エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼

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過去と現在はひと連なりの詩(うた)

計画的に行動しよう! 後編

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 打ち合わせは淡々と進んだ。
 なにしろ高校までは日常的にハンターとしての仕事をやっていたので、今更戸惑ったりする事もない。

「そうなると基本的にはフリーの依頼は受けない方向だな」
「そう。教授の手伝いが主体。元々そのために無理を押して大学に入ったんだし」

 由美子の説明に俺達のチームの基本方針が決まる。
 大学生に成り立てである妹は、当分は学業が優先だ。
 なのでハンターとしての仕事は、指名があった場合かどうしても自分達でないとならないという特定の物だけということになりそうだった。
 これは俺としても助かる。
 しかし、話を聞いて思ったが、その教授、由美子を大学に迎えた理由には打算があったってことだよな?

 現地調査のためにハンターにガード依頼を出すと料金がかさむ上に内容に関しての詳細を報告しなければならない。
 だが学生として課外授業の一環としてハンター資格を持つ者を連れて行けば、費用も掛からないし内容も秘匿出来る。
 金銭的なことはもちろん、成果を競い合っているという研究者にとって、自分達の研究内容が外に漏れないということは、金銭に代えられない重要なことに違いない。
 とは言っても、ここの教授がそんな打算オンリーで由美子を受け入れようとしたんなら、対策室の連中が進学を許すはずもないから、由美子の才能云々の話は事実なんだろうな。
 何しろ、由美子の奴は我が家に伝わる古文書も、当主のみが見れるという秘伝書以外は全部読み解いたらしいし。

 その才能を恵まれているという者もいるかもしれないが、こいつは決して天才型じゃない。とことん努力家だ。
 鬼伏と呼ばれるこの国唯一の勇者血統の直系本家に生まれながら、特殊な力は一切持たなかった。
 おかげで由美子は小さい頃は随分苛められていたものだ。
 俺達が庇うにも限度があるし、小さい村社会、しかも弱肉強食が掟のような所だから仕方なかったのかもしれないが。
 おかげでその分、身内は際限なく甘やかすこととなった……。
 今は他にやりようがあったんじゃないかと反省しているが。子供だった当時にはその程度しかしてやれなかったしな。
 しかし、大人共は、もうちょっとこう、どうにか出来なかったのかな?子供の世界のことは口出し出来ないってのはあったのかもしれないけどよ。

「来週は教授が幻影迷宮トレースダンジョンで実験するとか言ってた」

 俺が一人感慨にふけっていると、由美子が不意打ちをかましてくれた。
 ゲフッ、茶が気管に!
 じゃねえよ! なんだって?

「ちょ、待て! 最近の大学は冒険者の真似事までするのか?」

 幻影迷宮は過去に踏破された迷宮を幻術で再現した仮想の迷宮ダンジョンだ。
 実際の迷宮は高価なアイテムを使うかボスを倒すまで脱出不可能なのだが、そんなもんにいきなり挑戦して生還出来るのは、桁外れの強さを持った連中か、むちゃくちゃ運がいい奴か一部の金持ちぐらいだろう。
 そうなると迷宮のほとんどは放置され、増え放題ってことになる。
 さすがにそれは困るので、考え出されたのがこの幻影迷宮トレースダンジョンシステムだ。
 仮想バーチャルの世界なら、うっかり死んでも仮想世界での話、現実には生きて経験を積める。
 ただ、痛みや恐怖はそのままなので、時々ショックで本当に死ぬ奴もいるというまことしやかな話もあったりするが、……まあ俺はそれは仮想だからと甘く見ないようにとの訓戒を込めて誇張された、ただの噂話だと思うけどな。
 なにしろボスを倒す以外脱出不可とかのハードな条件設定でもされていない限り、解除ワードでいつでも離脱可能なんだから、普通死ぬ前に逃げるだろ。

 ……条件設定といえば、年の始めに嫌な出来事があったな。
 俺が突っ込まれたのは普通の幻影バーチャルですら無かったしな!
 大人になったお祝いとか言って、封印捕獲した名有りの怪異ネームドモンスターとタイマンさせるとか、うちの家族のクレイジーさには涙が出るね、マジで。

「兄さん、臨戦時の気配になってる。そんなに怒ることじゃないよね?」

 由美子の指摘に我に返った俺は慌てて意識を切り替えた。

「あ、いや、ちょっと嫌なことを思い出しただけだ。それより幻影迷宮トレースダンジョンなんてハンターや冒険者が修行に使うもんだろ? よくもまあ使用許可が降りたな」

 俺の言葉に由美子は一瞬きょとんとすると、

「初級の迷宮ダンジョンは小学校入学のお祝いの定番だよね?」

 と、不思議そうに聞き返して来た。

「いや、うちの村の常識を世間一般に当て嵌めたら駄目だから、な」

 やばい、こいつ友達作らないから、せっかく一般常識を学ぶ機会だった村の人間以外と触れ合える高校時代もその辺スルーしちまったんだな。
 これは、その教授とやらと合わさると、怪しい常識がますます身について凄くマズい気がするぞ。

「そっか、だから他の人達がなんだか不安そうだったんだ。でも、心配いらないと思う」

 由美子は、世間の常識と自分の常識との剥離に少し驚いたようだったが、すぐに納得したようにそう言った。
 飲み込みが早いのは由美子の美点だよな。その調子でちゃんとした常識を身に着けて欲しいと、お兄ちゃんは切に願っています。

「というと?」
「うん。怪異と積極的に戦わないのと、外部モニタリングによるサポートが使用条件だから」

 それは確かに安全そうだが。

「怪異と戦わないって? なおさら迷宮に潜る目的がわからないんだが」

 そっちが戦う気が無くとも、相手は委細構わず襲って来るだろうけどな。

「発掘された碑文に記されていた術式が、迷宮内でのみ発動するんじゃないかってことで、実地で発動実験をするんだって」
「おいおい、それって大丈夫なのかよ。まあ対策室の連中がOK出したんなら大丈夫なんだろうけど、お前から見てその術式はどうなんだ?」

 そういう謎の術式の構成については由美子に聞くのが一番だ。
 それこそものごころついた頃には既にうちの古文書を絵本代わりに読んでいたし、昔の暗号じみた記述も普通に読み取れたりするからな。
 大学への推薦理由もその辺だったっぽいし、どうやら切実な問題としてその才能が求められていそうだ。

「迷宮内宿泊ビバーク用の術式だと思うけど、連動要素があるみたい。夢の欠片と」

 ん? その場合、幻影でやっても意味が無いんじゃ?

「幻影迷宮で出現する夢の欠片は、それこそ実体の無いものだろ? 実験の意味があるのか?」
「夢の欠片は別持ち込み」
「ああ、なるほど……条件としてはそれで大丈夫なのか?」

 なんとなく全容は読めた。
 幻影で環境を整えて、資材を持ち込んで本物に近付けた状態を作り出そうってことだな。

「教授は本物の迷宮ダンジョンに入りたかったらしいけど、許可が下りなかったみたい」
「そりゃあそうだろ」

 なんか話を聞くごとに、由美子を推したその教授に不安しか感じないんだが、大丈夫なのか? 学校の活動は俺にはどうしようも無いから尚更心配だぞ。

「あの、お話は終わりましたか?」

 遠慮がちなノックと共にうっとおしい顔が覗いた。
 どうでもいいが、相手の応答を待たないノックに意味があるのか?

「あ? 今度は本気で蹴られたいのか?」

 どうやら変態が懲りずに現れたようだ。
 手加減が過ぎたらしい。

「いえ! あの! 先程は申し訳ありませんでした! 憧れの方々が、しかも兄妹でいらっしゃって舞い上がってしまったのです! 決して不埒な想いでお邪魔した訳では無いのです! 実は私の論文のテーマが勇者血統の在り方についてなので、まるで奇跡のようなタイミングで入学してくださった木村さんにご協力を仰ごうと伺いましたら、なんとお兄様がお見えだと聞いて、興奮して……いや、我を忘れてしまいまして!」

 ……うざい。
 いや、いかん。
 確かにうざいが、とりあえず我慢だ。

「正気か? 勇者血統を研究テーマなんかにしたら確実に検閲が入るだろ?」
「今まで提出して来たレポートで、大体の許可範囲は理解しています。ご安心ください!」

 この大学どうなってるんだ?
 確か国内最高の才能を育てる大学だと聞いた覚えがあるが。

「あ、あの、私は本気です! 研究のためにはいかなる難関も突破る気概もあります! 命を掛けて研究をしています!」

 なんだか対処が良く分からずに放置している間に、俺と妹のしらっとした態度に危機感を覚えたのか、やばい方向にヒートアップし出した変態は、おもむろに自分のカップ(自分でコーヒーを持ち込んでいた)に指を突っ込むと、テーブルに魔法陣を描き出した。
 俺は半ば反射的に身を引き、素早く由美子に視線を送る。
 だが、由美子は平然とソファーに腰掛けて暇そうにしているだけで、全く動じた風も無い。
 どうやら危険な術式じゃないらしい。

「私の情熱は、どんな困難にも打ち勝つのです!」

 お近づきなりたくない情熱を垂れ流しながら、やがて変態は描き終えた陣の外周を繋ぎ、魔法陣に意思を通す。
 術式が起動して、込められた効果が発動したようだった。

 それにしてもこいつ、魔術士として実践クラスじゃないか?
 普通魔法陣と言うものは人間には記憶出来ないように出来ている。
 図形として鋳型だけを記憶することは出来るのだが、肝心の術式をどうしても覚えることが出来ないらしいのだ。
 学者によると、魔法陣を完全な形で覚えてしまうと、意識野で発動状態になってしまうため、無意識のセーフティが掛かるのだとかなんとか、よくわからん理屈を言っているらしい。

 ともあれ、そういう事情で、普通は魔法陣は書物や紙片に記した物を持ち歩いて使う。
 だが、学者が立てた仮説を元に、自らの記憶をコントロールして、逆転の発想で枠と術式を分けて記憶する者が現れて、魔術師は格段に強化されることとなった。
 その魔法陣を、書物なしでそらで描けるということは、真似事とはいえ記憶のコントロールが使えるということだから、到底一般の研究者の技量とは思えない。

 変態恐るべし。
 俺は初めてこの男に脅威を感じた。

 出来上がった魔法陣の上に光が現われ、そこに人物の姿が浮かび上がる。

「たとえばこれを入手するには大変な苦労がありました。ですが、勇者血統の研究者としては当代最高と言われる術者を外す訳にはいかないと、決死の覚悟で入手したのです!」

 無駄に熱い。しかもなんか怖い。
 魔法陣に浮かんだ人物は女だ。
 プラチナブロンドの髪、白人種独特のピンクっぽい肌、顔立ちはグラビアアイドルでも通るくらいには美人だとは思う。ちょっとキツめだけどな。
 というか、当代最高の術者だって?……。

「そう、彼女こそ、ロシアの誇る神秘の血統。召喚術士のジーヴィッカ・ニェーバですよ!」

 げえっ!
 今度こそ心底たまげた俺は、慌てて部屋の四隅に視線を走らせる。
 監視カメラの有無を確認したのだ。

「お兄さん、大丈夫ですよ。この部屋は安全です」

 変態が自信満々に胸を張って見せる。

「何言ってるんだ! それを早く消せ! ロシアの国家機密じゃねえか! わずかでも外に情報を漏らせば極刑と聞くぞ!」
「そうなんですよ。警戒が厳しくて、たかだかポートレート1枚手に入れるのに魔法陣の脳内保存の秘技を覚えなければなりませんでしたよ。それにしても召喚能力はどのように使われるのでしょうね。実際にこの目で見られたらどれ程素晴らしいか。いえ、私は諦めるつもりはありませんが」

 馬鹿だ! 馬鹿過ぎる! フリークってのはみんなこんなイカれた奴なのか?

「兄さん、とりあえず虫を数匹放って覗き見防止のジャミングを展開しておきますね」

 あまりのことにフリーズしてしまった俺の耳に、異様に冷静な我が妹、由美子の言葉が、溶けた氷水のようにひんやりと滑り込んだのだった。
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