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第二章 かっぱの頭

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 「神結い」の階段を上がれば、俺の部屋がある。一人で使うには些か贅沢過ぎるくらいの、俺が唯一心落ち着ける不可侵領域だ。

 俺はリビングのソファに寝転びながら、床に散乱した漫画本の山からその雑誌を取り出した。それは、数年前に買ったヘアカタログ。今の美容師はどんな髪型を作るのか気になって参考程度に買ってみたものだ。

 ぱらぱらとページをめくってみる。すると俺には到底理解できない「流行のモテ髪」やら「モテる男のヘアアレンジ」の特集ページが映り込んでくる。

「やっぱり、あいつか……」

 その特集ページの隅っこには、今よりも引き締まって見える龍之介の顔写真が小さく掲載されていた。この特集ページの髪型やヘアアレンジなどを担当した今大注目の美容師だと、そうは書いてある。以前はバカバカしいと、読み流す程度だったが。

 なぜ、気付かなかったのだろうか──俺は、あいつのことを昔から知っていた。

 龍之介は全く気づいちゃいないだろうが、俺とあいつはかつて同じ学び舎にいたことがあったのだ。鎌倉駅近くにある、美容専門学校。龍之介の歳は一個上だから、あいつが先輩。当時からたくさんの賞コンテストにて華々しい功績を飾っていたのを俺は知っている。カッコいい先輩がいると、クラスの女子たちが騒いでいたのもよく覚えている。栄光の階段を登り続ける、いけ好かないやつ。

 俺とは、真反対に位置する美容師。だから絶対、俺とあいつが交わることはないと思っていたのに、

「……納得が、いかねぇ」

 龍之介がこの「神結い」に来てから、もう一週間は経つ。俺は、どうもあいつのことが嫌いだ。





「龍之介くん、次はいつ会えますか?」

「えーと、また髪が伸びたらかな」

「じゃあ、髪を早く伸ばす方法とかありますか?」

「え、えーと、さぁどうだろうね……ないんじゃ、ないのかな?」

「残念。では、首を長くして待つしかありませんね……」と、本日最後のお客様である「首長まつえ」ちゃん(16)がしょぼくれた様子で店を去っていく。

 見た目はどこにでもいる普通の女子高生。がしかし、カットしている最中にも突然首がにょきにょきって伸びた時はさすがに空いた口が塞がらなかった。

 なんでも「ろくろ首」というあやかしの末裔らしく、恥ずかしくなると時たまに我慢できなくなって首が伸びてしまうらしい。そして実際にも、髪を切っている折にも彼女の首は伸びた。だったら嘘じゃない。現実だ──

 この美容室「神結い」は、あやかしのお客さまが髪を切りに訪れる美容室。

「龍ちゃんは些か乙女には刺激が強過ぎるからのぅ」

 床に散らばった髪の毛をホウキで集めている最中にも、玉ちゃんがそんなことを言ってきた。

「ちょっと玉ちゃん、あんまり冷やかさないでよ」

「んにゃ、わっちは別に冷やかしてなどおらぬぞ?」

 玉ちゃんはキャスターの付いたカットチェアでびゅーんと移動してきながら、溜まって髪の毛の山へと目線を落とした。

「この通り、結果がものがっておる。龍ちゃんが来てくれたおかげで、商売上がったり高まったりじゃ」

 そう言って「がはは」と高笑いする玉ちゃんには、僕はどう返していいか分からなくなる。

 僕が美容室「神結い」で働き始めて、今日で一週間が過ぎようとしていた。それはそうとして、ここ数日間でさらに僕の噂は独り歩きし、北鎌倉に住むあやかしが予約を入れてきたというのだから僕もてんやわんやだ。物珍しさというものもあるのだろうが、とにかく忙しい。

 営業が終わった頃には、外はすでに真っ暗だった。

 そんなにも目まぐるしく激変した僕の日常。あやかしのお客さまにも少しずつ慣れてきた頃合い。

「ねぇ、玉ちゃん」

「ん、なんじゃ?」

「気のせいじゃないと思うんだけどさ……大吾は、僕と働きたくないんじゃないのかな?」

 そう、この美容室「神結い」にはもう一人、五十嵐大吾という美容師がいる。なかなかにハンサムな見た目をしているが、どこかヤンキーチックの荒々しい男だ。その性格もあってか、今日もまた一人の客と喧嘩を起こしてしまっていた。相手はもちろんあやかし。「いつものことじゃ」と玉ちゃんは静観していたが、それはそれでどうなんだと思わされた僕である。

 またこれは、僕の予感で。

「大吾に、避けられてる気がするんですけど?」
「じゃろうな」

 玉ちゃんは嘘偽りその事実を認める。相手を心を読める玉ちゃんが言うのだったら、間違いない。

「なーに龍ちゃん、大吾のことなど気にする必要はない。あれの性格は今更治らぬし、もはや病気じゃ」

 玉ちゃんはそう言ってくるが、どうも腑に落ちない僕である。

「むーん……そんなに気になるなら、わっちに任せせるがよい。一度わっちが、ガツーンと言ってやろう」と、玉ちゃんが頼もしそうに拳で胸を叩いた時だった。

「誰に、なにを言うって?」

 大吾が、タイミング悪く二階の母屋から降りてくる。

「大吾、いいとこに降りてきたのぅ。この際じゃ、しっかりお灸を添えておこうかのぅ」

「なにがお灸だクソ狐。お前にとやかく言われる筋合いはねぇよ」

 それら怒声の飛び交う店内──やれやれ、また始まった。敬遠の仲、とでもいうのだろうか。とにかく二人は些細なことでも口論となり、僕がここへ来てからは毎日この有り様であった。

 幸先は、あまりよくないみたい。
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