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第七章~おごりの盾~
四百六十四話【SIDE:陽平】
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「ありがとうございましたぁ」
店員の明るい声に見送られ、日焼けした暖簾をくぐった。
「ふう、食った食った」
近藤は、満足げに腹を叩く。俺はその横顔に向かって、会釈した。
「ご馳走さまでした」
「止せよ。こんなうどんくらい、奢ったうちに入るか」
近藤はまんざらでもない顔で、鷹揚に手を振ってみせた。普段なら腹が立つだけの仕草だが、今日は然程気にならない。
――たぶん、俺自身に反省するところが多すぎるせいだな……
自嘲していると、近藤が「この後どうする?」と振り返った。
「俺は講義があるので、戻ります」
連れ回されちゃたまらねえ、ときっぱり言う。近藤はつまらなそうに唇を尖らせた。
「……んじゃ俺は、友菜でも起こしに行ってやっか。あいつ、昨日飲みだったからよ」
近藤は言って、スマホを尻から引っ張り出す。何だかんだ楽しそうな横顔に、「いきなり行って迷惑になる」とか考えねえんだろうな、と少し羨ましくなった。狭い店で蒸していた肌に秋風が吹きつけてくる。――とどまる理由もないので、「じゃあ」と踵を返しかけたときだ。
「なあ、城山」
近藤がふと言う。
「はい」
「蓑崎のやつ、一人勝ちでムカつかね? 椹木の御曹司とくっついて、パーティも仕切ってよ。知ってっか? 友菜から聞いたが、苦しんできたオメガの旗手として、椹木は蓑崎を持ち上げるつもりだそうだぜ」
「……晶を?」
俺は目を見ひらく。
「ほら、見ろ」
近藤が、スマホの画面を見せる。表示されてるのは、椹木製薬の公式SNSらしい。新着の投稿で、抑制剤の新薬を紹介するイメージキャラに晶が抜擢された、と大きく発表されていた。
「ぽっと出の素人のくせに、と思うが、あの蓑崎じゃな……生半な芸能人より美人だし、バックもでけえ」
記事には、白衣を羽織り、眼鏡をかけた晶の写真が大写しになっている。
『オメガにとっての、新しい未来――僕達で創っていきましょう』
厳かな謳い文句と共に、画面に向かって手を差し出す美貌のオメガ。
抑制剤のイメージキャラというより、アイドルかモデルのようなそれには、大量の「いいね」がついていた。あまりの華々しさに絶句していると、近藤が「はは」と太い声で笑った。
「成己さんも、野江さんとこで可愛い奥さんしてっし。こう考えると、お前だけ落ちぶれてるよなあ」
デリケートな部分に踏み込まれ、ぐっと呻く。
――この野郎……いちいち、口に出すか普通……言われなくても、わかってんだよ!
我慢できず睨みつけると、近藤は両手を上げて降参のポーズをした。
「おいおい、凄んでんなや。悪さしたのはお前だろ」
「……っそれは……」
思わずぐっと詰まる。近藤はニヤリと笑い、ごつい腕を肩にまわしてきた。むっとするムスクの香水が鼻を衝き、ゲッと思う。
「……近いんすけど」
「城山。お前、成己さんにはきちんとしてやれよ」
「え?」
だみ声に真面目なトーンが乗り、顔を上げる。近藤は真顔で、続けた。
「成己さんはよ、もうすっぱりお前に見切りをつけちまったのかもしんねえけど――ああいう尽くすタイプは、いったん思い切るとはええんだよな……ってのは置いとくが、お前はまだ惚れてんだろ?」
「……っ」
カッと顔が熱る。それで答えも言ったも同然だった。
「放っておいてください」
腕を振り払い、距離をとる。こんな奴に、感傷的な面を見せたくないのに。苦虫をかみつぶしていると、近藤は意外にも真面目な調子で言った。
「なら、ちゃんと謝れよ。言っとくが、惚れた奴傷つけたままにすると、ガチで引きずるぞ」
なんでお前なんかに――と思うものの、その言葉は真に迫っていた。黙り込む俺の胸を、近藤は拳でどんと押す。
「成己さんに、ちゃんと惚れてたくらい言ってやれ。でないと、可哀そうだろ。あの人はな……お前が蓑崎を庇って俺を殴ったときな。お前のことを必死で庇って、謝りに来たんだぜ」
「……え」
「婚約者の面目丸つぶれで、悔しかったろうにな。よっぽど惚れてなきゃ、できねえよ」
秋風が、ざあと吹き抜ける。
――成己。
言葉を失った俺を置いて、近藤は立ち去った。
俺は、呆然と帰路についていた。
大学の講義の間も、何をしていたかわからない。
『よっぽど惚れてなきゃ、できねえよ』
心にあるのは、近藤の言葉。そして――成己のことだった。
『だって、大事な用事があったんやもん!』
近藤を殴った翌日、センターで鉢合わせした成己がそう怒鳴ったことを思い出す。野江は手助けをしてくれただけだ、と俺に食ってかかっていた。あのとき俺は、晶を庇った俺の行動を、成己が嫉妬で責めてきたのだと決めつけていた。そのくせ、野江と共にいる成己が許せなくて……さんざんに責め立ててしまった。
――あの時も、俺のために……成己は。それなのに、俺は……
悔恨が胸を苛んだ。母さんから、晶が近藤に圧力をかけてくれたのだと聞いて。俺は晶には礼を言ったが、成己には冷たい態度しか取らなかった。
「成己……」
どうして成己は、俺の知らねえところで優しくするんだろう。馬鹿な俺は、側に居るときに気づけずに――いま、こんなにお前が恋しくてしかたない。
電車に乗っていてよかったと思う。でないと、あいつの元へ駆け出していた。
実家の最寄駅を出て、昼下がりの街を歩く。
「……ふう」
道すがら、スマホを操作し、SNSを見る。最近開設されたそのアカウントは、小さな喫茶店のものだった。
『本日のランチです! 本日のメニューは……秋の味覚、秋刀魚のかば焼き! 胡瓜のゆかり和えに切り干し大根のサラダ。お野菜たっぷりのっぺい汁です。デザートはフルーツヨーグルトですよ♪』
と、地味すぎる定食の写真を添え、ほのぼのした報告がなされるだけの投稿。
――成己らしい。
ふ、と笑みがこぼれる。
さっき近藤に、成己があの喫茶店のランチ営業を切り盛りをしているのだと聞かされた。「野江さんに気兼ねせず、顔を見に行くなら、そのときだ」と。
だが、会いに行けるはずがない。持ち歩いている傘の柄を、きつく握りしめる。
「会ったら……最後になっちまう」
俺は、成己に酷いことをした。それはわかってる――だけど、成己に謝ったら、すべて終わっちまう気がした。
成己は野江と結婚してしまったんだから。
往生際が悪いかもしれないが、まだ勇気は出ない――。
「ただいま」
自分の弱さを自嘲しつつ、玄関のドアを開ける。
次の瞬間――ふわりと甘い香りが漂ってくる。
「……?!」
思わず息を呑んだ。のどがカラカラになり、その場に膝をつきそうになる。
この、甘い匂いは。
脳裏に浮かぶ面影を必死に打ち消す。――期待するな、そんなはずがない。なのに、独りでに伸びた牙が唇を突く。手のひらで涎を溢す口を覆い、立ち尽くしていると、家の奥から足音が近づいて来た。
「陽平ちゃん! 今ね――」
歓喜に目を輝かせた母さんが、信じがたい事実を叫ぶ。聞き終わらないうちに、俺は家の中に駆けこんでいた。
店員の明るい声に見送られ、日焼けした暖簾をくぐった。
「ふう、食った食った」
近藤は、満足げに腹を叩く。俺はその横顔に向かって、会釈した。
「ご馳走さまでした」
「止せよ。こんなうどんくらい、奢ったうちに入るか」
近藤はまんざらでもない顔で、鷹揚に手を振ってみせた。普段なら腹が立つだけの仕草だが、今日は然程気にならない。
――たぶん、俺自身に反省するところが多すぎるせいだな……
自嘲していると、近藤が「この後どうする?」と振り返った。
「俺は講義があるので、戻ります」
連れ回されちゃたまらねえ、ときっぱり言う。近藤はつまらなそうに唇を尖らせた。
「……んじゃ俺は、友菜でも起こしに行ってやっか。あいつ、昨日飲みだったからよ」
近藤は言って、スマホを尻から引っ張り出す。何だかんだ楽しそうな横顔に、「いきなり行って迷惑になる」とか考えねえんだろうな、と少し羨ましくなった。狭い店で蒸していた肌に秋風が吹きつけてくる。――とどまる理由もないので、「じゃあ」と踵を返しかけたときだ。
「なあ、城山」
近藤がふと言う。
「はい」
「蓑崎のやつ、一人勝ちでムカつかね? 椹木の御曹司とくっついて、パーティも仕切ってよ。知ってっか? 友菜から聞いたが、苦しんできたオメガの旗手として、椹木は蓑崎を持ち上げるつもりだそうだぜ」
「……晶を?」
俺は目を見ひらく。
「ほら、見ろ」
近藤が、スマホの画面を見せる。表示されてるのは、椹木製薬の公式SNSらしい。新着の投稿で、抑制剤の新薬を紹介するイメージキャラに晶が抜擢された、と大きく発表されていた。
「ぽっと出の素人のくせに、と思うが、あの蓑崎じゃな……生半な芸能人より美人だし、バックもでけえ」
記事には、白衣を羽織り、眼鏡をかけた晶の写真が大写しになっている。
『オメガにとっての、新しい未来――僕達で創っていきましょう』
厳かな謳い文句と共に、画面に向かって手を差し出す美貌のオメガ。
抑制剤のイメージキャラというより、アイドルかモデルのようなそれには、大量の「いいね」がついていた。あまりの華々しさに絶句していると、近藤が「はは」と太い声で笑った。
「成己さんも、野江さんとこで可愛い奥さんしてっし。こう考えると、お前だけ落ちぶれてるよなあ」
デリケートな部分に踏み込まれ、ぐっと呻く。
――この野郎……いちいち、口に出すか普通……言われなくても、わかってんだよ!
我慢できず睨みつけると、近藤は両手を上げて降参のポーズをした。
「おいおい、凄んでんなや。悪さしたのはお前だろ」
「……っそれは……」
思わずぐっと詰まる。近藤はニヤリと笑い、ごつい腕を肩にまわしてきた。むっとするムスクの香水が鼻を衝き、ゲッと思う。
「……近いんすけど」
「城山。お前、成己さんにはきちんとしてやれよ」
「え?」
だみ声に真面目なトーンが乗り、顔を上げる。近藤は真顔で、続けた。
「成己さんはよ、もうすっぱりお前に見切りをつけちまったのかもしんねえけど――ああいう尽くすタイプは、いったん思い切るとはええんだよな……ってのは置いとくが、お前はまだ惚れてんだろ?」
「……っ」
カッと顔が熱る。それで答えも言ったも同然だった。
「放っておいてください」
腕を振り払い、距離をとる。こんな奴に、感傷的な面を見せたくないのに。苦虫をかみつぶしていると、近藤は意外にも真面目な調子で言った。
「なら、ちゃんと謝れよ。言っとくが、惚れた奴傷つけたままにすると、ガチで引きずるぞ」
なんでお前なんかに――と思うものの、その言葉は真に迫っていた。黙り込む俺の胸を、近藤は拳でどんと押す。
「成己さんに、ちゃんと惚れてたくらい言ってやれ。でないと、可哀そうだろ。あの人はな……お前が蓑崎を庇って俺を殴ったときな。お前のことを必死で庇って、謝りに来たんだぜ」
「……え」
「婚約者の面目丸つぶれで、悔しかったろうにな。よっぽど惚れてなきゃ、できねえよ」
秋風が、ざあと吹き抜ける。
――成己。
言葉を失った俺を置いて、近藤は立ち去った。
俺は、呆然と帰路についていた。
大学の講義の間も、何をしていたかわからない。
『よっぽど惚れてなきゃ、できねえよ』
心にあるのは、近藤の言葉。そして――成己のことだった。
『だって、大事な用事があったんやもん!』
近藤を殴った翌日、センターで鉢合わせした成己がそう怒鳴ったことを思い出す。野江は手助けをしてくれただけだ、と俺に食ってかかっていた。あのとき俺は、晶を庇った俺の行動を、成己が嫉妬で責めてきたのだと決めつけていた。そのくせ、野江と共にいる成己が許せなくて……さんざんに責め立ててしまった。
――あの時も、俺のために……成己は。それなのに、俺は……
悔恨が胸を苛んだ。母さんから、晶が近藤に圧力をかけてくれたのだと聞いて。俺は晶には礼を言ったが、成己には冷たい態度しか取らなかった。
「成己……」
どうして成己は、俺の知らねえところで優しくするんだろう。馬鹿な俺は、側に居るときに気づけずに――いま、こんなにお前が恋しくてしかたない。
電車に乗っていてよかったと思う。でないと、あいつの元へ駆け出していた。
実家の最寄駅を出て、昼下がりの街を歩く。
「……ふう」
道すがら、スマホを操作し、SNSを見る。最近開設されたそのアカウントは、小さな喫茶店のものだった。
『本日のランチです! 本日のメニューは……秋の味覚、秋刀魚のかば焼き! 胡瓜のゆかり和えに切り干し大根のサラダ。お野菜たっぷりのっぺい汁です。デザートはフルーツヨーグルトですよ♪』
と、地味すぎる定食の写真を添え、ほのぼのした報告がなされるだけの投稿。
――成己らしい。
ふ、と笑みがこぼれる。
さっき近藤に、成己があの喫茶店のランチ営業を切り盛りをしているのだと聞かされた。「野江さんに気兼ねせず、顔を見に行くなら、そのときだ」と。
だが、会いに行けるはずがない。持ち歩いている傘の柄を、きつく握りしめる。
「会ったら……最後になっちまう」
俺は、成己に酷いことをした。それはわかってる――だけど、成己に謝ったら、すべて終わっちまう気がした。
成己は野江と結婚してしまったんだから。
往生際が悪いかもしれないが、まだ勇気は出ない――。
「ただいま」
自分の弱さを自嘲しつつ、玄関のドアを開ける。
次の瞬間――ふわりと甘い香りが漂ってくる。
「……?!」
思わず息を呑んだ。のどがカラカラになり、その場に膝をつきそうになる。
この、甘い匂いは。
脳裏に浮かぶ面影を必死に打ち消す。――期待するな、そんなはずがない。なのに、独りでに伸びた牙が唇を突く。手のひらで涎を溢す口を覆い、立ち尽くしていると、家の奥から足音が近づいて来た。
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