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第2話 記憶と違わぬ、君

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 俺と彼との間に、聞いたことがある声が入ってくる。

 見ると記憶に残っている姿より少し大人びた横顔のあいつが、俺の腕を掴んでいる彼の腕を引きはがそうとしていた。

 俺の記憶が正しければ大学進学を気に地元を出たと聞いていた。同窓会などに参加しなければもう二度と会わないと思っていた相手。

 一目で記憶に残っているアイツだってわかったのは、昼間偶然仕事の打ち合わせで顔を合わせた時に、似ているなって思ったから。

 直接言葉を交わさなかったけど、十年くらい想っていた相手の事を簡単に忘れることが出来なかった。

 忘れようと色々な恋をしてきた。大学進学の時を最後に君と離れて交わることのない時間だと割り切って。

 忘れたくても忘れられない自分が悪くて、今回みたいに成り行きで付き合ったりするから相手を傷つける。

 付き合ってみたらもしかしたら好きになれるかもしれないって淡い期待をして無理やり付き合って時間を共有していたのに、最終的には相手を傷つけていた。

 会社の人に白い目で見られたくないから必死に隠していて、こんな目立つ行動をしない様に細心の注意を払っていたのに、最期は路上で恋人が泣いて引き留める現場を作ってしまっている。

 俺のどこにそこまで好きになる要素があるのか分からなかった。

 俺よりもいい男は沢山いるのに、それなのに、彼は俺を追いかけてくる。一度寝ただけで心を開いて全部さらけ出してくる。

 俺は君に真実を垣間見せたのはほんの僅かな面だけ。

 一緒に野球をやっていた頃の俺なんてこれっぽっちも残っていない。

 真剣に挑んでいた俺と甲子園を目指したあの頃のキラキラした、未来に希望を抱いていた俺はどこにもいない。

 それなのに僕のヒーローだった君は俺を守ろうと必死に寄り添っても居なかった俺の心を取り戻そうと縋ってくる恋人との間に立ちふさがっている。

「関係ない奴は引っ込んでいてください」

 いい子を騙すような形で付き合ってしまった最低な男。そんな俺のどこがよくて、彼は俺と別れるのを嫌がっているのかな。

 酔っぱらった勢いで一夜を共にするべきではなかった。遊んでいい相手と駄目な相手が居るのだとしたら、きっとつかの間の恋人になってくれた彼は遊んじゃいけない相手。

 初めは可愛い弟のような存在の彼。他愛のない話をしていて、友達の距離が居心地よくて、側に居たいと感じたけど、それが恋愛感情から来ていたわけではないのは初めから分かっていた。

 ヒーローを忘れるために、都合よく使おうとした俺が悪い。

 友人の距離を壊さなければ、いい関係に鳴れたかもしれない。自分の心を守るために、彼を利用したから、文句は全部聞くつもりでいた。

 例えば殴られたとしても、仕方ないものだと、受け入れるつもりだった。
不謹慎だと分かりながら、俺のことを覚えてくれたヒーローに胸が高鳴ってしまう。

 俺の心は君に心を奪われたまま。彼からしてみたら無関係な人間かもしれないけど、俺の心は君が占めている。伝えたことのない大きな気持ち。

 がやがやと、音がすると思うと、周囲に人だかりができていた。男同士の乱闘だと思ったのか、目を輝かせてみてくる奴もいる。

 俺達三人を見てコソコソ耳打ちをしている女性が見える。色恋沙汰で男たちが騒いでいたら自然と野次馬が増えていく。

 俺との間に入ったヒーローは俺よりも少し背が低い。体つきは学生の頃と変わらないで、肉付きが良かった。何か運動を続けているのかなと思いをはせる。

 俺を引き止めようと必死の彼と、どうして彼が怒っているか分からないヒーロー。俺は二人の間でこの話を丸く収める方法を模索していた。

 例えば俺が他の誰かに心動かされるのだとしたら、忘れたくても忘れられないヒーローを忘れること。

 強いていうなら、俺が恋人関係になるのに一歩踏み出すのならば、俺に訴えかけるよりもヒーローに対する恋心を無くすのが一番かもしれない。

 初恋を拗らせて数十年。簡単に揺れ動くものとは思えないけど。

 自然と彼を見上げる形になるヒーローは不審な人物を見るような目で、彼のことを見ていた。

「知り合いが殴られているのを見て、放っておけないですよ」

 合っているよな、と探るような瞳を俺の方に向けてきた。男が好きだとカミングアウトをしたくない。

 友人関係に慣れるのなら、俺は学生時代の様に時を共にしたい。自分に甘い俺はどう返答するか悩む。

 数年ぶりにあったのに気がついてくれことにドキドキしてしまう。昼間会ったのは間違いじゃなかったんだって安心する。

「僕に、見せてくれない顔」

 彼は痺れを切らしたのか、彼は俺の腕を再度掴もうとした。

「相川さんと大切な話をしているんです」

 彼が俺の事を名前で呼びたがっていたのを知っていた。俺の名を呼んでいいのは、ヒーローの陽翔だけ。

 小学生の頃からの幼馴染で、数えきれないほど「仁」と名を呼んでもらった。進路で離れ離れになってから声を忘れたくなくて、特別親しい人以外には名前呼びを無意識に断る徹底ぶりをしていた。

 二度と会うことが無いと思っていたから、忘れたくなかった。

 君が構えるミットに向かって俺がボールを全力で投げていた学生時代。あの時間がいつまでも続いて欲しかった。

 高校時代に俺が怪我をして突然終わってしまった関係。時間を共有することをもう一度願ってもいいのだろうか。

 彼の間に立つ陽翔は俺と彼を見比べてでもやっぱり表情は険しいままだった。

「穏便に話しているようには見えませんでした」

 陽翔には高校の時彼女が居たのを覚えている。俺が男性に興味があると知られたら距離を取られると思って感情を隠していた。
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