悪役令嬢レベル100

夏見ナイ

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第39話 噂の広まり

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亡国の騎士バルドルは、その日暮らしの傭兵からヴァルハイト領の害獣駆除担当へと華麗なる(?)転身を遂げた。
彼がアシュリーに剣を捧げた翌朝、彼女は本当に彼を畑へと連れて行くと真剣な顔でこう命じたのだ。
「いいこと、バルドルさん。私の可愛いジャガイモたちを、悪いイノシシから守るのがあなたの仕事よ。でも、返り血で服を汚さないように気をつけてね。洗濯が大変だから」
そのあまりに生活感に満ちた命令にバルドルは一瞬眩暈を覚えたが、これも主君が自分に与えた試練なのだと無理やり納得した。彼は騎士の誇りを胸に、忠実にその任務を遂行し始めた。

しかし、彼が対峙することになった『害獣』は彼の想像を遥かに超えていた。
そのイノシシはアシュリーの魔力が染み込んだ作物を食らい続けた結果、異常な進化を遂げていたのだ。体は鎧のように硬い皮で覆われ、その牙はミスリル銀のように鋭く輝く。もはやそれはイノシシではなく、魔獣『アーマーボア』とでも呼ぶべき新種の怪物だった。
元騎士団長であるバルドルでさえ、その討伐には丸一日を要した。泥と血に塗れ、満身創痍で怪物を仕留めた彼を村人たちは英雄として称えた。
「すげえ!あの化け物猪を一人で!」
「バルドル様こそ、我らが村の守護神だ!」
村人たちからの尊敬の眼差し。温かい食事と寝床。そして、子供たちの屈託のない笑顔。
バルドルは故郷を失って以来、初めて『帰る場所』を得たような不思議な感覚に包まれていた。
この領地で新たな人生を始めるのも悪くない。
彼はそう思い始めていた。だが、同時にアシュリーという存在への畏怖は日ごとに深まっていった。
この土地では畑を荒らす害獣ですら、並の騎士では歯が立たない魔獣なのだ。そしてその頂点に君臨する少女は、そんな魔獣の存在を「ちょっと厄介なイノシシ」程度にしか認識していない。
この領地の常識は、外界の非常識。
その事実がバルドルの心を絶えず揺さぶり続けていた。

バルドルがヴァルハイト領の異常さに戸惑っている頃、外界ではこの土地に関する奇妙な噂が静かに、しかし確実に広まり始めていた。
その発生源はごく少数。
この地を訪れ、生きて帰ることができた数少ない旅人や行商人たちだった。

ある者は立ち寄った酒場で、震える声で語った。
「信じられねえかもしれねえが、聞いてくれ。北の果てで山みてえなデカさのジャガイモを見たんだ。一つの村が、一年は食っていけるくれえのやつをよ」
その話を聞いた者たちは腹を抱えて笑った。
「おいおい、酔っ払いの法螺話も大概にしろよ」
「北の寒さで、頭がおかしくなったんじゃねえか?」
誰も彼の話を信じなかった。しかし、数日後その男が市場に持ち込んだ『証拠』を見て皆が言葉を失った。
それは荷車一台を占領する、たった一個のジャガイモだった。

またある者は故郷の村で、涙ながらに奇跡を語った。
「俺はもう治らないって言われた病で、死にかけてたんだ。そんな時、旅の途中で立ち寄った北の村で赤い髪の女神様に出会った。そのお方がただの薬草茶だって言って飲ませてくれた一杯で……この通り、すっかり元気になっちまったんだ!」
村人たちは彼の回復を喜びながらも、その話を半信半疑で聞いていた。
「女神様、ねえ。きっと腕のいい薬師だったんだろ」
「そうだとしても、奇跡だ。そのお茶、少しでも残っちゃいねえのか?」
男は懐から小さな小瓶を取り出した。そこには女神様から分けてもらったという茶色い液体がわずかに残っていた。
その村で瀕死の状態だった老婆が、その液体を数滴飲んだ。
すると次の日、老婆は元気に畑仕事をこなすまでに回復していた。
その奇跡はもはや疑う余地のない事実として、周辺地域へと広まっていった。

噂は人々の口から口へと伝わるうちに尾ひれがつき、次第に一つの壮大な伝説へと形を変えていった。

―――北の果てに、楽園がある。
そこはヴァルハイトと呼ばれる、かつては不毛の地だった場所。
だが今、そこには飢えも病も、魔物の脅威もない絶対安寧の理想郷が生まれている。

―――その楽園を治めるのは血のように赤い髪を持つ、若く美しい魔女だという。
ある者は彼女を『豊穣の女神』と呼び、またある者は畏怖を込めて『紅姫』と呼ぶ。
彼女は神の如き力を持ち、大地を割り川を作り、一夜にして街を築いた。
その力は時に慈悲深く、時に苛烈。彼女に逆らう者は瞬く間に塵と化す。

―――しかし、その魔女はあらゆる者を受け入れるという。
罪人も流れ者も、彼女を慕う者ならば誰であろうと拒まない。
その証拠に彼女の下には、かつて大陸を震撼させた亡国の英雄が今は一人の騎士として剣を捧げている。
楽園の門は神獣フェンリルが自ら番をしているが、心正しき者が通るのを決して妨げはしない。

その噂は当初は荒唐無稽な与太話として、人々の笑いの種でしかなかった。
だが、いくつもの『証拠』と『奇跡』が報告されるにつれその様相は変わっていった。
特に大陸中に存在する、虐げられた人々、行き場を失った人々、そして絶望の淵にいる人々にとってその噂は暗闇の中に差し込む唯一の光となった。
それは最後の希望。
信じるか、信じないかではない。
信じるしかない、救いの物語だった。

もちろんそんな噂が大陸中に広まっていることなど、張本人であるアシュリーは全く知らなかった。
彼女の日常はどこまでも平和で、どこまでもマイペースだった。
「バルドルさん、ありがとう。あなたのおかげで畑の被害が全くなくなったわ。これで安心して、お昼寝ができる」
「はっ!我が主の安眠を守ることこそ、騎士の誉れにございます!」
「それからゼノ。城の修復はいいけど、私の部屋の近くで、あまり大きな音を立てないでちょうだいね。本を読むのに集中できないから」
「御意!我が主の思索の時間を妨げる愚か者には、私が直々に天誅を下しましょう!」
「二人とも、ちょっと大げさよ……」
彼女の何気ない日常と彼女の部下たちの過剰な忠誠心。
その絶妙な(そして絶望的な)コンビネーションが彼女の知らぬ間に、世界中に壮大な伝説を振りまいている。
その事実に彼女はまだ気づいていない。

そして噂はついに、最初の訪問者たちをヴァルハイト領へと導いた。
彼らは人間たちから長年迫害され、安住の地を追われ続けてきた獣人族の一団だった。
犬や猫、狼や狐の特徴を持つ彼らはその異質な姿ゆえに、どこへ行っても蔑まれ石を投げられてきた。
そんな彼らが最後の望みを託して、噂の楽園を目指したのだ。
長い、苦難に満ちた旅の果てに。
彼らはついにヴァルハイト領の入り口を示す、古い石碑の前にたどり着いた。
彼らの一団のリーダーである銀狼の獣人、ガロウはゴクリと唾を飲んだ。
目の前に広がるのは噂通りの光景なのか。それとも自分たちを誘い込む、新たな地獄の入り口なのか。
希望と不安を胸に、彼は一歩その禁断の地へと足を踏み入れた。
その先に待つのが、彼らの一族の運命を永遠に変える出会いになることをまだ誰も知らなかった。
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