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第八章~遥かな扉~
四百八十九話
久しぶりの営業日――うさぎやには、お客さん達の楽しそうな声が満ちていた。
「成ー、ナポリタンあがったよ」
「はい、店長!」
カウンターで腕を振るう宏ちゃんも、生き生きと楽しそう。
――良かったぁ。いつもの宏ちゃんや。
ぼくは美味しそうな料理をサーブしながら、少し安堵した。杉田さんと話す夫の横顔を見つめていると、カラン、カランとドアベルが来客を告げる音を鳴らす。
「いらっしゃいませっ」
ぱっと振り返れば、友菜さんたちが笑顔で手を振っていた。
「成己くーん、来たよ!」
「友菜さん、芽実さん。こんにちはっ」
ぼくは、笑い返す。
お店のSNSに「営業再開します」ってお知らせしてんけど、そこに友菜さんがメッセージを寄せてくれはってね。「また遊びに行くよ」って。さっそく来てくれはるなんて、嬉しいなっ。
カウンターのお席にお通しして、温かいお茶をお出しすると、お二人はほうと息を吐きはった。
「ふあ~、落ちつく。このところ、疲れることが多くってさ……」
「あっ、就活ですもんね……! ほんまにお疲れさまです」
「んん、それもなんだけど。ねえ?」
「そうよね」
ぼくの言葉に、友菜さんと芽実さんは顔を見合わせはる。もの言いたげやのに、どことなく躊躇するような気配に、ぼくはにっこりと笑って首を傾げた。
「よかったら、お話聞きたいです。久しぶりにお会いできたしっ」
「そう?」
そっと押してみると、友菜さんと芽実さんはぐっと肘を寄せて、お話してくれたんよ。
「このところ、大学が騒がしいのよね。TVとか雑誌の取材とかが、ひっきりなしに詰めかけてさ。おめでたいことだから、って我慢してるけど……」
クリームたっぷりのパンケーキを頬張りながら、友菜さんがため息を吐く。
「取材……大学の紹介とかですか?」
「それなら良いの。出身校が有名になるの、大歓迎。でも、あの人の取材に来てるんだよね……」
「ほら、いるでしょ。”旗手”が……」
「あっ」
名を告げられ、ぼくは目を見ひらいた。
友菜さん達の大学に所属する、注目されてる「旗手」は、よく知ってるひとやったから。
――……蓑崎さん!?
蓑崎さんが、椹木製薬の新しい抑制剤のイメージキャラクターに選ばれていたらしい。
し、知らんかった。このところ、色々あって……ちょっとニュースに疎くなっていたせいかな。驚くぼくに、友菜さんと芽実さんが事情を説明してくれはった。
「社会にオメガの生理と抑制剤の役割を伝える、って趣旨の活動してるのよ。もう、ちょっとしたアイドルみたいな扱いで……」
芽実さんが見せてくれたスマホの画面には、白衣と眼鏡を身につけた、研究者スタイルの蓑崎さんが映ってる。
抑制剤で苦労した実体験を踏まえながら、抑制剤の役割や新薬の効能を、わかりやすく教えてくれる綺麗なお兄さんとして――かなり注目されてるんやって。
それで、ついたあだ名がオメガの旗手……らしい。
「わああ……そういうことに、なってたんですねえ」
ちょっと呆然としてると、友菜さんが苦笑した。
「びっくりでしょー? 最近じゃ、追っかけみたいのも大学に来てるんだよ……ご活躍されてるのはいいけど、ちょっとさ。おい! って思っちゃうのよね」
「ふん。ちっとも反省しないで、ちやほやされて、腹が立って当然よ。皆だって、許せないって言ってたくせに、蓑崎について回って……これじゃ、未だに落ちぶれてる城山くんがマシに見えるわ」
眉をつり上げて怒ってはる芽実さんの言葉に、どきりとする。
――陽平、が……?
最後に見た打ちひしがれた様子が浮かんできて……お皿を拭いていた手が、思わず止まってしまう。
すると、ふわりと芳ばしい香りが鼻先を掠めた。
「お嬢さん方。コーヒーのおかわりはいかがですか?」
いつの間にか、隣に来ていた宏ちゃんがコーヒーのポットを片手に微笑んでいた。友菜さんと芽実さんは、ぱっと顔を赤らめて口を押えた。
「あ……野江さん! すみません、ヒートアップしてしまって」
「いえいえ、いいんですよ。じいちゃん達がうるさいので、さえずりみたいなものです」
「何だと、店長ーっ」
宏ちゃんの軽口に、どっ、と笑い声が起きる。宏ちゃんが、誰にも聞こえないくらい小さく、囁いた。
「……大丈夫か?」
「……うんっ」
こちらに身を屈めた夫の、優しい目が見下ろしている。ぼくは、そっと笑い返した。朗らかな空気のおかげで、落ち着きを取り戻せていたん。
「成己くん、ごめんね。あたし達……」
「そんな! ぼくこそ、聞きすぎてごめんなさい」
笑って手を合わせると、友菜さん達はほっとしたように笑ってくれた。
また、和やかなおしゃべりがはじまり、店内は賑やかになる。
ぼくも、楽しく働いた。でも――頭の隅っこに、陽平のことがちらつきつづけていた。
*
その夜のこと。ぼくは、ある決意をもって、引き出しを探っていた。
「うう、奥にしまっちゃったから……えい!」
一番奥にしまっていたものを取り出し、ローテーブルに置く。革張りの黒い箱は、照明の黄色い光をうけて、ぬめりと光っていた。
ぼくは、そっと箱を開いてみる。――姿を見せたのは、真っ赤なルビーとそれを囲む雫のようなダイヤモンド。
陽平のお父さんに渡された、ジュエリーやった。
「……ふう」
胸に手を当てて、小さく息を吐く。
静かな光を放つそれを眺めていても……以前ほどには動揺していない。それは、ぼくの身も心も、たったひとりと結ばれているからやと思う。
優しい夫を思い浮かべるとね……胸があたたかくなって、勇気に満ちていくん。
――陽平。
目を閉じて、これまでのことを思い返した。
蓑崎さんとのこと。
婚約破棄したこと。
城山邸での暴挙――。
宏ちゃんにした事を思えば、今でも怒りに胸が苦しくなる。絶対に、許せないと思う。
――それでも。
落ちぶれていると聞いたとき、ぼく……いい気味とは、思わなかった。
めっちゃ腹立ってるけど、でも。
ぼくは、もう過去にしたい。
「……返しに行こう」
宏ちゃんに相談するべく、ぼくは立ち上がった。
それで、きっと全部終わりになる。
ぼくはそう、信じていたん。
「成ー、ナポリタンあがったよ」
「はい、店長!」
カウンターで腕を振るう宏ちゃんも、生き生きと楽しそう。
――良かったぁ。いつもの宏ちゃんや。
ぼくは美味しそうな料理をサーブしながら、少し安堵した。杉田さんと話す夫の横顔を見つめていると、カラン、カランとドアベルが来客を告げる音を鳴らす。
「いらっしゃいませっ」
ぱっと振り返れば、友菜さんたちが笑顔で手を振っていた。
「成己くーん、来たよ!」
「友菜さん、芽実さん。こんにちはっ」
ぼくは、笑い返す。
お店のSNSに「営業再開します」ってお知らせしてんけど、そこに友菜さんがメッセージを寄せてくれはってね。「また遊びに行くよ」って。さっそく来てくれはるなんて、嬉しいなっ。
カウンターのお席にお通しして、温かいお茶をお出しすると、お二人はほうと息を吐きはった。
「ふあ~、落ちつく。このところ、疲れることが多くってさ……」
「あっ、就活ですもんね……! ほんまにお疲れさまです」
「んん、それもなんだけど。ねえ?」
「そうよね」
ぼくの言葉に、友菜さんと芽実さんは顔を見合わせはる。もの言いたげやのに、どことなく躊躇するような気配に、ぼくはにっこりと笑って首を傾げた。
「よかったら、お話聞きたいです。久しぶりにお会いできたしっ」
「そう?」
そっと押してみると、友菜さんと芽実さんはぐっと肘を寄せて、お話してくれたんよ。
「このところ、大学が騒がしいのよね。TVとか雑誌の取材とかが、ひっきりなしに詰めかけてさ。おめでたいことだから、って我慢してるけど……」
クリームたっぷりのパンケーキを頬張りながら、友菜さんがため息を吐く。
「取材……大学の紹介とかですか?」
「それなら良いの。出身校が有名になるの、大歓迎。でも、あの人の取材に来てるんだよね……」
「ほら、いるでしょ。”旗手”が……」
「あっ」
名を告げられ、ぼくは目を見ひらいた。
友菜さん達の大学に所属する、注目されてる「旗手」は、よく知ってるひとやったから。
――……蓑崎さん!?
蓑崎さんが、椹木製薬の新しい抑制剤のイメージキャラクターに選ばれていたらしい。
し、知らんかった。このところ、色々あって……ちょっとニュースに疎くなっていたせいかな。驚くぼくに、友菜さんと芽実さんが事情を説明してくれはった。
「社会にオメガの生理と抑制剤の役割を伝える、って趣旨の活動してるのよ。もう、ちょっとしたアイドルみたいな扱いで……」
芽実さんが見せてくれたスマホの画面には、白衣と眼鏡を身につけた、研究者スタイルの蓑崎さんが映ってる。
抑制剤で苦労した実体験を踏まえながら、抑制剤の役割や新薬の効能を、わかりやすく教えてくれる綺麗なお兄さんとして――かなり注目されてるんやって。
それで、ついたあだ名がオメガの旗手……らしい。
「わああ……そういうことに、なってたんですねえ」
ちょっと呆然としてると、友菜さんが苦笑した。
「びっくりでしょー? 最近じゃ、追っかけみたいのも大学に来てるんだよ……ご活躍されてるのはいいけど、ちょっとさ。おい! って思っちゃうのよね」
「ふん。ちっとも反省しないで、ちやほやされて、腹が立って当然よ。皆だって、許せないって言ってたくせに、蓑崎について回って……これじゃ、未だに落ちぶれてる城山くんがマシに見えるわ」
眉をつり上げて怒ってはる芽実さんの言葉に、どきりとする。
――陽平、が……?
最後に見た打ちひしがれた様子が浮かんできて……お皿を拭いていた手が、思わず止まってしまう。
すると、ふわりと芳ばしい香りが鼻先を掠めた。
「お嬢さん方。コーヒーのおかわりはいかがですか?」
いつの間にか、隣に来ていた宏ちゃんがコーヒーのポットを片手に微笑んでいた。友菜さんと芽実さんは、ぱっと顔を赤らめて口を押えた。
「あ……野江さん! すみません、ヒートアップしてしまって」
「いえいえ、いいんですよ。じいちゃん達がうるさいので、さえずりみたいなものです」
「何だと、店長ーっ」
宏ちゃんの軽口に、どっ、と笑い声が起きる。宏ちゃんが、誰にも聞こえないくらい小さく、囁いた。
「……大丈夫か?」
「……うんっ」
こちらに身を屈めた夫の、優しい目が見下ろしている。ぼくは、そっと笑い返した。朗らかな空気のおかげで、落ち着きを取り戻せていたん。
「成己くん、ごめんね。あたし達……」
「そんな! ぼくこそ、聞きすぎてごめんなさい」
笑って手を合わせると、友菜さん達はほっとしたように笑ってくれた。
また、和やかなおしゃべりがはじまり、店内は賑やかになる。
ぼくも、楽しく働いた。でも――頭の隅っこに、陽平のことがちらつきつづけていた。
*
その夜のこと。ぼくは、ある決意をもって、引き出しを探っていた。
「うう、奥にしまっちゃったから……えい!」
一番奥にしまっていたものを取り出し、ローテーブルに置く。革張りの黒い箱は、照明の黄色い光をうけて、ぬめりと光っていた。
ぼくは、そっと箱を開いてみる。――姿を見せたのは、真っ赤なルビーとそれを囲む雫のようなダイヤモンド。
陽平のお父さんに渡された、ジュエリーやった。
「……ふう」
胸に手を当てて、小さく息を吐く。
静かな光を放つそれを眺めていても……以前ほどには動揺していない。それは、ぼくの身も心も、たったひとりと結ばれているからやと思う。
優しい夫を思い浮かべるとね……胸があたたかくなって、勇気に満ちていくん。
――陽平。
目を閉じて、これまでのことを思い返した。
蓑崎さんとのこと。
婚約破棄したこと。
城山邸での暴挙――。
宏ちゃんにした事を思えば、今でも怒りに胸が苦しくなる。絶対に、許せないと思う。
――それでも。
落ちぶれていると聞いたとき、ぼく……いい気味とは、思わなかった。
めっちゃ腹立ってるけど、でも。
ぼくは、もう過去にしたい。
「……返しに行こう」
宏ちゃんに相談するべく、ぼくは立ち上がった。
それで、きっと全部終わりになる。
ぼくはそう、信じていたん。
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