悪役令嬢レベル100

夏見ナイ

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第8話 聖女の慈悲

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宰相の息子レオナルドが、錯乱したまま衛兵たちに両脇を抱えられて引きずられていく。
「計算が違う!変数が多すぎる!ああ、私の美しい世界が、論理が、崩れていく……!」
最後まで意味不明な言葉を叫び続ける彼の姿は、ホールに集った貴族たちの心に、消えないトラウマを刻み付けた。
武勇も、知略も、この赤い髪の少女の前では何の意味もなさない。
その絶対的な事実が、重く冷たい絶望となって会場を支配していた。もはや、誰も声を発しようとはしない。アシュリー・フォン・ヴァルハイトという名の厄災が、次に何をするのか。ただ固唾を呑んで見守ることしかできなかった。

壇上のエリオット王子は、血の気を失った顔で立ち尽くしていた。
彼の誇り高き騎士は睨まれただけで失神し、怜悧な頭脳を持つ側近は意味不明な言葉を叫んで精神を崩壊させた。彼が正義の鉄槌として用意した駒は、全て砕け散ってしまった。
計画は完全に破綻していた。
いや、それどころではない。このままでは、王家の威信そのものが地に落ちる。眠れる災厄をわざわざ叩き起こした愚かな王子として、歴史に名を残すことになるだろう。
後悔と恐怖が、彼の心を締め付ける。
どうすればいい。この状況を、どう収めればいいのだ。
彼が答えを見つけられずに立ち尽くしている、その時だった。
ふわり、と。
絶望に凍りついた空気を、柔らかな光が撫でるように、一人の少女が動いた。
亜麻色の髪を揺らし、純白のドレスを纏った少女。聖女リリア・スチュワート。
彼女はエリオットの隣からそっと離れると、おずおずと、しかし確かな足取りで壇上から降りた。そして、恐怖に染まる貴族たちの間を抜け、まっすぐに私の元へと歩み寄ってくる。
彼女が通る道筋だけ、重苦しい圧力が和らぐような錯覚さえあった。それは彼女が放つ、癒やしと慈愛のオーラの為せる業なのだろう。貴族たちは、まるで救いを求めるかのように、その姿を目で追った。

やがて、リリアは私の数歩手前で足を止めると、深々と頭を下げた。
その姿は、まるで罪人の許しを乞う巡礼者のように、あまりにも健気だった。
「王子様、皆様、もうおやめくださいまし」
凛とした、しかしどこか儚げな声が、静寂のホールに響き渡る。
「これ以上、アシュリー様をお責めになるのは、あまりにも酷ですわ。アシュリー様も、きっと深く反省なさっているはずです」
彼女は顔を上げ、潤んだ大きな瞳で私を見つめた。その瞳には、一点の曇りもない、純粋な善意が宿っているように見えた。
「全ての過ちは、私にございます。私が至らぬばかりに、アシュリー様のお心を乱してしまいました。ですから、どうか……どうか、アシュリー様をお許しくださいまし」
完璧だった。
非の打ち所がない、聖女の振る舞いだった。
自らの非を認め、加害者であるはずの私を庇い、許しを乞う。その姿は、会場にいる全ての者の心を打っただろう。
『なんと……お優しい方だ』
『自らの身を挺して、あの悪魔を庇うとは……』
『あれこそ、真の聖女様だ!』
貴族たちから、感嘆と賞賛の囁きが漏れる。
だが、その慈悲と善意は、今の私にとっては何よりも厄介な代物だった。
(―――余計なことを!)
私は内心で、激しく舌打ちした。
危なかった。本当に危なかった。
このまま彼女の言葉に場の空気が流され、「聖女様がここまでおっしゃるのなら」などという雰囲気になってみろ。私の追放計画は水泡に帰す。婚約破棄はされても、国外追放ではなく、公爵領での謹慎程度で話が収まってしまうかもしれない。
それだけは絶対に駄目だ。
私のスローライフが遠のいてしまう。
私は焦りと苛立ちを込めて、目の前の聖女を睨みつけた。
(黙れ!引っ込んでろ!お前のせいで私の計画が台無しになるだろうが!)
そんな心の声が、そのまま視線となってリリアに突き刺さる。
それは、レベル100のSTRとINTとMNDが乗った、物理的な質量すら伴うかのような眼光だった。
「……っひ」
リリアの喉から、引き攣ったような短い悲鳴が漏れた。
彼女の目に映った私、アシュリーの表情。
それは、悪魔のそれだった。
せっかく差し伸べられた慈悲の手に、唾を吐きかけるような。
純粋な善意を、汚物でも見るかのように嘲笑うような。
冷たく、昏く、どこまでも侮蔑に満ちた視線。
その黄金の瞳の奥で、リリアは見てしまった。自分の聖なる力が、まるで取るに足らない子供の戯言のように、一笑に付される光景を。
魂の格が、根本的に違う。
自分が積み上げてきた善意も、神から与えられた奇跡の力も、この存在の前では何の意味もなさない。
その絶対的な真実が、彼女の心を凍てつかせた。
彼女はがたがたと震え始め、顔から血の気が引いていく。その瞳から、先ほどまでの慈愛の色は消え失せ、純粋な恐怖だけが浮かんでいた。
「あ……あ……」
何かを言おうとするが、言葉にならない。ただ、パクパクと唇が動くだけだった。
その様子を見て、私は少しだけ冷静になった。
(いかん、やりすぎたか)
ここでヒロインを泣かせたり、失神させたりしたら、余計に話がややこしくなるかもしれない。私は慌てて視線を和らげ、苛立ちを心の奥に押し込めた。
だが、もう手遅れだった。
リリアの恐怖に染まった表情は、会場の全ての人々の目に焼き付いていた。
そして、その光景は、一人の男の怒りを臨界点まで高める、最後の引き金となった。
「―――アシュリーッ!!」
壇上から、獣のような咆哮が轟いた。
エリオット王子だ。
彼は愛するリリアが私の視線一つで脅えさせられたのを見て、完全に理性の箍が外れてしまったらしい。
恐怖も、打算も、王族としての体面も、全てが怒りの炎で焼き尽くされていた。
彼の目に宿るのは、ただ一つ。
目の前の悪魔を、この世界から排除しなければならないという、純粋な殺意だけだった。
エリオットは、腰に下げていた王家の象徴たる宝剣を、凄まじい勢いで引き抜いた。
シャキン、という甲高い金属音が、ホールの緊張を極限まで高める。
切っ先が、真っ直ぐに私の心臓に向けられていた。
事態は、私の予想を遥かに超えて、最悪かつ最高の方向へと転がり始めていた。
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