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【王妃候補編】
23. あの日の庭園で
しおりを挟む「何事だ」
グラスの割れる音と騒ぎを耳にした国王がヴォルフガングと共に、クリスティーナたちが集まる場所へやって来る。
その場にいた令嬢たちは皆、顔を伏せ膝を折った。
クリスティーナのドレスに付いた大きな赤いシミ、その足元に割れたワイングラス。
至って普通の表情のまま膝を折っているクリスティーナに比べ、その背後に守られるようにして顔色を悪くしているエカテリーナ王女。そして、クリスティーナより前で膝を折る、顔を真っ赤にしたグロスマン伯爵令嬢。
その様子を見渡した国王は、おおよその状況を理解する。
「ローテントゥルム侯爵令嬢、いったい何があった」
国王がクリスティーナに問うと、顔を伏せたままクリスティーナが答える。
「グロスマン伯爵令嬢の手元が狂い、ワイングラスを落としてしまわれただけにございます。ご令嬢方にお怪我はございません。お騒がせしてしまい大変申し訳ありません、陛下」
先ほどの光景を見ていた者ならば、グロスマン伯爵令嬢が意図的にエカテリーナ王女に危害を加えようとし、それをクリスティーナが庇ったということは一目瞭然だった。
そして、その一部始終を目にしていたヴォルフガングは、頭を下げるクリスティーナを国王の背後から見つめ、拳をギュッと強く握る。
たまたまグラスを落としてしまっただけであくまで故意ではない、被害を被ったクリスティーナがそう言うのだから、これ以上この場で事を荒げる必要はないのだ。
グロスマン伯爵令嬢も今日この場で、再び問題を起こすことはないだろうと国王は判断した。
「怪我がなくてよかった。しかしローテントゥルム侯爵令嬢、災難であったな」
「とんでもございません、陛下。控え室に予備のドレスを用意しておりますので、御前失礼させていただいてもよいでしょうか」
「うむ、構わない。今夜は長い。ゆっくりと休憩してくるといい」
「ありがとう存じます」
国王は固まったまま動かないエカテリーナ王女をちらりと見て、ため息を吐いてから踵を翻していった。
「クリスティーナ様……」
今にも泣き出しそうなエカテリーナ王女が弱々しくクリスティーナの名を口にする。
「大丈夫ですよ。わたくしは着替えてまいりますから、しばらくはベアトリーチェ様の輪の中に」
クリスティーナはエカテリーナ王女の耳元で誰にも聞こえないようにそう伝えると、少し離れた場所にいたベアトリーチェと視線を合わせる。
ベアトリーチェも理解したように小さく頷いたので、クリスティーナは人々の合間を縫って会場を後にした。
* * * * * *
ドレスを着替えたクリスティーナが会場に戻ると、既にダンスが始まっているところだった。
驚くべきことに、ダンスの中心ではルイス国王とエカテリーナ王女が手を取り合って踊っていた。
その光景に安心したクリスティーナは、壁伝いに移動して庭園へと抜けるバルコニーの方へ向かった。
外に出ると肌寒い夜風がクリスティーナの白い両腕を撫でた。
ゆっくりと庭園を歩きながら花を愛でていると、花壇の影から何か小さいものが飛び出してきた。
「あら? あなたはあの時のリスちゃん?」
「きゅきゅっ!」
リスにしては珍しい金色の毛並みに、背中の渦巻模様。クリスティーナが魔法で助けたリスはまだこの庭園に住み着いていたのだ。
「キュキュキュ」
クリスティーナとリスが見つめあっていると、リスが出て来た花壇からもう一匹のリスが飛び出してきた。
まるで金色のリスを心配するかのように、後からやってきた普通の毛並みのリスは金色のリスに自身の体を擦り付けてた。
「……あらあら、旦那さんかしら? 家族ができてよかったわね、リスちゃん」
クリスティーナがリスの夫婦に微笑んでいると、背後から足音が聞こえる。
「ティーナ?」
クリスティーナが振り返ると、そこに現れたのはヴォルフガングだった。
「ヴォルフ様? いかがされました?」
「交代で休憩をいただきました」
そう言いながらふたりは互いに距離を縮める。
「休憩? あの陛下がヴォルフ様に休憩をくださるなんて珍しいですね」
「今はエカテリーナ王女殿下と踊っておられますから。王女殿下も陛下と一緒の方がご安全でしょう」
先ほどのグロスマン伯爵令嬢の件を思い出して、クリスティーナは納得した。
「……先ほどの赤いドレスも美しかったですが、今の深い青色もお似合いですね」
ヴォルフガングがクリスティーナのドレスを真剣な瞳で見つめてそう言ったので、クリスティーナは頬を赤くする。
「ありがとうございます……」
冷たい風にクリスティーナが火照った顔を冷やしていると、ヴォルフガングが上着を脱いでクリスティーナの肩にそっとかける。
驚いたクリスティーナが、ぱっと顔を上げるとそこには微笑むヴォルフガングの顔があった。
「よければ少し歩きませんか?」
思考が上手く働かないクリスティーナは「はい」と返事をするだけで精一杯だった。
庭園の中をゆっくりと歩き進めるうちに、ダンスの音楽の音が小さくなってゆく。
しばらくふたりとも黙って歩いていたが、晩餐会の騒めきが聞こえなくなるとヴォルフガングが口を開いた。
「グロスマン伯爵令嬢の件は、本当に見事でした」
「見ておられたのですか?」
「ええ。ローストビーフは……残念でしたね」
予想もしないヴォルフガングから出た言葉に、今度は恥ずかしさで顔を赤くした。
「ほっ、他の方にも見られていたでしょうか……」
社交界の華、淑女の中の淑女であるロゼが、社交を疎かにして食い意地が張っているなどとは思われてはいけないと、焦りや恥ずかしさでいっぱいになる。
「いいえ、王女殿下にご挨拶に伺ったようにしか見えませんでしたよ」
「ではなぜヴォルフ様は、わたくしがローストビーフを見ていた事をご存知なのですか……」
恥ずかしさで合わせる顔のないクリスティーナは、足元を見ながらそう言った。
「我が家でも、父と会話する緊張より目の前の料理を楽しめないことの方が残念そうでしたから」
クリスティーナは、シュネーハルト家の晩餐で公爵に質問攻めにあいそうになった自分をヴォルフガングが助けてくれたのを思い出した。
「わたくし、そんなに食い意地があるように見えているのですか?」
ジトっとした目でヴォルフガングを見上げたクリスティーナ。
食べることが好きなのも、あの時シュネーハルト領の郷土料理を楽しみたかったことも否定できない。しかし、ヴォルフに「食い意地の張った女」認定されるのは不服であった。
「いいえ、美味しそうに食事をする方は好きです」
クリスティーナの瞳が「好き」という言葉に反応して大きくなる。
「口いっぱいに食べ物を詰めたリスのようで、可愛らしいではないですか」
ヴォルフガングは揶揄うような笑顔で、クリスティーナの目を見てそう言った。クリスティーナは耳まで赤くして少しだけ大きな声を出す。
「かっ、からかっていますね!」
「この間、馬車でティーナに揶揄われた分です」
茹で上がったタコのようになるクリスティーナを見て、ヴォルフガングは声を出して笑った。
声を出して笑うヴォルフガングに目を丸くしたクリスティーナの熱がゆっくりと引いていく。
ひとしきり笑った後「すみません」とクリスティーナに謝罪を述べる。
そして、エスコートする様に片腕をクリスティーナに差し出した。クリスティーナはその腕をじっと見つめた後、何も言わずにその腕を取ったのだった。
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