スコップ1つで異世界征服

葦元狐雪

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第36話「吸命のダラス」

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 燻煙の奔流が鉛を張ったような空に立ち昇る。
その隙間を縫うように顔をちらつかせる蒼炎は、雨に逆らって快活な音を立ながら燃え盛っていた。
肉を焦がした悪臭が叩きつける雨水に溶けだすと、石畳の継目は濁りに濁った。

夏空に現れる入道雲もかくやと思わせる煙を裂き、アロウザールが飛び出す。
燻された軍服に纏わりつく不快な臭気に顔をしかめると、腕や肩を煩わしそうに手で軽くはたいた。
おそらく、深手は与えたはずだ。
あわよくば瀕死か、息絶えていることを切に願ったが、徐々に晴れていく煙から現れた男の様子を見て、その思惑は夢幻に散った。

「仕留め損なったか」

男は杖にもたれかかるように立ち、黒煙を口端から吐き出している。
熱傷、裂傷、損傷なし。胸に開けたはずの穴も確認できない。
煤がひょろ長い体のあちらこちらに斑ら模様をつくっているだけだ。
——厄介な。

「誰......誰......」

首を真横にへし折っていう男。
その様は、悲しく憂いのある目で哀訴する少年のように見えた。
アロウザールは男の一挙手一投足に神経を研ぎ澄ます。

男の名は『吸命のダラス』。
触れたものをミイラに変えてしまう能力を保持する魔王の幹部。
命を吸い取るから吸命。ちぎり取った命はダラスの体内に蓄積され、循環する。
その姿は、老婆のようで若々しい。

ダラスが足のつま先を動かした。
その瞬間を、アロウザールは見逃さない。
懐から手のひらに収まるほどの、正八面体をした鉄塊を四つ、指で挟み、投げる。
鉄塊はダラスを取り囲むように浮遊すると、体に張り付き、中から飛び出した一本の極太の針が刺し貫いた。

針は地面にも突き刺さり、四方向から串刺しにされる。
ダラスは完全に固定されて身動きが取れない。
まるで案山子だ。
案山子が動かせるのは、首と頭くらいだろうか。

ダラスが青虫のように体をくねらせると、鉄と肉の隙間から血液が漏れだす。
人間であれば、心臓と肺はお釈迦になっているので、即死のはずである。

「痛い......痛い......」

しかし、ダラスは生きている。借物の命で生きている。
ふと、大砲を撃つような激しい音。
曇天には、稲妻が龍のごとく這っていた。
ダラスが天を仰ぎ見る。

その瞬間、閃光はすべてを白の世界に変えた。
遅れて先とは桁違いである凄まじい大砲の音が轟き、迅雷がダラスの全身を焼き焦がした。
衝撃波は民家の外壁を引き剥がし、窓は割れ、オレンジの屋根瓦が吹き飛ばされる。
植木鉢は粉々に砕けちり、赤い花は余波に当てられ、焼け死んだ。

雨によって濡れた石畳に電撃が疾ったが、アロウザールは感電しなかった。
軍靴に施された特殊な素材が絶縁体の役割を果たし、感電を免れたのだ。
この状況を想定し、軍に特注で作らせた一点ものである。

「熱い......熱い......」

赤く焼け爛れた皮膚から、チューイングガムを膨らませたような水ぶくれが大小、身体中に張り付いていた。
が、既に足先から治癒の進行が開始されており、迅速かつ徹底的に殲滅せねばならないと判断したアロウザールは、腰から短刀を抜くと、ダラスの眉間に向かって投げた。

やがて音もなく刺さると、ソングホールに通した糸がピンと張る。
糸の末端を掴んでいるアロウザールは双眸を閉じて集中し、魔力を込めた。
手が青白く輝き、冷気を纏う。
糸を凍らせながら短刀に冷気が到達すると、ダラスの首から上には巨大な氷が生成され、重さに耐えきれなくなった体はぐしゃりと潰れた。

糸を引くと、粉々に砕け散り、雨と同化して消える。
ダラスを見やると、氷の下からは血が滲み出していた。

「寒い......寒い......」

息があることを認識すると、麻袋を取り出し、氷塊の真上に向けて放り投げた。
すぐに懐から銃を取り出し、麻袋を撃ち抜く。
すると、黒い粉が霧散し、途端に雨に溶けた。
溶け出した粉は意思を持つかのように、氷塊を覆い隠してしまった。

圧縮されていく。
小さく、小さく、小さく。
黒い液体に握りつぶされて、
ダラスは塵すら残さず、跡形もなく消え失せた。

「......」

雨粒が軍隊帽子のツバから滴り落ちる。
視界には血だまりと、黒焦げになり、亀裂の入った石畳、剥げた民家の壁と、砕けた窓ガラス、オレンジ色の欠片——そして、山積みになったミイラ。
戦闘の痕跡が、生々しく刻まれていた。
いっそ、このまま雨が全てを洗い流してくれたらいい。命は還るべきところに還り、同胞は永遠の安らぎを得るのだ。
アロウザールは何もいわず、踵を返して歩きだした。

黒い卵のようなものをジョッパーズのポケットから取り出すと、数回握り、口許に当てた。

「アロウザールだ。対象は殲滅した。至急、現場に兵を寄越せ、同胞を連れ帰る」

アロウザールは卵のようなものを一回握ると、ポケットへ戻した。
胸ポケットから煙草を一本取り出し、気がつく。
ああ、そういえば、雨だったな——

「どこ行くの? ...... どこ行くの......?」

耳元で囁く声。
アロウザールは全身が凍りついた。

(馬鹿な......)

ありえない。
消し去ったはずだ、完全に!
鼓動が早くなる。生暖かい吐息が耳にかかる。全身に舌を這わせられたような感覚になる。
肩越しに後ろを見やると、目が合った。

ダラスが、アロウザールの背後に立っていた。
ひどく腰を曲げて、片手には4メートルの杖。
顔だけがアロウザールの耳の横にあり、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
長く伸びた青白い手が太い首元に忍び寄る。

——ズドン

一発の銃声がした。
体に響く重い音が、降りしきる雨の音を一時的にかき消したのだ。
銃声のした方向に顔を向ける。
そこには銃を両手で構えているルキがいた。

「ルキ! なぜここに!」

「だからいったでしょ......アロウザールを、一人では行かせられないって」

ダラスは折れ曲がった腕を片方の手でさすっている。
「痛い......痛い......」といいながら、地面に沈み込んでいく。

ダラスが地面に沈む様子を見て、アロウザールは叫んだ。

「逃げろ! ルキ! 今すぐ、逃げろ!」

ルキは撃鉄を持ち上げ、再び構える。

「バカいわないでよ! わたしも戦う!」

「やめろ! そいつは、もう、お前の——」

手を伸ばして駆け出したアロウザール。
しかしルキの体は、既に宙にぶら下がっていた。

「よくできました......よくできました......」

ルキの背後に立ち、細いうしろ首をわし掴んでいるダラス。
瞬間、ルキの肌から瑞々しさが消え、シワを刻みはじめる。

「よせ......よせぇ!!」

アロウザールは姿を変え、神速で接近し、ダラスの首に噛み付いた。
その勢いのまま押し倒し、強靭な両足で腕を封じる。
そして鋭利な牙が並んだ口を開き、肌に歯を食い込ませ、首から上を食いちぎった。

食べ続けた。つま先から全身、小指の爪まで、余すことなく食い尽くした。
まるで狼のようなアロウザールは血涙を流し、両膝をついて天を仰いだ。

少しして、変わり果てた姿をしたルキの元へ歩み寄った。
そっと抱きかかえ、膝に乗せる。
老婆のようなその姿に、かつての面影はない。

「ルキ......」

「ア......ロ......ウ......ザール......」

かすかに息がある。
が、そう長くは持たないだろうと思った。
軍服の袖から覗く、枯れ枝のような腕は、もはや生者のものではない。

「ルキ......」

「どうしたの......おじいさんみたいな......顔して......」

「ルキ......」

「おじいさんの......あなたも......素敵よ......」

「ルキ......」

声が震えた。

「ごめん......ダメだった......でも......よかった......」

「ルキ......」

「はじめて......役に立った......あなたの......」

ルキは咳き込むと、骨と皮の手でアロウザールの腕を掴んだ。
それを掴んだというには、あまりにも弱々しい力だったため、『触った』という感覚の方が正しかった。

「ルキ......」

「最後に......お願い......あるの......」

「......」

「あのね——」

ルキの霞んでいる視界には、白狼が血の涙を流して、こちらを見ている様子が映っている。
ひとつ残らず赤く染まった牙が並んでいるようだ。
「ありがとう」
それを口にしたのか、心で唱えたのかわからず、ルキの意識はそこでぷつりと途切れた——


シーボ国市街地にて、魔王軍幹部である『吸命のダラス』によって、約三千六百人もの魔王討伐軍兵士が犠牲になる。
幸いにも市街地中域で被害は食い止められ、民間人たちに怪我人、死傷者は出なかった。

しかし、その後アロウザール元帥とルキ准尉が魔王討伐軍に帰還することはなく、生死不明のまま、長い月日が経つ。
止むを得ず、魔王討伐軍は大将を元帥に昇進させ、それをきっかけに、魔王討伐軍と魔王軍の全面戦争が勃発することになる。
そして十年の戦いを経て、魔王討伐軍は、魔王軍に滅ぼされることとなった。
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