私、ヒロインではなく悪役令嬢のお母様に転生したみたい。娘を全力で幸せにします!

夏見ナイ

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第26話 最初の妨害工作

イザベラとアルフォンス王子の交流は、あの日を境に公然のものとなった。
週に一度は王家の使者が可憐な封筒を届け、イザベラは頬を染めながら、一生懸命に返事を書く。
時には、王妃陛下からのお誘いという形で、王宮の庭園で二人きりのお茶会が催されることもあった。
その様子は、微笑ましい子供の友情として、貴族たちの間でも好意的に受け止められていた。
未来の国王と王妃となるべき二人の、健やかな関係。
それは、この国の安寧を象徴する、温かい光景だった。

エルグランド公爵家の食卓もまた、以前の冷え切った沈黙が嘘のように、穏やかな会話で満たされるようになっていた。
「イザベラ。先日アルフォンス殿下から贈られたという、騎士物語の本は読んだのか」
「はい、お父様! とても面白うございました。特に、忠実なグリフィンが主を守るために……」
娘が夢中で語る物語に、レオナルドは相変わらず口数少なく相槌を打つだけだ。
だが、そのまなざしはどこまでも優しく、娘の一言一句を慈しむように聞いていた。
私は、その光景を眺めながら、手に入れた幸福を静かに噛みしめる。
この温かい食卓を守る。その誓いが、私の胸に新たな力を与えてくれる。

全てが、順風満帆に進んでいる。
そう、信じていた。
だからこそ、私は気づくのが少しだけ遅れてしまったのだ。
私たちの足元に、静かに、しかし確実に忍び寄る、最初の悪意の影に。

その夜、私が夜食を手に執務室を訪れると、部屋の空気は凍てつくように冷え切っていた。
レオナルドは、机の上に広げられた一枚の報告書を、憎々しげに睨みつけている。
その横顔には、バルト村の計画を立てていた時のような活力はなく、ただ冷たい怒りの炎が揺らめいていた。
私がトレイを置いても、彼は気づかない。その意識は、目の前の紙片に完全に集中していた。

「あなた。何か、問題でもございましたか?」
私が声をかけると、彼ははっと我に返った。
そして、疲れたように深い息を吐くと、報告書を私の方へと無造作に押しやる。
「……見ろ」
その短い言葉に含まれた怒りの重さに、私は緊張しながら報告書に目を通した。
それは、バルト村の再開発計画に関する、最新の進捗報告だった。
そして、その内容は、私の楽観的な見通しを打ち砕くには十分すぎるものだった。

「……商人ギルドが、蒸留酒の取り扱いを拒否? 王都の酒場で、悪意のある噂が?」
私は、信じられない思いで文字を追った。
バルト村で試験的に製造された蒸留酒は、専門家の間でも非常に高い評価を得ていた。
その品質をもってすれば、王都の市場を席巻するのも時間の問題だと、誰もが考えていたはずだ。
だが、報告書には、計画の根幹を揺るがすような、陰湿な妨害工作の数々が記されていた。

有力な商人ギルドの長たちが、次々とエルグランド家との取引契約を白紙に戻している。
表向きの理由は「前例のない商品でリスクが高い」というものだが、その裏で何者かが圧力をかけていることは明らかだった。
さらに、王都の酒場や社交場では、こんな噂が囁かれているという。
「エルグランド公爵家が売り出す酒は、ジャガイモから造った貧民の飲み物だそうだ」
「そのようなものを飲めば、貴族としての品位が落ちる」
製品が市場に出回る前に、そのブランドイメージを徹底的に貶める。
なんという、狡猾で、悪質なやり口だろう。

「……誰の仕業か、見当はついておりますの?」
私の問いに、レオナルドは忌々しげに舌打ちをした。
「オルブライト侯爵だ。それ以外に考えられん」
オルブライト侯爵。
その名前は、私がレオナルドの情報網から得た社交界の勢力図にも、はっきりと記されていた。
代々王家の財務を担ってきた、保守派貴族の筆頭。
近年、レオナルドが進める急進的な財政改革によって、その影響力を大きく削がれている一族だ。

「彼らにとって、バルト村の計画は目障りでしかないのだろう。公爵家が新たな利権を手に入れ、さらに発言力を増すことを恐れているのだ」
レオナルドの声は、静かだったが、その底にはマグマのような怒りが煮えたぎっていた。
「だが、証拠がない。商人たちも、侯爵の名は決して口にせん。噂の出所も、辿れば霧のように消えてしまう。このままでは、計画そのものが頓挫しかねん」

私は、彼の苦悩を痛いほど理解した。
貴族社会の戦いは、正面からの斬り合いだけではない。
証拠の無い中傷、水面下での圧力、世論の操作。
そういった、目に見えない刃が、時には剣よりも深く相手を傷つける。
ここでレオナルドが公的にオルブライト侯爵を非難すれば、逆に「証拠もなく他家を貶める横暴な公爵」という汚名を着せられかねない。
相手は、その泥仕合に引きずり込むことこそを狙っているのだ。
レオナルドは、その罠に気づいているからこそ、動くに動けないでいた。

私は、しばらく黙って考え込んだ。
オルブライト侯爵。その陰湿なやり口。
そして、手詰まりになっている夫。
状況は、確かに悪い。
だが、絶望的ではない。
なぜなら、相手はこちらの戦力を完全に見誤っているからだ。
彼らが警戒しているのは、あくまで「氷の公爵」レオナルド・フォン・エルグランドという、政治の舞台で戦う男だけ。
その背後にいる、もう一人のプレイヤーの存在に、まだ気づいていない。

私は静かに立ち上がると、窓辺に立つ夫の背中に向かって、穏やかに、しかし揺るぎない声で言った。
「あなた。その件、わたくしにお任せいただけませんこと?」

私の言葉に、レオナルドは驚いて振り返った。
その鋼色の瞳が「お前に何ができる」と、雄弁に問いかけている。
無理もない。これまで私が関わってきたのは、あくまで家庭内の問題だけだった。
これは、貴族間の、血腥い権力闘争だ。

私は、彼の前に進み出ると、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「あなたの戦場は、評議会や執務室でしょう。ですが、わたくしの戦場は、また別の場所にございますの」
私は、窓の外に広がる王都の夜景へと、扇を優雅に広げてみせた。
無数の灯りが、宝石のようにきらめいている。
その一つ一つが、貴族たちの屋敷の灯りだ。
「舞踏会のダンスフロア、午後の優雅なお茶会。そこで交わされる甘い囁きこそが、わたくしの武器。言葉という名の、見えない刃ですわ」

私の真意を理解したのだろう。
レオナルドの瞳に、驚きと、そして新たな興味の光が宿った。
「……どうするつもりだ」
「侯爵様が流した毒は、同じ方法で浄化するまでですわ。噂には、噂を。情報には、情報を。わたくしたちが仕掛けるのは、情報戦でございます」

私は、この数週間で築き上げた、貴婦人たちのネットワークを思い浮かべていた。
王妃陛下という、最強の後ろ盾も得た。
オルブライト侯爵が、裏で商人たちを脅しているのなら、その妻である侯爵夫人が、表の社交界でどのような顔をしているのか。
きっと、どこかに綻びがあるはずだ。
その小さな糸口をたぐり寄せ、彼らの陰謀を白日の下に晒してみせる。

レオナルドは、しばらくの間、私の顔をじっと見つめていた。
まるで、私の覚悟の深さを測るかのように。
やがて、彼はふっと息を吐くと、その口元に、獰猛な笑みを浮かべた。
それは、信頼する共犯者に向ける、不敵な笑みだった。
「……面白い。やってみろ」
「はい。お任せくださいませ」

私たちは、窓辺に並んで立った。
眼下に広がる王都の夜景は、もはやただの美しい風景ではなかった。
それは、私たちがこれから戦う、広大なチェス盤そのものだった。
夫が王(キング)なら、私は女王(クイーン)。
盤上を縦横無尽に駆け巡り、王を守り、敵を追い詰める。
エルグランド公爵家の、初めての夫婦共同戦線。
その静かな幕が、今、上がった。
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