槌を打った。
「彼は分かりやすいな」
 鈴を転がすような笑い声が森の薬草相談室を満たしたのだった。



次回→CASE 11 冬支度
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