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昼と夜
その一
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進行中のプロジェクトが途切れて通常業務モードになると、途端にうちの部署は怪しくなる。
「なになに? 炊飯器でチーズケーキを焼くとスイッチが切れた時にはまだ生焼けです。自由度のあるタイマーを設定してもらえませんか? と、……うん、なるほど、それは困るね。でもそれ炊飯器だから、ご飯を炊きたいだけの人にはそういうのって手間なだけだよな」
俺の電算機のディスプレイに表示されているのは、サポートセンターから借りて来たクレームの記録だ。
実の所、商品開発のヒントとして最も役に立つのは、こういうクレームやお客様相談の内容なのである。
特にクレームは、極端に利己的な物を省けば、開発のキーアイテムと言われているぐらい貴重な物で、いっそ余所の家電メーカーのも買い取りたいと課長が零す程だった。
しかし言うは簡単だが、クレームの内容を読むのはかなり精神的疲労を伴う場合が多い。
この炊飯器チーズケーキの案件などむしろ読んで楽しい類の物である。
うん、いいなあ、楽しそうだ。
「仕方なく二度炊きをしようとするとなぜかスイッチが入りません。……うん、まあ感熱センサ入ってるしね」
うちの炊飯器は、ご飯が美味しく炊けるように熱によって炊き具合を調整しているのだ。
あまり熱いとスイッチ自体が入らないので、少し冷ましてからスイッチを入れ直すと大丈夫だと思うよ。
普通に考えれば、ご飯もケーキも一つの家電で作りたいのなら万能調理器使えよって話だが、わざわざこういうことをしでかすお客様には、その人なりのなんらかの拘りがあることが多い。
そんな拘りの内側に眠る欲求の意味を解き明かして、新商品に向けたニーズを探り出すのが俺たちのお仕事な訳だ。
「しかし、炊飯器でチーズケーキか……今度作ってみるか」
ワールドワイド回線にアクセスしてレシピを検索してみる。
色々出て来た。
炊飯器って結構色んな料理が作れるんだな、ちょっとびっくりだ。
「よし! 完成したぞ!」
向かい側のデスクでは、限り無くノリの軽い一児の父がなにやら一人で盛り上がっている。
「ジャーン! なんとアイディア自動生成システム、『これだ君』完成!」
「アイディア自動生成?」
良い大人が『ジャーン!』とか口に出すとは、ある意味偉大な男だ。
何故なんだろうか? この人って、やることなすこと駄目な予感しかしない。
結構優秀な人なんだけどな。
「なんと、今まで廃棄されてきたスリーピングなアイディアをセンテンスごとに分割、再構成するという画期的なシステムなんだぜ!」
意味不明なまでに自慢げな男、佐藤のほうを見て、俺と同時に伊藤さんが溜め息を吐いたのが見えた。
「それで過去の企画書のデータベースが必要だったんですね」
どこか諦めの窺えるその様子に、俺は軽く励ますように笑みを向ける。
せっかくのデータベースをそんな物に使われたのか、そりゃあ脱力するよな。
彼女は俺の視線に気づくと、少し嬉しそうに笑った。
一時、俺の勝手な勘違いから(一方的に)気まずくなっていた伊藤さんとの関係だが、偶然居酒屋で合流し、遅くなった彼女を俺が駅まで送った際に、なし崩し的に元の関係に落ち着いた。
彼女のさりげない気遣いと屈託の無さに、俺の中のこだわりが昇華され、救われた形だ。
その際、もう変な勘違いで今の心地良い関係を崩すまいと決意を新たにしたのである。
ほんと、良い娘だよね。……正直まだちょっと胸が痛いんだけどな。
「どうよ木村、ちょっとこれ使ってみないか?」
一方でこっちは、とても四十代に見えない軽さだ。
そんな姿を見せたら、遅くに生まれて溺愛している乳飲み子の息子に嫌われるぞ?
「いや、俺はいいよ」
「なんだチャレンジ精神の無い奴だな、開発たる者常に先陣を切るぐらいの気持ちが必要だぞ!」
うん、考え方そのものはいいと思うんだ、この人も。
なんか変な方向に突っ走りやすいだけでさ。
なにしろ、ウチの課でアイディアの商品化によってヒット商品を一番出しているのは実はこの人だし。
没企画の数も社内一だけど。
「あー、木村くん」
「あ、はい?」
急に課長に呼ばれてそちらに意識を向ける。
ん? 課長の隣に流がいるな。
もしかしてなんか厄介事か?
「隣からヘルプ要請だ。手が空いているようならヘルプに入ってくれんか?」
「いいですけど、どんな内容ですか?」
「実験用に試作機を組んでいるんだが、上手く行かなくってね」
流が少し照れ気味に説明する。
うちの女性陣の視線を独り占めだぜ。
……おのれ。
「なるほどわかりましたヘルプ入ります」
「ああ、よろしく頼む」
うちと流の所とは仕切りがあって無いようなもので、この手のヘルプ連携はしょっちゅうだ。
元々そういう意味合いで隣り合わせているんだろうし、同じテーマをやっている技術屋と理論畑って感じである。
「ちょっとこの試作機なんですけど、配線が上手く行かなくてスイッチが作動しないんですよ」
隣のベースに行くと、いきなりわらわらと実験着の連中に囲まれた。
見ると凄く適当なアルミケース(凄く弁当箱な感じ)に、手作りっぽい基板が嵌め込まれた機械があった。
これはあれだ、小学生の発明品。
というか、すげえよ、なんと半田同士が全部繋がっているんだぜ。
「……とりあえず、なにがやりたくてこうなったか教えてくれ」
オーライ、最初からやり直そう。
多分それが課題クリアへの一番の近道だ。
―― ◇◇◇ ――
一日の仕事が終わると一気に気だるい気分になるのはどうしてだろう?
なんだかんだ言ってそれなりに仕事中は緊張してるのかな?
「んーと、確か卵と牛乳がそろそろ無くなりそうだったな」
プロジェクトが走ってないおかげで定時退社が出来たんで、久々に何か作ろうかなと考える。
といっても、気力的な部分のせいで、チャーハンにニラ玉炒めとスープみたいな感じになりそうだが。
スーパーが開いてる時間に帰れることは珍しいんで、色々補充品も買っておきたい。
プロジェクト明け独特のなんとなく浮き立った気分でいた俺の背広の内ポケットで、突然携帯電話が跳ね上がるように振動した。
「……ふ、大体予想は出来ていたぜ」
嫌な予感を振り切るように一人ニヒルに決めてみるが、ショッピングカゴを持ったおばちゃんに大きく迂回されただけだった。
いや、別にいいんだ。ちょっと自分をごまかしてみたかったんだよ!
トボトボと肩を落として家に帰りながら、携帯電話から由美子に電話を入れる。
「あ、ユミか? 準緊急が入ったがどうする?」
準緊急は緊急よりは余裕がある。
今日急いで取り掛からなくても咎められたりはしないのだ。
『今箱開けてるとこ。まだ寮監さん起きてるから許可貰えると思う。今夜済ませる』
しかし、由美子は今夜の内に終わらせるつもりだ。
お互い日中忙しい身だしな、俺もそのほうがいい。
ちなみに由美子の言うところの箱とはパソコンのことだ。
「わかった。俺も帰ったら電算機で詳細を開示確認してから出る。現地集合で二十時三十分でいいか?」
『……遅い』
由美子がいきなり不機嫌モードになった。
いやいや、戦いになるかもしれんのに空腹じゃ無理だから。
「俺は帰宅途中で飯もまだなんだぞ?」
『遅い、不健康』
今度の遅いは退社時間への文句だな。
プロジェクトピーク時とかになるとその日の内に家に帰れなかったりするとか言ったらどうなるんだろうこれ? ……こわい。
「ええっと、ごめん。それで、OKかな?」
『仕方ないから、わかった。今度ご飯食べに行くからちゃんと作って』
待て待て、そこは作りに行くから、とかじゃないのか? とか思ったが、俺は賢明にも口の中でその言葉を消し去った。
「今度来る時は余裕を持って先に連絡をくれ。そしたらなんか手の込んだのも作れるし、デザートも用意出来るからな」
ぴくりと電話の向こうの由美子の目が見開かれるのが見えた気がする。
『デザート……わかった』
うん、我が妹よ。
兄としてはお前が素直なことを喜ぶべきか、単純なことを悲しむべきか複雑な気持ちだ。
電話を切るとアパートに急ぐ。
走りたい所だが、卵が心配なので走れない。
俺はとにかく力加減が苦手である。
ちょっと油断するともろい物なんかは壊してしまうのだ。
部屋の前にも中にも誰も居ないことを確認して、急ぎ帰宅して、慌てて電算機を起動する。
それが立ち上がっている間に、買い物して来た物品をそれぞれの定位置に放り込んだ。
それから急いで封印ケースを個体認証で開け、そこから記憶端子を取り出し、こっちにも個体認識させる。
立ち上がったパソコンにチップを読み込ませ、クローズ回線経由の依頼書を開いて読み込んだ。
開いた依頼書から事件の概要を確認する。
脳内で内容を反芻しながら急いで茶碗に飯をついで卵を乗っけて醤油を垂らしてかっこんだ。
そして片付けもそこそこに着ている服を脱ぎ捨てると、冷水のシャワーを頭から浴びる。
お湯は意識をぼんやりさせるので、こういう時は駄目なんだよな。
クローゼットから装備一式を引っ掴み、順番に確認しながら身に着けて行く。
合皮を特殊加工したツナギのような上下、両肩からクロスするように引っ掛けるベルトと腰のベルトをがっちり装着し、ずらりと並んだそのホルダーに、ナイフや触媒を詰め込んでいった。
そして仕上げに怪異素材を織り込んだジャケットを羽織る。
この素材、かなりの貴重品だ。
本来倒せば解けて消えるはずの怪異達だが、極稀に存在強化素材と呼ばれる素材を残すことがある。
この素材は魔法の類を一切通さないという稀な性質を持つため、ハンターの多くは装備のどこかにこれを使っているのだ。
まあ、むちゃくちゃ高いんで本当にポイント的にしか使えないんだけどね。
絶対に忘れてはいけないハンター証を首に掛け、その裏側の差し込みに記憶端末をセットする。
その途端、チッチッと小さな赤い光が点滅し出した。
わざわざ地図を見ずとも、これが現場まで誘導してくれるようになっている。
靴底に鉛を仕込んだ戦闘用ブーツを装着して準備完了だ。
「急がないとうちのお姫様が気分を害するからな」
少なくとも待ち合わせ時間より十分は早く到着しないとヤバイ。
「せっかくの定時帰宅だったんだよな」
しみじみと未練がましく呟いて、俺は振り切るように玄関を後にしたのだった。
「なになに? 炊飯器でチーズケーキを焼くとスイッチが切れた時にはまだ生焼けです。自由度のあるタイマーを設定してもらえませんか? と、……うん、なるほど、それは困るね。でもそれ炊飯器だから、ご飯を炊きたいだけの人にはそういうのって手間なだけだよな」
俺の電算機のディスプレイに表示されているのは、サポートセンターから借りて来たクレームの記録だ。
実の所、商品開発のヒントとして最も役に立つのは、こういうクレームやお客様相談の内容なのである。
特にクレームは、極端に利己的な物を省けば、開発のキーアイテムと言われているぐらい貴重な物で、いっそ余所の家電メーカーのも買い取りたいと課長が零す程だった。
しかし言うは簡単だが、クレームの内容を読むのはかなり精神的疲労を伴う場合が多い。
この炊飯器チーズケーキの案件などむしろ読んで楽しい類の物である。
うん、いいなあ、楽しそうだ。
「仕方なく二度炊きをしようとするとなぜかスイッチが入りません。……うん、まあ感熱センサ入ってるしね」
うちの炊飯器は、ご飯が美味しく炊けるように熱によって炊き具合を調整しているのだ。
あまり熱いとスイッチ自体が入らないので、少し冷ましてからスイッチを入れ直すと大丈夫だと思うよ。
普通に考えれば、ご飯もケーキも一つの家電で作りたいのなら万能調理器使えよって話だが、わざわざこういうことをしでかすお客様には、その人なりのなんらかの拘りがあることが多い。
そんな拘りの内側に眠る欲求の意味を解き明かして、新商品に向けたニーズを探り出すのが俺たちのお仕事な訳だ。
「しかし、炊飯器でチーズケーキか……今度作ってみるか」
ワールドワイド回線にアクセスしてレシピを検索してみる。
色々出て来た。
炊飯器って結構色んな料理が作れるんだな、ちょっとびっくりだ。
「よし! 完成したぞ!」
向かい側のデスクでは、限り無くノリの軽い一児の父がなにやら一人で盛り上がっている。
「ジャーン! なんとアイディア自動生成システム、『これだ君』完成!」
「アイディア自動生成?」
良い大人が『ジャーン!』とか口に出すとは、ある意味偉大な男だ。
何故なんだろうか? この人って、やることなすこと駄目な予感しかしない。
結構優秀な人なんだけどな。
「なんと、今まで廃棄されてきたスリーピングなアイディアをセンテンスごとに分割、再構成するという画期的なシステムなんだぜ!」
意味不明なまでに自慢げな男、佐藤のほうを見て、俺と同時に伊藤さんが溜め息を吐いたのが見えた。
「それで過去の企画書のデータベースが必要だったんですね」
どこか諦めの窺えるその様子に、俺は軽く励ますように笑みを向ける。
せっかくのデータベースをそんな物に使われたのか、そりゃあ脱力するよな。
彼女は俺の視線に気づくと、少し嬉しそうに笑った。
一時、俺の勝手な勘違いから(一方的に)気まずくなっていた伊藤さんとの関係だが、偶然居酒屋で合流し、遅くなった彼女を俺が駅まで送った際に、なし崩し的に元の関係に落ち着いた。
彼女のさりげない気遣いと屈託の無さに、俺の中のこだわりが昇華され、救われた形だ。
その際、もう変な勘違いで今の心地良い関係を崩すまいと決意を新たにしたのである。
ほんと、良い娘だよね。……正直まだちょっと胸が痛いんだけどな。
「どうよ木村、ちょっとこれ使ってみないか?」
一方でこっちは、とても四十代に見えない軽さだ。
そんな姿を見せたら、遅くに生まれて溺愛している乳飲み子の息子に嫌われるぞ?
「いや、俺はいいよ」
「なんだチャレンジ精神の無い奴だな、開発たる者常に先陣を切るぐらいの気持ちが必要だぞ!」
うん、考え方そのものはいいと思うんだ、この人も。
なんか変な方向に突っ走りやすいだけでさ。
なにしろ、ウチの課でアイディアの商品化によってヒット商品を一番出しているのは実はこの人だし。
没企画の数も社内一だけど。
「あー、木村くん」
「あ、はい?」
急に課長に呼ばれてそちらに意識を向ける。
ん? 課長の隣に流がいるな。
もしかしてなんか厄介事か?
「隣からヘルプ要請だ。手が空いているようならヘルプに入ってくれんか?」
「いいですけど、どんな内容ですか?」
「実験用に試作機を組んでいるんだが、上手く行かなくってね」
流が少し照れ気味に説明する。
うちの女性陣の視線を独り占めだぜ。
……おのれ。
「なるほどわかりましたヘルプ入ります」
「ああ、よろしく頼む」
うちと流の所とは仕切りがあって無いようなもので、この手のヘルプ連携はしょっちゅうだ。
元々そういう意味合いで隣り合わせているんだろうし、同じテーマをやっている技術屋と理論畑って感じである。
「ちょっとこの試作機なんですけど、配線が上手く行かなくてスイッチが作動しないんですよ」
隣のベースに行くと、いきなりわらわらと実験着の連中に囲まれた。
見ると凄く適当なアルミケース(凄く弁当箱な感じ)に、手作りっぽい基板が嵌め込まれた機械があった。
これはあれだ、小学生の発明品。
というか、すげえよ、なんと半田同士が全部繋がっているんだぜ。
「……とりあえず、なにがやりたくてこうなったか教えてくれ」
オーライ、最初からやり直そう。
多分それが課題クリアへの一番の近道だ。
―― ◇◇◇ ――
一日の仕事が終わると一気に気だるい気分になるのはどうしてだろう?
なんだかんだ言ってそれなりに仕事中は緊張してるのかな?
「んーと、確か卵と牛乳がそろそろ無くなりそうだったな」
プロジェクトが走ってないおかげで定時退社が出来たんで、久々に何か作ろうかなと考える。
といっても、気力的な部分のせいで、チャーハンにニラ玉炒めとスープみたいな感じになりそうだが。
スーパーが開いてる時間に帰れることは珍しいんで、色々補充品も買っておきたい。
プロジェクト明け独特のなんとなく浮き立った気分でいた俺の背広の内ポケットで、突然携帯電話が跳ね上がるように振動した。
「……ふ、大体予想は出来ていたぜ」
嫌な予感を振り切るように一人ニヒルに決めてみるが、ショッピングカゴを持ったおばちゃんに大きく迂回されただけだった。
いや、別にいいんだ。ちょっと自分をごまかしてみたかったんだよ!
トボトボと肩を落として家に帰りながら、携帯電話から由美子に電話を入れる。
「あ、ユミか? 準緊急が入ったがどうする?」
準緊急は緊急よりは余裕がある。
今日急いで取り掛からなくても咎められたりはしないのだ。
『今箱開けてるとこ。まだ寮監さん起きてるから許可貰えると思う。今夜済ませる』
しかし、由美子は今夜の内に終わらせるつもりだ。
お互い日中忙しい身だしな、俺もそのほうがいい。
ちなみに由美子の言うところの箱とはパソコンのことだ。
「わかった。俺も帰ったら電算機で詳細を開示確認してから出る。現地集合で二十時三十分でいいか?」
『……遅い』
由美子がいきなり不機嫌モードになった。
いやいや、戦いになるかもしれんのに空腹じゃ無理だから。
「俺は帰宅途中で飯もまだなんだぞ?」
『遅い、不健康』
今度の遅いは退社時間への文句だな。
プロジェクトピーク時とかになるとその日の内に家に帰れなかったりするとか言ったらどうなるんだろうこれ? ……こわい。
「ええっと、ごめん。それで、OKかな?」
『仕方ないから、わかった。今度ご飯食べに行くからちゃんと作って』
待て待て、そこは作りに行くから、とかじゃないのか? とか思ったが、俺は賢明にも口の中でその言葉を消し去った。
「今度来る時は余裕を持って先に連絡をくれ。そしたらなんか手の込んだのも作れるし、デザートも用意出来るからな」
ぴくりと電話の向こうの由美子の目が見開かれるのが見えた気がする。
『デザート……わかった』
うん、我が妹よ。
兄としてはお前が素直なことを喜ぶべきか、単純なことを悲しむべきか複雑な気持ちだ。
電話を切るとアパートに急ぐ。
走りたい所だが、卵が心配なので走れない。
俺はとにかく力加減が苦手である。
ちょっと油断するともろい物なんかは壊してしまうのだ。
部屋の前にも中にも誰も居ないことを確認して、急ぎ帰宅して、慌てて電算機を起動する。
それが立ち上がっている間に、買い物して来た物品をそれぞれの定位置に放り込んだ。
それから急いで封印ケースを個体認証で開け、そこから記憶端子を取り出し、こっちにも個体認識させる。
立ち上がったパソコンにチップを読み込ませ、クローズ回線経由の依頼書を開いて読み込んだ。
開いた依頼書から事件の概要を確認する。
脳内で内容を反芻しながら急いで茶碗に飯をついで卵を乗っけて醤油を垂らしてかっこんだ。
そして片付けもそこそこに着ている服を脱ぎ捨てると、冷水のシャワーを頭から浴びる。
お湯は意識をぼんやりさせるので、こういう時は駄目なんだよな。
クローゼットから装備一式を引っ掴み、順番に確認しながら身に着けて行く。
合皮を特殊加工したツナギのような上下、両肩からクロスするように引っ掛けるベルトと腰のベルトをがっちり装着し、ずらりと並んだそのホルダーに、ナイフや触媒を詰め込んでいった。
そして仕上げに怪異素材を織り込んだジャケットを羽織る。
この素材、かなりの貴重品だ。
本来倒せば解けて消えるはずの怪異達だが、極稀に存在強化素材と呼ばれる素材を残すことがある。
この素材は魔法の類を一切通さないという稀な性質を持つため、ハンターの多くは装備のどこかにこれを使っているのだ。
まあ、むちゃくちゃ高いんで本当にポイント的にしか使えないんだけどね。
絶対に忘れてはいけないハンター証を首に掛け、その裏側の差し込みに記憶端末をセットする。
その途端、チッチッと小さな赤い光が点滅し出した。
わざわざ地図を見ずとも、これが現場まで誘導してくれるようになっている。
靴底に鉛を仕込んだ戦闘用ブーツを装着して準備完了だ。
「急がないとうちのお姫様が気分を害するからな」
少なくとも待ち合わせ時間より十分は早く到着しないとヤバイ。
「せっかくの定時帰宅だったんだよな」
しみじみと未練がましく呟いて、俺は振り切るように玄関を後にしたのだった。
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