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【王妃候補編】
26. 送れなかった手紙【ヴォルフガング】
しおりを挟む満月の光に照らされた部屋で、遠征前夜であるにも関わらず、ヴォルフガングはひとり筆を取り机に向かっていた。
机の横に置かれたゴミ箱には、破かれた紙が何枚も入っていた。
「くそっ……」
書いていた文字の上をグシャグシャと万年筆で上書きしてゴミ箱へと放り込む。
「なぜこうも遺書のようになってしまうんだ……」
減ったインクに紙の全ての紙に記された『愛するティーナへ』という文字を見て、ヴィルフガングは大きくため息をついた。
二日前の晩餐会の夜、涙を流すクリスティーナに何もすることができなかったのをヴォルフガングは悔やんでいた。
(あんなこと、話さなければ良かったのだろうか……)
いつも完璧な身のこなしで上品に微笑んでいるかと思えば、実は他の事を考えている姿。
人を揶揄う時の楽しそうな紫色の瞳、それなのに少し近づくだけで顔を真っ赤にする純粋さ。
卓越した話術に、ずば抜けた観察力でうまく場を切り抜けたかと思えば、内心はハラハラと焦っている可愛らしさ。
本当はひとりを何より好むところ。食べるのが好きなところ。
風に揺れる柔らかなプラチナローズの髪、天使のような透き通った歌声で紡がれる魔法……
その全てがヴォルフガングの脳裏に鮮明に焼きついていた。
自分よりも十も若く優秀なクリスティーナ。容姿も性格も家柄も素晴らしい彼女には、きっと素晴らしい未来が待っているだろうと、ヴォルフガングは自嘲気味に笑って濃紺の髪をかき上げた。
『素敵な人と出会っていつまでも笑顔でいてほしい』
『私のことは忘れて幸せに暮らしてほしい』
『愛している』
そんな言葉しか綴ることの出来ない自分にヴォルフガングは嫌気がさした。
忘れてほしいと書きながら、まるで忘れて欲しくないと言っている。君にはもっといい人がいると書きながら、自分の傍で笑っていてほしい、幸せにしたいと思っている。
(聡い彼女なら、こんな矛盾した想いなどすぐに読み取ってしまうだろうな)
そんなことを考えながら、ヴォルフガングは天井を見上げて目を閉じる。
今回の戦いが、二十年前よりも厳しいということは上層部の誰もが分かっていた。
ヴォルフガングが遠征に志願した時、真っ先に反対したのはシュネーハルト公爵だった。公爵は、戦闘の経験がある老い先も短い自分が先頭に立つべきだと言った。
しかし、ヴォルフガングは一歩も譲らなかった。
父がいなくなれば、シュネーハルトや王国の魔導具の発展は止まってしまうと思ったからだ。
魔力が少なくなっていくこの世界で、本当の意味で民の生活に寄り添った魔導具を作れるのは父だけだと。
最終的には、国王の判断で遠征にはヴォルフガングが赴き、シュネーハルト領とモーゼル公国との国境で公爵が騎士団を従え、万が一に備えるということになった。
国王自身も、幼い頃からの友人であるヴォルフガングを戦地へ向かわせるのは苦渋の決断であった。
それでも、貴族たちや魔術師団に横槍を入れられることなく、公爵の魔導具の技術を国のために最大限生かすためには、ヴォルフガングに爵位と騎士団団長の座を引き継がせることが必要だと考えていた。
それが、ヴォルフガングと同じ考えであることも国王は承知していたのだった。
国を守り、新たな英雄として帰還すれば、円滑に世代の交代が行われる。
先王の時代から国の重鎮だった貴族や役人の中には、年功序列という古い考えを未だに持っている者も多い。それらをねじ伏せるいい機会となるだろう。
晩餐会の日、着替えを済ませた国王は執務室でヴォルフガングにそう語っていたのだった。
ヴォルフガングがゆっくりと金色の瞳を開き、もう一度万年筆を手に取ろうとした時、机の上に置かれた魔法郵便の魔石が赤く光っていることに気がついた。
「ティーナ?」
クリスティーナとしか繋がっていない魔法郵便の箱をゆっくりと開けると、白いハンカチで包まれたものが入っていた。
ヴォルフガングがそれを手に取り、ハンカチの布をひとつひとつ丁寧に開いていくと、そこには氷でできたような透明で美しい薔薇の花がキラキラと光り輝いていた。
手に持つとほのかに温かさを感じる美しい薔薇。
まだ秘密の魔法があったのかと苦笑いを浮かべながら、ヴォルフガングの胸が強く締め付けられた。
(ティーナに会いたい……)
その時、晩餐会の夜にクリスティーナが言った一言がヴォルフガングの脳内に蘇る。
『なぜ”今”を見ずに、起こるかどうかも分からない”未来”を考えるのです? それほど相手の事を想えるのならば、女性としては好意のある男性には腹を括ってもらい、自分が幸せにすると言って欲しいものです』
ヴォルフガングは思わず目を見開いた。
(そうだ。俺が、幸せにするんだ。初めて愛しいという感情を抱かせてくれた彼女を)
手の中でテーブルライトの光を反射しながら光る薔薇を見て、いつの間にか弱気になっていた自分に気がついたヴォルフガング。
手紙を書くことをやめ、机の二番目の引き出しから魔導具を加工する際に使う道具箱を取り出す。
(自分の口で、この先何度でも、彼女に愛していると伝えるんだ)
* * * * * *
遠征当日、パレードが行われる道には多くの民衆が集まっていた。
馬に乗ったヴォルフガングは、先に王宮を出発した隊列の背をじっと眺めていた。
そして自分が進み始める順番になり待機していた門を潜ると、王宮のバルコニーには多くの貴族が見送りのために並んでいるのが見える。
その中に無意識にクリスティーナの姿を探していたヴォルフガングは、バルコニーの一番端の方で輝くプラチナローズの髪を見つけた。
不安そうに歪むその表情にヴォルフガングの心臓が締め付けられたが、絶対にこの腕の中で愛を伝えるという決意を胸に馬の歩みを進めた。
しばらくすると、クリスティーナもヴォルフガングの姿に気が付き、ふたりの視線がぶつかる。
(愛しいクリスティーナ、泣かないで。俺は必ず君の元に戻る)
祈りを込めて、ヴォルフガングは自分の左胸に身につけた氷の薔薇を手で包み込んだ。
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