【二度目の異世界、三度目の勇者】魔王となった彼女を討つために

南風

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還章⑥ アリアスタ村Ⅰ

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 煌びやかなキャビンの中で――ウェルバインドの馬車ではない。その馬車は、クレアスの秘書官が引いている――オレはイサムを見た。
 彼は何やら思い詰めた表情をして、外を眺めている。

□ □ □
 数日前。
 ウェルバインド家の門前にて。

「司祭ガルディスの書簡ヲ、お届けに参りましたヨ!!」

 道化のような男……クレアスが、父上に書簡を手渡した。
 父上は手にした書簡に目を通し、静かに頷く。
 覗くと確かに、アリアスタ村司祭の証明印が押されていた。
 定期的に互いの情勢を共有している、とは父上が口にしていた事である。

「はっは~ン? そちらがグラム様のご子息、バルムンク様でいらっしゃいますナ? 噂に違わぬ凛々しサ! 佇まいはまさに次代の領主に相応しイ――おやァ!? そちらはもしや、勇者様ァ~~~!? ははァ~!!」

 騒々しい調子で捲し立てるや否や、勢いよく地にひれ伏す。
 ――なんというか……気味の悪い男だ。
 ゴンと姫様を見ると、オレと同じような表情をしている。

 一つ溜息をつき、イサムとメルルに目をやった。彼らも同じ表情を――していない。
 メルルの肩は微かに震え、眉尻が下がっている。感じているのは、恐怖だろうか? 推測でしかないが……。
 イサムに至っては、まるで仮面を被ったかのような無表情をしていた。さっきまで笑みを交わしていた彼は、どこへ消えてしまったのだ。

「おい、イ――勇者。どうした?」

 声をかけながら、イサムの肩に手を置く。胸中に一つの可能性が浮かんだ。
 この助祭が、魔王軍という可能性だ。
 念のため、語気を強めて役職名を呼ぶ。

「――ああ、いや……何でもない。そうです。俺が、勇者です」

 ひれ伏していたクレアスが、弾け飛ぶように勢いよく顔を上げる。彼は蛙のように飛び跳ね、自らの靴に接吻せんばかりの勢いで深々と頭を下げた。

「はイッ! お目にかかれて光栄でございまスッッ!! この機会にぜひとも、アリアスタ村までお送りさせていただきたイ! このクレアスが、牽引させていただきまスッ!!」

 オレたちの手元には、馬車と物資がある。
 そもそも、もうアリアスタ村に寄らなくても良いのだ。

「気持ちはありがたい。ですが助祭、もう我々には――」
「よろしくお願いします」

 と、オレの言葉を切ったのは隣に立つイサムだった。
 すぐにイサムに耳打ちをする。

「おい!? なにを言ってる! 馬車も物資もあるのだ。こんな怪しい奴に付いていかなくてもいいだろう?」
「いいや、少しやることがあるんだ。あとで話す」

 やること。何の話だ。震えているメルルに関係することだろうか?
 何方にせよ、イサムが居なければ話にならん。助祭の誘いに乗る以外はない。

「……了解した」

 クレアスは素早く御者席に乗り込む。

「ささッ! お乗りくださイ! 御一行の馬車は、秘書官に引かせます故ッ! ご安心くださァい!」

 クレアスがキャビンを叩くと、中からは一人の青年が現れた。みすぼらしい格好をしているが、彼が秘書官のようだ。
 秘書官は、物資を馬車に詰め込む。クレアスの後ろを追いかける形にするようだ。

 まず、ゴンが馬車に乗り込んだ。直後、声を上げたところから、おそらく内部も煌びやかなのだろう。
 次に姫様とイサム、メルルが。イサムとメルルが無言だからか、姫様も口を開かなかった。若干、不安げな表情をされている。
 最後にオレが乗り込もうとする――その前に、父上とイゾルダ、村人たちに頭を下げた。

□ □ □

 跳ねる車輪の音の中、クレアスが大声で何かを叫んでいる。
 内容は……現在走っている地域についての説明だ。何日もその大声を聞いているので、頭が痛い。
 馬車の揺れに身を任せながら、耳を澄ませる。
 イサムが呟く言葉を、聞き漏らさないようにする。

「騎士の言う通り、本来ならアリアスタ村に行く必要はない。だけど、やることがある」
「勇者様……やること、とは?」

 姫様が小声で返す。
 魔王領は近い。
 オレも、クレアスはどうにもきな臭く感じている。
 だから移動の間、オレたちは役職呼びを徹底していた。

「ウェルバインドのパーティで耳にしたんだが、アリアスタ村には『魔器』があるらしい。クラッドから聞いたろ? 魔器は強大な力を持つ――念のため、回収しておきたくてさ」

 ひとまずは納得した。
 だが、事前に言って欲しかった。
 そう言ってやりたかったが、イサムの様子を見て、口に出すのを憚ってしまう。
 ゴンが気を遣い、とびきりの笑顔を見せた。

「オイラは賛成です! 強い武具は何個あってもいいですから。『ボレアスの剣を束ねて、悪霊を呼ぶな』ですね」
「ああ、そうだな」

 いつもなら、イサムは肩を竦めるジェスチャーをする。異世界からやってきた彼は、この世界の慣用句を知らないからだ。
 だが、そんな素振りすら取らない。

 姫様とゴンは不安げに、視線を合わせていた。
 メルルも、ここ最近はずっと下を向いている。
 ウェルバインドの一件で、姫様とメルルの距離は縮まっていたはずだ。今晩の休憩時にでも、姫様にお願いしよう……。


 六日が経過した。
 結局のところ、姫様はメルルの真意を汲めなかったようだ。
 毎晩、二人で水浴びに行っていたようだが、メルルは何故か、怯えるように周りを見ていたという。

「『裸の付き合い』でなんとか聞き出してみます!」

 と、両腕を胸の前で構え、姫様は気合いを入れていたのだが、水浴びから帰って来ると、彼女はしょんぼりとしていた。上手くいかなかったのだろう。
 イサムとメルル。二人の様子がどうにもおかしい。
 旅の始まりから騒がしかった二人だ。どうにかしてやりたかった。


 翌日、再び馬車に揺られる。

「はイッ! 『ボー領』に入りますヨォ~、ハイ! 右手に見えますが、『ツドサ高原』。つい先日、魔物に侵攻さレ、すっかり滅ぼされてしまいましタ! そして左手に見えますのガ――」

 道化の陽気な大声が響く中、勇者は座席にもたれ、虚空を仰ぎ続けている。
 姫様はメルルの隣にぴたりと寄り添い、彼女の腕に腕を絡ませていた。メルルもそれに応じてくれてはいる。

 表情はどうにも暗いが、その姿は姉妹のように見えた。――ああ、そういえばメルルは、姫様より歳上で、オレたちと同じ歳だったか。

 窓辺に座るゴンは、外の焼け野原をじっと見つめ、落胆していた。
 彼にとっても、この竜魔王征伐戦が初めての旅だ。だから、旅の最中に訪れる様々な土地を見るのを楽しみにしていたのだろう。

「なあ、騎士」
「…………む? どうした?」

 考え事をしていたから、イサムから話しかけられていたのに反応が遅れてしまう。
 彼の視線は虚空から外れ、オレを見つめていた。

「ひとつだけ、頼みがある。何があっても、戦姫を護ってくれ」

 そう告げられた。ウェルバインドの一件以降、オレは姫様を尊重するようになった。過保護をしなくなった、とも言えるが――改めてイサムにそう言われると、身が引き締まる思いだ。

「当然だ。どうした」
「もし、騎士が手一杯だったら……戦士も頼む」

 窓辺から目を離し、姿勢を整えていたゴンが、不意打ちを食らったかのように飛び上がった。

「お、オイラ!? はい、もちろん! 仲間を護るのは、オイラの仕事ですから」
「勇者様! 私一人でも大丈夫ですよ!?」

 姫様は前傾になり、全力で抗議した。
 イサムは再び、虚空を仰ぐ。

「念のためだよ、念のため……」

 そして、押し黙った。


 馬車が停止する。

「皆々様ァ! 到着いたしましタ!!」

 外からは賑やかな喧騒が伝わってくる。
 歓声のようなものが聞こえてきた。

「何事だ? ……戦姫、まずはオレが出ます。戦士、三人を頼む」

 ゴンが無言で頷き、姫様も静かに承諾の意を示す。それを確認し、オレは扉を開いて一足先に降り立った。

 出迎えたのは、耳をつんざくような拍手喝采であった。
 国のパレードを思わせる壮観な光景が、目の前に広がっていた。
 アリアスタ村の建物は、どの建物も背が高いことが印象的だ。

 そんな村の住民たちが大勢、馬車を取り囲んで歓声を上げる。
 楽器の音色が鮮やかに響き渡る。
 まずオレに襲いかかったのは、困惑だった。
 場違いな熱気と、耳を打つ音に、呆然と立ち尽くしてしまう。

 言葉を失い、口を半開きにしている間に、訝しげな表情のゴンと姫様が顔を出す。
 するとまたひとつ、歓声が大きくなった。

「す、すっげえ……」

 ゴンは目を輝かせ、感嘆の声を漏らす。
 姫様もふと息をついた。

「こんなに歓迎してくれるなんて……私の見た目を気にする方がいません……」

 と、息をつく。
 これまで訪れた地では、姫様の角と尾が奇異の目に晒されてきた。 
 だが、ここでは違う。そう見られない、忌避されないというのは、心を打つのだ。

 続けて、イサムとメルルが降りてきた。
 一層強く、拍手が強くなる。

 群衆が割れた。
 間を歩くのは、助祭の服装よりも煌びやかなダルマティカを着た老人だ。
 彼は、ゆっくりと頭を下げる。

「皆さん、ようこそおいでくださいました。私は司祭ガルディス。アリアスタ村は、御一行を歓迎いたします。いつまでも、ご滞在ください」

 ――書簡に記されていた人物だ。父上と情報共有を行っている本人。おそらく、アリアスタ村の代表だろう。
 礼には礼を返さねばならない。いくら怪しい状況だとしてもだ。

「ご丁寧に歓迎いただき、心より感謝いたします。仲間たちも大変喜んでおります。しかし、明日にはここを発つ身ですので、これ以上のお気遣いは無用です。そのお気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」

 オレも、頭を下げた。

「オオ……なんとも礼儀正しい青年だ。この老体、若者を見るのが唯一の楽しみなのです。お目にかかれて光栄です――おや? 失礼。そこなご婦人は、もしやメルルかね?」
 ガルディスは、オレの背後に立っているメルルに目を向けた。

「オオ――! 久しいな! 雰囲気が違っていたから、すぐに気がつかなかったよ。元気だったか?」

 メルルは視線を下に向け、決して合わせない。だが、口を開いた。

「……お久しぶりです。司祭」

 ガルディスが喋っていたからか、一切口を開かなかったクレアス。その口から、またも大声が発せられる。

「おおッ!? 数日間も共に過ごしていましたガ、全く気がつきませんでしたァ! いやァ! こんなに美しくなってェ! ねェ!? 司祭様ァ?」
「そうだな。夜にでも、教会に寄りなさい。また、皆で飲み交わそうじゃないか。孤児院の子らも、会いたがっているだろう」

 彼女は押し黙った。
 ……何故だ。不快な気分だった。メルルの様子がおかしいのは、この村が起因だろう。 オレはメルルに耳打ちをする。

「無理をするな、イサムの近くにいろ」
「――大丈夫」

 なら、良いのだが。
 イサムは物静かに、村を見渡していた。

□ □ □
 秘書官に案内されたのは、二階建ての宿だ。
 村の建物の中では、かなり上等なものである。

 道中の広場には、像が建っていた。
 人型の、像だろうか?
 ボレアス城にある彫像と似ている気がする。後ほど確認するとしよう。

 宿に入ると、お下げをした女主人がメルルに駆け寄り、抱きついた。
 メルルが、確かめるように口を開く。

「……リーネ?」
「お久しぶりです……メルル姉さん……」

 姫様が驚きのあまり、大声を出す。

「姉妹なんですか!?」

 そして、恥ずかしそうに口元を手で押さえた。
 メルルが微笑む。

「……いや、血は繋がっていない。小さい頃、教会の孤児院で一緒に暮らしていた妹分だよ」

 ――孤児だったのか。
 今まで、彼女が自分の情報を言うなんて事は、殆ど無かった。
 ゴンと姫様は初耳だと言うような表情をしているが、イサムは特に反応を示していない。彼にだけは話していたのかもしれないな。

「はい……あたしは姉さんに救われました。あたしだけじゃありません。他にも十人の子どもたちが、姉さんに救われたんです。本当に、感謝しています」
「そうか……。メルルには、オレたちも何度も助けられた。同じだな」

 リーネがこの村において、どのような立ち位置なのかが不透明だ。
 ここは、寄り添う姿勢を見せた方がいいだろう。
 しかし、メルルの微笑みは長く続かず、その喉から低い声が漏れた。

「なんで……なんで、村に戻ってきた? 他の子はもう、居ないだろ?」

 リーネを突き放し、鋭い目つきで睨み付ける。
 一瞬、リーネは手を伸ばしたものの、ためらい、下ろした。

「あ、その、あたし……勇気が、出なくて」

 彼女は俯き、声が小さくなっていく。
 メルルはしばし沈黙し、静かに言った。

「……酷い事は、されてない?」
「うん……」
「なら、良かった」

 ようやくメルルに、穏やかな笑みが戻った。


 嵩張る荷物を置いて、オレたちは自由時間とした。
 オレは少し確かめたいことがあり、単独で村を散策する事にした。
 姫様にはゴンを付かせた。
 イサムとメルルも宿にいるようだ。
 念のため、腰には短剣を差したままにする。

 補足だが、アリアスタ村のある『ボー領』は、魔王領に隣接している。 
 空を仰げば一目瞭然だ。鮮やかな青が途切れ、その先には赤紫の空が淡く溶け込んでいる。まるで二つの色が静かに重なり合い、境界を曖昧にしていくようだ。

 道中に通った村や砦、街の人々は、遠くに見える赤紫色を不安がっていた。
 だが、ここの村民たちからは、そんな不安など一抹も感じさせなかった。

 みんな、笑っていた。
 印象的だったのは、ほとんどの村民が、同じ首飾りを着けていたことだ。

 オレは再び、広場にやってくる。
 人型の像だ。
 眼の無い人間が両手を広げている――まるで、慈愛に満ちた抱擁を誘うような像だった。
 王国の彫像に似ている。

 像の前には、一人の紳士がひれ伏している。あれは、祈りだ。
 その紳士に声をかけることにした。

「こんにちは。祈り、ですか?」

 伏していた男は顔を上げる。首飾りが音を鳴らす。

「おお、勇者御一行のお方。こんにちは――ええ、毎日、こうして祈っております」
「その首飾りは、どういった意味合いのモノで? 村に住む方々は、みな着けておられるようですが……この地の信仰に関係でも?」
「ああ――これですね。魔力を溜めておける、魔導器です。古くからアリアスタで製造しているモノでして。一日の終わりに教会に預け、一日の始まりに、新しいモノを着けるのです」
「……何故、そんなことを?」

 紳士は笑った。

「神への、供物なのです」

 仮説だが、同じような神を模しているだけで、王国の神とは別物なのだろう。
 国神には、供物や生け贄といったものは必要ない。
 必要なのは信仰心だけだった。
 オレは像を見上げる。

「私たちは、神に護られているのです。だからこうして、笑って過ごしていられる。不安など、ありはしないのです」
「……それは、幸せなことですね。して、神の名を教えていただけませんか」
「おお――おお――! 神の名は、【ヤルダバヲート】、【ヤルダバヲート】様でございます」

 【ヤルダバヲート】。
 やはり、聞いたことがない。あとでイサムに確認するか。

「ありがとうございます。学びとなりました。それではまた」

 紳士に背を向け、教会に向かおうとする。
 背後からはまた、笑い声がした。

□ □ □
 教会には、あの助祭と司祭が居るはずだ。
 ある程度情報を握っておくべきだろう。
 リーネとかいう女の出自も気になる。

 広場からしばらく歩く、アリアスタ村の奥に、教会はあった。
 確かに、孤児院が隣接されている。
 子どもたちの騒ぐ声が、外からでも聞こえてくる。
 
 教会の扉を押し開ける。
 重々しい扉は、甲高い音を響かせながら、ゆっくりと動いた。
 内部は細長く、薄暗い。
 均一に並べられた長椅子の列。その先にある講壇の背後には、【ヤルダバヲート】の像が鎮座していた。

 ふと、長椅子に佇んでいた影が動く。
 こちらに向かって近づいてくる……人だ。
 オレが見上げるほどの大きさ。
 もしかすると、ゴンよりも背が高いのかもしれない。

 服装――血をぶちまけたような赤鎧を見るに、助祭や聖職者といった類には思えない。 背中には大剣を背負っている。
 ヘルムの隙間から覗く眼光が、オレを値踏みしているようだった。

「……名は?」

 ヘルムに反響した声が、教会内に響き渡る。

「勇者一行、騎士だ」
「……我は、名を問うている」
「――は。残念だったな。オレたちは、互いの名前も知らん。役職名でしか呼び合わんのだ。メルルの名を知ったのも、ついさっきだしな」

 咄嗟に誤魔化した。
 メルルを引き合いに出したことは、後ほど詫びることにする。
 赤鎧は、大きく溜息をつき、冷たい声で応じた。

「……誠実ではない者よ。神の御許だと言うのに――さて、どうしてくれようか」

 面倒なことになりそうだ。ここで騒ぎを起こすのは避けたい。
 イサムの目的は、この村にある『魔器』だ。彼が見つける前に、騒ぎを起こしてしまうのは不味い気がした。
 与える情報は、最小限に収める。

「……いや、すまない。確かに礼儀が欠けていたな。オレはウェルバインド領次期領主、バルムンク・ウェルバインドだ。無礼を詫びよう」

 目の前の男はゆっくりと両腕を広げ、天を仰いだ――なんなんだ、こいつは。教会には変な奴しかいないのか?

「おお――バルムンク・ウェルバインド。おぬしに神のご加護を……。我は審問官、ザイラス・アリアスタだ」

 審問官……? 審問官の装いでは無いだろう。どちらかというと、処刑人だ。

「ああ、そうだ。おぬしに伝えるべきことがあったのだ」
「……? 何をだ」
「あの戦姫と呼ばれた方は良い。我が神の恩寵を一心に受けておられる。彼女が望むなら、教会で相応の立場を用意しよう。そう伝えてくれ」

 ――は?

 以前のオレなら、ここで手を出していただろう。
 今は、いけない。
 不敬だと喚けば、彼女が王族だということが露見してしまう。

「……何をふざけた事を」
「ふざけてはない。我が直接伝えてもいいんだが――」

 オレの中の何かが弾けた。
 腰の短剣を握り絞める。

「仲間に危害を加えるつもりなら、徒では済まないぞ」

 声に乗せたのは、冷たく凍えるような殺意。

「――ハ」

 奴は即座に反応し、大剣の柄に手をかけていた。
 オレの殺意に、素早く反応したのだ。
 動きに淀みが無い。恐らくこいつは、殺人に慣れている。

 赤鎧の動きを観察する。
 奴の首には鎖帷子。短剣で急所を刈り取ることはできない。
 加えて、この圧倒的な体格差だ。
 力では勝てない。

 ――だが、やり切るしかないのだ。
 仲間に手を汚させる訳にはいかない。手を汚すのは、オレだけで良い。
 ――覚悟を決める。

 だが。
 目の前の審問官は、体を揺らしながら高らかに笑い出した。
 今までの緊張を嘲笑うように。しばらく笑い続けた後、口を開いた。

「冗句だ。本気と捉えるな。それに、明日には発つのだろう? なら、勧誘したところで意味はないじゃないか。……応援しているよ。それと、メルルによろしくと伝えてくれ」
 ザイラスはそう言い残し、教会の奥に消えていった。
 一つ、大きく息を吐く。
 クソッ、見逃されたな……。
 ……人殺しを、したことが無い。その差が勝敗を分けた。
 オレはいま、負けたのだ。

 ――オレたちは勇者一行だ。
 倒すのは魔王軍のみ。そう決めたはずだ。

 ……まだまだ、だな。
 ゴンに、精神的な余裕を持たせるにはどうすれば良いか、聞いてみるとするか。

 踵を返し、教会を出る。
 出入口の壁に、イサムがもたれ掛かっていた。
 オレは蛙が跳ぶように驚く。
 その顔は、またもや無表情だ。

「うおっ!? 驚かせるな! ……どうした」
「教会をひと目見ようとと思ってさ。中でゴタゴタしてたから、待ってた」
「……そうか」

 ならば、助太刀してほしかった。
 と思ったが、イサムが来てしまったら、オレはそのまま攻撃を開始し、返り討ちにあっただろう。
 二人でも、奴を倒せるかは分からん。

「戻るか」
「ああ、行こう」

 教会から離れる時、彼は流し目で、教会を見た。


 宿に戻る途中、広場でイサムが呟いた。

「――角だ。気が付かなかった」
「? 何の話だ?」
「ほら、像を見てみろよ」

 像を差した指を追う。
 先ほど見たときには気がつかなかった。
 オレが見ていた像は、表側だ。その裏側には、双角の生えている像があった。
 表裏一体。表側の像の眼の位置から、角が生えている。
 口にはしない、しないが……その角は、姫様のものと同じだった。
 イサムに小声で問うた。

「お前、神に会ったことがあるのだろう? あの像の見た目で、名は【ヤルダバヲート】であったか?」
「いや……神様の名前は知らない。神、としか名乗られていないんだ。表情を見ようとすると、その顔に光が差すから、顔も定かじゃない。でも、角は無かったと思う」
「そうか……村民にそう話を聞いたから、確認したかった。ありがとう」
「大丈夫」

 そう答えるイサムは、またも真顔だった。
 いつもなら、軽く笑って流していた。
 オレは語気を強めた。

「なあ、勇者。何か悩んでいるのなら話せ。ウェルバインドを出てから、余裕がないように見えるぞ」

 ふと、立ち止まるイサムは言った。

「ああ――ごめん。こんな村、すぐに出たいからさ。少し、気を張ってたみたいだ。探しモノもあるしな」

 ――嘘だと思った。
 言いたくないのなら、仕方がない。言いたいときに言えば良い。
 オレは、その嘘に乗った。

「そうか……手が欲しかったら、貸してやる。困ったらすぐに言ってくれ」

 それだけは伝えたかった。

「――ありがとう」

 久しぶりに彼は、一瞬だけ微笑んだ。


 宿に到着する。
 入り口には姫様と、護るように彼女の前に立つゴンが居た。
 彼らの足下には、村人たちがひれ伏している。
 何やら、崇め立てられているように見えた。

「か、顔を上げてください!」

 と仰る姫様だが、彼らは聞く耳を持たない。
 ゴンの表情が、徐々に不安げな色に変わっていく。
 彼はオレたちを見かけて、目で助けを求めてきた。

「……彼女が尊きたっときお方なのは分かるが、やり過ぎだ。去ってくれ」

 姫様の威光が伝わるのは喜ばしいが、直前にあの像を見てしまったらな。
 そういった理由なのだろうと推測する。
 去って行った村人たちは、広場の像にひれ伏しだした。

「ふぅ……助かりました。ありがとうございます、騎士団長」
「いえ。あんな連中に、戦姫を崇め立てる資格はありませんよ。今日はもう、部屋に戻りませんか。明日の朝一番に発ちましょう。――もう、こんな所に居られません」

 姫様もゴンも、深く頷いた。どうやら同じ考えだったようだ。

「勇者も用事があるのなら、早めに済ませておいてくれ」

 視線で合図を送ると、彼は頷いた。

「――ああ。俺は夜に一度、出るつもりだ。それまでは一緒にいるよ」

 彼の言葉に、オレは頷き返す。
 きっと、オレたちの力を必要とする瞬間が来る。その時まで、静かに備えるのだ。

□ □ □
 日は沈み、光が消える。
 窓が鏡のようになって、オレの顔が明瞭に映る。

 振り向くと、部屋の中には姫様、イサム、ゴン、メルルが居る。
 姫様は尻尾を抱き、瞳だけを動かし、皆を眺めている。
 イサムは聖剣を磨き始め、ゴンもそれに便乗した。大斧を手入れしている。
 メルルは……魔導書を両手で持ち、表紙を見ていた。

 一息つき、揺らめく蝋燭を眺める。時間が経つのが、長く感じた。
 そうしていると、扉をノックする音がする。

「メルル姉さん……? いらっしゃいますか?」

 リーネの声だ。
 メルルがゆっくりと立ち上がり、扉を開けた。

「あ、あの。お食事がまだじゃないかって……その、持ってきたんですが……」

 彼女の後ろには配膳ワゴンが。
 彩り豊かな野菜が詰め込まれた――スープだな。出来立てだろう。立ちのぼる湯気がそれを証明した。

「ああ、ちょうど腹を空かせていたところなんだ。ありがとね、リーネ」
「う、うん! 何か欲しいものとかあったら、あたしに言ってください!」

 二人は手を振り合い、リーネは去って行った。
 
 いくら仲間の知り合いとて、用心に超したことはない。
 ――毒味をすることに決めた。
 オレは幼少の貴族教育によって、毒への耐性がある。
 父上に感謝だな。

「メルル。まずはそのスープをオレにくれ。不快に思ったのなら悪いな」
「……ああ、毒味か。構わないよ……熱ッ! ほら」

 彼女は器に一杯分のスープを盛り、手渡してきた。
 湯気の立つ、美味そうなスープだ。

 口に含む。
 ……火傷するほどの熱さだ。
 野菜はとても柔らかく、すぐにほどけた。
 液体は熱く、喉に通すと何処を通っているかが分かる。

 もう一口含んだ。
 舌を口蓋に擦り付けるように、味の確認をする。
 ――旨味しか感じない。毒は、無いようだ。

「食しても問題ない。……気にしすぎだったか」

 食器の置かれる音がする。
 既に、メルルがテーブルの中央に鍋を置き、ゴンが食器を並べてくれていた。

「いいや、念には念を、でしょ?」

 と、メルルは席に着く。
 倣って、オレも椅子に座った。
 ゴンが、鍋から器にスープを取り分けている最中に言った。

「皆さんとテーブルを囲う、というのも久しぶりな気がしますね……。バルムンクさんの家では何度か囲いましたけど……」

 言わんとすることは分かる。
 オレの思ったことを、隣に座る姫様が代弁した。

「ですねぇ。村に向かう馬車に乗ってから、時間が長く感じてます……ふー」

 眉にしわを寄せた彼女は、冷ますように息を吹きかけてから、一口を含む。

「あ、美味しい」
 とひと言。

「この辺は良い野菜が採れるのかもしれませんね」
 オレも一口。

 久しぶりに、メルルがそれに答えた。

「ああ、そういえばそうだったかも。この領地には多くの魔力が通っているから、地の元素の影響で、質の良い野菜が育つとか」

 なるほどな。
 元素によって質が良くなるとは知らなかった。
 オレも少しは、魔導を囓ってみるべきか……。

「ゴン、お前の家でも作物を栽培していただろう? 何か工夫はしているのか?」

 彼はもう、二杯目を注いでいる。

「オイラの家ですか? う~ん、特に工夫とかはしてないです。強いて言え、ば――」

 ゴンの手に持った器が、落ちた。

「おい、どうした? ゴ、ン――?」

 強い耳鳴りがした。加えて、意識が朦朧とする。
 大きな音を立てて、ゴンザレスが突っ伏す。
 彼は、動かない。

「――マジか、なん――で」

 イサムが立ち上がるが、ゴンに続き、床に突っ伏した。

「!? ク……ソ……」

 この感覚は、眠気だ。目蓋が重く落ちてくる。
 意思が反映されない。
 全身が痺れるようだ。指先に、針が刺さったような痺れ。
 これは、毒――? あり得ない。オレには耐性がある――なら、他の手段で眠らせられている。なんだ、なんなのだ。
 姫様は――彼女の安全だけは、確保せねばなるまい。

「ひ、め――様――」

 呂律が回らなくなってきた。
 彼女を見ると、目蓋を閉じて、今にも机に頭をぶつけてしまう直前だった。
 オレの口からは奇声が発せられた。

「い、め――あァアア!」

 木材の上を滑るように、腕を伸ばす。
 姫様の額が、オレの掌の上に落ちた。
 既に、寝息を立てていらっしゃる。

「よかッ――」

 限界だった。
 側頭部からテーブルに落ちる。姫様のお顔を見 めなが 、 オ の意  。
 最 後に こ――   は――――。

「ごめんね、みんな。ごめんね……イサム」


□ □ □
 遠くの音が聞こえる。
 何かが何かにぶつかる音。木材がへし折れる音。
 女の悲鳴。下衆な男の声。
 目蓋は閉じているのだが、周りが見える。魂のみが浮いているような感覚。
 テーブルには、姫様とゴンとオレ。イサムとメルルが居なくなっている。

 ――動かせ、躯を。
『あああああ』
 声を上げる。だが、実際に声は出ていない。
『ああああああああ!!』
 叫ぶ。

 オレの唇が、少しだけ動いた。
 指の先まで、痺れる感覚――オレは無理矢理に、意識と肉体を繋げる。
 腕を、上げ、テーブルを、押すように、力を、入れた。

「ああああああああ!!」

 体を反らせるように、頭を振った。
 脳の半分は、まだ夢の中に留まっている、そんな気分だ。

「クソ……」

 オレはそう漏らして、姫様の肩を揺する。

「もぉ……バル……そこ、触っちゃ、らめ……むにゃ」

 どんな夢を見てるのですか。

 階下から下品な笑い声が聞こえる。
 先ほど聞いた、遠くの音は一階からだった。
 考えられるのは、刺客。

 脳が覚醒していく。
 ――オレたちを眠らせたのはメルルだろう。
 だが、勇者一行を眠らせた事と、階下の騒ぎは別件だと考えるべきだ。
 仮にメルルが裏切っていたとしたら、何をしても対応できん。考えるだけ無駄だ。
 そう仮定し、行動を開始する。

 階段を上がる音が聞こえる。
 恐らく、オレたちの部屋に来る。ならば、優先的に起こすべきなのはゴンだ。
 ゴンの肩と頭を同時に揺する。

「もう食べられねえだ……」

 そんなに熟睡しているのか? オレは熟睡できないよう鍛えられたから分からん。

「悪いな、ゴン」

 オレはゴンの頭頂部に拳打を叩き込んだ。
 彼は呻き、おもむろに頭を上げ、両手で頭を押さえた。

「いたい……」
「すまん。そんなことより、おそらくすぐに敵襲が来る、備えろ!」
「え!? は、はい! 姫様はオイラが起こします!」

 一瞬の間に、スープに指を突っ込む。
 冷たい。配膳されてから半刻は経過しているだろう。
 すぐに槍を持ち、扉に耳を当てた。

『勇者と角の御方は捕らえろ。他は殺しても構わん。魔王様に差し出すのだ』

 この声は――審問官ザイラスか――!
 足音の数はザイラスを含め、四人……。

 ――ああ、そういうことか。
 この村は既に、魔王軍に墜ちていたのだ。
 足音は部屋の前で止まる。

『この部屋だ。開けろ』

 鍵が刺さる音。続けて、解錠の音が響いた。

「むにゃにゃ……よく寝ましたぁ……」

 愛らしい呑気な欠伸と同時に、扉が吹き飛んだ。
 オレは、即座に前方に向かって槍を突き入れる。
 殺す勢いでだ。
 だが、刺さった先はザイラスではない。恐らくはその部下。そいつの脇腹に、槍が深々と刺さる。
 嫌な感触だ。骨の隙間を通すように、肉を抉る。
 刺された奴は悲鳴を上げ、脇腹を押さえながら廊下を転がった。
 あと三人。
 
 オレの胸に衝撃が来る――そう認識した時には中空に飛ばされ、壁に激突していた。

「グッ……」

 点滅した視界の中、状況を確認すると、ザイラスに蹴り飛ばされていたようだ。

「こんばんは、バルムンク殿。――おや、勇者とメルルはどこに?」
「答える、義理はない……!」

 ゴンが雄々しい叫び声を上げ、大斧を構えながら突貫した。
 ザイラスは、大剣を振り抜く。 
 重々しい金属がぶつかる音。奴の大剣と、ゴンの大斧が鍔迫り合う。

「おお――素晴らしい強度の武器だな、戦士よ。もう刃毀れしてしまったよ――!」

 恵体同士の力比べは、互角だ。
 いや、大剣を片手で振るうザイラスが、一枚上手か――!
 残り二人の部下も、ザイラスの脇を通り、部屋に突入する。
 姫様は!?
 居ない――!

「ギャッ!?」

 左に居た男が、上空からの襲撃に倒れた。
 姫様が上空から、細剣の鞘で頸椎を狙ったようだ。

 流石は、戦姫ヴァルキリー

「――ハ! 角の御方!」

 ザイラスは空いている腕で、彼女を捕縛しようと、掌を広げた。
 彼女の角が掴まれる――瞬間、予備動作もなく、姫様は後ろに倒れた。ザイラスの掌は空を掴む。
 姫様は背中を地に触れさせずに、そのしなやかな肉体と尾を躍動させ――オレの前に着地した。

 入れ替わるように、オレは前へ跳ぶ。
 ザイラスのヘルムに、蹴りを見舞った。
 奴の体勢は崩れ、ゴンと共に部屋の外まで崩れ出る。

 困惑して動けない最後の部下を――姫様が鞘のまま一閃した。
 白目を剥いた男は、その場で膝から崩れ落ちる。

 ゴンの援護に――!
 部屋の外へと飛び出した瞬間、大剣の薙ぎ払いが襲った。
 凄まじい剣速と攻撃範囲。
 前髪が数本、オレから別たれた。

 その剣閃は、二階天井を横に両断する。――滅茶苦茶だ!
 ザイラスがその大剣の柄を両手で握り、大上段に構える。

「――ハ! ――ハハ! 勇者御一行というのは凄いな――! 御方々が警戒するのも頷ける――!!」

 大剣が振り下ろされる。
 受け切ることは不可能……! だが、宿を両断するほどの力だ。ここで回避してしまうと、姫様に危害が及ぶ――!
 ならば、受け流すしかない。

 オレは即座に、腕に強化魔術を付与。
 槍を大剣に向けて、斜めに振り上げる――!
 火花が散る。
 地の竜魔四天王の腕力に匹敵する程の重さ――!
 頭蓋に迫り来る刃。
 軋む腕。
 悲鳴をあげる長槍――!
 その時、ザイラスの背後から影が躍り出た。

「だあああああああ!!」

 雄叫びを上げるゴンだ。大斧を振りかぶり、斧頭を赤鎧に叩き込んだ――!

「ギッ――」

 呻いた赤鎧の力みが、緩まる。
 即座に槍を跳ね上げ、大剣の軌道を逸らす。
 大剣が壁へ突き刺さると同時に、その周囲の壁が爆ぜ飛んだ。

 オレは、奴のヘルムで唯一の隙間――覗き穴を狙い、槍を突き入れる。
 穂先はためらうことなく吸い込まれ、瞬間、鮮血が奔流のごとく噴き出した。
 赤鎧の巨体はゆらりと揺らぎ、力を失って背後へと崩れ落ちる。

 ――勝った、か。
 仲間が居なければ、オレはここで死んでいただろう。
 乱れた呼吸を整える。
 姫様とゴンをひと目見る。二人とも無事だ。
 安心した。

「――ハ、ハハ」

 小さく、低い声が、微動だにしない赤鎧から放たれる。

「まだ、喋る気力があるか」

 オレは槍を構え直し、首の楔帷子に突き立てた。
 時間が無い。すぐにイサムとメルルの行方を追わねばならない。

「貴様は、いや教会は何故、魔王軍に与した。言え」

 槍に力を込めると、ザイラスの目が、笑った。

「ああ、そんなことで良いのか。当然だろう――竜魔王様は、神だ。神は我らを救ってくださる。……与する、与さないの問題ではない。我々は最初から、あちら側なのだよ。――領主たちには感謝している、偽りの情報と、貴重な情報を幾多も交換していただけたのだから」

 どこか狂気を孕んだその言葉に、要領を得ない曖昧さが滲む。
 ――など、具体性の無い戯言だ。
 不意に、姫様が口を開いた。

「答えなさい。竜魔王と話をしたことはありますか」

 姫様の鋭く凍り付くようなお声に、オレは息を呑んだ。頬には一筋の汗――冷や汗だろうか――が伝う。
 そのような姫様を見るのは、初めてだ。
 ザイラスの片眼――オレの槍は、奴の眼を一つ潰したようだ――が、ギョロリと抉るように彼女を貫いた。

「当然でしょう」
「竜魔王の子について、何か聞いていますか」

 姫様が聞きたいのは、かつて『アンドリュ村』でお話しされたことだ。
 ……オレに、その問いを止める権利はない。

「――ああ、聞いておりますよ」

 ザイラスが、姫様に向かって畏まった態度を取る理由。

「話しなさい」
「ええ――ええ、よろしいですとも。竜魔王様には、四人の児が居る。ですがね、あと一人。存在しているのです」

 思わず槍に込める力が強まる。

「ギッ……」

 苦痛に身をよじるザイラスを、姫様は冷血に見下ろした。

「バルムンク、下がって構いません。……その一人とは、何処に?」

 赤鎧は――笑った。
 それも高らかに、大声で。
 ひとしきり哄笑した後、愉悦を含んだ声で語る。

「――ハァ……失礼。そうですね、十数年前の話です。転送門を通り、一人の女がアリアスタ村に現れた。その女は、竜魔王様が戯れに、ボレアス王国から攫ってきた女です。腕に抱いていたのは、角の赤子でした」

 ボレアス第二王姫様だ――。

「ええ、ええ。教会は、それを見逃しましたとも。竜魔王様は始末するよう仰っておりましたがね……我らとしては、角の赤子も、神である御方々と同じなのです。殺せるわけがない! しかし、野垂れ死ぬのであれば、仕方の無いこと。自然の摂理です。神が定めた、規則なのです。ですが! 角の赤子は死んでいなかった! ――ええ! そうなのです! 生き延びていたのです!」

 奴の声が、昂ぶっていく。

「立派にご成長なされましたね! そうですとも、ですよ! 竜魔王の末児! 最後の、『王位継承権』の持ち主! 竜魔四天王様が狙っていたのは勇者ではない――貴女様なのです!! ハ! ハハ! ハハハハ!!」

 ザイラスの哄笑が耳に反響する中。
 オレは、姫様の顔を見ることが出来なかった。
 聞こえるのは、奴の笑い声と、彼女が奥歯を噛みしめる音。

「あんた……もう、黙れ」

 斧頭が赤鎧のヘルムに、力一杯叩きつけられた。耳障りな哄笑が、途切れる。
 微かな荒い呼吸音。気絶したようだ。
 オレは、斧を振るった男の肩に触れた。怒りからか、震えていた。

「ゴン――」

 彼からは、煮え滾るような熱い感情を感じる。

「姫様は――姫様は、オイラたちの仲間だ。仲間なんだ!」
「当然だ。彼女は他でもない、オレたちの仲間だ」

 怒ってくれて、ありがとう。また、ゴンには助けられた。

「そんな……竜魔王の児とか、竜魔四天王とか、意味分からないことを言って――!」
「――いえ、ゴン。その通りなのです。ようやく、合点が行きました」

 裏腹に、彼女はそう言った、そう答えたのだ。凍り付くようなお声で。

「姫様!?」

 ゴンは眼を見開いて、口をつぐむ。

「実は、バルムンクには相談をしていたの。四天王が狙うのは私で、それで私は、竜魔王の児なんじゃないかって。――頃合いを見て、皆さんに相談しようと思っていました。でも、間に合いませんでしたね。ごめんなさい」

 彼女は声色を戻し、オレたちに頭を下げる。

「謝らないでください……そんなもの、関係ないと言ったでしょう? ――だよな? ゴン。何も関係ないだろ?」

 ゴンは俯き、『戦士の腕輪』を強く握った。
 何も、言わない。

「…………」
「……ゴン? なあ、おい」

 無言の彼に、声をかけ続ける。
 頼む、何か言ってくれ。
 姫様も小さな声で呟いた。

「そう、ですよね……あなたのお祖父様は、竜魔四天王に殺されてしまった。私の――兄弟に。許されるはずがない。――私の命で贖えるのでしたら、どうぞここで、その斧を振り下ろしてください」

 なにを、言ってるんだ?
 ゴンは無言のまま、大斧に目線を向けた。

「なにを、言っているのです、姫様。そんな――」
「いいんです。私はお父様を困らせて、角と尾で人を怖がらせて、バルムンクには迷惑をかけ続けて来た。……私は、ずっと独りでしたから、いいんです」

 彼女は、今にも泣きそうな表情で、オレを見つめた。
 溢れそうな涙が瞳を覆って、空を曇らせた。
 星が、見えなくなった。

「――――ぁ」

 オレの身体が、本能のままに動いた。
 姫様を、強く抱きしめる。

 彼女が死ぬなら、オレも共に死のう。
 星の喪った空に、意味はない。
 オレは、星を目指したのだ。
 掴めない星を、追いかけたのだ。
 星が終焉を迎えるのなら、オレの終焉も、ここでいい。

「ゴンザレス――オレも、連れて行け」

 目蓋を閉じ、腕に力を入れる。
 姫様は、嗚咽をあげながら、オレの胸に顔を埋めた。

 ――ああ、神よ。
 叶えてくれるのならば、イサムとメルルに幸がありますように。
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