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第29話「絆」
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使用人長は長い舌を蛇のように動かしている。
腰をくねらせ、淫靡な夜の帳へと誘い込む娼婦のように。
ふと、舌にある大きな目と目が合う。
魚だ。海岸に打ち捨てられた魚のめだ。
黒の中に濁った白が混在し、外側を唾液が覆うことで膜の役割を果たしている。
と、舌の先端が裂けはじめ、物理的に二枚舌となる。
分かれた舌の間、その上下には綺麗に生え揃った白い歯があり、奥にはちゃんと舌があるようだった。
「私の魂の神器は『内包型』。『建物』の味を知ることで、『建物』全てを意のままに操ることができる。五感は共有され、そこに踏み込んだ人物の肉体的支配権を得る——私はこれを『天啓』と呼んでいます」
口を開けたまま使用人長は言う。
いや、違う。舌が言うのだ。
パンパカーナは思った。よかった。ルト、お前は何も悪くはなかったのだな。安心したよ、と。
使用人長はランタンを地面に置くと、壁に両手を添え、ざらついた岩の壁をまるで愛しく男根を舐めるかのように、下から上へと吐息交じりに舌を這わす。
表情が変わっていることに気がつく。目は虚ろで、恍惚としている。
何往復か繰り返したあと、満足したのか、壁から退く——唾液の糸を、引きながら。
「はあ......。明朝です。本日の明朝、玉座の間にて儀式を執行します」
口の周りに付着した唾液をハンカチで拭いながら言う。「パンパカーナ、あなたをね」
「それはそれは。何と光栄なんでしょう! 女王陛下、ばんざーい」
パンパカーナは威勢を緩めることなく、使用人長に喰ってかかる。
人を小馬鹿にしたような声色で舌を少し出して。
すると顎先を摘まれ、眼前に使用人長の顔が現れた。
「あなたはいつまで、そうして虚勢を張るつもりなのですか?」
「死ぬまで」
パンパカーナは使用人長を見据えて言う。
「......そうですか。では、最後に何か言いたいことは」
「——解せないな」
「なにが、でしょうか」
「宮殿にいる人間の肉体を操れるなら、私たちをどうにでもできたはずだ。それこそ、首を吊って殺すこともできただろう。なぜ、こんな回りくどいことをする」
使用人長は間髪入れずに答える。
「つまらないからです。ただ殺すだけでは味気がないじゃあないですか。それに、私の目的はあなたをより凌辱的に殺すこと。今宵はそのためのお膳立てということで——大丈夫、心配する必要はありませんよ、あなたの首を落とすのは私がやりますから。女王陛下には手を汚させません」
いつの間にか使用人長からは恍惚とした表情も頬の紅潮も消え失せて、元通りの鉄仮面になっていた。
パンパカーナはフッとほくそ笑む。
それを見て使用人長は言う。「他に何かありましたら、どうぞ」
「——ぷっ」
パンパカーナは口を尖らせた。
と、頬に液体が付着する感触を受ける使用人長。
指で拭き取り、手のひらを見つめる。
「唾、付けといたから。お前は私のものだ、絶対に殺る」
使用人長はそう言うパンパカーナの顎から手を離すと、無言で肩越しに一瞥し、ランタンを拾い上げて階段を上り、闇の中に溶けていった。
少しして、本棚の仕掛けが動いた音が聞こえる。
すると、パンパカーナを抑えていた腕は力を失くし、体は自由を取り戻すと共に地面に倒れこんだ。
ランタンの灯りは消え、視界は暗黒に支配される。
ルトはどんな顔をしているのだろう。わからない、見えないんだもの。
もしかして、罪悪感に押しつぶされそうなの? 気にしなくてもいいよ、ルトは悪くない。
全部。全部全部。あいつが悪いのだから、ね? 今日はもう眠ろう、疲れたでしょう——
パンパカーナは手を暗闇に向かって伸ばすが、ただ空気を掴むだけであった。
腕は死んだように落ちて、冷んやりとした床の感触を気持ちいいなんて思っている。
片方の腕は、温かく濡れていた。
$$$
玉座の間にはステンドグラスから差し込む光が神聖な空間を演出していた。
レッドカーペットを境界線に、使用人達が並び、対面している。
二人の使用人長を傍に置いて、レベッカが玉座に腰掛けていた。
四隅にはペリドット色の鎧を身に纏った衛兵が槍を持って立っている。
パンパカーナは手首を鉄の輪に拘束され、首元には赤いチョーカーが飾り付けてあり、そこから鎖が伸びている。
鎖を握る衛兵に主導権を握られている。まるで犬の散歩だ。
「パンパカーナ・パスティージュ・パンナコッタを御前へ!」
眼鏡をした使用人達が高らかに言う。
主犯格は鉄の仮面を被り、ただ様子を見ている。
おぼつかない足取りで歩くパンパカーナは、すでに満身創痍だった。
顔は青白く、精気が感じられない。目の白い部分は血走って赤くなっている。
使用人達は憐憫のまなざしをパンパカーナに向けているようだ。
中には口許を手で覆う者も見受けられ、また、眉をひそめる者もいた。
十段ほどの階段の上からレベッカが見下ろしている。
衛兵がパンパカーナの背中を蹴り飛ばし、体はカーペットの上を転がる。
痛みに顔を歪め、光のない瞳でレベッカを見上げると、まさに今、玉座から腰を上げているところだった。
ちらと横を見やると、唾をつけられた使用人長がパンパカーナを見ながら口をかすかに動かしている。
(お・め・で・と・う)
皮肉だ。
もう、何も言い返す気力もなかった。
ただ、目の前でバラのようなドレスを脱いでいくレベッカを見ていることしかできない。
下着姿になると、ゆっくりと平らな階段を降りてくる。
勇ましい面構えをしていた。これから戦場にでも赴く兵士のような、そんな顔だ。
ああ、どうやら私は汚されて、果ては殺されるらしい。
覚悟はしていたけれど、いざ時が来ると身体が勝手に震えはじめた。
ごめんなさい、戸賀勇希。私はもう、お前の仲間ではいられないよ。
私から誘ったのに、途中で投げ出してごめんなさい。許してなんて、言わないから——
レベッカが最後の階段を降りた。その時、
「失礼します!! 女王陛下!! 女王陛下!!」
衛兵が白色の巨大な扉を勢いよく開き、飛び込んできた。
一同は動きを止め、視線は衛兵に集中する。
「何事だ! 儀式の最中であるぞ、下がれ!」
眼鏡をした使用人長が激昂する。
「そ、それが......緊急事態でして」
「言え」
「民衆が門に大挙をなして押し寄せています! 衛兵総出で対処にあたっていますが、突破は時間の問題かと!」
「なっ、そんな馬鹿な!」
眼鏡をした使用人長が早足で大きな出窓に近づき、外の様子を確認する。
そこには、木刀や鉄パイプのようなものを持った民衆が、砂糖に集る蟻のように密集していた。
衛兵たちが門の前で突破されないよう、体全体で受け止めている。
その中、屈強な男二人に担がれたオールバックでキツネ目の男が民衆の士気を高めていた。
「さあ、みなさん! 今こそ奮起する時です! 囚われの愛する娘を、女王の元から解放するのです!」
民衆は吼えるように声をあげ、後続に次々と人が集まってくる。
「そんな......」
唖然とする眼鏡をした使用人長。
使用人達は突然の出来事に困惑し、ざわつきだす。
「静まれ! 静まらぬか——」
レベッカが檄を飛ばしたその瞬間、ステンドグラスが粉々に砕け散り、色とりどりの破片が宙を舞う。
パンパカーナはその方に視線をやると、太陽の光を背に、黒い人影が降ってくるのが見えた。
「貴様......。貴様は、なんだ」
凄まじい怒りの波紋が眉間に集中する。
レベッカの拳は小刻みに震えていた。
革靴が床を踏む。
遅れて、布がはためく音がする。
突如飛来した来訪者は、下半身は黒いスーツに青いストライプの入ったワイシャツ、白いローブを肩にかけ、白銀の髪を揺らし、外側が湾曲した白銀の刀身に、真っ赤な柄の長剣らしきものを携えている。
「戸賀勇希。仲間を、助けに来た」
腰をくねらせ、淫靡な夜の帳へと誘い込む娼婦のように。
ふと、舌にある大きな目と目が合う。
魚だ。海岸に打ち捨てられた魚のめだ。
黒の中に濁った白が混在し、外側を唾液が覆うことで膜の役割を果たしている。
と、舌の先端が裂けはじめ、物理的に二枚舌となる。
分かれた舌の間、その上下には綺麗に生え揃った白い歯があり、奥にはちゃんと舌があるようだった。
「私の魂の神器は『内包型』。『建物』の味を知ることで、『建物』全てを意のままに操ることができる。五感は共有され、そこに踏み込んだ人物の肉体的支配権を得る——私はこれを『天啓』と呼んでいます」
口を開けたまま使用人長は言う。
いや、違う。舌が言うのだ。
パンパカーナは思った。よかった。ルト、お前は何も悪くはなかったのだな。安心したよ、と。
使用人長はランタンを地面に置くと、壁に両手を添え、ざらついた岩の壁をまるで愛しく男根を舐めるかのように、下から上へと吐息交じりに舌を這わす。
表情が変わっていることに気がつく。目は虚ろで、恍惚としている。
何往復か繰り返したあと、満足したのか、壁から退く——唾液の糸を、引きながら。
「はあ......。明朝です。本日の明朝、玉座の間にて儀式を執行します」
口の周りに付着した唾液をハンカチで拭いながら言う。「パンパカーナ、あなたをね」
「それはそれは。何と光栄なんでしょう! 女王陛下、ばんざーい」
パンパカーナは威勢を緩めることなく、使用人長に喰ってかかる。
人を小馬鹿にしたような声色で舌を少し出して。
すると顎先を摘まれ、眼前に使用人長の顔が現れた。
「あなたはいつまで、そうして虚勢を張るつもりなのですか?」
「死ぬまで」
パンパカーナは使用人長を見据えて言う。
「......そうですか。では、最後に何か言いたいことは」
「——解せないな」
「なにが、でしょうか」
「宮殿にいる人間の肉体を操れるなら、私たちをどうにでもできたはずだ。それこそ、首を吊って殺すこともできただろう。なぜ、こんな回りくどいことをする」
使用人長は間髪入れずに答える。
「つまらないからです。ただ殺すだけでは味気がないじゃあないですか。それに、私の目的はあなたをより凌辱的に殺すこと。今宵はそのためのお膳立てということで——大丈夫、心配する必要はありませんよ、あなたの首を落とすのは私がやりますから。女王陛下には手を汚させません」
いつの間にか使用人長からは恍惚とした表情も頬の紅潮も消え失せて、元通りの鉄仮面になっていた。
パンパカーナはフッとほくそ笑む。
それを見て使用人長は言う。「他に何かありましたら、どうぞ」
「——ぷっ」
パンパカーナは口を尖らせた。
と、頬に液体が付着する感触を受ける使用人長。
指で拭き取り、手のひらを見つめる。
「唾、付けといたから。お前は私のものだ、絶対に殺る」
使用人長はそう言うパンパカーナの顎から手を離すと、無言で肩越しに一瞥し、ランタンを拾い上げて階段を上り、闇の中に溶けていった。
少しして、本棚の仕掛けが動いた音が聞こえる。
すると、パンパカーナを抑えていた腕は力を失くし、体は自由を取り戻すと共に地面に倒れこんだ。
ランタンの灯りは消え、視界は暗黒に支配される。
ルトはどんな顔をしているのだろう。わからない、見えないんだもの。
もしかして、罪悪感に押しつぶされそうなの? 気にしなくてもいいよ、ルトは悪くない。
全部。全部全部。あいつが悪いのだから、ね? 今日はもう眠ろう、疲れたでしょう——
パンパカーナは手を暗闇に向かって伸ばすが、ただ空気を掴むだけであった。
腕は死んだように落ちて、冷んやりとした床の感触を気持ちいいなんて思っている。
片方の腕は、温かく濡れていた。
$$$
玉座の間にはステンドグラスから差し込む光が神聖な空間を演出していた。
レッドカーペットを境界線に、使用人達が並び、対面している。
二人の使用人長を傍に置いて、レベッカが玉座に腰掛けていた。
四隅にはペリドット色の鎧を身に纏った衛兵が槍を持って立っている。
パンパカーナは手首を鉄の輪に拘束され、首元には赤いチョーカーが飾り付けてあり、そこから鎖が伸びている。
鎖を握る衛兵に主導権を握られている。まるで犬の散歩だ。
「パンパカーナ・パスティージュ・パンナコッタを御前へ!」
眼鏡をした使用人達が高らかに言う。
主犯格は鉄の仮面を被り、ただ様子を見ている。
おぼつかない足取りで歩くパンパカーナは、すでに満身創痍だった。
顔は青白く、精気が感じられない。目の白い部分は血走って赤くなっている。
使用人達は憐憫のまなざしをパンパカーナに向けているようだ。
中には口許を手で覆う者も見受けられ、また、眉をひそめる者もいた。
十段ほどの階段の上からレベッカが見下ろしている。
衛兵がパンパカーナの背中を蹴り飛ばし、体はカーペットの上を転がる。
痛みに顔を歪め、光のない瞳でレベッカを見上げると、まさに今、玉座から腰を上げているところだった。
ちらと横を見やると、唾をつけられた使用人長がパンパカーナを見ながら口をかすかに動かしている。
(お・め・で・と・う)
皮肉だ。
もう、何も言い返す気力もなかった。
ただ、目の前でバラのようなドレスを脱いでいくレベッカを見ていることしかできない。
下着姿になると、ゆっくりと平らな階段を降りてくる。
勇ましい面構えをしていた。これから戦場にでも赴く兵士のような、そんな顔だ。
ああ、どうやら私は汚されて、果ては殺されるらしい。
覚悟はしていたけれど、いざ時が来ると身体が勝手に震えはじめた。
ごめんなさい、戸賀勇希。私はもう、お前の仲間ではいられないよ。
私から誘ったのに、途中で投げ出してごめんなさい。許してなんて、言わないから——
レベッカが最後の階段を降りた。その時、
「失礼します!! 女王陛下!! 女王陛下!!」
衛兵が白色の巨大な扉を勢いよく開き、飛び込んできた。
一同は動きを止め、視線は衛兵に集中する。
「何事だ! 儀式の最中であるぞ、下がれ!」
眼鏡をした使用人長が激昂する。
「そ、それが......緊急事態でして」
「言え」
「民衆が門に大挙をなして押し寄せています! 衛兵総出で対処にあたっていますが、突破は時間の問題かと!」
「なっ、そんな馬鹿な!」
眼鏡をした使用人長が早足で大きな出窓に近づき、外の様子を確認する。
そこには、木刀や鉄パイプのようなものを持った民衆が、砂糖に集る蟻のように密集していた。
衛兵たちが門の前で突破されないよう、体全体で受け止めている。
その中、屈強な男二人に担がれたオールバックでキツネ目の男が民衆の士気を高めていた。
「さあ、みなさん! 今こそ奮起する時です! 囚われの愛する娘を、女王の元から解放するのです!」
民衆は吼えるように声をあげ、後続に次々と人が集まってくる。
「そんな......」
唖然とする眼鏡をした使用人長。
使用人達は突然の出来事に困惑し、ざわつきだす。
「静まれ! 静まらぬか——」
レベッカが檄を飛ばしたその瞬間、ステンドグラスが粉々に砕け散り、色とりどりの破片が宙を舞う。
パンパカーナはその方に視線をやると、太陽の光を背に、黒い人影が降ってくるのが見えた。
「貴様......。貴様は、なんだ」
凄まじい怒りの波紋が眉間に集中する。
レベッカの拳は小刻みに震えていた。
革靴が床を踏む。
遅れて、布がはためく音がする。
突如飛来した来訪者は、下半身は黒いスーツに青いストライプの入ったワイシャツ、白いローブを肩にかけ、白銀の髪を揺らし、外側が湾曲した白銀の刀身に、真っ赤な柄の長剣らしきものを携えている。
「戸賀勇希。仲間を、助けに来た」
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