私、ヒロインではなく悪役令嬢のお母様に転生したみたい。娘を全力で幸せにします!

夏見ナイ

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第27話 奥様方の情報網

オルブライト侯爵との情報戦。
その緒戦の舞台として私が選んだのは、子爵夫人が主催する、ささやかな刺繍の会だった。
一見、政治とは最も縁遠い、淑女たちの和やかな集い。
だが、こういう場所こそが、情報の源泉なのだ。
公式な場では決して語られない本音や、内密の噂話。
そういったものが、紅茶の湯気と共に、最も無防備に立ち上る場所。

私は、イザベラを伴ってその茶会に顔を出した。
王妃陛下のお墨付きを得て以来、私の周りには自然と人の輪ができるようになっていた。
貴婦人たちは、我先にと私に挨拶をし、当たり障りのない世間話を仕掛けてくる。
私は、その全てに優雅な笑みで応じながら、慎重に獲物を探していた。
そして、その獲物は案外簡単に見つかった。

部屋の隅で、数人の男爵夫人たちが、ひそひそと声を潜めて話し込んでいる。
その中心にいるのは、小太りで人の良さそうな顔をした、バーネット男爵夫人だった。
レオナルドの資料によれば、彼女の夫は小さな貿易商を営んでおり、オルブライト侯爵の派閥に属しているはずだ。
だが、その表情は、派閥の一員というにはあまりにも暗く、憂いに満ちていた。
私は、イザベラの手を引いて、静かにその輪へと近づいていった。

「ごきげんよう、皆様。楽しそうですわね」
私の突然の登場に、夫人たちはぎょっとして口をつぐんだ。
エルグランド公爵夫人。
それは、今の彼女たちにとって、最も関わり合いたくない相手のはずだ。
私は、そんな彼女たちの警戒心を解きほぐすように、人懐っこい笑みを浮かべた。
「まあ、バーネット男爵夫人。その刺繍、とても素敵なデザインですこと。小鳥のモチーフが、春らしくて愛らしいですわ」
私が何気なく褒めると、バーネット夫人は狼狽しながらも、悪い気はしないようだった。
「も、もったいないお言葉にございます、公爵夫人様……」

私は、その隙を逃さない。
「ところで、皆様はもうお試しになりました? エルグランド家が今度売り出すという、新しい蒸留酒のこと」
私の言葉に、夫人たちの顔がさっと曇った。
これ見よがしに扇で口元を隠し、気まずそうに視線を逸らす者もいる。
噂の渦中にある酒の話を、当の公爵夫人から振られる。
彼女たちにとって、これほど居心地の悪い状況はないだろう。

「……あいにく、まだ……」
誰かが、か細い声で答えるのが精一杯だった。
私は、心底残念だという表情を作ってみせた。
「まあ、それはお気の毒に。先日、我が家で試飲会を開いたのですが、それはもう素晴らしい出来栄えでしたのよ。まるで宝石のように透き通っていて、口に含むと、花の蜜のような甘い香りがふわりと広がるのです」
私は、詩を詠むかのように、その酒の魅力を語った。
「主人は申しておりましたわ。『これは、ただの酒ではない。我が領地の土と、民の汗が育んだ、誇りの結晶だ』と。わたくしも、一口いただいただけで、体がぽかぽかと温かくなって、幸せな気持ちになりましたもの」

私の情熱的な語りに、夫人たちは思わず引き込まれていた。
貧民の飲み物。品位が落ちる酒。
そんな悪意ある噂とは、似ても似つかぬイメージ。
彼女たちの心の中に、「もしかしたら、噂は嘘なのかもしれない」という、小さな疑念の種が蒔かれた瞬間だった。

私は、畳み掛けるように続けた。
「近々、王妃陛下にも献上する予定ですの。きっと、お気に召していただけるはず。そうすれば、次の王宮の夜会は、エルグランド家の新しいお酒で乾杯、ということになるかもしれませんわね」
王妃陛下の名前。
それは、何物にも代えがたい、絶対的な権威の象徴だ。
その一言は、彼女たちの心を揺さぶるには十分すぎるほどの威力を持っていた。

私は、ここで初めて、憂鬱そうな顔をしているバーネット男爵夫人に、心配そうな視線を向けた。
「でも、わたくし、少し心配しているのです。これほど素晴らしいお酒なのに、なぜか商人の方々が、取り扱いを渋っておいでだとか。バーネット男爵様は貿易のお仕事をなさっていると伺いましたけれど、何かご存じではございませんこと?」
私の問いは、あまりにも単刀直入だった。
バーネット夫人の顔が、さっと青ざめる。
その動揺は、彼女が何かを知っていることを、雄弁に物語っていた。

「そ、それは……わたくしどもには、何も……」
彼女はしどろもどろに否定しようとする。
周囲の夫人たちも、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
私は、彼女を追い詰めるようなことはしない。
ただ、深く、同情に満ちたため息をついてみせた。
「そう。……残念ですわ。わたくし、てっきり商人ギルドの皆様が、オルブライト侯爵様のお立場を慮って、ご配慮なさっているのかとばかり……」

オルブライト侯爵。
その名前が出た瞬間、バーネット夫人の肩が大きく震えた。
私は、聞こえないふりをして、悲しげに言葉を続ける。
「侯爵様も、おつらいお立場なのでしょう。代々王家の財務を担ってこられた誇りが、新しい事業への嫉妬という形になってしまわれたのやもしれません。ですが、そのような私的な感情で、国の利益となるべき事業の芽を摘むようなことがあっては……陛下も、さぞお嘆きになるでしょうね」

私の言葉は、静かだったが、その場にいた全員の心に深く突き刺さった。
これは、エルグランド家とオルブライト侯爵の、単なる利権争いではない。
国の未来を想う公爵家と、私怨でそれを妨害する侯爵家。
その構図を、私は鮮やかに描き出してみせたのだ。
そして、どちらに正義があるかは、火を見るより明らかだった。

バーネット夫人は、もう顔を上げることができなかった。
その手は、膝の上で固く握りしめられている。
彼女の夫は、侯爵の圧力に屈し、不本意ながら公爵家との取引を断ったのだろう。
その罪悪感と、侯爵への不満。
そして、将来への不安。
その全てが、彼女の沈黙の中に渦巻いていた。

私は、目的を達したことを悟った。
これ以上は、やりすぎだ。
あとは、彼女が自ら動くのを待つだけでいい。
私は、にっこりと微笑むと、何事もなかったかのように話題を変えた。
「まあ、いけない。こんな難しいお話、淑女のお茶会には似合いませんわね。それより、イザベラが最近覚えた詩を、皆様に聞いていただけますかしら?」

その日の夜。
バーネット男爵の屋敷で、一つの夫婦喧嘩が勃発していた。
「あなた! いつまでオルブライト侯爵の言いなりになっているおつもりですの!?」
「しっ! 声が大きい!」
「大きいも小さいもありませんわ! 今日、わたくしはエルグランド公爵夫人にお会いしました! あの新しいお酒は、王妃陛下にも献上されるほどの、素晴らしいものだそうです! それを、侯爵様へのくだらない忖度でふいにするなど、正気の沙汰ではありません!」
「だが、侯爵に逆らえば、我々の商売が……」
「では、エルグランド公爵と王妃陛下を敵に回せば、我々の商売は安泰だとでも!? あなたは、どちらの船に乗るべきかもお分かりにならないの!?」
妻の剣幕に、男爵はぐうの音も出なかった。
彼は、自分の判断が間違っていたことに、ようやく気づかされたのだ。

その翌日。
バーネット男爵は、意を決して、数人の商人仲間と共に、レオナルドの元を訪れた。
そして、オルブライト侯爵から受けた圧力の全てを、洗いざらい告白したのだった。
それは、私が蒔いた小さな種が、予想以上の速さで芽吹いた瞬間だった。
奥様方の情報網。
それは時に、どんな屈強な騎士団よりも、鋭く、そして強力な武器となる。
私は、その威力を改めて実感しながら、次の一手を静かに思考していた。
戦いは、まだ終わっていない。
むしろ、これからが本番なのだから。
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