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最5章 とある冒険者は心を閉ざす、そして…

第6話

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 王国憲兵の任務とは実に退屈なものである。ルチェットは沈みゆく夕日を眺め、一人そんなことを思っていた。

 今日もまたいつもと変わりなくは、セントクルスの玄関口の門上から不審がないかを警備する。そんな日々。ルチェットは重たいため息を吐いて、背後に広がる城下町の様子を見下ろし覗いた。

 今日もまた忙しくなく仮面祭の準備は続いている。最初、皆口々に「どうしてまた急に」などとは言っていたが、なんだかんだ楽しそうに準備を始めていた。そうして城下町は仮面祭仕様へと移り変わっていく。

「ほんと、何でみんなあんなに楽しそうなのか…」

 そう言ったルチェットとは仮面祭には否定的な様子を見せていた。皆の前では口にも顔も出していないが、その心の内では仮面祭中止を切に願っていた。その理由としては、やはり2年前のあの忌まわしき事件の記憶が尾を引いていたからである。

 王妃である実の母親、カーネリア=セントクルスを亡くしたあの日、ルチェットとは平然を装っていた。王族らしく、不安な感情を表に出さないよう気丈に振る舞っていたのである。悲しみを殺し、ただいつもの自分を崩してはならないと一杯一杯だった。それがまさか、王子の心を傷つけてしまうとは予想もしていなかった。

『いつもお前は涼しい顔で澄まして、そうやって弱い自分を偽っているだけだろうが』

 あの時言われた王子の声が、今も尚頭の中にリピートとされている。忘れたことはなかった。忘れたかったが、忘れることなんかできなかった。それほどに、ルチェットの心に深く食い込んで離れてくれなかった。2年経った今でもそのことに変わりはない。

 ルチェットの心は、今でも過去に囚われたままである。あの日から、ルチェットの時間とは一向に進みはしない。止まったまま、ゆるゆると、ダラダラと、普遍な日常を繰り返す日々。

 あとどれだけこの日常を繰り返せば私は救われるのか?いつか王子と、そして城の皆と面を向かって笑い会える日は来るのだろうか?

 ただそれだけを考えて生きてきた。

「それなのに…」

 現実はひどく残酷だ。分かってはいたが、実際それを体験してしまうと直ぐには立ち直れない。ルイードと王子、あの二人に夢を見ていたらこそ、そこに期待していたからこそ、ルチェットの落胆は激しかった。今ではすっかり生きる活力を失っていて、虚ろ目を浮かべる毎日は続く。

「いっそのこと、死んだ方が楽なのではないか…いや、むしろこれは、神が私に死ねと、そう言っているのではないか?」

 ルチェットは茜空を見上げ、ボソボソと言った。誰も聞いていない筈、そう思っていたからこその、嘆き。その筈だった、

「ダメですよそんなの。私が許しません」

「え?」

 ルチェットは誰かの声を聞いた。一瞬、空耳かと思って困惑して、声を聞いた背後へと振り返って、それが空見でないと悟る。

「ルイード…」

「こんばんはルチェットさん。ここにいると聞いて、やって来ちゃいました」

 ルイードは明るい表情では笑って、隣いいですか?、とルチェットに尋ねる。ルチェットは短く頷いた。そして、

「どうしてだ、ルイード。どうして来た?」

「来ちゃ、ダメでしたか?」

「ダメだ」

「どうして?」

 ルイードは首を傾げ尋ねた。そんなルイードを見て、ルチェットは今にも泣き出しそうな表情を作って、

「お前まで暗くしてしまう。今の私とは、最早死人と変わりないのだ。せっかく死の淵から生還したと言うのに、それじゃああんまりだろ」

「死人?何を言っているんですか?」

 ルイードは言って、ルチェットの手を握りしめた。

「ほら、暖かい。ルチェットさんは生きてますよ、死人なんかじゃありません」

 そう言って、笑う。その笑顔を見て、ルチェットとは最早平常心を保つことなどできなかった。

 次の瞬間にも、ルチェットの目に涙が押し寄せていた。そして止め処なく流れる雨のようには、ボロボロと涙を流していた。

「悪い、こんな筈じゃなかったんだ。何で、私は泣いているのだろうな…」

「ルチェットさん…」

「ルイード、お前には申し訳ないと思っている。お前の怪我とて、そもそも以前から私がちゃんとしていれば防げたものかもしれない。私がしっかりとハリスと向かい合っていれば…こんな事には…」

「それは違います」

 ルイードはきっぱりと否定した。

「あの怪我は、すべて私の不注意が招いた結果に過ぎません。それでルチェットさんが責任を感じることなんて、あってはなりません。だから、そんなこと言わないでくださいよ、ルチェットさん…」

「ルイード…」

「こんな事、ずっと落ち込んでいた私が言うのも間違っていると思いますが…私は、いつもの強くて頼もしいルチェットさんが好きなんです」

 それを聞いて、ルチェットはすぐ様首を激しく横に振った。否定した。

「違う!それは違うんだルイード。私は強くなんかない。私は弱くて、情けなくて…それで…」

「……それは皆一緒、違いますか?」

「え?」

「誰だって辛い時、悲しい時は弱くなるものです。私もそうでしたし、ルチェットもまたそうだっただけの話じゃないですか?私が言いたいのはそういう事じゃなくて、私は、いつものルチェットさんの話をしているんです」

「いつもの…私?」

「そう、いつもの…強気で、素っ気なくて、それでいてどことなく優しい…私の大好きなルチェットさん。もしもお姉ちゃんができたらこんな人がいいなって、そう思うから、だから…」

 ルイードはルチェットの体を抱きしめた。その目に、涙を溜めて、

「だから…もうそんな悲しい顔しないでよ、お願いだから…」

 涙声で、そう言った。そんなルイードに、最早ルチェットは何も言えないでいる。ただ泣いては、ルイードの体を抱き寄せていた。

 


 すっかり日の沈んだ夜空で一番星が輝きを放つ。ルイードとルチェットは二人、手を繋いではセントクルス城へと向かっていた。それは以前、二人で城下町に繰り出した帰り道にも見られた同様の光景、違うとしたら、それは二人の心境変化である。

 その事を理解しているからこそ、ルチェットはクスリと笑って口を開いた。

「変わったな、お前は」

「え、そうですか?」

「ああ、変わった。ほんの僅かな期間でしかないというのに、まるで別人のようだよ」

「自分ではよくわかりませんが、具体的どう変わったと?」

「そうだなぁ…」

 ルチェットはルイードをまじまじと覗いて、数秒の間を空けた後、

「…少しだけ、大人になったように見えるよ」

 と、微笑む。ルチェットは本心からそう思っており、茶化す素振りは全くと言って見せない。

 そんなルチェットを横目にして、ルイードは照れ臭そうには顔を顰めた。

「気のせいですよ、きっと」

 そう言ってルイード、ただ…、とは続けて、

「色々と見て、聞いて、知って、少しは成長できたんじゃないかとは思っています」

「…ふふ、ほら、やっぱり大人になってるじゃないか?」 

「ですかね?」

「そうさ、そうやって人は成長し、大人になっていくもんさ。ただなルイード、これだけは覚えておいてほしい。大人になればなるほど、人は大切だった何かを忘れていく…私がそうだったようにな。お前はそれを、忘れてくれるな」

「?」

「あはは、理解してもらわなくても構わない。今はな?でもいつかそんな時が来るやも知れない。その時が来たら、いつでもここに戻ってこい」

「…えっと、それはどういう…」

「何だ、今更とぼけるつもりか?近々このセントクルス王国を出ていくのだろう?」

「な、何故それを!?」

 ルイードは驚いていた。というのもだ、仮面祭の日にこのセントクルス王国を出ていくという事実は誰も知らないはず。強いて言うならば、国王だけには話したことである。それを何故ルチェットさんが?ーーールイード目を見開いて尋ねた。

「やっぱりか。何となくそんな気がしたんだ」

 そう、ルチェットはなんとなく気づいてしまっていたのだった。ルイードの瞳の中に、覚悟めいたものがある事をーーー

「いつだ?」

「仮面祭の晩、その頃には旅立とうとは考えおります」

「…それはやはり、責任を感じているからなのか?」

 その理由次第では引き留めよう、ルチェットはそう考えていた。またそれが王子の事に対して責任を感じてのことならば尚更に、そんな悲しい理由でこの国から去って欲しくはなかったのだ。

 ルイードが自分を強く励ましてくれたように、私もまたルイードの力になれるであればーーールチェットはそんな事を思いつつ、ルイードの言葉を静かに待つ。

 そして、ゆっくりとは開いたルイードの口を、ただただ見つめていた。ルイードは優しい眼差しを向けては語り出す。

「…始めはそうでした。王子があんな事になんてしまって、これ以上私がここにいる意味はあるのかなって…そう、思っていたんです。だけど、今はそんなんじゃないんです。国王様から色々と聞いて、自分がこれから何をするべきか…決まりました」

「そうか…お父上と…」

「…ふふ、その様子だとやはりルチェットさんもご存知だったのですね?私の出生について」

「…ああ、知っていたとも。何せお前の産声を聞いた内の一人だったからな。別に隠す通すつもりはなかったが…父上は言っていたのだ。今はまだその時ではない、と」

「そうでしたか…なら仕方はありませんね。って、ルチェットさん、今の話は本当ですか!?私の産声聞いたと言われておりましたが…」

「え?ああそうだよ。でも別におかしなことでもないだろう?」

 ルチェットはニヤリと笑って、

「父上に聞いたと思うが、お前の母親は私の母、カーネル=セントクルス王妃と双子の姉妹であった。そして冒険者であった二人は旅の末にこのセントクルス王国へと落ち着き、結婚、そして子供を授かった。つまりだよ、私とお前は従姉妹同士だということになるのだから、別に私がルイードの出生の場にいたとしても変ではないだろう?」

 そう言って、ルイードの頭にそっと手を乗せた。

「でもまさか、こんな形で再開するとは思いもしていなかった。お前は生まれた少しした後にもこの国を出て行ってしまった。元々冒険者であったお前の父親と母親はもっと色々な世界を見て回りたかったのだと聞いている。いつかはこのセントクルス王国に戻ってくると、そうも言っていたようだ」

「…知りませんでした。何せ母は私が物心を着く前に亡くなっていたし、父さんも流行病では三年前に母親の後を追って逝きました。だから自身の出生についてを知って、率直に驚いています」

 ルイードは夜空を見上げて、

「これは多分、運命のお導きだったのでしょうね。私は来るべくしてこのセントクルス王国にやってきた。そしてルチェットさんやラッカル様と出会って…王子と出会って、たくさんの幸福を与えられた。それは一人で旅をしていた時に決して感じる事のなかった、暖かいものでした。私は、このセントクルス王国に来て、皆んなから色んなもの教えてもらったのです。だから今度は、私の番…」

 ルイードは覚悟めいた瞳を、ルチェットへと向ける。

「いつか王子が目覚めた時、もっともっと成長した私で、迎い入れて上げたいのです。その時はきっと、王子の笑顔を皆さまにも拝んで頂きますよ。あの眩しい笑顔をーーーだから私は行きますねルチェットさん」

 ルイードは誓う。今度こそは絶対に王子を笑顔にさせると。仮面を外した王子のあの笑顔を、皆にも見せて上げたいとーーールイードは固く胸に刻みつけるのだった。

 ルチェットは止めはしなかった。ただ寂しそうには、目を細める。

「いつか絶対に帰ってこいルイード…約束だぞ?」

「はい、もちろんです!その時はきっと、ルチェットさんのような素敵で強い女性となって帰ってくると誓います」

「…ふん、買いかぶりすぎた」

 ルチェットは恥ずかしそうに俯いた。そんなルチェットを見て、ルイードは可笑しくて仕方がなかった。

 
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