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第60話:戦場へ
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帝国軍の前衛部隊がシルヴァ平原の東の地平線に姿を現したのは、アークライト軍が到着してから三日後の早朝だった。
陽光を反射してきらめく無数の槍の穂先。
大地を揺るがす重騎兵の蹄の音。
その数、およそ五千。
本隊に先駆けて進軍してきた、偵察と威力偵察を兼ねた精鋭部隊だった。
「敵、現る! 全軍、戦闘準備!」
王国軍の陣地から緊張した号令が飛ぶ。
騎士たちは慌てて馬にまたがり、錆びついた誇りを取り戻さんと勇み立った。
歩兵たちは震える手で槍を握りしめた。
いよいよ決戦の時が来たのだ。
「よし! 全軍、前へ! 敵の前衛部隊を叩き潰す!」
グスタフ将軍が血気盛んに剣を抜き放った。
「我らベルシュタイン王国騎士団の勇猛さを、帝国どもに見せつけてやれ!」
「「「オオッ!!」」」
騎士たちが鬨の声を上げる。
今まさに王国軍が、その伝統的な「栄光ある突撃」を敢行しようとした、その時だった。
「……待て」
氷のように冷たい一言が、彼らの熱狂に水を差した。
声の主は丘の上の本陣に立つゼノンだった。
彼は馬の上から遠眼鏡を覗き、敵の布陣を冷静に分析していた。
「……何をされるか、ゼノン殿!」
グスタフ将軍が怒鳴り返した。
「敵は目の前だ! 今こそ叩くべき時!」
「それは罠だ」
ゼノンは遠眼鏡から目を離さずに答えた。
「あれはただの囮だ。我々があの前衛部隊に食いついた瞬間、左右の森に潜ませてある伏兵が我々の側面を突く。古典的だが、有効な包囲殲滅陣だ」
「……伏兵だと!?」
将軍たちが慌てて森の方角を見る。
だが、彼らの肉眼では木々が揺れるだけで何も見えない。
「何を根拠にそのようなことを!」
「根拠は鳥の動きだ」
ゼノンはこともなげに言った。
「あの森の特定の区画だけ、鳥が一羽も飛び立たない。不自然だと思いませんか? あれは、大軍が息を潜めている何よりの証拠です」
そのあまりにも微細な観察眼。
将軍たちは言葉に詰まった。
自分たちが敵の軍旗や兵士の数しか見ていない間に。
この若者は戦場全体の自然の動きまで読み切っているというのか。
「……ではどうしろと言うのだ! このまま指をくわえて見ていろとでも!」
ゲルハルト元帥が悔しそうに言った。
「その通りです」
ゼノンの答えは彼らの想像の斜め上をいっていた。
「我々は戦わない」
「……は?」
会議室にいる全員が耳を疑った。
「繰り返します。我々はここでは戦わない」
ゼノンは地図の前に立つと、新たな作戦を語り始めた。
その内容は、騎士道精神を重んじる彼らにとっては信じがたいほど卑劣で、そして合理的だった。
「王国軍本隊は、この場に留まり防御を固めよ。ただし、決して打って出てはならない。敵の挑発には一切乗るな」
「アークライト軍は、今から二手に分かれる。
ヘクター率いる第一部隊は、夜陰に紛れて大きく戦場を迂回。敵の本隊の後方へと回り込み、その補給部隊(サプライチェーン)を叩く」
「そして私とグレイが率いる第二部隊は、同じく迂回し、敵が進軍してきた道を破壊する。橋を落とし、道を塞ぎ、敵の退路と増援ルートを完全に断つ」
戦わない。
正面からぶつかるのではなく、敵の弱点である補給と退路を先に叩く。
それは戦いではなかった。
一方的な兵站破壊活動。
彼らが知るいかなる戦術書にも載っていない戦法だった。
「……そ、そんなやり方!」
グスタフ将軍が声を震わせた。
「それは戦士の戦い方ではない! 盗賊や山賊のやり方だ! 卑怯千万!」
「その通りです」
ゼノンはあっさりと認めた。
「私は勝利という『結果』にしか興味がありません。そのための手段は選びません。卑怯と罵られても構わない。兵士を一人でも多く生きて家に帰すこと。それこそが指揮官の最大の責務だと考えますので」
その言葉。
それは彼がこれまで見せたことのない、人間味のある響きを持っていた。
もちろん、彼の本心は『熟練した労働資源(ヒューマンリソース)を失うのは非効率だ』という、冷徹な計算に基づいている。
だが、その言葉を聞いたアークライト軍の兵士たちの目には、静かな、しかし熱い光が宿った。
将軍たちはもはや何も言えなかった。
彼らの騎士道精神がどれほど美しくとも。
ゼノンの言うことの正しさ、そしてその言葉の重さを否定することはできなかった。
その夜。
月明かりすらない漆黒の闇の中。
アークライト軍は音もなく動き出した。
彼らは馬の蹄に布を巻き、武具が音を立てないよう細心の注意を払っていた。
まるで闇に溶け込む幽霊の集団のように。
王国軍の兵士たちは、遠ざかっていく彼らの姿を複雑な思いで見送っていた。
卑怯者たち。
だが、同時に自分たちには決して真似できない、恐ろしいほどの規律と統率力を持ったプロフェッショナルの集団。
シルヴァ平原には帝国軍の焚き火の光だけがまたたいていた。
彼らはまだ気づいていない。
自分たちが油断しきって眠っている間に。
背後から二つの冷たい毒牙が、静かに、そして確実に忍び寄ってきていることに。
ゼノンの仕掛ける非情なる戦場の第一幕は、今、静かに幕を開けた。
陽光を反射してきらめく無数の槍の穂先。
大地を揺るがす重騎兵の蹄の音。
その数、およそ五千。
本隊に先駆けて進軍してきた、偵察と威力偵察を兼ねた精鋭部隊だった。
「敵、現る! 全軍、戦闘準備!」
王国軍の陣地から緊張した号令が飛ぶ。
騎士たちは慌てて馬にまたがり、錆びついた誇りを取り戻さんと勇み立った。
歩兵たちは震える手で槍を握りしめた。
いよいよ決戦の時が来たのだ。
「よし! 全軍、前へ! 敵の前衛部隊を叩き潰す!」
グスタフ将軍が血気盛んに剣を抜き放った。
「我らベルシュタイン王国騎士団の勇猛さを、帝国どもに見せつけてやれ!」
「「「オオッ!!」」」
騎士たちが鬨の声を上げる。
今まさに王国軍が、その伝統的な「栄光ある突撃」を敢行しようとした、その時だった。
「……待て」
氷のように冷たい一言が、彼らの熱狂に水を差した。
声の主は丘の上の本陣に立つゼノンだった。
彼は馬の上から遠眼鏡を覗き、敵の布陣を冷静に分析していた。
「……何をされるか、ゼノン殿!」
グスタフ将軍が怒鳴り返した。
「敵は目の前だ! 今こそ叩くべき時!」
「それは罠だ」
ゼノンは遠眼鏡から目を離さずに答えた。
「あれはただの囮だ。我々があの前衛部隊に食いついた瞬間、左右の森に潜ませてある伏兵が我々の側面を突く。古典的だが、有効な包囲殲滅陣だ」
「……伏兵だと!?」
将軍たちが慌てて森の方角を見る。
だが、彼らの肉眼では木々が揺れるだけで何も見えない。
「何を根拠にそのようなことを!」
「根拠は鳥の動きだ」
ゼノンはこともなげに言った。
「あの森の特定の区画だけ、鳥が一羽も飛び立たない。不自然だと思いませんか? あれは、大軍が息を潜めている何よりの証拠です」
そのあまりにも微細な観察眼。
将軍たちは言葉に詰まった。
自分たちが敵の軍旗や兵士の数しか見ていない間に。
この若者は戦場全体の自然の動きまで読み切っているというのか。
「……ではどうしろと言うのだ! このまま指をくわえて見ていろとでも!」
ゲルハルト元帥が悔しそうに言った。
「その通りです」
ゼノンの答えは彼らの想像の斜め上をいっていた。
「我々は戦わない」
「……は?」
会議室にいる全員が耳を疑った。
「繰り返します。我々はここでは戦わない」
ゼノンは地図の前に立つと、新たな作戦を語り始めた。
その内容は、騎士道精神を重んじる彼らにとっては信じがたいほど卑劣で、そして合理的だった。
「王国軍本隊は、この場に留まり防御を固めよ。ただし、決して打って出てはならない。敵の挑発には一切乗るな」
「アークライト軍は、今から二手に分かれる。
ヘクター率いる第一部隊は、夜陰に紛れて大きく戦場を迂回。敵の本隊の後方へと回り込み、その補給部隊(サプライチェーン)を叩く」
「そして私とグレイが率いる第二部隊は、同じく迂回し、敵が進軍してきた道を破壊する。橋を落とし、道を塞ぎ、敵の退路と増援ルートを完全に断つ」
戦わない。
正面からぶつかるのではなく、敵の弱点である補給と退路を先に叩く。
それは戦いではなかった。
一方的な兵站破壊活動。
彼らが知るいかなる戦術書にも載っていない戦法だった。
「……そ、そんなやり方!」
グスタフ将軍が声を震わせた。
「それは戦士の戦い方ではない! 盗賊や山賊のやり方だ! 卑怯千万!」
「その通りです」
ゼノンはあっさりと認めた。
「私は勝利という『結果』にしか興味がありません。そのための手段は選びません。卑怯と罵られても構わない。兵士を一人でも多く生きて家に帰すこと。それこそが指揮官の最大の責務だと考えますので」
その言葉。
それは彼がこれまで見せたことのない、人間味のある響きを持っていた。
もちろん、彼の本心は『熟練した労働資源(ヒューマンリソース)を失うのは非効率だ』という、冷徹な計算に基づいている。
だが、その言葉を聞いたアークライト軍の兵士たちの目には、静かな、しかし熱い光が宿った。
将軍たちはもはや何も言えなかった。
彼らの騎士道精神がどれほど美しくとも。
ゼノンの言うことの正しさ、そしてその言葉の重さを否定することはできなかった。
その夜。
月明かりすらない漆黒の闇の中。
アークライト軍は音もなく動き出した。
彼らは馬の蹄に布を巻き、武具が音を立てないよう細心の注意を払っていた。
まるで闇に溶け込む幽霊の集団のように。
王国軍の兵士たちは、遠ざかっていく彼らの姿を複雑な思いで見送っていた。
卑怯者たち。
だが、同時に自分たちには決して真似できない、恐ろしいほどの規律と統率力を持ったプロフェッショナルの集団。
シルヴァ平原には帝国軍の焚き火の光だけがまたたいていた。
彼らはまだ気づいていない。
自分たちが油断しきって眠っている間に。
背後から二つの冷たい毒牙が、静かに、そして確実に忍び寄ってきていることに。
ゼノンの仕掛ける非情なる戦場の第一幕は、今、静かに幕を開けた。
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