悪役貴族? いえ、ただの合理主義者ですが何か? ~冷徹と呼ばれる俺の改革が、いつの間にか国を豊かにし聖女にまで懐かれる件~

夏見ナイ

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第59話:非情な取引

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ベルシュタイン王国全軍の指揮権を掌握したゼノン。
彼の最初の命令は、王都の将軍たちの度肝を抜いた。
「全軍、即刻王都を出立。シルヴァ平原へ向かう」

「お待ちいただきたい、ゼノン殿!」
ゲルハルト元帥が慌てて異を唱えた。
「兵士たちの準備がまだ整っておりません! 武具の手入れ、食料の補給、そして何より出陣前の儀式が! 士気を高めるための重要な儀式がまだです!」
「不要です」

ゼノンは元帥の言葉を一言で切り捨てた。
「儀式で兵士の腹は膨れますか? 剣が鋭くなりますか? 全ては無意味な感傷と時間の浪費です。準備が整っていないのは、あなた方の平時における危機管理能力の欠如が原因でしょう。今ある装備で直ちに出立せよ」

そのあまりにも非情で正論すぎる命令。
将軍たちは屈辱に顔を歪めたが、もはや逆らうことはできなかった。
国王から与えられたゼノンの全権委任状が、彼らの全ての反論を封じ込めていた。

こうしてベルシュタイン王国軍は、歴史上最も慌ただしく、そして最も士気の低い状態で王都から決戦の地へと出立した。
騎士たちは出陣の歌を歌うこともなく、ただ黙々と馬を進める。
歩兵たちは十分な食料も与えられないまま、重い足取りで行軍を続けていた。
彼らの間にはこれから始まる国の存亡を懸けた戦いへの高揚感はなく。
ただ、自分たちの運命を一方的に支配する、あの冷血な若き司令官への不満と不信感だけが渦巻いていた。



数日後。決戦の地、シルヴァ平原。
地平線の彼方まで広がる広大な草原。
そこに王国軍一万五千が陣を張っていた。
だが、その陣形はどこかまとまりがなく、兵士たちの間には疲労と敗戦の気配が漂っていた。

そんな彼らの前に。
西の地平線からもう一つの軍隊が姿を現した。
掲げられているのはアークライト家の紋章旗。
ゼノン・フォン・アークライトが率いる彼自身の私兵団。
アークライト軍五千。
その到着だった。

王国軍の兵士たちは最初、自分たちの目を疑った。
地響きと共に現れたその軍隊は。
彼らが知るいかなる軍隊とも似ていなかった。

先頭を進むのは数百騎の軽装騎兵。
だが、彼らの手には槍ではなく奇妙な鉄の筒が握られている。
その後ろに続くのは数千の歩兵部隊。
彼らは一糸乱れぬ隊列を組み、まるで一つの巨大なムカデのように大地を進んでくる。
その歩調は完璧に揃い、無駄口一つ聞こえない。
聞こえるのは規則正しい行軍の足音だけ。

彼らの装備も統一されていた。
動きやすさを重視した軽量な鎧。
同じ形の鉄兜。
そして、その肩にはやはりあの不気味な鉄の筒、『マスケット銃』が担がれている。
そこには騎士の華やかさも傭兵の荒々しさもない。
ただ、冷たい鉄と革と、そして無機質な規律だけが存在していた。

「……あれが軍隊か」
王国軍の一人の騎士が呆然と呟いた。
「まるで工場の職人の集団のようだ。騎士としての誇りはどこにあるのだ」
「不気味な連中だ。目が死んでいる……」

そのざわめきはゲルハルト元帥やグスタフ将軍といった指揮官たちの間にも広がっていた。
「……何という規律」
ゲルハルト元帥は戦慄を覚えていた。
「我が王国騎士団さえ、あれほどの完璧な集団行動は不可能だ。……だが、あれは戦士ではない。ただの人形の集まりだ。魂が感じられん」

アークライト軍の異質さはそれだけではなかった。
彼らの後方には巨大な荷馬車の隊列が続いていた。
その数、数百両。
王国軍全体の補給部隊よりも遥かに多い。
山のように積まれた食料の袋、矢弾の箱。
そして、その中には分厚い布で厳重に覆われた巨大な何かが、いくつも鎮座していた。

王国軍が補給不足に喘いでいるのを尻目に。
アークライト軍は自分たちの戦争を遂行するための全てを、自前で持ち込んできたのだ。

やがてアークライト軍は、王国軍の陣地の隣に寸分の狂いもなく陣を張った。
そして、彼らは休む間もなく動き始めた。
ツルハシとスコップを手に地面を掘り始める。
あっという間に深い塹壕が掘られ、その前には土嚢が積まれ、簡易的な防御陣地が築かれていく。
その動きはあまりにも手際が良く、そして合理的だった。

その全ての指揮を執っているのはゼノンだった。
彼は馬の上から戦場全体を見渡し、次々と指示を飛ばしていく。
彼の頭の中にあるのは騎士道や名誉ではない。
地形の有利不利。
補給線の確保。
射線の角度。
全てが冷徹な計算に基づいていた。

王国軍の兵士たちはただ呆然とその光景を眺めていた。
自分たちがだらだらと休息を取っている間に。
隣のアークライト軍は着々と戦いの準備を進めている。
同じ王国の軍隊であるはずなのに。
まるで別の国の、別の時代の軍隊が隣にいるかのようだった。

ゲルハルト元帥は、そのあまりにも異質な光景に深い屈辱と、そしてかすかな恐怖を感じていた。
ゼノン・フォン・アークライト。
あの男はただ軍の指揮権を奪っただけではない。
彼は自分たちが信じてきた「戦争」そのものを、根底から塗り替えようとしている。
その恐ろしい事実に、元帥はようやく気づき始めたのだった。

シルヴァ平原に二つの軍隊が並び立つ。
旧時代の騎士道精神にすがる王国軍。
新時代の合理主義に貫かれたアークライト軍。
その間には深く、そして冷たい溝が横たわっていた。

ゼノンの本当の戦い。
それは帝国軍との戦いであると同時に。
味方であるはずの、この旧態依然の軍隊との戦いでもあったのだ。
決戦の火蓋が切られる、その瞬間まであとわずか。
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