レベル1の死に戻り英雄譚 ~追放された俺の【やりなおし】スキルは、死ぬほど強くなる~

夏見ナイ

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第78話:【視点変更】堕ちた勇者

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酒の酸っぱい匂いと安っぽい女の香水の匂い。薄暗い酒場の隅で、俺、アラン・ゲイルは木製のテーブルに突っ伏していた。目の前のエールは、とうに気の抜けた黄色い液体に成り下がっている。

ザラームの広場でカイルに完膚なきまでに敗れたあの日から、どれくらいの時が経っただろうか。仲間たちは去り、俺は一人になった。聖剣の輝きも、あの忌まわしい日から完全に失われ、今ではただの重い鉄の塊として腰で虚しく揺れているだけだ。

俺は行く当てもなく大陸を放浪していた。
勇者の名声は地に堕ちた。俺が街を歩けば、人々は好奇と嘲笑の視線を向ける。「あいつが、あの落ちぶれた勇者様か」という囁き声が、どこへ行っても聞こえてくる。

そのたびに俺の心はすり減っていった。
カイルへの憎しみと自分の不甲斐なさ。その二つの感情が、まるで毒のように俺の魂を蝕んでいた。

「……おい、聞いたか? 今、大陸中で話題の英雄の話」

隣のテーブルに座っていた傭兵たちの会話が、嫌でも耳に入ってきた。英雄。その言葉を聞くだけで、胸の奥が焼け付くように痛んだ。かつては俺こそがそう呼ばれるはずだったのだから。

「ああ、『アイギスの英雄』だろ? なんでも、たった四人のパーティで魔王軍四天王の一角を打ち破ったって話じゃねえか」
「それだけじゃねえ。そのパーティのリーダーはレベル1の剣士らしいぜ。名前は、確か……」

やめろ。
その名を、口にするな。

「……カイル、だったか。信じられねえ話だよな。レベル1が四天王を倒すなんてよ」

カイル。
その名を聞いた瞬間、俺の中で何かが逆流した。俺はテーブルを蹴り飛ばすように立ち上がると、傭兵の男の胸ぐらを掴んでいた。

「……今、何と言った」
「な、なんだてめえ! いきなり!」
「もう一度言ってみろ! その、カシルの名前を!」

俺の剣幕に、傭兵の男は怯えながらも怒りを露わにした。

「カシルじゃねえ、カイルだ! アイギスを救った英雄様の名も知らねえのか!」
「英雄だと……? あいつが……?」

俺は男を突き飛ばした。
そして、狂ったように笑い出した。

「は……はは……あははははは! 英雄だと!? あの寄生虫が!? ふざけるな!」

酒場中の視線が俺に集まる。だが、もうどうでもよかった。

その時、酒場の入り口に立っていた吟遊詩人が、リュートを奏でながら高らかに歌い始めた。それは今、大陸で最も人気のある新しい英雄譚だった。

「♪―――北の砦に迫る闇 数万の軍勢、絶望の淵」
「♪―――そこに現れしは四人の光 レベル1の剣士、その名はカイル」
「♪―――聖騎士となりて王に謁見し 無限の聖剣、その手に宿す」

無限の、聖剣……だと?
俺は、吟遊詩人の歌に耳を疑った。

王がカイルに、もう一つの聖剣を授けた?
聖騎士の称号まで?

「嘘だ……」

俺の口から、か細い声が漏れた。
それは嘘でなければならない。あってはならないことだ。
勇者は俺だ。聖剣を持つべきは、俺だけのはずだ。

なのに、なぜ。
なぜ俺が全てを失い、カイルが全てを手に入れている?

「あのカイルって英雄様はすげえらしいな。なんでも不死身なんだとよ。何度殺しても蘇ってくるって話だ」
「へっ、おとぎ話だろ。だが、それくらい強えってこった。それに比べて、うちの国の勇者様はどこで油を売ってるんだか」

周囲から聞こえてくる声、声、声。
その全てが俺を嘲笑い、カイルを称賛していた。

俺は耐えきれなくなった。
「うるさあああああいっ!」

叫びながら腰の聖剣を抜き放つ。そして、近くのテーブルへと叩きつけた。
だが、聖剣はテーブルを断ち切ることなく、ガツン、という鈍い音を立てて弾かれた。その刀身はただの鉄の棒のように、何の力も宿していなかった。

それどころか、聖剣の柄を握る俺の手に焼けるような激痛が走った。

「ぐあああっ!」

俺はたまらず聖剣を手放した。見れば、俺の手のひらは赤く焼け爛れている。
聖剣が俺を拒絶している。
持ち主である俺を。

その事実は、俺の心を完全に打ち砕いた。
最後の拠り所だった勇者の証。それさえも俺は失ったのだ。

「……はは……ははは……」

乾いた笑いが再び口から漏れる。
もう何もない。俺には何も残っていない。

俺は酒場を飛び出した。
降り始めた冷たい雨が、俺の火照った体を冷やしていく。どこへ行く当てもなく、ただふらふらと路地裏を彷徨う。

やがて俺は力尽き、汚水が流れる路地裏の壁にずるずると崩れ落ちた。
雨が俺の顔を叩く。それが雨なのか涙なのか、もはや分からなかった。

全てを失った。
仲間も、名声も、聖剣さえも。

(……力が……欲しい)

心の底から声が聞こえた。
純粋な渇望。

(力が欲しい……)
(カイルを殺せるだけの、力が……)
(あいつから全てを奪い返せるだけの、絶対的な力が……)

憎しみも、嫉妬も、絶望も、全てが溶け合い、一つの純粋な願いへと昇華されていく。
そのためなら何でもする。
悪魔に魂を売ってでも。

俺は雨に濡れる暗い空を見上げた。
虚ろな瞳が、ただ闇だけを求めていた。

その、闇に染まった俺の絶望に、何者かが応えたかのように。
俺の目の前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。

そして、その歪みの中から一つの人影がゆっくりと姿を現した。
フードを目深に被り、その顔は見えない。だが、その人物から発せられる気配は、これまで感じたこともないほど冷たく、そして邪悪なものだった。

「……お呼びかな? 堕ちた勇者よ」

その声は甘美な毒のように、俺の心へと染み込んできた。

俺は、その声の主にただ魅入られていた。
それが破滅への誘いであると、知りながらも。
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