15 / 50
15.クロの男、シロの男
しおりを挟む
丸太町通りを東へ鴨川を渡った川端通り沿いにあるビルの3階。
そこに元検事で今は弁護士の追風・静夜が務めるファーム法律事務所がある。
頭に付いている『Firm』とは?
複数の出資者たる経営者(つまり、この場合、弁護士資格を持つ弁護士)が設立した“企業体”を、アメリカでは“パートナーシップ”、イギリスでは“ファーム”と呼ぶ事から、単に呼称しやすい名前を持ち出してきただけ。
早い話が事業運用形体をそのまま会社の名前に宛てている。
静夜は窓から下を流れる鴨川を眺めながらカップに注がれたコーヒーを口に含んだ。
雲にせよ川にせよ、ただ自然に流れるものを目にしていると、何故か心が落ち着く静夜であった。
「休憩中のところ良いかな?」
共同経営者でありファーム法律事務所の所長を務める一二三・六角が声を掛けてきた。
少々偉そうぶったところはあるが、かつて経営が苦しかった時でも怪しい依頼には絶対に手を出さずにキッパリと断ってきた、なかなかな正義感の持ち主。
だけど経営が軌道に乗るまでは本当に苦労が絶えなかった。
大手の弁護士事務所から独立しての根っからの弁護士で静夜とは5つ上の年齢なのだが、側頭部後頭部を残して天辺はキレイに禿げ上がっている。そんな彼の頭部を目にすると、静夜は自身の年齢に危機感を覚える事がたまにある。
「何でしょう?所長」
訊ねた。
「所長はヤメようよ。キミと僕との間柄なんだしさ。対等で行こうよ。シズヤ君」
「でも、周りの目もありますし…『いーの、いーのよ。シズヤ君。僕の事は六角さんでOKよ』
戸惑う静夜の声に被せる。
「用件は…何でしょうか?」
「んー、できれば敬語も止めて欲しいんだけどなぁ。っと用件ね。実は奇妙な依頼が来てね。裁判所の方から」
裁判所となると、自ずと依頼者は逮捕された被疑者となる。
「国選弁護人のご依頼でしょうか?」
国選弁護人とは、貧困などの理由により被疑者やその家族が私選弁護人を立てられない場合、裁判所が選ぶ弁護人の事。決して裁判に有利になるように選ぶものではありません。
「被疑者はすでに勾留されてはいるけれど、キミのような弁護人をご指名なんだとさ。つまり私選弁護人として依頼したいと申し出ているのだよ」
「は、はぁ…」
用件を伝える六角の表情も冴えない事から、彼も乗り気ではないと雰囲気で伝わってくる。そんな彼の意図を見抜いてしまうと自然に溜め息交じりの返事になってしまう。
「あの…私のような弁護人と申されますと?」
皆まで言わなくとも分かっているのだが…。
「うん、まぁ…」
持ち掛けておきながら、とても言い出し辛さそう。彼の心が手に取るように分かる。
「刑事裁判に勝ててない弁護人?そんな弁護士を御所望なんだってさ」
薄々感じていたが言葉に出されてしまうと、口調は軽くともやはり精神的ダメージは大きい。
それにしても、何とも奇特な人物なのだろう?とことん自身を不利な状況に追いやって、死刑に追い込む極端な輩ではあるまいか?
「六角さん?先ほどから気になっているのですが、私がこの依頼を受けない事をお望みなのではありませんか?」
悩みでも鬱憤でも吐き出せば気は楽になるだろう。そんな気持ちで思い切って訊ねてみた。
「正直言うと、僕は君にこの件には関わって欲しくないねぇ。考えてもみなさいよ。被疑者は状況証拠では完全にクロだけど証拠が何一つ出て来てない。しかも本人は犯行を認めている。普通に裁判に持って行けば冤罪は確実。だけど、それなのに何故、彼はわざわざ“勝てない弁護人”を立ててまで裁判に臨もうとするのか?その理由が分からない」
「あのですね、六角さんは、私がもしもこの刑事裁判で負けたら刑事裁判に於いて弁護士生命に引導を渡される事を危惧されているんですよね?」
バツが悪そうに、六角はその通りと頭を掻いて頷いて見せた。
いくら勝ち星が無いからって、そこまで信用が無いのかい?
それにしても。
静夜は窓にもたれかかって下を通る川端通りに目を移した。
すると、ちょうど信号待ちをしているパラリーガルの釘打・理依の姿が目に映った。
2リットルペットボトル飲料の入ったコンビニ袋を肩に担ごうと振り回したら、勢いが付き過ぎて自らの後頭部に直撃している。
あの子は何をやっているのだ?
しかし、彼女を見ていると、いつ何時であっても決して気を抜くなと警鐘を鳴らされている気分になる。
勝ちしか見えない状況でも絶対に油断はするな。
「引き受けます」
静かに答えを告げた。
「シズヤ君?目先のニンジンを追い掛けていたら壁にブチ当たる―」
「あの…私、馬やロバじゃないんですから、その例えは止めてもらえませんか」
六角の危惧するところは重々承知の上。
「油断をすれば足元をすくわれる事は肝に銘じておきます」静夜は続ける。
「もしかしたら、彼、単に無実を勝ち取るつもりではないでしょうか?例え後で彼が犯行に及んでいたと分かったとしても、日本の刑事裁判は“一事不再理”が原則なために二度と彼を罪に問う事はできない」
「あのね、君に言われなくても、それくらいは理解しているよ。僕はね、キミにヤツの犯行の片棒を担いで欲しくないからこの件に関して乗り気じゃないんだよ」
とても有難い上司ではある。だけど、一方で人として真理を追究したい思いもある。
静夜はこめかみに指を当て。
「何かこう…引っ掛かるところがあるんです。その男の“自信”の源は何なのか?クロなのに検察が罪に問えない決定的な何かをこの目で確かめたい。そんな気持ちに駆り立てられるんです」
「物好きだねぇ、キミも」
仕方が無いと言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「だったら、僕も同行しよう」
ポケットから車のキーを取り出すと、それを静夜に向かって放り投げた。
慌ててキーをキャッチすると、残っていたコーヒーが床に零れ落ちた「もう!」
「私が運転ですか!?」
「僕は所長だよ」
掛け合いながらの出発の準備。
玄関のドアが開いた。「ただいまご帰還でござる~」理依が戻ってきたのだ。
「理依、アナタも付いて来なさい」
静夜は何の説明もしてくれない。が。
「ジュースは冷蔵庫に仕舞って!」
的確な指図だけは送ってくれる。
三人は被疑者に会いに拘置所へと向かった。
そこに元検事で今は弁護士の追風・静夜が務めるファーム法律事務所がある。
頭に付いている『Firm』とは?
複数の出資者たる経営者(つまり、この場合、弁護士資格を持つ弁護士)が設立した“企業体”を、アメリカでは“パートナーシップ”、イギリスでは“ファーム”と呼ぶ事から、単に呼称しやすい名前を持ち出してきただけ。
早い話が事業運用形体をそのまま会社の名前に宛てている。
静夜は窓から下を流れる鴨川を眺めながらカップに注がれたコーヒーを口に含んだ。
雲にせよ川にせよ、ただ自然に流れるものを目にしていると、何故か心が落ち着く静夜であった。
「休憩中のところ良いかな?」
共同経営者でありファーム法律事務所の所長を務める一二三・六角が声を掛けてきた。
少々偉そうぶったところはあるが、かつて経営が苦しかった時でも怪しい依頼には絶対に手を出さずにキッパリと断ってきた、なかなかな正義感の持ち主。
だけど経営が軌道に乗るまでは本当に苦労が絶えなかった。
大手の弁護士事務所から独立しての根っからの弁護士で静夜とは5つ上の年齢なのだが、側頭部後頭部を残して天辺はキレイに禿げ上がっている。そんな彼の頭部を目にすると、静夜は自身の年齢に危機感を覚える事がたまにある。
「何でしょう?所長」
訊ねた。
「所長はヤメようよ。キミと僕との間柄なんだしさ。対等で行こうよ。シズヤ君」
「でも、周りの目もありますし…『いーの、いーのよ。シズヤ君。僕の事は六角さんでOKよ』
戸惑う静夜の声に被せる。
「用件は…何でしょうか?」
「んー、できれば敬語も止めて欲しいんだけどなぁ。っと用件ね。実は奇妙な依頼が来てね。裁判所の方から」
裁判所となると、自ずと依頼者は逮捕された被疑者となる。
「国選弁護人のご依頼でしょうか?」
国選弁護人とは、貧困などの理由により被疑者やその家族が私選弁護人を立てられない場合、裁判所が選ぶ弁護人の事。決して裁判に有利になるように選ぶものではありません。
「被疑者はすでに勾留されてはいるけれど、キミのような弁護人をご指名なんだとさ。つまり私選弁護人として依頼したいと申し出ているのだよ」
「は、はぁ…」
用件を伝える六角の表情も冴えない事から、彼も乗り気ではないと雰囲気で伝わってくる。そんな彼の意図を見抜いてしまうと自然に溜め息交じりの返事になってしまう。
「あの…私のような弁護人と申されますと?」
皆まで言わなくとも分かっているのだが…。
「うん、まぁ…」
持ち掛けておきながら、とても言い出し辛さそう。彼の心が手に取るように分かる。
「刑事裁判に勝ててない弁護人?そんな弁護士を御所望なんだってさ」
薄々感じていたが言葉に出されてしまうと、口調は軽くともやはり精神的ダメージは大きい。
それにしても、何とも奇特な人物なのだろう?とことん自身を不利な状況に追いやって、死刑に追い込む極端な輩ではあるまいか?
「六角さん?先ほどから気になっているのですが、私がこの依頼を受けない事をお望みなのではありませんか?」
悩みでも鬱憤でも吐き出せば気は楽になるだろう。そんな気持ちで思い切って訊ねてみた。
「正直言うと、僕は君にこの件には関わって欲しくないねぇ。考えてもみなさいよ。被疑者は状況証拠では完全にクロだけど証拠が何一つ出て来てない。しかも本人は犯行を認めている。普通に裁判に持って行けば冤罪は確実。だけど、それなのに何故、彼はわざわざ“勝てない弁護人”を立ててまで裁判に臨もうとするのか?その理由が分からない」
「あのですね、六角さんは、私がもしもこの刑事裁判で負けたら刑事裁判に於いて弁護士生命に引導を渡される事を危惧されているんですよね?」
バツが悪そうに、六角はその通りと頭を掻いて頷いて見せた。
いくら勝ち星が無いからって、そこまで信用が無いのかい?
それにしても。
静夜は窓にもたれかかって下を通る川端通りに目を移した。
すると、ちょうど信号待ちをしているパラリーガルの釘打・理依の姿が目に映った。
2リットルペットボトル飲料の入ったコンビニ袋を肩に担ごうと振り回したら、勢いが付き過ぎて自らの後頭部に直撃している。
あの子は何をやっているのだ?
しかし、彼女を見ていると、いつ何時であっても決して気を抜くなと警鐘を鳴らされている気分になる。
勝ちしか見えない状況でも絶対に油断はするな。
「引き受けます」
静かに答えを告げた。
「シズヤ君?目先のニンジンを追い掛けていたら壁にブチ当たる―」
「あの…私、馬やロバじゃないんですから、その例えは止めてもらえませんか」
六角の危惧するところは重々承知の上。
「油断をすれば足元をすくわれる事は肝に銘じておきます」静夜は続ける。
「もしかしたら、彼、単に無実を勝ち取るつもりではないでしょうか?例え後で彼が犯行に及んでいたと分かったとしても、日本の刑事裁判は“一事不再理”が原則なために二度と彼を罪に問う事はできない」
「あのね、君に言われなくても、それくらいは理解しているよ。僕はね、キミにヤツの犯行の片棒を担いで欲しくないからこの件に関して乗り気じゃないんだよ」
とても有難い上司ではある。だけど、一方で人として真理を追究したい思いもある。
静夜はこめかみに指を当て。
「何かこう…引っ掛かるところがあるんです。その男の“自信”の源は何なのか?クロなのに検察が罪に問えない決定的な何かをこの目で確かめたい。そんな気持ちに駆り立てられるんです」
「物好きだねぇ、キミも」
仕方が無いと言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「だったら、僕も同行しよう」
ポケットから車のキーを取り出すと、それを静夜に向かって放り投げた。
慌ててキーをキャッチすると、残っていたコーヒーが床に零れ落ちた「もう!」
「私が運転ですか!?」
「僕は所長だよ」
掛け合いながらの出発の準備。
玄関のドアが開いた。「ただいまご帰還でござる~」理依が戻ってきたのだ。
「理依、アナタも付いて来なさい」
静夜は何の説明もしてくれない。が。
「ジュースは冷蔵庫に仕舞って!」
的確な指図だけは送ってくれる。
三人は被疑者に会いに拘置所へと向かった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~
ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。
休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。
啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。
異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。
これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
卒業パーティーのその後は
あんど もあ
ファンタジー
乙女ゲームの世界で、ヒロインのサンディに転生してくる人たちをいじめて幸せなエンディングへと導いてきた悪役令嬢のアルテミス。 だが、今回転生してきたサンディには匙を投げた。わがままで身勝手で享楽的、そんな人に私にいじめられる資格は無い。
そんなアルテミスだが、卒業パーティで断罪シーンがやってきて…。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる