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【王妃候補編】
36. 薔薇姫は愛する人のために歌う
しおりを挟むヴォルフガングの姿を見て安心したクリスティーナは、氷漬けになったグロスマン伯爵令嬢の足元にぺたりと座り込んだ。
そんなクリスティーナの元まで急ぎ足でやってきたヴォルフガングがしゃがみこむ。その額には汗がにじみ、夜会の時は整えられていた髪は汗で乱れていた。
「ティーナ、待たせてすまない」
「ヴォルフ様……」
感情の読めないヴォルフガングにクリスティーナが戸惑っていると、そのままクリスティーナを横抱きにしてその場を離れるために歩き出す。
「あ、歩けます……!」
「だめだ」
それからヴォルフガングが何も言葉を発さなかったので、クリスティーナもヴォルフガングの肩に手をまわしたまま口を開くことはなかった。
屋敷の外では、第一騎士団の服を着た三人の騎士とブランケットを羽織ったエカテリーナ王女が立っていた。
(エカテリーナ様……ご無事でよかった)
怪我もないエカテリーナ王女を見て、クリスティーナはヴォルフガングの腕の中で安堵する。
「隊長」
邸から二人が出てきた事に気がついた、ひとりの騎士がヴォルフガングとクリスティーナの元へ近づいて来る。
「要請した応援は後二十分ほどで到着するようです」
「わかった。それまで王女殿下と侯爵令嬢をしっかりと護衛するように。俺は屋敷の中を確認して来る」
そう言うとヴォルフガングはクリスティーナをゆっくりと下ろした。
「ティーナ、騎士のふたりと一緒に待っていてください」
いつもの話し方に戻ったヴォルフガングだったが、その瞳は冷たかった。クリスティーナは「はい」と答えることしか出来ず、少しだけ寂しい気持ちを抱えながら、報告に来た騎士と共にエカテリーナ王女の待つ場所へ向かうことにした。
クリスティーナが踵を翻そうとしたその時、背後からカキン、と何かを弾くような音が聞こえた。
まさかと思いエカテリーナ王女の方を見ると、銀色のバリアに包まれ、怯えるエカテリーナ王女と彼女を背に隠す騎士がいた。
(どうして? ヴォルフ様の魔法で屋敷は制圧されたはずじゃ……)
クリスティーナがその光景に冷や汗を流した瞬間、「ティーナ!!」とヴォルフガングの叫ぶような声が聞こえ、クリスティーナの視界はヴォルフガングの紺色の服で埋め尽くされた。
抱きしめられていたヴォルフガンの体がドスっという音とともに揺れ、クリスティーナにゆっくりと体重がかかってくる。
「そこか! 光よ、捕縛せよ!」
近くにいた騎士の一人が杖を取り出してそう叫んだ時、男の唸るような声が聞こえ、目の前の木から拘束された少年が落ちてきた。
エカテリーナの近くにいた騎士の一人が男に駆け寄り、魔法の拘束を解こうと暴れる男に「大人しくしろ」と体の自由を奪う魔法をかけると、少年は目を見開いたままピクリとも動かなくなった。
「ヴォルフ様……?」
クリスティーナを抱きしめるヴォルフガングの手の力が抜け、体がゆっくりと崩れ落ちていく。
「ヴォルフ様!!」
「隊長!!」
近くにいた騎士が倒れ込んだヴォルフガングを慌てて支え、地面に仰向け寝かせると地面がどんどん赤い地で染まった。
腹部に大きな穴をあけ、真っ青な顔で苦しそうに呼吸をするヴォルフガングを見て、拘束されていた少年が笑い出す。
「あははははは! ざまあみろ! 父さんを……俺たちをあんな目に合わせた復讐だ!!」
狂ったように笑うその少年の手から魔法銃が落ちる。
「お前さえいなければ、父さんは帝国の大将軍になっていたんだ! それなのに、お前が帝国軍をめちゃくちゃにしたせいで、父さんは将軍の地位さえも失った! 帝国の為に命をかけられない臆病者だと罵られ、俺たちは反逆者だと言われた!」
その声が聞こえたのか、ヴォルフガングはうっすらと目を開け、夜明けの近い空を見上げたままゆっくりと口を開いた。
「……ガラツ将軍が……将軍の地位を追われたのは……皇帝の命に逆らって、勝手に兵を率いて公国を侵攻したからだ……」
「嘘だ! 公国の大公は国民を苦しめていた……だから父さんが皇帝の命令で公国を救済しに行ったんだ! 父さんはそう言っていた!! 父さんを侮辱するな!!」
少年は目を充血させて唾を飛ばしながら叫んで言った。
「君は……知らないのか……。ガラツ将軍が……クーデターを目論んでいた事を……」
「は?」
ヴォルフガングの言葉を聞いた少年が目を見開く。
「現皇帝の……平和的政治が気に入らなかったガラツ将軍は……反皇帝派の人間を集めて……クーデターを画策していた。公国を攻め滅ぼし、親皇帝派の分裂を狙った……そして混乱の最中に……クーデターを起こして、前皇帝の弟を皇帝に据えようと……していた」
「そんな嘘をっ……」
「もう黙ってください」
少年がヴォルフガングの言葉を否定しようとしたが、それをクリスティーナの冷たい声がが遮った。
「……無知というのは、本当に罪ですね。貴方も、グロスマン伯爵令嬢も……」
悲しそうな瞳でそう言った後、クリスティーナは杖を取り出して少年に向ける。
「凍れ」
クリスティーナがそう唱えると、少年は何かを言いかけようと口を開いたままの姿で氷漬けにされた。
ヴォルフガングと同じ精度の魔法に、騎士達は目を見開いて驚いていた。
「ティーナ……」
自分の傍らに座り込むクリスティーナに視線を移すヴォルフガング。苦しそうな金色の瞳と視線があったクリスティーナは、ヴォルフガングの額を流れる汗を手で拭った。
「喋らないでください。今から傷を治します」
「そんなこと……だめだ……」
クリスティーナのしようとしている事をヴォルフガングは察し、止めようと動かしたその唇はクリスティーナの唇によって塞がれた。
クリスティーナは唇を離すと、大きく開かれた金色の瞳が近くにあった。
そしてクリスティーナはその瞳を見つめたまま、静かに歌い始める。
” 陽は沈み 世界が闇に包まれる時
光り輝く ひとつの星”
ヴォルフガングの頬を優しく撫でながら、まるで子守唄のように歌われるその歌を、ヴォルフガングは大人しく聴いていた。
” 花が咲き いのちが芽吹くその時
世界は光で包まれる
幸せに涙する日も 悔しさに涙する日も
変わらずにそこにある”
金色に輝く光がクリスティーナとヴォルフガングを包み込んでいく美しい光景を、エカテリーナ王女も騎士たちも固唾を呑んで見守っていた。
” 世界を照らす 聖なる光
世界を変える 智なる光
あなたの光が 世界を輝かす“
クリスティーナはヴォルフガングの額に自分の額をくっつけ、目を閉じて祈るように歌い続ける。
” いつか見たあの星を
見失わないように
花が咲くように 水が満ちるように
あなたの心に光を灯す”
夜明けが近づき、太陽の光が辺りを照らし始めた時、ふたりは眩いほどの白い光に包まれた。
エカテリーナ王女と騎士たちはその光の眩しさに目を閉じる。彼らが再び目を開けた時には、ヴォルフガングの腹部に開いた穴が何もなかったかのように綺麗に閉じられていた。
「ティーナ……っ!」
先ほどまでの痛みや怠さが嘘のように消えたヴォルフガングは起き上がり、クリスティーナを抱きしめる。
クリスティーナもヴォルフガングの背中に腕を回し、魔法が成功したことに胸を撫で下ろした。
「お願いをまだきいていません」
「え?」
突然そう言われた言葉の意味が分からなかったヴォルフガングがクリスティーナの顔を覗き込むと、そこには涙で潤んだ紫色の瞳があった。
「無事に戻られたら……ヴォルフ様のお願いをきくと、約束したではないですか。勝手にいなくなられては困ります……」
ヴォルフガングは、晩餐会の日にクリスティーナと庭園で話した事を思い出す。
「覚えていて……くれたのですか?」
頷くクリスティーナを見て、ヴォルフガングは目の奥が熱くなるのを感じた。
それから、クリスティーナを抱きしめていた片方の手でクリスティーナの手を握り、愛しい紫色の瞳を見つめて言った。
「ティーナ、愛しています。私と結婚してください」
クリスティーナは一筋だけ涙を頬に伝わせるとヴォルフガングに笑顔を見せる。
「わたしもヴォルフ様を愛しています。末永くよろしくお願いいたします」
再び唇を重ねたふたりを邪魔するものはもう誰もいなかった。
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