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【王妃候補編】
27. 英雄の帰還
しおりを挟むヴォルフガングが遠征に出発してから、一ヶ月が過ぎようとしていた。
クリスティーナは領地に戻る予定を取りやめ、王都に留まっている。
ヴォルフガングの帰りを待ちたいという思いと、王妃候補として名前が上がってしまったという建前上、領地に引っ込むことが出来なくなってしまったからだ。
涙の遠征出発から一ヶ月の間、元気のないクリスティーナの事を心配したエカテリーナ王女が、礼儀作法の勉強を続けたいからと、頻繁にクリスティーナを王宮に呼び出していた。
作法の勉強を教わる時もあれば、お茶をしながらお喋りをするだけの日もあった。そこにはベアトリーチェも同席しており、彼女も口には出さないがクリスティーナの事を心配していた。
そして今日も、午前中にベアトリーチェとの勉強を終えたエカテリーナ王女とクリスティーナの三人は、エカテリーナ王女の部屋でティータイムの時間を一緒に過ごしていた。
「クリスティーナ様、今日のお紅茶も美味しです!」
紅茶の香りを楽しみながらエカテリーナ王女が言った。
「お口に合ってよかったです」
いつも通り微笑みながらそう言ったクリスティーナだったが、少しだけ暗いその微笑みにエカテリーナ王女は眉を下げ、ベアトリーチェは眉間に皺を寄せた。
「クリスティーナ様!」
テーブルにティーカップを置いたベアトリーチェが不満そうにクリスティーナの名前を呼ぶ。
「いつまでそんなお顔をなさっているのですか! まだ誰かが亡くなったとも、部隊が壊滅したとも何も情報はありませんのよ! お気を強く持ちなさいな!」
遠征から三週間たった先週の夜、モーゼル公国の都が陥落し、大公と大公妃が亡くなったと公表された。
大公夫妻の命が帝国に打ち取られたという事は、モーゼル公国がイージス大帝国の手に落ちたという事だ。援軍として公国に向かった、ルクランブルク王国の魔法騎士団と魔術師団もタダでは済まないだろう。
何の連絡もないまま一週間が過ぎ、魔法騎士団と魔術師団が壊滅したのではという話まで囁かれはじめていた。
「……申し訳ありません」
何も言い返すことの出来ない、いや、言い返す元気すら持ち合わせていないクリスティーナは、俯いたままそう呟くだけだった。
歯痒い気持ちを抑えきれないベアトリーチェは、声量をさらに一段階上げる。
「夫の帰りを信じて待てないようでは、公爵夫人なんて務まりませんませんわよっ!」
「べ……ベアトリーチェ様、そのくらいに……」
さすがによろしくないと思ったエカテリーナ王女が止めに入ったが、ベアトリーチェの勢いは止まらなかった。
「どんなに不利な状況でも、それを涼しい顔でひっくり返してみせる腹黒さはどこへ行ったのです!?」
「……」
何も返事を返さないクリスティーナに、ベアトリーチェは顔を真っ赤にしてドレスのスカートを強く握って立ち上がった。
ベアトリーチェにとってクリスティーナは、社交界での戦友のような存在だった。王国一の頭脳と名高い自分より上の称号を手にし、上っ面だけの貴族令嬢ばかりの中で、どんな嫌味や皮肉も言い合えるクリスティーナをベアトリーチェは好ましく思っていた。
そのクリスティーナが、まるで魂でも抜かれたかのように呆けている姿は、ベアトリーチェにとって耐えがたいものだったのだ。
「人前で表情を崩したことなどない貴女が、あの日、涙まで流していたのですよ! 今だって……っ! 小公爵様をお慕いしているのでしょう!? だったら信じてみなさいな!」
はあはあと肩を上下させるベアトリーチェ。
心配している気持ちはクリスティーナにも伝わっていた。何か言わなくては……と口を開こうとしたその時、部屋の扉が開かれ、額に汗を滲ませたレイアがクリスティーナのもとへ早足でやってきた。
「お嬢様! お話中失礼いたします!」
「……レイア? どうしたの?」
「旦那様から言伝を……!」
「お父さまから?」
レイアから一通の封筒を手渡される。
王宮で働く父から急ぎの連絡。クリスティーナは胸騒ぎを覚えた。
恐る恐る封筒の中に入っていた手紙の内容を確認した。
「クリスティーナ様……?」
紫色の目を潤ませたまま大きく見開き、手紙を持つ手を震わせるクリスティーナにエカテリーナ王女が不安そうに声をかける。
「……魔法騎士団が……」
「えっ……?」
「どうなさいましたの!?」
クリスティーナが呟いた言葉に、エカテリーナ王女とベアトリーチェがすぐさま反応する。
少しだけやつれたクリスティーナの頬に一筋の涙がつたった後、震える声でクリスティーナは言った。
「負傷者はいるものの、明日、全員無事で王都へ帰還とのことです……」
その言葉を聞いたエカテリーナ王女とベアトリーチェは顔を見合わせて、安堵したように微笑み合った。
ふたりはクリスティーナのもとに駆け寄って、背中に優しく手を添える。
「だから言ったではありませんか! あの氷の小公爵様が易々と帝国軍になど負けるはずがありませんわ!」
「クリスティーナ様っ! 本当に……本当に良かったですね……!」
「はいっ……」
手紙をくしゃくしゃにして額に押し付けたまま、ぽろぽろと涙を流すクリスティーナ。
そんなクリスティーナを見て、堪えきれずにベアトリーチェも涙を流しながら言った。
「クリスティーナ様! ここのところ涙脆くなりすぎですわよ! そんなでは……ロゼは務まりませんわよ……!」
「ベアトリーチェ様だって泣いてらっしゃるではないですか……」
涙は流れているものの、久しぶりにクリスティーナの本当の笑顔を見たベアトリーチェは、青い瞳を見開いた後、手で軽く自分の涙を拭き取った。
「こっ、これは、もらい泣きというやつですわ!」
およそ一ヶ月ぶりに、笑い合う三人を見た侍女たちもひっそりと涙を流したのだった。
モーゼル公国を守る事は叶わなかったが、公国の侵攻を指揮していた帝国軍の将軍を捕らえた魔法騎士団は、公国に残っていた帝国軍を捕虜とし、これ以上の侵略行為を行わないようイーゼル大帝国の皇帝へ信書を送った。
そしてシュネーハルトと元モーゼル公国との国境で、ルクランブルク王国とイーゼル大帝国の不可侵条約が締結された。
その間、魔法騎士団と魔術師団はシュネーハルト領で休息をとり、怪我をした者たちは治療にあたっていたそうだ。
帝国軍の将軍を捕らえ、不可侵条約の締結まで持ちこんだのはヴォルフガングの策だった。
ヴォルフガングを新たな英雄として迎える準備が着々と行われ、クリスティーナが手紙を手にした次の日の朝、王都では帰還した魔法騎士団と魔術師団の凱旋パレードが盛大に行われた。
* * * * * *
王都の街で凱旋パレードが行われている頃、クリスティーナは王宮の謁見の間で、王宮に到着した団員の褒章授与式に参列していた。
帰還した全員に勲章が渡され、パレードの最後の隊列だった団員たちが謁見の間に到着してもヴォルフガングは姿を現さなかった。
クリスティーナの脳裏には「まさか」と一抹の不安がよぎったが、それを振り払い、祈るようにしてヴォルフガングの到着を待った。
最後の勲章が団員の手に渡った時、謁見の間の扉が音をたたて開かれた。
その場にいた全員の視線が、後方の扉へ集まる。
誰も入ってこない扉を全員が見つめてから数秒時間が経ち、静まりかえった広間に一つの足音が響く。
コツコツと少し早いテンポで足音を鳴らして謁見の間へ入ってきたのは、一ヶ月前と何も変わらない、氷の小公爵、ヴォルグガングだった。
その姿を目にした団員たち、そして貴族たちから自然と拍手が沸き起こる。
クリスティーナはヴォルフガングが歩いている姿を、滲む視界から見つめ、周りと同じように拍手をしてヴォルフガングの帰還を称えた。
ヴォルフガングは国王の待つ場所までやって来ると、赤いカーペットの上に膝をつき、頭を垂れた。
「ヴォルフガング・フォン・シュネーハルト、ただいま戻りました」
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