ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第三十三話 敗走と置き土産

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覚悟していた肉を貫く衝撃は訪れなかった。
代わりに、キィンッ!という甲高い金属音が鼓膜を打った。
恐る恐る目を開けると、私の目の前には信じられない光景が広がっていた。
アルフォンス王子の剣は、私の胸に届く寸前で何かに阻まれて止まっていた。
見えない光の壁。
先ほど私が無意識に展開した「聖なる盾」の一部が、まだ私の周囲に残っていたのだ。それは王子の憎悪に満ちた一撃を、まるで分厚いガラスのように完璧に防ぎきっていた。
「なっ……なぜだ……!?」
王子が愕然とした表情で、自分の剣を見つめている。何度か力を込めて突き刺そうとするが、剣はびくともしない。
その、わずか数秒にも満たない膠着。
だが、その時間はカイザーにとっては十分すぎるほどの時間だった。
「―――万死に値する」
地獄の底から響いてくるような、静かで冷たい声。
気づいた時にはカイザーは、王子の背後に音もなく移動していた。
その手にはいつの間にか、黒い雷を纏った漆黒の剣が握られている。
「ひっ……!」
王子が背後の気配に気づき、恐怖に引きつった顔で振り返る。
だが、もう遅い。
カイザーの動きは神速だった。
漆黒の剣が閃光のように煌めく。
しかし、その切っ先は王子の体を貫くことはなかった。
剣は王子の首筋を紙一重で掠めて通り過ぎ、彼の背後にあったテラスの石柱を、まるでバターのように音もなく斜めに両断した。
ゴゴゴゴゴ……という地響きと共に、巨大な石柱の上半分がゆっくりと傾ぎ、雲海の底へと轟音を立てて落下していく。
アルフォンス王子は、何が起こったのか理解できないままその場にへたり込んだ。
その頬には一筋の赤い線が走っていた。剣先がほんのわずかに彼の皮膚を切り裂いたのだ。そこから、ぽつり、ぽつりと血の雫が滴り落ちる。
彼は死んでいない。
カイザーは最後の最後で、私との約束を守ったのだ。「殺さない」という誓いを。
だが、彼が王子に与えたものは死よりももっと残酷な罰だった。
「……二度と」
カイザーは剣を収めると、へたり込む王子の前にゆっくりと屈み込んだ。そして、その顔を至近距離で覗き込む。
「二度と、俺のものの前にその汚れた姿を現すな」
その声には一切の感情がなかった。だからこそ恐ろしかった。
「次に会う時が、お前の本当の命日だ」
その瞳は絶対零度の光を宿し、王子の魂そのものに永遠に消えることのない恐怖の烙印を刻み付けた。
「ああ……あ……あああああ……」
王子はもはや言葉を発することもできず、ただ壊れた人形のように意味のない呻き声を漏らすだけだった。その瞳からは完全に光が消え失せ、正気と狂気の境を彷徨っている。
カイザーはそんな彼に、もはや何の興味も示さなかった。
彼は静かに立ち上がると、テラスの隅で主人の凶行に怯えていた白銀のワイバーンに一瞥をくれた。
「……消えろ」
その一言だけで、ワイバーンは弾かれたように飛び上がった。そして、背中に壊れた主人を乗せたまま狂ったように故郷の方角へと逃げ去っていく。
その姿が雲海の中に、あっという間に見えなくなる。
嵐が完全に去った。
後に残されたのは、破壊されたテラスの残骸とどうしようもないほどの静寂だけだった。
私はその場にへなへなと座り込んでしまった。
足に力が入らない。
助かったという安堵。
カイザーが約束を守ってくれたことへの感謝。
そして、自分の甘さが招いた最悪の結末への深い深い後悔。
様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、涙さえも出てこなかった。
「……アリア」
カイザーが私のそばに屈み込み、その大きな手で私の肩をそっと抱き寄せた。
「怪我はないか」
その声は、いつもの優しいカイザーの声に戻っていた。
私は何も言えずに、ただこくりと頷く。
「そうか……良かった」
彼は心の底から安堵したようにそう呟くと、私の体をぎゅっと力強く抱きしめた。
その腕はかすかに震えていた。
この絶対的な力を持つ竜が。
私を失うかもしれないという恐怖に、震えていたのだ。
その事実に、私の胸は張り裂けそうなくらい痛んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
私は彼の胸の中で、ようやく声を上げて泣いた。
「私が甘かったせいで……あなたにあんな顔をさせて……怖い思いをさせて……!」
「……いい」
彼は私の言葉を静かに遮った。
「お前が無事なら、それでいい」
彼は私の髪を何度も何度も優しく撫でた。まるで壊れ物を慈しむかのように。
私は彼の腕の中で泣き続けた。
この温もりだけが今、私の唯一の救いだった。
空にはいつの間にか、夕日が差し込み始めていた。
それはまるで血のように、赤い赤い光だった。
敗走と置き土産。
アルフォンス王子は命からがら逃げ延びた。
けれど彼は、カイザーの心に、そして私自身の心に、決して消えることのない深い深い傷跡を置き土産として残していったのだ。
私たちの穏やかだった日々は、もう二度と戻ってはこない。
そのことを私たちは、痛いほど理解していた。
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