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第37話「第二段階」
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俺はアロウザールの顔を直視できなかった。
料理を平らげ、空になった器を見ながら、クリアなグラスに注がれた果実酒を口に含む。
渋みが口いっぱいに広がり、慣れないアルコールに喉を灼かれた。
あのとき見た老婦は『ルキ』という人物だったのだ。
そのことを理解した途端、胸が締めつけられる感覚に襲われた。
アロウザールの心中はいかほどなものだったのか、計り知ることはできない。
未だ悔恨の念に苛まれているのだろうか、仄暗い地の底で孤独に愁然と涙を流していたのではなかろうか——
俺はグラスに残った果実酒を一気に飲み干すと、意を決してアロウザールの顔を見た。
「おっ?」
そこには、骸骨に似た老夫と老婦の頭部が一つの胴体にくっつき、胡座をかいていた。
その顔は笑っているように見え、木のうろのような眼窩がこちらを見ている。
俺は言葉を失い、アロウザールの意図を解釈しようと努めたが、奇襲ともいえる奇行によって撹拌された脳内では理解することができないようだ。
おそらく俺の顔は今、鳩が豆鉄砲を食ったようになっているに違いない。
やがてアロウザールは両手で二つの頭部をサンドイッチすると、二つは一つになり、老夫と老婦は青年になった。
「ガッハッハッハッハッハッハッ!! しけた面を見せるな、らしくない。我輩の心配などせんでもよい、もはや過去のことだ。今更悔やんだところで、それは栓なきことよ」
アロウザールは瓶の首を掴むと、ラッパ飲みをする。
喉が波のように脈動し、エメラルドグリーン色の瓶にある液体は、みるみるうちにかさを減らしていく。
やがて最後の一滴まで飲み干すと、瓶底を地面に叩きつけて、
「おい、戸賀勇希。もう一本空けるぞ、付き合え」
と頬を赤らめていった。
酩酊しているように見える。
「いやいや、もう俺飲めないから! あれでじゅ〜ぶん飲んだから、もう、いりません」
俺は腕でバッテンをつくり、お断りの意思表示をする。
「なんだ、お主。師匠が飲めといっておるのだぞ、ん? それでもお主は——」
言葉を途切らせ、アロウザールは虚ろ気な眼をして、頭を左右にふらつかせる。
「......アロウザールさん? おーい、ちょっと......」
俺は呼びかける。
が、アロウザールは酒瓶を抱きしめて横向きに倒れ、静かな寝息を立てはじめた。
この人、酔ったら寝るタイプかよ。
ふと、視界が霞んできたので、眼の下をこする。
「あれ......やばい、俺もなんだか......」
頭がぼうっとする。
得体の知れない浮遊感に体を乗っ取られたような感覚だ。
カメラのシャッターをきったように、黒い幕が一瞬、現れては消える。
何度かぼやけた景色を撮影したあと、俺の意識はいつの間にか途切れた。
「おい、起きろ」
低く、渋さのある声音が聞こえる。
右頬を軽く叩かれているようだ。
感触は硬い。骨のように硬い。
黒幕を開けていくと、霞んだ視界が徐々に顕となる。
「おはよう」
「——っ!」
眼前に現れた二つの髑髏が朝の挨拶をしてくれる。
俺はがばっと上半身を起こし、座ったままはるか後方に後ずさると、壁に背中と後頭部をぶつけたので、痛みに悶絶した。
「いっつぅ......。アロウザールさん、寝起きドッキリはやめてくれよ! 心臓止まるかと思ったわ!」
「寝起き......ドッキリ? なんだぁ、それは......。まあ良い、はようこっちへ来い。朝餉だ」
インド料理のようなスパイスを効かせた匂いがする。
まさか——
「あの、それってもしかして」
「ん? 『大満腹食堂』に仕出しを頼んだのだ」
「はあ......」
昨晩と代わり映えのしないラインナップが、これまた大量に並べられていた。
晩飯と朝飯が被るとは予想外のことである。
異世界に来ておいてなんだが、朝はほかほかの白飯に焼きたての紅鮭、納豆と生みたての鶏卵にワカメ味噌汁だろうに。
そんなことを考えながら、俺は腹部をさすりながら料理を見る。
「なんだ、その顔は。不服か? ちなみに、これを食わねば四日間の鍛錬には耐えられんと思え。おそらく死ぬぞ」
「——っ! マジかよ、それを早くいってくれよ、アロウザールさん!」
「早くせねば、我輩が全て平らげてしまうぞ。あ〜ん......」
アロウザールがこちらを見ながら、指でつまんだ唐揚げをゆっくりとした動作で口へもっていく。
勘弁してくれ!
俺はそういい、骨つき肉にかじりついた。
朝食後。
食休みも早々に、鍛錬は開始された。
アロウザールに言われた通り、俺はスコップを片手に持って立っている。
これから何をするのかを全く説明されていない俺の心中は、不安一色であった。
「よし、目を瞑って集中しろ。我輩が良いというたら、魂の神器を手のひらへ、ためらうことなく突き刺せ」
朽ちた玉座に腰掛けるアロウザールがいう。
痛そう。
と、いうより死んでしまうのではないかと思った。
俺はすかさずいう。
「本当に?」
「我輩は本気だ。信じてみよ、己と我輩を。そしてイメージしろ、ラルエシミラの姿を——あやつはすでにお主の中におる」
「俺の......中......」
俺は胸のあたりに手を当てる。
試しに心の中でラルエシミラを呼んでみるが、何も返事はなかった。
「しかし、ラルエシミラと完全に繋がっているわけではない。魂を連結し、完全に一体化するためにはこの工程が必要不可欠なのだ——さあ、立ったまま目を瞑れ。ラルエシミラのことだけを考えろ」
いわれたように、俺は目を瞑った。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。
耳の感覚が研ぎ澄まされていく。
風の音、鼓動の音、水滴のしたたる音、呼吸の音——
やがてそれらの音は遠ざかり、
暗闇には早回しの映像のように、背の高い針葉樹や紅葉の美しい山脈、波一つない湖が構築され、いつの間にやら俺は湖畔に佇んでいた。
抜けるように青い空が広がり、鏡のような湖は、その藍を閉じ込めている。
柔らかな風が前髪をかきあげ、透き通るような空気が鼻腔をとおして肺に潜り込む。
湖の中心には、銀色に輝く髪をした麗人が水の上に立ってこちらを見ていた。
「ラルエシミラ......」
足を踏み出し、ゆっくりと歩いてくる。
しかし、水面に一切の波紋は生じない。
滑るようにやってくるラルエシミラの表情は柔和で、今にも微笑みかけてきそうな雰囲気である。
が、その瞳に光はなく、死んだように暗い。
やがて湖畔にたどり着くと、手入れされた芝生のように短い草を踏みしめて、ラルエシミラと俺の距離は二メートルまで近づいた。
(今だ! 戸賀勇希)
空の彼方からアロウザールの声が聞こえる。
俺はラルエシミラの目の前で、スコップの先端を手のひらに向けた。
驚くこともなく、表情を変えることもなく、ラルエシミラは俺を見ている。
(いいか、戸賀勇希。突き刺した瞬間、ラルエシミラはお主を敵とみなし、襲いかかるだろう。そやつは精神を切り離された『主なき肉体』だ)
「それで、どうすればいいんだ」
俺がそういうと、突風が吹いた。
葉同士がこすれる音に静寂は塗り替えられる。
針葉樹たちの頭が大きくしなり、肩を組んで踊っているようだ。
ラルエシミラは片手の甲を包み込むように前で重ねており、その佇まいは淑女のようでもあった。
やがて静寂が舞い戻り、アロウザールが言葉を放つ。
(ラルエシミラを、殺せ)
その言葉は、あたりを剣呑な雰囲気に変えた。
料理を平らげ、空になった器を見ながら、クリアなグラスに注がれた果実酒を口に含む。
渋みが口いっぱいに広がり、慣れないアルコールに喉を灼かれた。
あのとき見た老婦は『ルキ』という人物だったのだ。
そのことを理解した途端、胸が締めつけられる感覚に襲われた。
アロウザールの心中はいかほどなものだったのか、計り知ることはできない。
未だ悔恨の念に苛まれているのだろうか、仄暗い地の底で孤独に愁然と涙を流していたのではなかろうか——
俺はグラスに残った果実酒を一気に飲み干すと、意を決してアロウザールの顔を見た。
「おっ?」
そこには、骸骨に似た老夫と老婦の頭部が一つの胴体にくっつき、胡座をかいていた。
その顔は笑っているように見え、木のうろのような眼窩がこちらを見ている。
俺は言葉を失い、アロウザールの意図を解釈しようと努めたが、奇襲ともいえる奇行によって撹拌された脳内では理解することができないようだ。
おそらく俺の顔は今、鳩が豆鉄砲を食ったようになっているに違いない。
やがてアロウザールは両手で二つの頭部をサンドイッチすると、二つは一つになり、老夫と老婦は青年になった。
「ガッハッハッハッハッハッハッ!! しけた面を見せるな、らしくない。我輩の心配などせんでもよい、もはや過去のことだ。今更悔やんだところで、それは栓なきことよ」
アロウザールは瓶の首を掴むと、ラッパ飲みをする。
喉が波のように脈動し、エメラルドグリーン色の瓶にある液体は、みるみるうちにかさを減らしていく。
やがて最後の一滴まで飲み干すと、瓶底を地面に叩きつけて、
「おい、戸賀勇希。もう一本空けるぞ、付き合え」
と頬を赤らめていった。
酩酊しているように見える。
「いやいや、もう俺飲めないから! あれでじゅ〜ぶん飲んだから、もう、いりません」
俺は腕でバッテンをつくり、お断りの意思表示をする。
「なんだ、お主。師匠が飲めといっておるのだぞ、ん? それでもお主は——」
言葉を途切らせ、アロウザールは虚ろ気な眼をして、頭を左右にふらつかせる。
「......アロウザールさん? おーい、ちょっと......」
俺は呼びかける。
が、アロウザールは酒瓶を抱きしめて横向きに倒れ、静かな寝息を立てはじめた。
この人、酔ったら寝るタイプかよ。
ふと、視界が霞んできたので、眼の下をこする。
「あれ......やばい、俺もなんだか......」
頭がぼうっとする。
得体の知れない浮遊感に体を乗っ取られたような感覚だ。
カメラのシャッターをきったように、黒い幕が一瞬、現れては消える。
何度かぼやけた景色を撮影したあと、俺の意識はいつの間にか途切れた。
「おい、起きろ」
低く、渋さのある声音が聞こえる。
右頬を軽く叩かれているようだ。
感触は硬い。骨のように硬い。
黒幕を開けていくと、霞んだ視界が徐々に顕となる。
「おはよう」
「——っ!」
眼前に現れた二つの髑髏が朝の挨拶をしてくれる。
俺はがばっと上半身を起こし、座ったままはるか後方に後ずさると、壁に背中と後頭部をぶつけたので、痛みに悶絶した。
「いっつぅ......。アロウザールさん、寝起きドッキリはやめてくれよ! 心臓止まるかと思ったわ!」
「寝起き......ドッキリ? なんだぁ、それは......。まあ良い、はようこっちへ来い。朝餉だ」
インド料理のようなスパイスを効かせた匂いがする。
まさか——
「あの、それってもしかして」
「ん? 『大満腹食堂』に仕出しを頼んだのだ」
「はあ......」
昨晩と代わり映えのしないラインナップが、これまた大量に並べられていた。
晩飯と朝飯が被るとは予想外のことである。
異世界に来ておいてなんだが、朝はほかほかの白飯に焼きたての紅鮭、納豆と生みたての鶏卵にワカメ味噌汁だろうに。
そんなことを考えながら、俺は腹部をさすりながら料理を見る。
「なんだ、その顔は。不服か? ちなみに、これを食わねば四日間の鍛錬には耐えられんと思え。おそらく死ぬぞ」
「——っ! マジかよ、それを早くいってくれよ、アロウザールさん!」
「早くせねば、我輩が全て平らげてしまうぞ。あ〜ん......」
アロウザールがこちらを見ながら、指でつまんだ唐揚げをゆっくりとした動作で口へもっていく。
勘弁してくれ!
俺はそういい、骨つき肉にかじりついた。
朝食後。
食休みも早々に、鍛錬は開始された。
アロウザールに言われた通り、俺はスコップを片手に持って立っている。
これから何をするのかを全く説明されていない俺の心中は、不安一色であった。
「よし、目を瞑って集中しろ。我輩が良いというたら、魂の神器を手のひらへ、ためらうことなく突き刺せ」
朽ちた玉座に腰掛けるアロウザールがいう。
痛そう。
と、いうより死んでしまうのではないかと思った。
俺はすかさずいう。
「本当に?」
「我輩は本気だ。信じてみよ、己と我輩を。そしてイメージしろ、ラルエシミラの姿を——あやつはすでにお主の中におる」
「俺の......中......」
俺は胸のあたりに手を当てる。
試しに心の中でラルエシミラを呼んでみるが、何も返事はなかった。
「しかし、ラルエシミラと完全に繋がっているわけではない。魂を連結し、完全に一体化するためにはこの工程が必要不可欠なのだ——さあ、立ったまま目を瞑れ。ラルエシミラのことだけを考えろ」
いわれたように、俺は目を瞑った。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。
耳の感覚が研ぎ澄まされていく。
風の音、鼓動の音、水滴のしたたる音、呼吸の音——
やがてそれらの音は遠ざかり、
暗闇には早回しの映像のように、背の高い針葉樹や紅葉の美しい山脈、波一つない湖が構築され、いつの間にやら俺は湖畔に佇んでいた。
抜けるように青い空が広がり、鏡のような湖は、その藍を閉じ込めている。
柔らかな風が前髪をかきあげ、透き通るような空気が鼻腔をとおして肺に潜り込む。
湖の中心には、銀色に輝く髪をした麗人が水の上に立ってこちらを見ていた。
「ラルエシミラ......」
足を踏み出し、ゆっくりと歩いてくる。
しかし、水面に一切の波紋は生じない。
滑るようにやってくるラルエシミラの表情は柔和で、今にも微笑みかけてきそうな雰囲気である。
が、その瞳に光はなく、死んだように暗い。
やがて湖畔にたどり着くと、手入れされた芝生のように短い草を踏みしめて、ラルエシミラと俺の距離は二メートルまで近づいた。
(今だ! 戸賀勇希)
空の彼方からアロウザールの声が聞こえる。
俺はラルエシミラの目の前で、スコップの先端を手のひらに向けた。
驚くこともなく、表情を変えることもなく、ラルエシミラは俺を見ている。
(いいか、戸賀勇希。突き刺した瞬間、ラルエシミラはお主を敵とみなし、襲いかかるだろう。そやつは精神を切り離された『主なき肉体』だ)
「それで、どうすればいいんだ」
俺がそういうと、突風が吹いた。
葉同士がこすれる音に静寂は塗り替えられる。
針葉樹たちの頭が大きくしなり、肩を組んで踊っているようだ。
ラルエシミラは片手の甲を包み込むように前で重ねており、その佇まいは淑女のようでもあった。
やがて静寂が舞い戻り、アロウザールが言葉を放つ。
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