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エピソード6.5

【枯れない花】

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「ただいま~」

 まだ夕方の時間、当然ながら師匠はいない。
 ディアナも女友達とお茶会というか、慰労会というか、そんな感じで一緒にいる。とにかく何か食べて来るだろう。
 今回襲撃の被害に遭ったなかにディアナの友人の長耳種の子がいたけど、長耳種は一般的に容姿が愛らしいことと、ショックに弱いことが有名だ。
 場合によっては強いショックを受けるだけで死んでしまうこともあるらしい。
 女の子達のお茶会は、被害を受けた子のショックをやわらげることが目的なのだろう。
 明らかに彼女達に頼りにされているっぽいディアナがいることで、少しでも精神的な安心を得ることが出来るのならなによりの話だ。
 とは言え、ディアナも疲れているんじゃないかと思うから、嫌がるようなら止めるつもりだったけど、友達に囲まれていたとき、いつもより力が抜けていて嬉しそうだったし、問題はなさそうだった。
 ほんと、いつの間にか友達いっぱい作っていて、安心すると同時にちょっと嫉妬する気持ちもある。
 やっぱり異性の友人って同性の友達には勝てないよね。

 あ、やばい、ちょっと落ち込みそう。

「キュウ?」

 玄関を入って溜息を吐いた僕に、ハルが不思議そうにまとわり付いた。

「あ、ハル起きたのか、何を食べたい?」

 どうしようもないことに落ち込んでも仕方ないので気持ちを切り替える。
 そもそも同性じゃあ恋人になれないからね。
 ん? そうでもないのか……。
 まぁ、とにかく僕は異性が好きだし、ディアナだってきっと異性と恋愛するはずだ。
 ……なんだか不安になって来た。
 ……大丈夫だよね?

「キュ~」
「ああ、はいはい、ご飯ね、ご飯」

 ハルが急かせるように髪を引っ張る。
 ハルのおかげで変なことに悩まなくて済む。
 ありがたいな。
 キッチンに行って保冷庫をチェックしようと、キッチンへと続く居間の戸を開ける。

「ん?」

 居間に入ると違和感に気づき、視線を動かす。
 あれ? あんなところに灯りがあったっけ?
 カーテンを閉めた部屋は夕方だけどすでにほんのり暗く、部屋の大半は闇に沈んでいるはずなのだけど、窓際の一画がわずかに光を帯びていた。
 近づいてみると、なんとそれは、ずっと枯れないでいた一輪挿しに入った花だった。
 花がほんのりと光を放っているのだ。
 驚いてその花に触れると、それは植物の柔らかさではなく、ガラスを思わせる硬さを持っていた。

「え?」

 驚いた拍子にその花を取り落としてしまう。
 ガラスのような触感と、繊細な形から、僕はそれが床で砕けてしまうと思った。

「あ、れ?」

 しかし僕の予見は外れて、その花はキン! と、金属が弾かれたときのような僅かな音を立てただけで、無傷で床に転がった。
 僕はそっともう一度その花を手に取る。
 細い茎から伸びた糸のように細い葉っぱも、薄く光が透ける花びらも、ヒビ一つ入った様子はない。

「どうなっているんだろう、これ」

 不思議だ。
 そして改めて観察してわかったのだけど、この花の周囲は、なんというか空気が澄んでいるような気がする。
 僕は元々郊外暮らしだったから、都会に越して来て、その空気の悪さに辟易していたことがあった。
 しかしこの花の周囲にはその都会らしい澱みがない。
 それに部屋全体にも、うっすらと、郊外の山野のような空気感があった。

「ハル、これはなに?」

 花をこんな風に作り変えてしまったのだろう当のハルに尋ねてみたけど、ハルは「キュウ! キュウ!」と、怒ったように僕の髪を引っ張るばかりで、答えてくれそうもない。
 うぬぬ。
 仕方ない、この花についてはまた後で調べてみよう。
 僕は保冷庫を漁ってりんごとアケビを取り出してハルに示した。
 ハルは欲張りにも両方取ろうとしたが、どちらにしろ一個食べ切れるかどうかなのに二個は絶対に無理である。
 
「ダメ! どっちか片方!」
「キュン」

 僕が言い聞かせると、しょんぼりしながらも、アケビを選ぶ。
 熟していていかにも食べ頃の甘い匂いを放っているからね。そりゃあ食べたいよね。
 アケビを割って皿に出してやりながら、僕は考える。
 ハルはほぼ間違いなく僕たちの言っていることは大体理解出来る。
 しかし難しいことは理解出来ないし、ハル自身も説明することは出来ない。
 花についてハル自身が理解しているかどうかも怪しかった。

 こういうのに詳しい人を僕は一人知っている。
 そう、我がサークルの部長どのだ。
 あの人は博学な上に、顔が広くて高等部の各研究室とのコネクションを持っている。
 言えば調べてくれるだろう。
 問題は、それでハルに対して変な興味を掻き立てられて怪しげな実験をしたりしないかということだ。

「う~ん」

 こういうことは一人で考えても結論は出ない。
 ディアナが帰ったら意見を聞いてみよう。
 妖魔のなかには宝石を生み出すというものもいたらしいし、ハルの能力もそうおかしい話でもなさそうだし。
 案外、さらっとこの花がどういったものなのかもわかって、ハルに危害を及ぼすようなことにはならないかもしれないしな。
 僕は保冷庫の中身をちらっと見る。
 さしてお腹が空いてない。
 生ハムを二枚ほど取り出して、口に入れ、蒸留水を飲む。
 都会に来てまず驚いたのが、水道水をそのまま飲むなと言われたことだったな。
 水道水は強い消毒作用のある薬を使っていて、しかも徹底的にフィルターをかけているのでそのまま飲んでも健康被害は無さそうなものだけど、師匠の家のある辺りは飲食店が少なく、中継フィルターがないらしい。
 水道管の取替工事などは滅多に行われないので、飲料水としては怪しい状態になっているそうなのだ。
 そもそも都会は人が住む前提で開発されていない。
 飲料水としてふさわしいかどうかなどは飲食店のものはチェックされるけど、オフィスビル街であるこの辺りはおざなりなのだ。
 大前提として、政府としては都市部に人が住んで欲しくない。
 石棺病の患者を増やしたくないからね。
 そりゃあ住環境を整える訳ないよね。

 アケビを食べきったハルは、またしてもぐーすか寝転んでいた。
 なんという自由。
 羨ましい。
 とは言え、僕も今日は疲れた。
 白先輩のこと、ディアナの友達のこと、ハルの力のこと、色々気になることはあるけど、全部もう今日は無理だ。
 とにかく一度仮眠を取ろう。

 僕はテーブルの上を片付けると、腹を上に向けて、いわゆる開きと言われるポーズですやすや寝ているハルを抱えて部屋に入るとベッドに寝転んだ。

「なんで……」

 意識が少しずつぼんやりとどこかへと沈んで行く。
 ふと、沈む意識のなかで無慈悲な手が女の子を捕まえる瞬間が蘇った。

「助けない……と……」

 まぶたの裏に、暗闇の中から伸ばされた小さな白い手が浮かんだ。
 檻のなかで全てを諦めながらも、それでもなお、助けを求めた小さな手。
 僕はあのときから、少しは何かが出来るように変われたのだろうか。
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