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エピソード8 【目覚めの日】
その四
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「ならば今ここでやれ」
山河さんがそう言った。
僕は思わず顔を上げて彼が本気かどうかを確認してしまう。
「え? でも、本当に効果があるかどうかまだわからないんですよ。ぶっつけ本番で何かあったら……」
そう言った僕の言葉にかぶせるように、山河さんが言葉を発する。
「何かってなんだ? 坊主が魔王とやらになっちまう以上にわりぃことがあるのか? 俺ぁよ、この坊主がガキの頃から知ってるからわかる。こいつが具合が悪いのを顔に出すようなら、それはもうギリギリなんだよ。あんまり時間がねぇ」
その言葉に、僕はハッとして白先輩を見た。
先輩はバツが悪そうに顔をそむけたけど、確かにその顔には憔悴の色が濃い。
これは本当に、もう時間がないのか?
「それにな、俺はこれが天の時だと思うんだ」
「天の時?」
「ああ。実はな、俺のテリトリーは狭めれば一種の結界のように頑丈な安全圏を作ることができる」
「! ……それは」
巨人の結界。
巨人が守護者として山や湖を管理する話は聞いたことがあるけれど、それが一種の能力で、結界のようなものにまで出来るなんて知らなかった。
でも、天の時ってどういうことだろう?
「今ここに、他の方法じゃどうにも出来ねぇ魔王化なんて呪いを受けた坊主がいて、それをどうにか出来そうなお前さんがいる。そして俺ぁ頑丈な結界を張れるし、そこの嬢ちゃんは、誕生したばっかりの魔王なんざ目じゃねえんじゃねえか?」
「っ! ディアナに魔王を倒せと!」
「私、出来るよ」
カッとして、抗議の言葉を叫ぼうとした僕の横で、ディアナが静かに言った。
「ディアナ!」
「ううん、出来るんじゃない。やるよ。だって、魔王は魔人以外を憎んでいるんでしょう? そうしたらイツキも殺そうとするよね? なら私は迷わない。絶対に殺す」
「……ディアナ」
それは、駄目だ。
ディアナに人殺しをさせるなんて。
ましてや白先輩を殺させるなんて。
ディアナは白先輩に何の責任もないことを知っている。
知っていながら、魔王になったから殺すなんて割り切れる訳がない。
ディアナは優しい娘だ。
絶対に心に深い傷を負うだろう。
「天の時……神様が僕たちを試していると?」
「馬鹿言え。神様は俺たち一人一人の様子なんざ見えないんだろ? だから聖堂でみんなわざわざ報告するんじゃねえか。天ってのはな、神様のこっちゃねえんだ。もっと人間の意思に近いもんだ」
「人間の意思?」
「おうよ。あの時ああすればよかった。どうしてあの道を選んでしまったのか。そんな人間の後悔はな、死ぬ瞬間まで消えることはねえんだ」
後悔。
それなら僕もよく知っている。
あの時ディアナを責めてしまった僕自身を僕は決して許さないだろう。
「そんな後悔は、持ち主が死んじまったからって消え失せたりはしねえんだよ。天に昇って重い空気のように漂っている。そしてそれが囁くのさ。『今だ! 今やれ!』ってな」
「それって巨人の言い伝えか何かですか?」
「ちげえよ。どっかのお偉い聖者さまのお言葉さ。だがな、俺もそうなんじゃねぇかな、って思うことがときどきある。今もそうだ。こんな理想的な場と人間と時が一堂に会することなんか、もう二度とねぇんじゃないか」
「天の時……」
確かに山河さんが結界を作れて、白先輩の時間がもうないなら、今このとき以上のチャンスはもう二度とないかもしれない。
今を過ぎたら白先輩は姿を消して、どこかで魔王になって仲間に殺される。いや、きっと魔王派の人たちが邪魔をして、反対派の人たちが返り討ちになるかもしれない。そうしたら、魔王派の人たちが魔王を担ぎ上げて戦争が始まるだろう。
だけど、僕にとって、世界に戦争が起こることよりも、ディアナに罪のない人を殺させるほうが嫌だ。
薄情と言われてもいい。
白先輩よりもディアナが大事だ。
でも、それは、それは……。
「イツキ、やろう。私、イツキを信じてる。必ず成功するよ」
「ディアナ」
そうだ。
それは僕が僕を信じきれてないからだ。
僕は僕が白先輩を助けられると心の底から信じることが出来ない。
でも、ディアナが信じてくれる。
僕は僕を信じることが出来ないけれど、ディアナのことは信じることが出来る。
ディアナが僕を信じるのなら、僕は僕を信じなければならない。
「やってみます」
「逸水!」
僕の選択に、白先輩が信じられないものを見るように唖然とした顔をする。
「馬鹿なことを。今まで、解呪を試さなかったとでも思っているのか? 私の両親だって、試してみたさ。だけど無駄だった。呪いは私自身のなかにあるのだ。私が消え去らない限り、呪いもまた消えることがないのだ」
「僕がやろうとしているのは解呪ではありませんよ」
「なに?」
そう解呪ではない。
全ての存在は気を放つ。
木石ですらそれぞれの気を持っているのだ。
気というのはすなわち意思でもある。
存在するものには全て意思がある。
それがはっきりしているかそうでないかの違いでしかない。
その意思を形作っているのは何かと言えば、それは記憶だ。経験と言い換えてもいい。
つまり、今まで生きてきた先輩と、今から生まれる魔王なら、気の力のみを比べれば先輩のほうが強いはずなのだ。
ならば、先輩の気が魔王の気を屈服させることが出来るのではないか?
先輩の意思が魔王を飲み込むことが出来るのではないかと僕は考えたのだ。
普通の人は自分の気すら自由にコントロールすることは難しい。
存在の異なる気同士はなかなか交わることは出来ないけれど、絶対ではない。
ましてや読気の法を学んだ僕なら、いや、師匠なら間違いなく誘導出来ただろう。
未熟な僕でどれだけやれるのかわからない。
でも、やるしかない。
ディアナが僕を信じている以上、僕は僕を信じなければならない。
「白先輩、上半身裸になって、足を組んで座ってください。山河さんは、もしもの場合にそなえて結界をお願いします」
「ちょ、お前!」
「おう、わかった。おいてめえら! 聞いたな? わかったら場を外せ」
「ボス。それは聞けねえな。あんたの護りがあたしの役目なんだよ」
「お、俺っちは、場を外すゼ! がんばれよ! 坊主!」
用心棒のお姉さんはさすがだけど、カエルさんもさすがだった。
言った瞬間にはサッと駆け出して姿をくらませた。
いっそすがすがしいな。
「仕方ねぇな。じゃあ俺を護る以外の邪魔をするんじゃねぇぞ?」
「あいよ。頼まれたって関わらないさ」
うんうん、お姉さんも立ち位置が明確でいいな。
「気は確かか! 馬鹿な真似は止めるんだ。私は協力しないからな」
「先輩。試すだけ試せばいいじゃないですか。うまく行かなくてもそれはそれで元の通りでしょう? 今僕が何をしたからって魔王が急に目覚めるとは限らないんだし。むしろ僕が何かをしたから魔王が目覚めるのなら、それは手応えがあったということですよ」
「ぐっ、しかし、万が一のことがある」
「じゃあ先輩は、同族のお仲間なら犠牲にしていいんですか?」
「な!」
「そうでしょう。街の外で魔王を目覚めさせたとして、同族の方々が魔王に勝てるかどうかわからないんでしょう? ましてや魔王を崇拝する人たちが監視しているのに」
僕は自分の気持ちをねじ伏せて続けた。
「ディアナは絶対に負けませんよ。生まれたての魔王なんかに」
「……しかし」
白先輩も竜人であるディアナの力をある程度認めているのだろう。
少し気持ちが傾いたのがわかった。
そりゃあ長年苦楽を共にした同族を犠牲にするよりは、知り合って間もないディアナに任せるほうが気が楽だろう。
でも、僕は絶対に嫌だ。
だから、絶対に失敗しない。
渋々と、上着を脱いで床に座り込んだ白先輩の背後に僕は立ち、首の根元に手を当てた。
人の気は、背骨を中心に巡っている。
特に首のすぐ下にある頚椎は、気の発信源でもあった。
そこを探ったのだけど、感触が違う。
どうやら魔人の気は少々他の種族と違うみたいだ。
一つは羽の付け根に、一つは頭上、角がある辺りに気の流れが集中している。
とりあえず白先輩の気は把握した。
穏やかでゆったりとした気だ。
少し弱まっているけれど、病気などで衰弱している人のような弱まり方ではない。
その原因はずっと下のほう、遺伝子を作る場所にあった。
そこからまるで植物が伸びるように異質な気が伸びている。
まるでつる草のようだ。
大木さえ締め付けて殺してしまうという木に寄生するつる草のように、その異質で重みを感じさせる気がゆっくりと先端を上へと這わせている。
今この時も、それは伸び続けていた。
「っ!」
ゾクッとした。
そのつる草のようなくろぐろとした気が僕に気づいたように思ったからだ。
いや、思い違いなんかじゃない。ソレは僕に気づいて、白先輩の体に自らの気を伸ばす速度を上げたのだ。
「ぐっ!」
「ハク先輩!」
「どうした?」
「おそらく魔王に気づかれました。魔王化が始まります」
「ちぃ!」
その場に緊張が走る。
だけどまだ負けた訳じゃない。
「先輩! 抵抗してください! 魔王はそんなに強くない。今はまだ先輩のほうがその体の主なんです」
「ぐっ、抵抗して何になる? ……どうせ、どうせいずれは魔王に意識を乗っ取られるだけじゃないか」
「いいえ、これはどちらが体の主人になるかの戦いなんです。それなら今までこの体の主だったハク先輩のほうに強みがある。この攻撃がいつまでも続くのなら、いつかは折れてしまうかもしれません。でも、僕がそうはさせない。先輩は今は抵抗することに全力を傾けてください」
「……簡単に、言ってくれる」
「簡単じゃないですよ。だって、そのためにたくさん犠牲が出たんでしょう?」
「っ」
先輩が奥歯を噛みしめるのを感じた。
体内で揺らいでいた先輩の気が、まるで薪をくべられた炎のように力を取り戻す。
僕はその隙に、魔王の気の動きを誘導した。
体内で円を描くように巡らせ、先輩の気とぐるぐると追いかけっこをするように脊髄の方から逸らす。
それは、まるで二匹の竜が互いを飲み込もうとしているかのようだった。
首から上へと上がるのさえ阻止出来れば、このまま魔王の気を無力化してみせる。
僕は魔王の気の根元を枯らすように気の流れをコントロールした。
先輩の気に食らいついている間に、潜伏場所を先輩の気でコーティングしてしまう。
「あ、ぐうう……」
「ハク先輩!」
黒い魔王の気が膨れ上がった。
白先輩の気が、段々とそれに飲まれてグレーに染まる。
さらに黒い気が、周囲を威圧するように体から溢れ出す。
くそっ、思ったよりも魔王の気が強い。
記憶も意思もないくせに、呪いなんかで人を塗りつぶそうなんて!
――……リィイイン!
「え?」
まるで場違いな鈴の音が響いた。
いや、鈴の音のような声だ。
それは、ディアナの腕のなかから飛び立って、先輩に向かって羽ばたいた。
「ハル?」
「……きれい」
ハルは今までのずんぐりむっくりのぬいぐるみのような体から、ほっそりとした小さな竜の姿になっている。
そしてその背中には、まるで透き通った花のような羽がある。
その羽は周囲にやわらかな淡い桜色の光を放ちながら徐々に広がり続けた。
ハルはそのまま、白先輩の胸に頭突きをするように飛び込んだ。
白先輩はそんなハルを受け止めると、驚いたようにその姿を見る。
その相貌から、ふいに涙が溢れ落ちた。
「本当は、本当は……私は何も諦めたくはなかった。両親が生きろと言った言葉を、呪いだとは思いたくなかった。生きたい。もっと、世界を、美しく生きるものたちを見ていたい!」
絞り出すような叫びが白先輩の口からあふれる。
いったい何が起きたのか、僕にはわからなかったのだけど、その途端に、白先輩の気がまるで内から光を放つように輝いた。
魔王の気が怯むのを感じる。
今だ!
「おとなしくハク先輩の一部に収まれ!」
根を絶たれ、頭を押さえられた魔王の気は、ぐるぐると回りながら丸まって小さな黒い珠となって白先輩の心臓の隣に収まった。
気を探ってみたのだけど、それにはもう呪いを感じることがない。
淡く気を放つ、鉱石のような存在になっていた。
はぁと息を吐いて顔を上げると、白先輩の真っ白だった羽が、真っ黒に染まっている。
ぎょっとして更に上を見ると、髪は銀色のままだった。
いや、前よりも少し、青みが掛かっているような気がする。
「ハク先輩、大丈夫ですか?」
声を掛けてどうなったかを確かめようと一歩下がった。
と、ぐらりと体が揺らぐ。
「イツキ!」
僕の体をディアナが受け止めてくれたのを感じる。
改めて自分の様子を確認すると、まるで服を着たまま水浴びでもしたかのように全身がぐっしょりと濡れていた。
「気づかないうちにシャワーでも浴びたかな?」
そして、僕はマヌケなことに、そんな言葉を最後に記憶が途切れてしまったのだった。
山河さんがそう言った。
僕は思わず顔を上げて彼が本気かどうかを確認してしまう。
「え? でも、本当に効果があるかどうかまだわからないんですよ。ぶっつけ本番で何かあったら……」
そう言った僕の言葉にかぶせるように、山河さんが言葉を発する。
「何かってなんだ? 坊主が魔王とやらになっちまう以上にわりぃことがあるのか? 俺ぁよ、この坊主がガキの頃から知ってるからわかる。こいつが具合が悪いのを顔に出すようなら、それはもうギリギリなんだよ。あんまり時間がねぇ」
その言葉に、僕はハッとして白先輩を見た。
先輩はバツが悪そうに顔をそむけたけど、確かにその顔には憔悴の色が濃い。
これは本当に、もう時間がないのか?
「それにな、俺はこれが天の時だと思うんだ」
「天の時?」
「ああ。実はな、俺のテリトリーは狭めれば一種の結界のように頑丈な安全圏を作ることができる」
「! ……それは」
巨人の結界。
巨人が守護者として山や湖を管理する話は聞いたことがあるけれど、それが一種の能力で、結界のようなものにまで出来るなんて知らなかった。
でも、天の時ってどういうことだろう?
「今ここに、他の方法じゃどうにも出来ねぇ魔王化なんて呪いを受けた坊主がいて、それをどうにか出来そうなお前さんがいる。そして俺ぁ頑丈な結界を張れるし、そこの嬢ちゃんは、誕生したばっかりの魔王なんざ目じゃねえんじゃねえか?」
「っ! ディアナに魔王を倒せと!」
「私、出来るよ」
カッとして、抗議の言葉を叫ぼうとした僕の横で、ディアナが静かに言った。
「ディアナ!」
「ううん、出来るんじゃない。やるよ。だって、魔王は魔人以外を憎んでいるんでしょう? そうしたらイツキも殺そうとするよね? なら私は迷わない。絶対に殺す」
「……ディアナ」
それは、駄目だ。
ディアナに人殺しをさせるなんて。
ましてや白先輩を殺させるなんて。
ディアナは白先輩に何の責任もないことを知っている。
知っていながら、魔王になったから殺すなんて割り切れる訳がない。
ディアナは優しい娘だ。
絶対に心に深い傷を負うだろう。
「天の時……神様が僕たちを試していると?」
「馬鹿言え。神様は俺たち一人一人の様子なんざ見えないんだろ? だから聖堂でみんなわざわざ報告するんじゃねえか。天ってのはな、神様のこっちゃねえんだ。もっと人間の意思に近いもんだ」
「人間の意思?」
「おうよ。あの時ああすればよかった。どうしてあの道を選んでしまったのか。そんな人間の後悔はな、死ぬ瞬間まで消えることはねえんだ」
後悔。
それなら僕もよく知っている。
あの時ディアナを責めてしまった僕自身を僕は決して許さないだろう。
「そんな後悔は、持ち主が死んじまったからって消え失せたりはしねえんだよ。天に昇って重い空気のように漂っている。そしてそれが囁くのさ。『今だ! 今やれ!』ってな」
「それって巨人の言い伝えか何かですか?」
「ちげえよ。どっかのお偉い聖者さまのお言葉さ。だがな、俺もそうなんじゃねぇかな、って思うことがときどきある。今もそうだ。こんな理想的な場と人間と時が一堂に会することなんか、もう二度とねぇんじゃないか」
「天の時……」
確かに山河さんが結界を作れて、白先輩の時間がもうないなら、今このとき以上のチャンスはもう二度とないかもしれない。
今を過ぎたら白先輩は姿を消して、どこかで魔王になって仲間に殺される。いや、きっと魔王派の人たちが邪魔をして、反対派の人たちが返り討ちになるかもしれない。そうしたら、魔王派の人たちが魔王を担ぎ上げて戦争が始まるだろう。
だけど、僕にとって、世界に戦争が起こることよりも、ディアナに罪のない人を殺させるほうが嫌だ。
薄情と言われてもいい。
白先輩よりもディアナが大事だ。
でも、それは、それは……。
「イツキ、やろう。私、イツキを信じてる。必ず成功するよ」
「ディアナ」
そうだ。
それは僕が僕を信じきれてないからだ。
僕は僕が白先輩を助けられると心の底から信じることが出来ない。
でも、ディアナが信じてくれる。
僕は僕を信じることが出来ないけれど、ディアナのことは信じることが出来る。
ディアナが僕を信じるのなら、僕は僕を信じなければならない。
「やってみます」
「逸水!」
僕の選択に、白先輩が信じられないものを見るように唖然とした顔をする。
「馬鹿なことを。今まで、解呪を試さなかったとでも思っているのか? 私の両親だって、試してみたさ。だけど無駄だった。呪いは私自身のなかにあるのだ。私が消え去らない限り、呪いもまた消えることがないのだ」
「僕がやろうとしているのは解呪ではありませんよ」
「なに?」
そう解呪ではない。
全ての存在は気を放つ。
木石ですらそれぞれの気を持っているのだ。
気というのはすなわち意思でもある。
存在するものには全て意思がある。
それがはっきりしているかそうでないかの違いでしかない。
その意思を形作っているのは何かと言えば、それは記憶だ。経験と言い換えてもいい。
つまり、今まで生きてきた先輩と、今から生まれる魔王なら、気の力のみを比べれば先輩のほうが強いはずなのだ。
ならば、先輩の気が魔王の気を屈服させることが出来るのではないか?
先輩の意思が魔王を飲み込むことが出来るのではないかと僕は考えたのだ。
普通の人は自分の気すら自由にコントロールすることは難しい。
存在の異なる気同士はなかなか交わることは出来ないけれど、絶対ではない。
ましてや読気の法を学んだ僕なら、いや、師匠なら間違いなく誘導出来ただろう。
未熟な僕でどれだけやれるのかわからない。
でも、やるしかない。
ディアナが僕を信じている以上、僕は僕を信じなければならない。
「白先輩、上半身裸になって、足を組んで座ってください。山河さんは、もしもの場合にそなえて結界をお願いします」
「ちょ、お前!」
「おう、わかった。おいてめえら! 聞いたな? わかったら場を外せ」
「ボス。それは聞けねえな。あんたの護りがあたしの役目なんだよ」
「お、俺っちは、場を外すゼ! がんばれよ! 坊主!」
用心棒のお姉さんはさすがだけど、カエルさんもさすがだった。
言った瞬間にはサッと駆け出して姿をくらませた。
いっそすがすがしいな。
「仕方ねぇな。じゃあ俺を護る以外の邪魔をするんじゃねぇぞ?」
「あいよ。頼まれたって関わらないさ」
うんうん、お姉さんも立ち位置が明確でいいな。
「気は確かか! 馬鹿な真似は止めるんだ。私は協力しないからな」
「先輩。試すだけ試せばいいじゃないですか。うまく行かなくてもそれはそれで元の通りでしょう? 今僕が何をしたからって魔王が急に目覚めるとは限らないんだし。むしろ僕が何かをしたから魔王が目覚めるのなら、それは手応えがあったということですよ」
「ぐっ、しかし、万が一のことがある」
「じゃあ先輩は、同族のお仲間なら犠牲にしていいんですか?」
「な!」
「そうでしょう。街の外で魔王を目覚めさせたとして、同族の方々が魔王に勝てるかどうかわからないんでしょう? ましてや魔王を崇拝する人たちが監視しているのに」
僕は自分の気持ちをねじ伏せて続けた。
「ディアナは絶対に負けませんよ。生まれたての魔王なんかに」
「……しかし」
白先輩も竜人であるディアナの力をある程度認めているのだろう。
少し気持ちが傾いたのがわかった。
そりゃあ長年苦楽を共にした同族を犠牲にするよりは、知り合って間もないディアナに任せるほうが気が楽だろう。
でも、僕は絶対に嫌だ。
だから、絶対に失敗しない。
渋々と、上着を脱いで床に座り込んだ白先輩の背後に僕は立ち、首の根元に手を当てた。
人の気は、背骨を中心に巡っている。
特に首のすぐ下にある頚椎は、気の発信源でもあった。
そこを探ったのだけど、感触が違う。
どうやら魔人の気は少々他の種族と違うみたいだ。
一つは羽の付け根に、一つは頭上、角がある辺りに気の流れが集中している。
とりあえず白先輩の気は把握した。
穏やかでゆったりとした気だ。
少し弱まっているけれど、病気などで衰弱している人のような弱まり方ではない。
その原因はずっと下のほう、遺伝子を作る場所にあった。
そこからまるで植物が伸びるように異質な気が伸びている。
まるでつる草のようだ。
大木さえ締め付けて殺してしまうという木に寄生するつる草のように、その異質で重みを感じさせる気がゆっくりと先端を上へと這わせている。
今この時も、それは伸び続けていた。
「っ!」
ゾクッとした。
そのつる草のようなくろぐろとした気が僕に気づいたように思ったからだ。
いや、思い違いなんかじゃない。ソレは僕に気づいて、白先輩の体に自らの気を伸ばす速度を上げたのだ。
「ぐっ!」
「ハク先輩!」
「どうした?」
「おそらく魔王に気づかれました。魔王化が始まります」
「ちぃ!」
その場に緊張が走る。
だけどまだ負けた訳じゃない。
「先輩! 抵抗してください! 魔王はそんなに強くない。今はまだ先輩のほうがその体の主なんです」
「ぐっ、抵抗して何になる? ……どうせ、どうせいずれは魔王に意識を乗っ取られるだけじゃないか」
「いいえ、これはどちらが体の主人になるかの戦いなんです。それなら今までこの体の主だったハク先輩のほうに強みがある。この攻撃がいつまでも続くのなら、いつかは折れてしまうかもしれません。でも、僕がそうはさせない。先輩は今は抵抗することに全力を傾けてください」
「……簡単に、言ってくれる」
「簡単じゃないですよ。だって、そのためにたくさん犠牲が出たんでしょう?」
「っ」
先輩が奥歯を噛みしめるのを感じた。
体内で揺らいでいた先輩の気が、まるで薪をくべられた炎のように力を取り戻す。
僕はその隙に、魔王の気の動きを誘導した。
体内で円を描くように巡らせ、先輩の気とぐるぐると追いかけっこをするように脊髄の方から逸らす。
それは、まるで二匹の竜が互いを飲み込もうとしているかのようだった。
首から上へと上がるのさえ阻止出来れば、このまま魔王の気を無力化してみせる。
僕は魔王の気の根元を枯らすように気の流れをコントロールした。
先輩の気に食らいついている間に、潜伏場所を先輩の気でコーティングしてしまう。
「あ、ぐうう……」
「ハク先輩!」
黒い魔王の気が膨れ上がった。
白先輩の気が、段々とそれに飲まれてグレーに染まる。
さらに黒い気が、周囲を威圧するように体から溢れ出す。
くそっ、思ったよりも魔王の気が強い。
記憶も意思もないくせに、呪いなんかで人を塗りつぶそうなんて!
――……リィイイン!
「え?」
まるで場違いな鈴の音が響いた。
いや、鈴の音のような声だ。
それは、ディアナの腕のなかから飛び立って、先輩に向かって羽ばたいた。
「ハル?」
「……きれい」
ハルは今までのずんぐりむっくりのぬいぐるみのような体から、ほっそりとした小さな竜の姿になっている。
そしてその背中には、まるで透き通った花のような羽がある。
その羽は周囲にやわらかな淡い桜色の光を放ちながら徐々に広がり続けた。
ハルはそのまま、白先輩の胸に頭突きをするように飛び込んだ。
白先輩はそんなハルを受け止めると、驚いたようにその姿を見る。
その相貌から、ふいに涙が溢れ落ちた。
「本当は、本当は……私は何も諦めたくはなかった。両親が生きろと言った言葉を、呪いだとは思いたくなかった。生きたい。もっと、世界を、美しく生きるものたちを見ていたい!」
絞り出すような叫びが白先輩の口からあふれる。
いったい何が起きたのか、僕にはわからなかったのだけど、その途端に、白先輩の気がまるで内から光を放つように輝いた。
魔王の気が怯むのを感じる。
今だ!
「おとなしくハク先輩の一部に収まれ!」
根を絶たれ、頭を押さえられた魔王の気は、ぐるぐると回りながら丸まって小さな黒い珠となって白先輩の心臓の隣に収まった。
気を探ってみたのだけど、それにはもう呪いを感じることがない。
淡く気を放つ、鉱石のような存在になっていた。
はぁと息を吐いて顔を上げると、白先輩の真っ白だった羽が、真っ黒に染まっている。
ぎょっとして更に上を見ると、髪は銀色のままだった。
いや、前よりも少し、青みが掛かっているような気がする。
「ハク先輩、大丈夫ですか?」
声を掛けてどうなったかを確かめようと一歩下がった。
と、ぐらりと体が揺らぐ。
「イツキ!」
僕の体をディアナが受け止めてくれたのを感じる。
改めて自分の様子を確認すると、まるで服を着たまま水浴びでもしたかのように全身がぐっしょりと濡れていた。
「気づかないうちにシャワーでも浴びたかな?」
そして、僕はマヌケなことに、そんな言葉を最後に記憶が途切れてしまったのだった。
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