彼女は何一つ言わずに死んだ。

忘憶却

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彼女の思いは傷痕のように深く痛みを呼び起こし、呪いのように永遠に私を苦しませる。

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 男は女にとって最初の男でありたがる、という言葉がある。特に、誰かと付き合う経験がないならそれを強く願うのかもしれない。
 処女信仰というものを当時の私は持っていた。未だに私の中でも恋だとか愛だとかそんなものは輪郭が曖昧で空中に浮いたような存在だが、あの時の誰かと付き合う経験のなかった私からすれば、そんな人の外見や特性に固執する、くだらない考えに振り回されていたのだろう。
 出会って何度目だろうか、帰り際に口付けをされた。私は、彼女が私に話す言葉の数々に希望を見出されていた。純粋な憧れの感情。それだけを持てればいいと思っていた。
 師のような存在に突然、そのような感情を持っていたと思わせるような行為をされた時には何を思うのだろうか。
 彼女のその行為に私は混乱した。どういう混乱だったのか、あの感情は何と表現すればいいのか分からない。不安は大きくなりながらも、どこか安堵している。表現力のない私にとってはこう言うしかない。ただ、彼女からは多くのものを与えられてばかりで、私の彼女のために何かをしたいと気持ちはあった。それが、彼女のその大切にする人へ向ける重要な行為によって、より強いものへと変わったのは確かだった。
 
 世間一般の恋愛というものがどんなものかは分からないので、あれが付き合っていると言えるものかは未だに自信を持っていうことはできないが、私たちは彼女がひたすら話して、私は聞いているだけというそういう時間を過ごした。時々、何か重要な問いを突然投げかけてきたりもした。ほとんど答えることもできず、できたとしてもしょうもない答えだったと思う。そういう時間を幸せに感じていた。
 彼女の赴くままに振り回されることを心地よくも感じていた。そして、私も彼女の要求に答えようと思った。

 数度、彼女と交わることがあった。これも、彼女の求めるままにしたのだった。男としては情けない、不甲斐ないなどという印象をもたれても仕方がないが、そんなものはどうでもいい。こうして、ああしてと私に言いながら、慣れた様子で私を包んでいく。不安で仕方がなかった心が晴れ渡るような美しいものに触れた、そんな心地がした。
 そんな中でも、時々ふっと思い出したかのように現れる、孤独な感情。人を求めるが故に現れる誰かを支配したい、誰かを自分のものにしたいという欲望。そんなものが次から次へと湧き出て行為として現れる。そして、その感情に飲み込まれそうになった時、彼女は、「大丈夫。私がいるから。」と言って抱きしめた。この人は、表面的な欲望の奥底にある、一人で寂しいという感情に気づいてくれる。ちゃんと見ていてくれる。そう思えた時、彼女がとても愛おしいものに感じた。今まであった、私の偏った考えはどうでもよくなった。それからは、純粋にお互いに求め合い与え合う、そういう行為となった。
 まさか、あんな風に裏切られるとは思わなかったんだが。

 相手の心を全て分かるなんてことはない。だから、全ては憶測であり、間違いなんてこともある。けれども、そこまで大切なものを私に与えるのだから、それなりの感情はあったのだろう。どこか儚げで、いつかは消えて無くなりそうな背中を支えたいと思っていた。まさか本当にいなくなるとも夢にも思わなかった。いや、見ないふりをしていたのかもしれない。そして、彼女は気付いて欲しかったのかもしれない。今更後悔してもどうしようもない。

 何も伝えなかった。
 それだけがやはり今も許せないことだ。自分にとって片割れの如き存在となった彼女を失うことが、どれほどのものか想像もつくだろう。
 共に生きよう、共に死のう。
 共に歩もう、共に支えよう。
 などと思っていた自分は実に馬鹿らしかった。私の抱いた、共になどという願いを持ってはいなかった。
 彼女は残りわずかな時間を自分の思いや願いが誰かにしっかりと傷痕のように、呪いのように残るようにしていた。この一点だった。はっきりと誰かが私をいつまでも忘れずにいて欲しい。そしてあわよくば、自身の願いをつなげて欲しい。そういうとても寂しがり屋な人だった。度が過ぎるわがままな人だった。分かっている、私を最利用していたことは。

 分かったよ。君の願ったものがあるのかないのかこの人生を全て費やして探そう。そして、どうしても無理だったら誰かに託そう。明日死んでいたらごめんだけど。
 あとひとつ、もう一度会えたならこのことについて文句を言わせてくれ。

 あの時は全く受け入れられず、痛み故に自ら死んで解放されることもできず、それを恨み、憎むこともあった。だが、今となってはこんな感じで落ち着いている。
 結構、衝撃的な出来事だったために、この先二度と誰かと付き合うことはできないのだろう。生涯の伴侶がこんな感じのやつだとか、実感のない大きな対価を支払ったような気分だ。

 今日も記憶の中の彼女に文句を言いつつも、彼女の腕に包まれながら私は眠る。
 全く、とんでもない代償だ。
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