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最終章 仮面王子は笑わない

第2話

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 セントクルス城の最上部、その場所に王座の間はある。
 王座の間では城下町の風景がどこよりもよく見える。その理由については数百年も前に遡るーーーセントクルス王国の初代王様が「王となる者には民の暮らしがよく見える場所に構えよ」と遺言を残したことが始まりであるとされている。

それ以降、このセントクルス城に居を構える王には城下町の様子が一番よく見えるこの王座の間に構えることが義務付けられていた。そんな初代王の遺言について歴代の王は、言いつけを破る事はしなかった。むしろ「それがいいだろう」とは快く受け入れ、それは現代までも続いているのだった。

 今夜は仮面祭。一年で一番セントクルス王国が賑わう日に於いて、王座の間に二人の姿はあった。

「のう、やはり考えは変わらぬのか?」

 一人、王座に着いた国王は口を開くや否やそんなことを口にしていた。その口振りは「考え直さないか?」とは言いたげである。そんな国王に対し、向かいの少女は口元を緩めて、

「はい。私の決意に変わりは御座いません」

 と、強い意志の篭った口調では応えた。そんな少女の名はルイードという一人の冒険者であり、世界を股にかけるトレジャーハンターである。ルイードは一月前にもこのセントクルス王国に訪れ、不法入国者の汚名を着せられた不幸な少女であった。

「そうか…うむ、ではこれ以上は何を言っても無駄であろうな…」

 ルイードの決意めいた眼差しを受けて、国王はフッと微笑んだ。そして窓から覗ける城下町を流し見て、恍惚そうには目を細める。星の煌めく夜空で、花火が鳴いていた。

「はじめはどうなる事かとヒヤヒヤしたもんだが…この通り、今年の仮面祭は成功だ。これもルイード、全ては其方がこの国にやっときてくれたお陰だ。礼を言うぞ」

「何を仰いますか、私は何もしてはおりません。ただハリス王子の従者となり、かの者の身の回りのお世話をしたに過ぎません」

 ルイードは遠慮気味には言った。

「…ふふ、それが此れまで誰にも出来なかったのだ。国王であるこの私にも、姉であるルチェットにも、ずっとこの城に支えてきたラッカルにも、誰にもな…」

 国王は薄い笑みをこぼし、再び視線をルイードへと戻す。

「其方は大したことはしてないと申すがな、人の心を動かすとは容易いことではない。それが傷付いた心となれば…より一層には難しいものだ。乱暴に触れたら壊れるやもしれない、かといって放っておけば錆び朽ちていったのやもしれない、そんな王子の心に…其方は真摯には向き合ってくれたのだ。その結果が今だ、ルイードよ。ここから見える仮面祭の光景こそ、其方の起こした奇跡の光なのだ」

「…御言葉ですが王様、何もこれは私一人の力では、」

 ルイードがそう言いかけて、国王は「それ以上は言うな」とは言いたげに、

「分かっておる。ただの、きっかけを作ってくれたのは他でもないルイード、お前だ。そこに価値があり、それ以降の事はただの結果に過ぎない。何せきっかけがなければ、そもそも何事もなかったことになるのだからな…」

 国王はルイードへと歩み寄る。そして片膝を地面につけては、頭を下げた。

「故にだ、ルイードよ。私は其方にいたく感謝しておる。また虚実であったにせよ、其方に不法入国罪という言われなき罪を着せてしまった愚行を、心より詫びたいと思うのだ…」

 すまなかったと国王は謝罪し、深々と頭を下げた。それは一国の王として有るまじき行為である。仮にルイードに対する横暴を詫びていたとしても、一国の王が冒険者風情のルイードに行うべきでは決してなかった。

 それなのにどうしてーールイードは戸惑い、焦る。そして、

「頭を上げてください。私は別に気にしてなどおりません。むしろ感謝しているぐらいなのです。このセントクルス王国に来て、本当に良かったと、そう思っているのです。いつしかこのセントクルス王国は私のかけがえのない場所となっていたのです…だから、」

 そう口にしたルイードの目には涙が浮かんでいた。その涙とは、ただでさえ口下手で、どう感謝の気持ちを伝えればいいか分からないでいるルイードの気持ちを素直には代弁してくれていた。

 そんなルイードの涙を見ては、国王もまた目頭を熱くさせていた。

「…今の其方を、妻にも見せて上げたかった」

 国王の脳裏はかつての妻ーーーカーネル・セントクルス王妃の姿が走り過ぎる。そしてその眩しくも美しい王妃と目の前にいるルイードを照らし合わせているのだった。

 ああ、やはり其方らはよく似ている。その顔立ちも、その清く美しい心も、何もかもーーー

 国王は思う。彼女達は女神の生まれ変わりなのではないかと。そして、こうも思っていた。彼女達の意思が生き続ける限り、このセントクルス王国の未来は明るいと、そんなことを…

『ありがとう、ルイードよ』





 王妃の死を機に、国王の心とは重く冷たい楔によって雁字搦めには締め付けれていた。痛かったであろう、苦しかったであろう、その痛みを知ることは誰にもできない。それでも国王とは、気丈には振る舞い続けてきた。

何故ならそれこそが亡き王妃との誓いにして、セントクルス王国の長たる使命だったからだ。

『永久なるセントクルス王国の繁栄』

 そんな使命。国王はその為に、此れまで心血を注ぎ込んできた。全てはこの国を思えばこそーーーただそんな国王の心も、次第に痩せ細くなっていった。それ程に心を締め付ける楔の痛みとは、深いものであったのだ。

『すまないカーネル…私はもう、駄目かもしれない』

 いつしか国王は、そんな弱音を口に出すようになっていた。決して皆の前では言わずとも、亡き妻の墓前に立つと、何故だかそんな弱音を吐かずにはいられなかったのだ。そして、

『カーネル、もう疲れてしまった…私もそっちに行って良いか?』

 国王は諦めていた。最早自分にこのセントクルス王国を収めることは不可能だーー苦しい。ただただ、苦しい。王様の心とは、既に限界を超えていた。腐り始めていたのである。  

王妃の死を境に、色んなものが崩壊してしまった。一度崩壊したものを直すのは酷く困難である。それでも国王は、一から全てをやり直し、そしてセントクルス王国の栄華を護ろうと努めた。そしてそんな国王の頑張りもあって、セントクルス王国は以前と変わりない美しい国としては在り続けることができた。

 ただそれと引き換えに、国王は生きる気力を失った。代償はあまりにも重かったのである。

 そして、ついにその日はやってきた。

 王様は一本の剣が握りしめる。その剣とはかつて、このセントクルス王国を建国したとされる初代国王、ルーブル=セントクルスが用いたとされる宝剣である。国王はその日、そんな宝剣を持ってしてその身を断とうと決断したのである。

『許せ、皆よ。私は本当に、駄目な王様であったな…』

 国王は王座の間にて自決を図るーーーそんな手前。ふと、最後にこの場所からセントクルスの街並みを見ようと思った。何故だか分からない。ただ何となくだが、誰かに『そうしろ』と、言われたような気がしてならなかったのである。

 国王は最後にと、窓を解放する。そしてテラスに出ては、穏やかな風を感じ、設置された望遠鏡を覗き込んだ。

『そういえばかつて…カーネルを始めて見た時も、この場所、この望遠鏡からであったな…』

 カーネル・セントクルスーーー元の名をカーネル・ルコンティ。かつての日、国王は冒険者としてセントクルス王国に入国したカーネルの姿を見つけた。運命だと思った。そして次の瞬間にも激しく胸が高鳴っていた。一目惚れだった。

 カーネルの隣にはもう一人、カーネルと酷似した女性の姿があった。そうだと言うのにも関わらず、国王はカーネルにしか目はいっていなかった。それが何故だったのか国王自身も分からないでいた。ただ突き動かされるように国王は配下の者を呼んで、こう命令していた。

『ふ、不法入国者だ!おい、かかか彼女を…彼女達を、即効ひっ捕らえよ!?』

 国王はその当時の事を明かして、カーネル王妃は大きな声を出して笑っていた。国王は弁明するようには、『どうしてあんな事を仕出かしたのか自分でも分からない』と、拗ねた子供のようには語る。そんな国王を見て、カーネルはより一層に笑うのだった。

 それはかつての記憶。国王と王妃の始まりにして、運命の導きである。それから月日が流れ、ルチェットが生まれ、ハリスが生まれ、そして、カーネルの双子の姉妹にも子供が生まれた。国王にとって、 幸せの絶頂期である。このままずっとこの幸せが続けばいいのになと、そう思っていた。

『それなのに…私ときたら…』

 国王は望遠鏡を覗きながらに、剣を強く握りしめながらに、年甲斐もなく泣いた。泣いて、己が力不足を呪い、打ち拉がれていた。

 望遠鏡が涙で滲むーーー国王は涙目をこすり、王妃と過ごしたセントクルス王国の街並みをしっかりと目に焼きつける。

 遠い場所でカーネルと再会した時に、今のセントクルス王国の様子を伝えられるようにーーー国王はそう思い、ふと、目線が入国口へと移る。

 その時だった。

「お、おい!!だだだ誰か!?誰か居らぬのか!?」

「ど、どうしました王様!!って…え!?剣なんか握りしめてどうかされたのですか!?」

「こ、この剣は何でもない!!ただ握ってみたかっただけだ!!それよりもラッカル!!今すぐ入国口にいる憲兵に伝令を出せ!!即効にだ!」

「え、え!?何毎ですか!?も、もしや敵襲!?」

「そそ、そうかもしれない!!まだ分からぬが、もしかしたらこの国を探りにきた敵国のスパイやもしれん!!」

「て、敵国?お言葉ですが王様、今現在このセントクルス王国と争う国はありませんが?」

「知らん!!とにかく何としてでもあの子を…ルイードをひっ捕らえるのだ!!これは命令だ!!」

 それは一カ月前のある日の出来事。ルイードがセントクルス王国にやってきた日に、全ては始まった。そして、長きに渡る国王の苦しみが、喜びへと変わっていったのである。

 苦痛と悲痛、そんな痛みを発する国王の心に巻かれた楔の鍵を、ルイードは運んできてくれて、そして、そっと、優しくは解いてくれたのである。

 ある意味、これは運命だったのやもしれないーーー国王はルイードを見ては、つくづくそう思った…

 



 去りゆくルイードの背に、国王は声をかける。

「ルイードよ!!其方は…其方のままでありなさい!!有りの侭の自分を、決して忘れるでないぞ!?それと…約束だ!!いつか絶対に帰ってこい!!絶対に…」

 ルイードはくるりと振り向いた。そして、

「…ええ、絶対に!!」

 笑って、そう言った。

 そうしてルイードは去っていく。行き先は国王も知らない。知らずともよい。ルイードなら、きっと大丈夫であろうーーー国王はそう思う。そして、

 セントクルスの国王は、やっと、長く続いた悲しみの呪縛から解放されたのであった。

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