悪役貴族? いえ、ただの合理主義者ですが何か? ~冷徹と呼ばれる俺の改革が、いつの間にか国を豊かにし聖女にまで懐かれる件~

夏見ナイ

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第88話:メリットとデメリット

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リリアナが退出した後も、ゼノンはしばらくの間、手の中の紅茶のカップを見つめていた。
まだ温かい。
そしてその温かさは、彼の凍てついていたはずの心にまで、じんわりと染み渡るかのようだった。

(……非合理的だ)
彼は心の中で呟いた。
(……だが、悪くない)

彼の頭の中で、二つの相反する思考が激しくぶつかり合っていた。
これまでの彼を形成してきた絶対的な合理主義。
そして今、新たに芽生え始めた説明不能な温かい感情。
彼の脳は、この矛盾を解決するために再びフル回転を始めた。

(……駄目だ。感情のままに流されてはいけない)
彼は自らを戒めた。
(俺は経営コンサルタントだ。いかなる案件であっても客観的に分析し、最適なソリューションを導き出す。……そうだ、この『恋愛』というプロジェクトも同じはずだ)

彼は決意を固めた。
感情は感情として一度脇に置く。
そして、あくまで冷静にこの問題を分析し、対処する。
それこそが彼らしいやり方だった。

彼は一枚の新しい羊皮紙を取り出した。
そして昨夜くしゃくしゃに丸めた、あのメリットとデメリットのリストをもう一度書き直すことにした。
だが、今度のリストは昨日とは少し違っていた。
彼の心に生まれた新しい変数が、そこに加えられていたからだ。

【プロジェクト名:聖女リリアナとの関係構築に関する実現可能性調査(フィジビリティスタディ)】

【メリット】
1. 政治的安定性の向上(教会との連携強化、民衆支持率の最大化)。
2. 医療リソースの独占による個人的リスクヘッジ。
3. ……精神的安定性の向上(紅茶及び笑顔によるストレス緩和効果)。

彼は『笑顔』という項目を今度は消さなかった。
その代わりに『ストレス緩和効果』という、極めて合理的な注釈を付け加えることで自らを納得させた。

次にデメリット。
こちらも昨日と同じようにスラスラと書き連ねていく。
時間的コスト、金銭的コスト、精神的コスト……。

そして彼は全ての項目を書き終えると、それぞれの項目に『重要度』と『発生確率』というパラメータを設定し始めた。
そして、それらを彼独自の複雑な計算式に当てはめ、メリットの総得点とデメリットの総得点を弾き出していく。
それはもはや恋の悩みではなかった。
完全に経営分析の手法だった。

数時間後、彼の緻密な計算はついに一つの結論を導き出した。

メリット総得点:85点
デメリット総得-点:82点

「……僅差だな」
ゼノンはその数字を見て静かに呟いた。
「……誤差の範囲内とも言える。……だが、僅かにメリットが上回っている。……ということは、このプロジェクトは『実行する価値あり』と判断すべきか……」

彼は腕を組み、唸った。
数字の上では答えは出た。
だが、彼の心の中の何かがまだその結論に納得していなかった。
こんな単純な足し算、引き算で決めてしまって本当にいいのだろうか。
アルフォンスの言葉が脳裏をよぎる。
『答えは君の心の中にしかないさ』

(……分からない)
彼は再び思考の迷宮に迷い込んだ。
(……俺の心は一体何を望んでいるんだ……)

その時、執務室の扉が控えめにノックされた。
入ってきたのはグレイだった。
彼の手には一通の手紙が握られていた。

「ゼノン様。聖女リリアナ様よりお手紙をお預かりしております」
「……リリアナから?」
ゼノンは訝しげにその手紙を受け取った。
美しい花の香りがする封筒。
その中には一枚の便箋が入っていた。
そこに書かれていたのは、流れるような美しい文字だった。

『ゼノン様へ
 先ほどは突然押しかけてしまい、申し訳ありませんでした。
 ご迷惑だったと思います。
 ですが、私の気持ちに嘘はありません。

 お返事は急ぎません。
 ですが、もしあなた様が少しでも私のことを考えてくださるのであれば。
 明日の午後、王城の西の庭園にある白いガゼボ(東屋)へ来ていただけませんか。
 もし来てくださらなくても、私はあなた様を恨んだりはいたしません。
 ただ、ほんの少しだけ待っています。
                      リリアナより』

そのあまりにも健気で、そして純粋な手紙。
ゼノンの胸がチクリと痛んだ。
これは脅迫でもなければ交渉でもない。
ただの純粋な願い。
彼はこの願いにどう応えるべきなのか。

メリットが85点でデメリットが82点だから行くべきだと?
そんな理由でいいのだろうか。
彼の合理主義が初めてその限界を露呈していた。

「……ゼノン様?」
心配そうにこちらを見つめるグレイ。
その視線に気づいたゼノンは、はっと我に返った。
そして彼は、この混沌とした状況を打開するための、彼らしい一つの結論にたどり着いた。

「……グレイ」
「はっ」
「……明日の午後、西の庭園へ行く。……そのつもりで準備をしておけ」
「……!」
グレイの顔がぱっと明るくなった。

「ただし」
ゼノンは付け加えた。
「これは決定ではない。あくまで『君といることのメリットとデメリットを最終査定するための面接』だ。……彼女にはそう伝えろ」

「……は、はあ……」
グレイの顔が再び困惑の色に染まった。
面接。
査定。
なぜこの主君はいつまでもこうなのだろうか。

だが、ゼノンは-大真面目だった。
分からないのであれば、直接本人に聞いてデータを集めるしかない。
感情という不確定要素をできる限り排除し、論理的に対話し、最終的な意思決定を下す。
それこそがコンサルタントとしての彼のやり方だった。

彼は自分が導き出したその『合理的』な解決策に、一人静かに頷いていた。
それがどれほどロマンのかけらもない無粋なやり方であるかなど、全く気づかずに。
合理主義者の恋の答え探しは、まだ始まったばかりだった。
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