100 / 100
第100話:悪役貴族? いえ、ただの合理主義者ですが何か?
しおりを挟む
静寂が執務室を支配していた。
ランプの柔らかな光が、空になったスープ皿と向かい合って座る二人の若い影を優しく照らし出している。
窓の外で渦巻く大陸諸国の陰謀や、明日からまた始まるであろう終わりの見えない激務。
その全てが、この二人だけの空間ではまるで遠い世界の出来事のように感じられた。
ゼノンは、リリアナが淹れてくれた砂糖の入っていない紅茶を静かに一口飲んだ。
その温かさが疲れた体にじんわりと染み渡っていく。
悪くない。
彼は心の中で素直にそう認めた。
この束の間の平穏。
それは彼がこれまで手に入れてきたどんな勝利や富よりも価値のあるもののように思えた。
「……ゼノン様」
不意にリリアナが静かに口を開いた。
彼女はテーブルの上でそっと自分の指を組むと、少しだけ恥ずかしそうに、しかし確信に満ちた瞳でゼノンを見つめた。
「……ずっとお聞きしたいと思っていました」
「何だ」
「あなた様は本当はとても優しい方ですよね」
その問い。
それは彼女がこのアークライト領に来てからずっと抱き続けてきた、彼に対する評価の全てだった。
偽悪者の仮面の下に隠された、誰よりも深い慈愛の心。
彼女はその答えを本人から直接聞きたかったのだ。
きっと彼はまた「違う」とぶっきらぼうに否定するだろう。
だが、その否定こそが彼の照れ隠しであり、最高の肯定なのだと彼女は信じていた。
だが、ゼノンの反応は彼女の予想とは少しだけ違っていた。
彼は否定しなかった。
かといって肯定もしなかった。
彼はただ静かに紅茶のカップを置くと、まるで遠い目をするかのように窓の外の夜景へと視線を向けた。
「……優しい、か」
彼は誰に言うともなく呟いた。
「……俺は今まで一度も、誰かを助けたいとか民を救いたいとか、そんな高尚なことを考えて行動したことはない」
彼の声は淡々としていた。
そこには何の感情もこもっていない。
ただ事実を述べているだけだった。
「俺が家族の浪費を止めたのは、家が破産すれば俺の生活基盤が脅かされるからだ」
「俺が領地の農業を改革したのは、飢饉が起これば面倒な暴動に発展するリスクがあったからだ」
「俺が戦争に勝ったのは、国が滅べば俺が作り上げた快適なシステムが全て破壊されるからだ」
彼はゆっくりとリリアナへと向き直った。
その蒼い瞳には何の偽りもなかった。
そこにあるのは、絶対的な合理主義者としての揺るぎない自己認識だけだった。
「俺の行動原理は常に一つだ。
昔も今も、そしてこれからも変わらない」
彼は静かに、そしてはっきりと告げた。
「俺はただ、非効率が嫌いなだけだ」
その言葉は彼の全てを物語っていた。
悪役貴族?
英雄?
聖人?
違う。
彼はそのどれでもない。
ただ一つの純粋すぎる原理原則に従って生きている、一人の男。
それだけだった。
リリアナはその答えを聞いて、しばらくの間きょとんとしていた。
そしてやがて、彼女の顔にふわりと花が咲くような柔らかな笑みが浮かんだ。
「……はい」
彼女は心の底から幸せそうに頷いた。
「……ええ。存じておりますわ」
彼女の脳内では、ゼノンのその究極の合理主義宣言がまたしても完璧に変換されていた。
(『非効率が嫌い』。……それはつまり、『全ての人々が苦しむことなく幸せに暮らせる完璧な世界を愛している』ということ。……ああ、なんて壮大で、そしてロマンチックな愛の告白なのかしら……!)
ゼノンはそんなリリアナのさらなる勘違いの深化に気づいていたが、もはやそれを訂正することを諦めた。
訂正する行為そのものが非効率だと判断したからだ。
彼は立ち上がると、再び窓の外へと歩み寄った。
眼下には彼が作り変えた王都の美しい夜景がどこまでも広がっている。
だが、その平和の向こう側にはまだ解決すべき問題が山積みになっている。
大陸を覆う不穏な影。
まだ道半ばの国内改革。
そして何より、隣で幸せそうに微笑んでいるこの聖女という名の最大の非合理。
彼の戦いはまだ終わらない。
彼の改革と世界を巻き込む勘違いは、まだ始まったばかりだった。
【完】
ランプの柔らかな光が、空になったスープ皿と向かい合って座る二人の若い影を優しく照らし出している。
窓の外で渦巻く大陸諸国の陰謀や、明日からまた始まるであろう終わりの見えない激務。
その全てが、この二人だけの空間ではまるで遠い世界の出来事のように感じられた。
ゼノンは、リリアナが淹れてくれた砂糖の入っていない紅茶を静かに一口飲んだ。
その温かさが疲れた体にじんわりと染み渡っていく。
悪くない。
彼は心の中で素直にそう認めた。
この束の間の平穏。
それは彼がこれまで手に入れてきたどんな勝利や富よりも価値のあるもののように思えた。
「……ゼノン様」
不意にリリアナが静かに口を開いた。
彼女はテーブルの上でそっと自分の指を組むと、少しだけ恥ずかしそうに、しかし確信に満ちた瞳でゼノンを見つめた。
「……ずっとお聞きしたいと思っていました」
「何だ」
「あなた様は本当はとても優しい方ですよね」
その問い。
それは彼女がこのアークライト領に来てからずっと抱き続けてきた、彼に対する評価の全てだった。
偽悪者の仮面の下に隠された、誰よりも深い慈愛の心。
彼女はその答えを本人から直接聞きたかったのだ。
きっと彼はまた「違う」とぶっきらぼうに否定するだろう。
だが、その否定こそが彼の照れ隠しであり、最高の肯定なのだと彼女は信じていた。
だが、ゼノンの反応は彼女の予想とは少しだけ違っていた。
彼は否定しなかった。
かといって肯定もしなかった。
彼はただ静かに紅茶のカップを置くと、まるで遠い目をするかのように窓の外の夜景へと視線を向けた。
「……優しい、か」
彼は誰に言うともなく呟いた。
「……俺は今まで一度も、誰かを助けたいとか民を救いたいとか、そんな高尚なことを考えて行動したことはない」
彼の声は淡々としていた。
そこには何の感情もこもっていない。
ただ事実を述べているだけだった。
「俺が家族の浪費を止めたのは、家が破産すれば俺の生活基盤が脅かされるからだ」
「俺が領地の農業を改革したのは、飢饉が起これば面倒な暴動に発展するリスクがあったからだ」
「俺が戦争に勝ったのは、国が滅べば俺が作り上げた快適なシステムが全て破壊されるからだ」
彼はゆっくりとリリアナへと向き直った。
その蒼い瞳には何の偽りもなかった。
そこにあるのは、絶対的な合理主義者としての揺るぎない自己認識だけだった。
「俺の行動原理は常に一つだ。
昔も今も、そしてこれからも変わらない」
彼は静かに、そしてはっきりと告げた。
「俺はただ、非効率が嫌いなだけだ」
その言葉は彼の全てを物語っていた。
悪役貴族?
英雄?
聖人?
違う。
彼はそのどれでもない。
ただ一つの純粋すぎる原理原則に従って生きている、一人の男。
それだけだった。
リリアナはその答えを聞いて、しばらくの間きょとんとしていた。
そしてやがて、彼女の顔にふわりと花が咲くような柔らかな笑みが浮かんだ。
「……はい」
彼女は心の底から幸せそうに頷いた。
「……ええ。存じておりますわ」
彼女の脳内では、ゼノンのその究極の合理主義宣言がまたしても完璧に変換されていた。
(『非効率が嫌い』。……それはつまり、『全ての人々が苦しむことなく幸せに暮らせる完璧な世界を愛している』ということ。……ああ、なんて壮大で、そしてロマンチックな愛の告白なのかしら……!)
ゼノンはそんなリリアナのさらなる勘違いの深化に気づいていたが、もはやそれを訂正することを諦めた。
訂正する行為そのものが非効率だと判断したからだ。
彼は立ち上がると、再び窓の外へと歩み寄った。
眼下には彼が作り変えた王都の美しい夜景がどこまでも広がっている。
だが、その平和の向こう側にはまだ解決すべき問題が山積みになっている。
大陸を覆う不穏な影。
まだ道半ばの国内改革。
そして何より、隣で幸せそうに微笑んでいるこの聖女という名の最大の非合理。
彼の戦いはまだ終わらない。
彼の改革と世界を巻き込む勘違いは、まだ始まったばかりだった。
【完】
34
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(30件)
あなたにおすすめの小説
レベル1の時から育ててきたパーティメンバーに裏切られて捨てられたが、俺はソロの方が本気出せるので問題はない
あつ犬
ファンタジー
王国最強のパーティメンバーを鍛え上げた、アサシンのアルマ・アルザラットはある日追放され、貯蓄もすべて奪われてしまう。 そんな折り、とある剣士の少女に助けを請われる。「パーティメンバーを助けてくれ」! 彼の人生が、動き出す。
【収納∞】スキルがゴミだと追放された俺、実は次元収納に加えて“経験値貯蓄”も可能でした~追放先で出会ったもふもふスライムと伝説の竜を育成〜
あーる
ファンタジー
「役立たずの荷物持ちはもういらない」
貢献してきた勇者パーティーから、スキル【収納∞】を「大した量も入らないゴミスキル」だと誤解されたまま追放されたレント。
しかし、彼のスキルは文字通り『無限』の容量を持つ次元収納に加え、得た経験値を貯蓄し、仲間へ『分配』できる超チート能力だった!
失意の中、追放先の森で出会ったのは、もふもふで可愛いスライムの「プル」と、古代の祭壇で孵化した伝説の竜の幼体「リンド」。レントは隠していたスキルを解放し、唯一無二の仲間たちを最強へと育成することを決意する!
辺境の村を拠点に、薬草採取から魔物討伐まで、スキルを駆使して依頼をこなし、着実に経験値と信頼を稼いでいくレントたち。プルは多彩なスキルを覚え、リンドは驚異的な速度で成長を遂げる。
これは、ゴミスキルだと蔑まれた少年が、最強の仲間たちと共にどん底から成り上がり、やがて自分を捨てたパーティーや国に「もう遅い」と告げることになる、追放から始まる育成&ざまぁファンタジー!
後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます
なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。
だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。
……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。
これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。
無能扱いされ、パーティーを追放されたおっさん、実はチートスキル持ちでした。戻ってきてくれ、と言ってももう遅い。田舎でゆったりスローライフ。
さら
ファンタジー
かつて勇者パーティーに所属していたジル。
だが「無能」と嘲られ、役立たずと追放されてしまう。
行くあてもなく田舎の村へ流れ着いた彼は、鍬を振るい畑を耕し、のんびり暮らすつもりだった。
――だが、誰も知らなかった。
ジルには“世界を覆すほどのチートスキル”が隠されていたのだ。
襲いかかる魔物を一撃で粉砕し、村を脅かす街の圧力をはねのけ、いつしか彼は「英雄」と呼ばれる存在に。
「戻ってきてくれ」と泣きつく元仲間? もう遅い。
俺はこの村で、仲間と共に、気ままにスローライフを楽しむ――そう決めたんだ。
無能扱いされたおっさんが、実は最強チートで世界を揺るがす!?
のんびり田舎暮らし×無双ファンタジー、ここに開幕!
お荷物認定を受けてSSS級PTを追放されました。でも実は俺がいたからSSS級になれていたようです。
幌須 慶治
ファンタジー
S級冒険者PT『疾風の英雄』
電光石火の攻撃で凶悪なモンスターを次々討伐して瞬く間に最上級ランクまで上がった冒険者の夢を体現するPTである。
龍狩りの一閃ゲラートを筆頭に極炎のバーバラ、岩盤砕きガイル、地竜射抜くローラの4人の圧倒的な火力を以って凶悪モンスターを次々と打ち倒していく姿は冒険者どころか庶民の憧れを一身に集めていた。
そんな中で俺、ロイドはただの盾持ち兼荷物運びとして見られている。
盾持ちなのだからと他の4人が動く前に現地で相手の注意を引き、模擬戦の時は2対1での攻撃を受ける。
当然地味な役割なのだから居ても居なくても気にも留められずに居ないものとして扱われる。
今日もそうして地竜を討伐して、俺は1人後処理をしてからギルドに戻る。
ようやく帰り着いた頃には日も沈み酒場で祝杯を挙げる仲間たちに報酬を私に近づいた時にそれは起こる。
ニヤついた目をしたゲラートが言い放つ
「ロイド、お前役にたたなすぎるからクビな!」
全員の目と口が弧を描いたのが見えた。
一応毎日更新目指して、15話位で終わる予定です。
作品紹介に出てる人物、主人公以外重要じゃないのはご愛嬌()
15話で終わる気がしないので終わるまで延長します、脱線多くてごめんなさい 2020/7/26
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
帝国の王子は無能だからと追放されたので僕はチートスキル【建築】で勝手に最強の国を作る!
雪奈 水無月
ファンタジー
帝国の第二王子として生まれたノルは15才を迎えた時、この世界では必ず『ギフト授与式』を教会で受けなくてはいけない。
ギフトは神からの祝福で様々な能力を与えてくれる。
観衆や皇帝の父、母、兄が見守る中…
ノルは祝福を受けるのだが…手にしたのはハズレと言われているギフト…【建築】だった。
それを見た皇帝は激怒してノルを国外追放処分してしまう。
帝国から南西の最果ての森林地帯をノルは仲間と共に開拓していく…
さぁ〜て今日も一日、街作りの始まりだ!!
クラス転移したからクラスの奴に復讐します
wrath
ファンタジー
俺こと灞熾蘑 煌羈はクラスでいじめられていた。
ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。
だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。
クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。
まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。
閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。
追伸、
雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。
気になった方は是非読んでみてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
面白くて一気に読んでしまいました。
その後が気になります。
恋愛パートは正直この作品にはあまり必要ないかなと思っています
読点の修正お疲れ様です!
グッと読みやすくなられたと感じます。
これからも執筆応援しています٩(ˊᗜˋ*)و