彼女は何一つ言わずに死んだ。

忘憶却

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死んでから、夢で三度出会った。

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 最初の夢は、彼女の死を知ってすぐのことだった。
 どこを旅したのかは分からない。共に歩き続けて髪が白く染まり肌のしわが濃く写る頃、ようやくこの夢の終着点にたどり着いたと感じられる光景に出会った。その景色は何だったのかは分からない。ただ、彼女の後を、彼女の背中を支えながら共に歩み続けてよかったと、それほどの絶景だったのだろう。
 目が覚めて、涙があふれた。その光景に共にたどり着く未来はないのだと。それと同時に私は彼女の示した道を忘れられないことを知り、私はその夢へ歩み始めた。
 当時の私からすれば、ひたすらに現実から彼女を殺したくはないという思いだったのだろう。
 人は二度死ぬ。一度目は生物として、二度目は人々の記憶から。
 彼女が問いかけたものが一つある。
「10年後、私は人々の記憶から消える。100年後、私は世界の記憶から消える。1000年後、私の存在の形跡はもうどこにもない。そういう世界に何をしたい。」
 一言一句覚えているかと言われれば曖昧だが、そんなような内容だった。
 今となれば、返事はできる。ヨハネの福音書の一説「一粒の麦は死なば...。」によく似た答えだ。きっと近い未来、私の名前は、存在は、何一つ残らないのだろう。だけど、思いは受け継がれる。幾たび形を変えられ、いずれ各個人の中でそれぞれの形となり、少しずつ世界を変えていく。そう、思いをすくい取り伝えていくことが今を生きることだと。そんなふうに今の私は答える。
 しかしながら、あの時の私はこの世の中から、彼女の思いを消したくないと、その一心で動きまわり、他の人のことは何一つ見えてはいなかった。

 二度目の夢は、彼女が私と出会わずすべてを失った夢だった。死を目の前にしわがれて小さくなった彼女の後ろ姿を見た。私は、「大丈夫。僕が叶えるから。」とだけ伝えた。
 あの時は、彼女の死を誰かと共有することなどできず、ひた隠しに目をつむり、人のことなどお構いなしに走り続けた。結果として、独りになり誰もいなくなった。このままでは、その先の未来はこの夢の彼女と同じ結末になるのであろう。常に私に安心感を与えてくれた彼女と同じようなことを夢の中の老人のような姿をした彼女にしただけだった。
 世界は私と彼女だけではないことを忘れていた。彼女の残滓を追いかけてばかりで全く他を見ていなかったなんて、愚かな行為を繰り返していたのはとても見せられたものではない。
 これを知って、特に行動が変わったとは自分ではあまり思えない。ただ、周りに仲間が少しずつまたできていった。なぜかは、分からない。

 三度目の夢は、彼女と旅を始める前だった。旅の一歩を踏み出そうとする瞬間だった。
 ふと、歩み始める彼女の背中を見る。その後ろ姿はどこか悲しく切なげで、私はその正体を知っていた。ああ、この人もそうだったんだなと、ようやく彼女の、彼女個人の願いが分かった。
 欲した言葉は、欲した想いはこれだった。
「独りじゃないよ。」
 そう私は彼女にはっきり聞こえるように言った。
 最初はハッと振り向き驚いた様子だったが、その言葉を理解すると、ようやく、ようやく分かってくれたと安堵したようにすっと涙を流した。
 そして、泣きながらだから上手く作れないくしゃくしゃの笑顔を私に見せて、消えた。

 彼女が持っていたのは孤独。
 私が持っていたのも孤独。

 私があの思春期の誰もが持ちうる誰にも共有できない苦しみを持っていたように、彼女も何かしら誰とも共有できない辛いことがあったのだろう。
 そういう苦しみを持っていたからこそ、彼女は今にもこの世から消えそうな私に話しかけてきたのだろう。すぐ先の死までの時間耐え続けるために無機質で空っぽの存在となった彼女に、公園で独りベンチに座る今にもこの世から消えそうな私を見て、ふと道端に捨てられた子猫を愛でるような感情が湧き起こったという感じか。
 彼女の死を私に伝えた友人から、あなたに会った日からよく笑うようになったと言われた。
 
 そうだとすれば、彼女は自身の死を私に何も悟らせなかった理由は、独りにしないでとなるのか。
 彼女にとって独りとは、誰とも分かり合えないこと。そして、誰からも忘れ去られること。
 自身の思いがどこにも継がれることもなく、何の意味もなく消え去ること。
 別に何もしなくとも彼女は、例えば、将来同じ病気の子供たちのためにその記録は生かされていくといったこともあるだろう。
 でも、それは彼女にとって生きているとは言えない。あれほど毎日のように私に生きることを問い続けた彼女にとって、意思を持ったものでなければならないと。
 何か行動をして、その結果として、象徴的な意味として居るだけの存在が誰かのためになれるのならばともかく、行動すらもなく居るだけで何かを為し得てしまうことは、少なくとも彼女にとっては死人も同然だった。
 彼女が何も言わなかったのは最後のわがままだったということか。
 全く、とんでもなく迷惑極まりないお姫様だった。全てが回りくどく、それでかつ、いつも忘れずにいるように永遠に続く呪いのような苦しみとして私に思いを遺すだとか、正気ではない。元々どこか考え方が浮世離れしていた人だから仕方がない。

 彼女が私になぜそうしたのかという手がかりはあまりに少ない。そのため、ここに記したことは全て私の頭の中な空想に過ぎず、的外れなことばかりを述べているのかもしれない。それでも、人生における道を示してくれた人を今でも思いながら生きている。
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