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【王妃候補編】
20. ヴォルフガングの魔法郵便
しおりを挟むエカテリーナ王女と今後の予定を決めたクリスティーナは、王宮から王都の邸に帰るべく馬車を呼ぶ場所へ向かっていた。
日はまだ傾いていないが、王宮の厨房のある建物からは白い湯気が立ち昇っており、夕食の準備が進められているのがうかがえる。
二つ目の角を曲がれば馬車の連絡所だと思った時、一つ目の角からヴォルフガングが現れた。
「ティーナ!」
「ヴォルフ様、ご無沙汰しております」
ヴォルフガングは驚いたようにクリスティーナの名前を口にし、クリスティーナは咄嗟に会釈をした。
「今からお帰りですか?」とヴォルフガングに尋ねられ、「はい」とクリスティーナが笑顔で答える。
「私も今日は早く仕事が終わったのです。よろしければ、ローテントゥルム邸までお送りします」
「ありがとうございます。でも、せっかく早くにお仕事を終えられたのにお邪魔できません。また明日に備えてゆっくりお休みなさってくださいませ」
『騎士様のお邪魔をしてはいけませんから』
少女だったクリスティーナの姿がヴォルフガングの脳内で重なる。
ヴォルフガングは手ををぎゅっと握りしめて意を決したように言った。
「……私がティーナと話をしたい、という理由でははダメでしょうか」
「……っ!」
予想もしなかったヴォルフガングの言葉にクリスティーナは顔を真っ赤にして俯いた。
「だめでは……ないです……」
絞り出すようにして言ったクリスティーナの言葉に安堵の表情を浮かべたヴォルフガングは、ふたり並んで公爵家の馬車が待つ場所まで歩きはじめた。
馬車の乗り場まで到着すると、そこには公爵家の家紋のついた馬車が止まっていた。
ヴォルフガングの手を取り、馬車に乗り込むクリスティーナ。ヴォルフガングも馬車に乗り、クリスティーナの正面に座ると馬車の扉が閉められた。
ゆっくりと馬車が動き出すと、ヴォルフガングが口を開く。
「体調は変わりありませんか」
「はい、お陰様で健康に過ごせております」
儀式の後に目覚めてからから、ヴォルフガングに礼を伝えなくてはと思っていたクリスティーナは、馬車の中で姿勢を正す。
「……ヴォルフ様、儀式の最終日に神殿から助け出してくださったとお聞きしました。本当にありがとうございます」
「……! ティーナ、頭を上げてください」
ヴォルフガングはクリスティーナの肩に手を当てて、彼女を元の姿勢に戻させた。
「聖竜オルフェウスから全て聞いています」
「そうなのですね……」
全てという事は、あの魔法のことも知られてしまったのだとクリスティーナは思う。
「実は、私はティーナの二つ目の魔法のことを知っていたのです」
「えっ……」
思いもしなかったヴォルフガングの告白にクリスティーナの表情が固まる。
その表情に顔を真っ青にしたヴォルフガングは、慌てて釈明の言葉を口にする。
「安心してください! 貴女の引きこもりの夢を邪魔するつもりはありませんし、その力を利用しようなどと考えてておりません! むしろそんな輩がいれば私が始末します」
必死な様子のヴォルフガングを見て、クリスティーナは笑い出す。
「ふふっ……その様子では、まるで悪巧みをしようとしていたみたいです」
「本当に違うのです……!」
「はい、分かっております」
元から疑ってなどいなかったが、氷の小公爵と呼ばれるほど、普段は感情を表に出さないヴォルフガングが慌てふためく姿は新鮮だった。クリスティーナのいたずら心がくすぐられたが、落ち込む姿が大きな犬のようで、すぐに揶揄うのをやめることにした。
微笑むクリスティーナを見て安堵した表情を浮かべたヴォルフガングは、過去を思い出すようにゆっくりと話し始めた。
「ティーナは覚えていないかもしれませんが、五年前の王宮晩餐会……。王都に大雪が降った年です」
クリスティーナは、社交界デビューをした次の年の王宮晩餐会を思い出していた。
「あの日、貴女が庭園で衰弱しかけていたリスを助けているのを目にしたのです」
「もしかして、案内してくださった騎士様はヴォルフ様だったのですか?」
ヴォルフガングは少しだけ驚いたような表情を見せ、「はい」と頷いた。
「あの時、魔法を見られたのではと内心慌てていて、どなたかまで判断できていなかったのです」
「そんな風には全く見えませんでしたよ」
「幼いながらも必死だったのです」
くすくすと思い出し笑いをするクリスティーナを見つめるヴォルフガングの瞳が優しい色で満たされる。
(そんなにも前から魔法の事を知っていながら、黙っていてくださったのね……)
ヴォルフガングの人柄と知らなかった気遣いに、クリスティーナの心は暖かくなった。そして、ずっと確認したかった事を口にする。
「女神の星の魔力は……無事でしたか?」
クリスティーナは女神の星の亀裂を元に戻した後、魔力の量を確認する事なく気を失ってしまった。目を閉じる前、最後に見た女神の星は半分かそれ以下の大きさになっていた事は記憶していた。
しかし、クリスティーナに気を使わせないようにするためか、シュネーハルト公爵も公爵夫人も、残った魔力の量については口を閉ざしたままだったのだ。
ヴォルフガングが何かを考えるようにして黙った後、クリスティーナに真実を告げた。
「……流れ出した魔力までは元に戻らなかったようです。残ったのは……およそ二十年分だそうです」
ヴォルフガングからの返事に、クリスティーナは明らかに落ち込んだ表情を浮かべる。
「……そうでしたか。お力になれず申し訳ありませんでした」
「なぜティーナが謝るのです! 貴女は女神の星を守ってくださった」
ヴォルフガングが前のめりになり、クリスティーナの手を大きな両手で包む。
「ティーナが無事で本当によかった」
互いの膝がくっつく距離に、握られた両手、ヴォルフガングの手袋越しに伝わる温かな熱に、クリスティーナは顔を赤くする。
「あ……その、えっと……」
「そうだ、これを受け取ってください」
言葉に詰まっていたクリスティーナの手を、ヴォルフガングはゆっくりと離し、椅子の上に行かれていた四角い箱をクリスティーナに手渡す。
クリスティーナがリボンを解き箱を開けると、中には魔石のついた丸い箱が入っていた。
蓋部分の魔石の配置を見て、クリスティーナは驚いて言った。
「魔法郵便の箱ではないですか! こんな高価な魔導具、いただけません……!」
箱の中に入るものなら、なんでもすぐに届けることができる魔法郵便。高位貴族でも一家に一つしか持っていないような貴重な魔道具だ。
「私がティーナと手紙のやり取りをしたくて作ったのです」
「作った!?」
あまりの驚きに淑女らしからぬ大きな声を発してしまうクリスティーナ。
「残念ながら、その箱に入れた物は、対になっている私の魔法郵便にしか届きません」
「残念だなんて、そんなことありません」
クリスティーナは魔法郵便の入った箱を両腕でぎゅっと抱きしめる。
その様子を見たヴォルフガングが優しく問う。
「では受け取っていただけますか?」
「……お手紙、書きます」
か細い声でそう言ったクリスティーナの頬は薔薇色に染まっていた。
「私も毎日書きます」
「おっ、お仕事の邪魔にならない程度にしてくださいませ……」
大きく音を立てる鼓動を悟られないようにすることに必死で、満面の笑みのヴォルフガングの顔を見る余裕など、クリスティーナにはあるはずがなかった。
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