聖女と隠者のクロニクル

楓屋ナギ

文字の大きさ
18 / 46
第三章

第6話 キアラン

しおりを挟む
 切り立つ岸壁に波が打ち寄せている。風が強い。
 空気が澄んでいるのだろう。今日は対岸がよく見える。
 長い髪を風がもて遊ぶに任せ、キアランは城を背に、崖にぶつかっては砕ける白い波頭はとうを見ていた。
「ここは春から夏にかけて、一面の花畑になるのだそうですよ」
 誰もいない空間から、若い女の声が聞こえてきた。
「ふうん。それはいいね」
 大して興味もなさそうに、キアランは相槌あいづちを打った。振り返ることもしない。
 吹き抜ける風に、まばらに生えた灌木かんぼくががさがさと乾いた音を立てる。細い枝の間からヒースの紫がのぞいた。
 色あせた草原に、ひとりの少女がふわりと立っていた。はおっているケープから彼女が修道女だと分かる。グレーのフードからこぼれる一房の髪が、きらりと日に反射した。
「エリウは元気? って聞くまでもないか」
「そうですね。相変わらず、お元気です」
 少女、イレーネはくすっと笑った。
「ドウンさまはどうしてこちらに?」
 キアランは軽く口に人差し指を当ててみせた。
「その名前はここでは出さないでくれないか。今の私は騎士なんだ」
「騎士の姿もお似合いですよ」
「ありがとう」
 二人の言葉が風にさらわれ、波音に飲まれて消えてゆく。
「さきほどの問いに、答えていただけますか?」
 イレーネがにこりと小首をかしげる。
「偶然だよ」
 キアランはふと横を向き、睫毛まつげをふせて薄く笑った。
「そのお答えでは、エリウさまは納得なさらないと思います。できれば近寄りたくない場所であろうに、と」
 世間話のように軽やかな口調で、辛辣しんらつな言葉を口にする。
「先回りをして、あの子が来るのを待っていらしたのでしょうか」
「まさか」
「生前わたしが身に着けていた品と、わたし自身の抜け殻を狙う者たちが神殿の内外に潜んでいるのは分かっていました。かの者たちは人の身にしては長い年月、従順に務めを果たしながら静かに時を待っていたのです。そして、あの子が神殿に到着した日を選んで行動を起こしました」
「……」
「あなたがそそのかしたのではないのか、とエリウさまは疑っておられます」
「ふうん。どうしてそんなふうに思ったのだろうね」
「少しでもあの娘に危害が及ぶ恐れがあれば、マクドゥーンさまがあの子を連れて神殿を出る。まず最初に向かうのは惑わしの森でしょう。身を隠すにはよい場所です。現在の隠者はマクドゥーンさまの直弟子じきでし。しかもダナン王の嫡子です。頼る先としては申し分ありません。その王子が今、居城とするのは静かな辺境の館。もともとあの子の身柄を湖の島からエリウの丘の神殿へと移したのは、人と触れあう機会を増やすため。ならば、次に何かあればマクドゥーンさまが向かうのはそちら。さらに森の奥に分け入るよりも砦の城を選ぶであろう、と」
 イレーネはにこりと笑った。
「もしあなたが黒幕であるなら、そのように予見するのは難しいことではないと。そうエリウさまはおっしゃいましたが、いかがですか?」
 あの者にとっては、屈辱くつじょくの地ではあるが――、とエリウが付け加えたことは黙っておく。
「違う、と言ったら? エリウはともかく。イレーネ、あなたは信じてくれますか?」
「さあ、どうでしょう」
 すぐ近くでかさかさと茂みをかき分ける音がした。
 ウサギだろうか。荒れ野に細い筋をつけ、小動物が駆け抜けていく。
「……エリウや、ニムには分からないだろうね。人と交わって暮らしている方々には、ね」
 しばらくの沈黙の後、ドウンはまっすぐにイレーネを見据えた。そのアメジストの瞳が赤みを帯びたくらい色に変わる。『死者の王』の目だった。
「あなたも物好きだ。せっかく肉の体というくびきから解き放たれたというのに、次の世に向かわずこのようなところに留まっている。それはなぜですか?」
「そうですね、あちらからの呼び声は感じます。今も」
 死者の王の視線を、少女の姿をしたイレーネの魂は、避けることなく受け止めた。
「落日の向こうの国。安らぎの園。こちらでは天の国をそう呼ぶのでしたね。そちらに向かうべきなのでしょう。けれど、どうしようもなく惹かれるのです。同じように癒しの乙女と呼ばれながら、わたし以上に過酷な運命を負わされたあの子に。あの子を放って自分だけ次の世に向かう気にはどうしてもなれないのです。冥界の神さま、あなたにならお分かりいただけると思うのですが」
 柔らかな青い瞳がドウンを見上げている。
「エリウさまからのお言伝ことづてを預かっております」
 何かな、とドウンが微笑むように目を細めた。
「あの子には手を出すな、ひどい目に遭わせたら私が許さない、だそうです」
「肝に銘じておきますよ」
 イレーネがふわりと頭を下げると、そこには白い蝶が舞っていた。白い蝶は透き通る羽をはためかせ、風に溶けるようにして姿を消した。
 癒しの聖女を見送ると、ドウンは眩しげに天を仰いだ。どこまでも空は青く、そのはるか高みに晩秋の太陽がある。
「女神も酷なことをなさる」
 誰も聞く者はいない。それでもこぼさずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

慈愛と復讐の間

レクフル
ファンタジー
 とある国に二人の赤子が生まれた。  一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。  慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。  これは古より語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。  だが慈愛の女神の生まれ変わりとして生を亨けた娘が、別の赤子と取り換えられてしまった。 大切に育てられる筈の慈愛の女神の生まれ変わりの娘は、母親から虐げられながらも懸命に生きようとしていた。  そんな中、森で出会った迷い人の王子と娘は、互いにそれと知らずに想い合い、数奇な運命を歩んで行くこととなる。  そして、変わりに育てられた赤子は大切に育てられていたが、その暴虐ぶりは日をまして酷くなっていく。  慈愛に満ちた娘と復讐に駆られた娘に翻弄されながら、王子はあの日出会った想い人を探し続ける。  想い合う二人の運命は絡み合うことができるのか。その存在に気づくことができるのか……

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

魔王城すこや課、本日も無事社畜です!

ハルタカ
ファンタジー
過労で倒れた社畜女子シオンの転生先は、まさかの魔王城。 無邪気に暴虐無人な上司(魔王)のもとで便利屋事務員としてドタバタな日々を過ごすうちに、寡黙な悪魔レヴィアスの思わぬ優しさに惹かれはじめていた。 ある日、突然変異したモンスターの暴走によって魔王城での生活は一変。 ーーそれは変異か、陰謀か。 事態を解明するために、シオンたちは世界各地で奔走する。 直面したことのない危険や恐怖に立ち向かうシオンは、それを支えるレヴィアスの無自覚で一途な愛情に翻弄されて……? 働くことでしか自分を認められないシオンが、魔王城で働く魔物たちの心をほぐしながら自分の価値を見つけていくファンタジーお仕事じれ恋ストーリー。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

転生の水神様ーー使える魔法は水属性のみだが最強ですーー

芍薬甘草湯
ファンタジー
水道局職員が異世界に転生、水神様の加護を受けて活躍する異世界転生テンプレ的なストーリーです。    42歳のパッとしない水道局職員が死亡したのち水神様から加護を約束される。   下級貴族の三男ネロ=ヴァッサーに転生し12歳の祝福の儀で水神様に再会する。  約束通り祝福をもらったが使えるのは水属性魔法のみ。  それでもネロは水魔法を工夫しながら活躍していく。  一話当たりは短いです。  通勤通学の合間などにどうぞ。  あまり深く考えずに、気楽に読んでいただければ幸いです。 完結しました。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...