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異世界人とかいう男を拾う

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「お嬢様、あの、今日はこれからダンスの練習が……」
「私馬から落ちて足をくじいたから無理」
「えっ! 大丈夫ですか? お嬢様! 今すぐお医者様を!」

 慌てる侍女に微笑んで安心させる。

「気が早いわ。足をくじくのは今からなの。もしかすると途中で治ってしまうかもしれないけれど」
「え? は?」

 不思議そうな顔をした侍女は、まだ十歳になったばっかりぐらいかな?
 田舎の貴族家の行儀見習で来た娘だから純朴で可愛い。
 ああ、舞踏会に集まる良家の子女たちがみんなこんな風だったら私だって喜んで行くのにな。

「では、よろしくね」

 戸惑っている侍女を置いて、私はバルコニーから飛び出した。
 昔、私の部屋は一階の子供部屋だったのだけど、あまりにも脱走するからと、三階に移されてしまった。
 でも、バルコニーにロープをくくりつけてしまえば、三階程度はあまり苦にならない。

「ああっ! お嬢様!」

 可愛い侍女の悲鳴のような声が聞こえる。
 大丈夫、侍女頭もあなたをひどく叱ったりしないから。
 だっていつものことだもの。いちいち侍女を辞めさせていたら仕事が出来なくなってしまうわ。
 庭に下りた私は、そのまま馬小屋に向かう。
 藁と馬糞の香り。
 臭いと嫌う人も多いけれど、私は好きだな。馬は本当にかわいい。

「今日はどの子が仕上がってる?」
「お、お嬢、また今日は一段と勇ましいね。さすがは未来の公爵閣下」
「やめて。私が嫌いな話題とわかっていてそういう話をするのは」
「へへっ、一介の馬丁ごときが公爵家のお嬢様に失礼な口を利いたら首が飛んでしまいますからね」
「ならお前の首はもう何十回、いえ、何百回は飛んでるわね。恐ろしい、あなた不死者なの?」
「またまた、何百回はないでしょう?」
「一年に十回でも十年経てば百回になるのよ。絶対百回は越えているわ」
「お嬢は賢いなぁ」
「ほら、馬鹿言ってないで馬を用意して」

 馬小屋のなかは馬たちの体温と汗で暖かく湿気っている。
 毎日藁を取替えても、排泄物の臭いは染み付いているからその臭いも強い。
 だけど、よく干された藁の臭いと混ざって、それほど悪い臭いとも思えない。
 きっと私は変わっているのだろう。
 だれもがそう言うし。

「今日は姫が調子いいですね。ほうら、姫、お前の大好きなお嬢が来たぞ」

 ブルルッと、鼻息で返事をしてやさしい黒い目をこちらに向ける。
 馬はとても賢くて愛情深い生き物だ。
 そして人間の心をよく読む。
 プライドが高い馬たちは、弱い人間を馬鹿にすることもあるのだ。

「姫、ひさしぶりだな。気分屋のお前が機嫌がいいとか、さては森のベリーの香りを嗅ぎつけたか」
「ああ、もうそんな季節なんですね」
「お前はいつもそんなことを言うな」
「だって、お嬢、ここは季節はあんま気にならないですからね。出来るだけ温度を一定に保つのが俺らの仕事ですし」
「違いない」

 姫は真っ白な馬だ。
 額にほっそりとした角があることから一角獣の血が入っていると言われている。
 そのせいか、あまり男が好きではないようで、馬丁たちをさんざん手こずらせたと聞いていた。
 まぁそんな馬丁たちのなかにこの男、馬丁頭のジョンは入らないが。
 ジョンは姫に鞍を乗せて私用に調節すると、手早く貴族家の馬らしくたてがみを編み込んだ。
 熟練の早業である。

「それじゃあ行って来る」
「お気をつけて」

 私は姫にまたがり、屋敷の外へと飛び出す。
 無駄に広い城のような(まぁ城なんだが)屋敷の小道で姫の足を慣らし、城門のところではトップスピードとなっていた。

「あ、姫様!」

 門番が何か言っていたが、全てを聞き終える前に城の外へと飛び出していた。
 城下の街へは向かわず、城の外周をぐるりと回り込んで、横合いにある藪と藪の間の道へと進む。
 城の騎士たちが巡回用に使う森を横切る道だ。
 この深い森は宵闇の森と言う。
 その昔、恐ろしい魔物を封じた場所とされていて、未だ瘴気が強く、怪異が発生しやすい場所だ。
 こういった封印の地には王家の血を引く高位貴族が城を建てて封印の生きた楔として治めるのが習わしとなっている。
 王家の血には光が宿るとされて、その存在のみで瘴気を払う力があるのだ。
 しばらく馬を進めると、昼なお暗い森深くへと入り込む。
 鬱蒼としていて、人が作った道などすぐに飲み込んでしまう森だ。
 慣れない者なら、いや、慣れた者でも迷ってしまうこともある。
 だからこそ、定期的に巡回して、道を保持し、危険な怪異が姿を見せないかを確かめる必要があるのだ。

「ブルルッ!」
「どうした? 姫」

 勘の鋭い姫が、何かを感じたように足踏みをした。
 私は懐から銀の短剣を取り出し、魔感知のまじないを行う。
 脳裏に閃くものがあった。

「こっちか?」

 森深くに、怪しげな気配がある。
 かなり奥に入り込んだところで、激しい争いの様子が聞こえて来た。

「くそっ! やめろ!」
「ギャア! ギャア!」
「人?」

 こんな森の奥に入り込むとは、自殺志願か、無謀な遺跡荒らしか、外国の間者か、何にせよ碌なものではないだろう。だが、まぁ眼の前で死なれるのも気分が悪い。
 そっと窺うと、どうやら飛び首の群れに襲われているようだ。
 背中から弓を外し、矢筒から矢を取り出して射る。
 二匹仕留めて、弓を素早く肩に掛けると、茂みを飛び出した。

「助けてやる、危ないから動くなよ」

 剣を鞘走らせると、一気に二匹斬り、残った一匹を返す刃で断ち切った。

「はぁ、はぁ、おお、異世界テンプレキター! って、逆じゃね? 俺が助けるんだよな普通。しかも、相手男だし、いやいや、いくら美男子でもBLは守備範囲外だから、マジ勘弁」

 化物が全て倒され、安全と思ったのか、助けた男がペラペラと喋り出す。
 こいつ、頭が気の毒な奴なのか?
 何か意味のわからないことをまくし立てているぞ。
 まぁ私が男に間違われるのはこの格好では仕方ないし、いつものことだが、顔を褒めてくれたらしいことは評価しよう。

「で、貴様何者だ?」

 当然のことだが、私は抜き身の剣を馬上から男に突きつけて尋ねたのだった。
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